病気
仕事を全部辞めて、医者からは最低2.3ヶ月は休むようにと言われ、休養期間という名目で、暫く家で休んでいたけど、普通にしていれば何ともない状態。
けど、寝付きが悪かったり、急に気分が悪くなったりして、情緒不安定なのは確かだった。
休んでいる間、日中はすることがなく、音楽を聴いたり、漫画本を読んだりと、出来るだけ外出することを避けて過ごしていた。
そしてそんなこんなで、3ヶ月が過ぎようとしていた。
この時、車を保有していたが、仕事で通勤用にしか使わないうえ、ちょうど車検が切れそうだったので、家族で相談した上で売却することにした。
体調面でも、精神面でも、まだ安定していないコトもあり、こんな状態で車を運転すれば事故を起こしやすくなると考えた上での判断だった。
免許自体は身分証明になるので、そのまま更新させることにして、所謂、ペーパードライバーになると言うことだった。
暫くして4ヶ月目に入っても、一向に体調は安定せず、次第に何もする気にならなくなっていき、一日中寝てる事が多くなっていった。
母親もこの時は心配して、様子を見に部屋に出入りしていたが、私からすれば返事をするのも億劫で、無言のまま寝続けていた。
でも、この時は『暫く寝ればよくなる』と思い込んでいた事もあって、あれ以来医者には行かなかった。
と言うよりも、外出する事自体が面倒に感じて、ずっと部屋に引きこもって寝てばかりいた。
そんなこんなで、気付けば休業してから半年が経ち、流石に母親もこのままではいけないと思ったらしく、無理矢理以前通っていた精神科の医者に連行された。
問診票を書くのも面倒に感じて、とりあえず仕事していたときのことと、それ以来ずっと部屋に籠もってい書いて書いて母親に渡して、受付に渡してもらい、診察の番がやってきた。
だけど、喋るのも怠くて、聞かれた事に頷いたりはしたけど、会話するのが苦しくて堪らなくなってしまう状態だった。
でも、それ以前に、何故か無性に泣いてしまって、話も出来ない状態に成り、筆談で試みようとしたが、気持ちが定まらずに、結局何も書けなくて。
とりあえず気持ちが落ち着くまで休ませてもらってから、少しずつ、筆談で状況を言って、「何もする気に成れなくて、動くこと自体が億劫に感じる」と答えた。
そしてまた暫く通院というカタチになり、最初の自己判断では「鬱」だと思っていた。
けど、話をしていくうちに、たまにどこからか自分を責めるような声が聞こえたり、命令調に責められる感覚があったりと答えていたこともあって、診断されたのは、「妄想型統合失調症」だった。
そして、薬を出してもらい、暫く経過観察という感じで、月に2回通院するようになるモノの、食事の量も回数も少なく、基本的に身体を動かさないので、体重が一気に減っていった。
それでも、薬は飲まなきゃいけないから、無理矢理にでも食べ物を口に詰め込んで、薬を飲んで、と言うことを繰り返している内に、今度は一気に体重が増加。
さすがに、こんな状態は良くないと医師に言われ、食事の量と時間をきちんと決めて、規則正しく生活するようにと言われた。
でも、これといってやりたいことも、その時には思い浮かばなかったので、ただ、身体を横にして安静にしているだけだった。
そんなこんなで暫く通院していて、状態も良くなってきて、少しずつ、何かしたいと思うようになり、前から少しだけ書いていたノートに言葉を書くことを、もう一度始めようと思った。
でも、最初はやっぱり何も書けなくて。
本当に、一言程度しか書けなかった。
それでも、何もしないよりはマシだと思って、毎日飽きもせずに、何かを書いてはノートを埋めていった。
そして、それからまた暫くして、今度は久しぶりに絵でも描いてみようかとも思うようになり、部屋の隅に追いやった画材道具を引っ張り出して、リハビリも兼ねて、適当に絵の具で色を塗っていった。
それからは、毎日、ノートに言葉を書いたり、絵を描いたりして、日中を過ごすようになっていった。
体調が少し戻って、ノートに言葉を書いたり、絵を描いたりして、日々を過ごしていく内に、少しずつ、あの忌まわしい声や煩わしい感情も薄れていって、だいぶ症状が落ち着き始めていった。
医師からも、良い状態になってきていると言われて、薬を少し弱い物に変えてもらい、量も減らして様子を見ることになった。
今までと比べて、身体が軽く、気持ちがだいぶ楽になっていた。
でも、その反面、たまに身体がソワソワする感じになって、落ち着きがなく、じっとしていられないようなことがしばしばあった。
そのことを医師に伝えると、薬の副作用が出ているかもしれないとのことで、副作用止めの薬を追加され、また様子を見ることに。
副作用止めの薬をもらってからは、ソワソワする感じや、落ち着きがなくなることは減ったが、その代わりにだるさが出てきて、これ以上は何とも言えないと言われてしまった。
「今はまだ無理せずに、ゆっくり治療していきましょう」と言われて、「はい」としか言えず、その後も定期的に通院しながら、日々を過ごしていた。
そして、仕事を辞めてから1年が経ち、2年が経った頃。
今まで貯蓄していた分を生活費に廻していたが、次第に底をつき始め、この先の生活が厳しくなると感じ始めていた。
この頃には、既に医療費の自立支援を受けていたので、金額は最低ラインの額のみの支払いだったが、毎月通っているので、年間を通せばかなりの額になってくる。
そんな中で、収入が完全に無くなってしまった今、今後の生活費をどうするか、考えなければならなかった。
そして休業して3年目。
大部体調も戻ってきて、症状も少なくなってきたので、医師に、仕事をしても良いか相談し、無理のない程度になら働いても可能と言ってもらえたので、再就職先を探すことに。
ただ、フルタイムの仕事は無理で、正社員だと規則や責任が重くなってくるので、止めた方が良いと言われていた。
なので、パートで、誰にでも出来そうな仕事を探し、ちょうど、姉が働いていた病院の清掃で食器洗浄の方で欠員があるから、もし大丈夫なら入って欲しいと言われた。
内容を聞いて、大丈夫そうだと思い、面接を受けることになった。
そして、清掃の姉の妹と言うことで、連絡を聞いていた人事部の担当が「簡単にはお姉さんから聞いてると思うけど」と前置きをして、仕事内容を確認し、私は「大丈夫です」と答え、無事に採用。
翌週から仕事を始めることになった。
ただ、最初はまだ体が鈍っているので、半日のみにしてもらい、1週間、2週間が経ち、だいぶ仕事に慣れ始めた頃に、1日の仕事に切り替えて、それでも一日5時間程度。
手取額は少ないが、今の私には充分すぎる程だった。
収入が出来て、体調も戻ってきて、少しずつ元の生活に戻り始めて。
相変わらず通院はしていたが、だいぶ症状も穂どんと出なくなっていて薬の種類も減り、後はこの状態を保って行くのみとなった頃。
通院していた病院の先生が、急病で閉院することになった。
たまたま、同じ地区内に精神科を扱っているクリニックがもうひとつあったので、事情を話し、そちらへ移転し、それ以来そのクリニックへ通うことになった。
そして、それから暫く経ったある日のこと。
姉の清掃部の人で情報通の人がいて、その人が言うには今まで通っていた病院の先生が自殺したという話を聞いた。
阿賀野川に車が上がって、中にいた人物を特定したら、そこの医師だったことが判明し、自殺と判断されたらしい。
聞いた瞬間は状況が飲み込めず呆然とするしかなかったが、以前も体調不良で休んでいたこともあって、無理がたたったのかな?と思い、もうあの先生には会えないのだと思うと寂しく感じた。
正直なところ、今通っているクリニックの先生はそこの病院の先生に比べると、なんとなく話づらい雰囲気があって、前の先生よりも、親しみを持てずにいた。
前の先生は優しい笑顔でも変えてくれて、私が話す時も、きちんと目を見て聞いてくれて、本当に親身になってくれているという感じがあった。
でも今の医師は事務的に対応している感じがして、なんとなく信頼出来ずにいた。
だけど、たまに言ってくれることがきちんと的を得ていたり、なるほどと思うようなことを言ってくれたりと、次第に信頼関係が出来るようになっていた。
今も代わらず、通院は続いているが、あれから症状もほとんどと言って良いほどなくなっていって、見た目も健常者と何も変わらないような感じになっていった。




