派遣社員
派遣会社に登録して、早速仕事に就くことに成ったけど、通うのに距離があって、当時はまだ車を持ってなかったので、送迎してもらうことに成った。
同じ派遣会社の人から送ってもらい、何とか仕事も覚え、頑張れると思ったけど。
現実はそんなに甘くはないことを、私は知っていた。
いろんな派遣の人が集まって、ひとつの部署で仕事をしていたけど、何人も出入りしていて、長期で働ける人が限られていた。
なので、常に誰かが教える役になってて、その人も家の事情でやめることになって、最終的に残ったのは私を含め数人だけだった。
仕事の内容は、主に検品。
出荷前の、最終チェックと梱包作業だった。
その為に結構プレッシャーもあって、それに耐えられないでやめていく人がほとんどだった。
私は、働けるなら何でもいいと思っていた為、そこまで苦では無かったけど。
人の気持ちは十人十色。
違う考えの人がいるのもわかるけど、皆考え方が甘いなって思った。
そしてその仕事に慣れ始めた頃、今度は家庭での問題が浮き彫りになってきた。
それは、上京した姉のこと。
数日前から、何度か家に東京からの電話が掛かってきてて、最初は例の宗教の件で警戒していたけど、番号を確認したら、東京にいる姉のアパートの不動産屋の番号だったことがわかり、直ぐに折り返し電話すると、ここ半年近く、家賃が滞納されているとの連絡だった。
そして、このまま滞納が続くなら、アパートから退去してもらうとまで言われて、良心は慌てて姉に連絡をとった。
そして、事情を聞き、姉が仕事を失っていたことがわかり、現在日雇いのアルバイトで生活費をまかなっていたこと、その為に家賃分がまとまらずに、払えなくなっていたことを知り、両親は直ぐに仕事を休んで東京へと向かった。
そして不動産屋と相談し、今までの滞納分の家賃を代替えして支払い、8月に撤退することが決まった。
そのことを聞き、私は面倒ごとが増えたと思った。
実際、家に強制送還される形で帰ってきた姉に、部屋が荷物で埋まり、寝る場所がない為に私の部屋で一時的に寝泊まりすることにも成った。
そして今度は、父親のこと。
家の車は父の持っている1台だけで、ガソリン代はいつも唯一のクレジットカードで支払っていたのだが、その明細を診た母が異変に気付いて、父に問い詰めた。
普通ならば、レギュラーガソリンを満タンに詰めても、4.5千円で足りるのに、請求額が万を超えていた。
金の亡者になっていた母が、激しく追及すると、父は弱々しく白状し、会社の社長に名義貸しをしていたことが判明。
元々、父と今の会社の社長は昔の職場の同期で、所長さんが自立し、自分の会社を建てるときに、声を描けてきたがその際は一旦断ったものの、父がリストラされてから仕事に困った時に、結局そこの社長さんに頼み込んで仕事をもらうことが出来たのだという。
そんな経緯から、父は社長さんに借りがあり、その借りを返す代わりに会社の名義として父のクレジットカードを使わせてもらうと言うことだった。
そのことでまた母は頭に血が上り、父の会社に乗り込んで社長を問い詰めて、今後一切名義は貸さないこと、今までの請求額を返金させてもらうことを約束させ、残った請求額を全て我が家の方で負担することに成り、後日、その分の返金額を給料に上乗せしてもらうことに決まった。
一度にいろいろなことがあり、精神的に疲れていた私も、また仕事でミスを連発し、何とかカバーは出来たのもの、結局問題視されて、9ヶ月でその契約を切られてしまった。
でも、直ぐに別の仕事が見つかって、今度は大手電機メーカーの製造工場。
地元の本社での工場で、製品の組み立てをする仕事だった。
でも、そこでもまた初日からやらかしてしまった。
連絡ミスで、集合場所を間違えて、結果的に就業時間ギリギリになって入ったのだった。
何とか謝って済んだけど、これ以上迷惑は掛けられないと思い、仕事の内容を頑張って憶えて、ひとつひとつ丁寧に作業していった。
そして、夏を迎え納涼会が開かれることに成り、参加した。
その際、見た目にちょっと引かれていた男性がいたのだけれど、話をすることが出来て、あることが判明。
何と、家がすぐ近くで、しかも子供の頃に会っていたとのこと。
彼とは私が幼稚園くらいの頃に、家の前の遊具の所で、彼が友人と一緒にブランコで遊んでいるところに、私がやってきて、乗りたそうにしていた時に、祖父がやってきて、「小さい子が乗りたがってるんだから、乗らせてあげろ」と一喝。
その後、一緒に遊んでいたとか…。
全く記憶になかったけど、貴重な話が聞けて良かった。
その後、彼とは親しくなり、友人となって、当時はまだメールで何度かやりとりしていたが、彼は既に家庭を持っていて、子供もいる。
たまに家の前の遊具に子供連れで遊びに来ている姿を見かけた。
優しそうなお父さんしてるなと思った。
その反面、自分の父親と重ねてしまって、幼い頃は、私の父も優しくて、一緒に遊んでくれていたことを思いだしていた。
夏休みには毎年山にキャンプへ行ったり、海へ行ったりと、よく遊びに連れて行ってくれた。
そんな父が、病気になっていたのは、とっくに分かっていたのだけれど。
元々肺が弱く、一度気泡が出来て入院したときに「たばこはもう止めてくださいね」と医師に言われていたのに、結局禁煙が続かず、またヘビースモーカーに戻っていた。
そして、翌年の3月。
以前から夜な夜な喘息に喘いでいることから、医者に行けと散々言われた結果、即入院を言い渡された。
そんなことがあってすぐに、また会社の方でトラブルが起きた。
「不渡りがでた」「今月の給料は分割にさせて欲しい」と言われて。
流石に、以前からいろいろ問題があったのもあって、現在登録している派遣会社を辞め、別の派遣会社へ移動することにした。
登録期間は約1年。
結局此処も続かなかった。
その後、友人が別の派遣だったのでそこに話を付けてもらって、入ることにした。
そして6月。
父が亡くなった。
肺がんだった。
その後、その派遣で続けていくことになったけど、契約期間の関係で、12月で一旦その工場から離れることに。
その後は。事務の入力作業や、薬品の検査を経て、再び工場へ戻ることになった。
しかし、経営方針が変更されたため、仕事内容も若干変わっていて。
配属部署も前回は2階だったのが、1階の場所へ移動になって、そこでの作業を覚えて行ったけど。
何処にでも、同じような人間がいる。
人の欠点を嘲笑い、見下す連中。
しかも、自分より年下で、大学出の正社員。
高卒の、しかも派遣の立場の私が、文句を言えるわけも無く、見て見ぬふりをしてしまった。
そしてまた12月で工場を離れ、その後暫く仕事がなくて、貯蓄を崩しながら生活することに。
そして、6月。
再び薬品の検品の仕事が来て、10月まで入ることに成り、その後またその工場へ。
また1階の仕事について、その後、更新が決まって、年明け後も続けて仕事することになった。
しかし、寒さと、元々の鼻炎が悪化して、早退を繰り返すようになり、今度は祖父の具合が悪く、入退院を繰り返すようになっていった。
この時はまだ、ただ疲れが溜まってるだけだと思っていた。
けれど…。
3月。
元々心臓が弱く、認知症の症状も進んでいた祖父が亡くなった。
その年の5月。
仕事の内容が、1階から2階へ、そして冬仕様から夏仕様へと切り替わった。
今までならば大勢で、別の場所でその作業をしていたのに、その年は班ごとに一人ずつ、直接班へ入って作業をすることになった。
元々行動が遅くて、援助がなければ付いていけない私には、過酷な状況だった。
必死に追いつこうと、頑張って頑張って…そして夏になった。
夏場の工場は40℃近くになるため、水分・塩分補給用に、お茶と梅干しが出されていたのだけれど、人数が多く、午後の休憩時にはお茶がなくなってしまうことも多々あった。
そんなときだった。
その日も、暑さで皆が水分補給にお茶に群がって、私の前の人が「もうお茶が無い!」と叫んでいた。
仕方なく、トイレ近くの水飲み場まで走り、水筒に水を入れて何とか補っていたけれど。
その日は、それも出来ないくらいに、時間に追われていて…。
結果、脱水症状と、元々のストレスなどが引き金に成り、過呼吸を起こしてしまった。
周りが慌てて対応してくれたけど、全然治まらずに余計に酷くなっていくばかり。
心配してくれた人が、救護室へ運んでくれたけど、その際には手も口も痺れて、呂律が回らない状態になっていた。
庶務の人が、救急車を呼んでくれて、病院へ搬送され、その後暫くしてから症状は治まり、念のため薬をもらって帰宅することになった。
暫く休養をもらって、仕事に復帰することになったが、その後も何度か体調が不安定に成り、また過呼吸を起こしてしまう。
派遣の担当に送ってもらって、そのまま医者へ。
その時は、内科へ受診したのだが、「過呼吸は精神的なモノから来るから、精神科へ行った方が良い」と言われて。
でも、以前通っていた精神科の先生が休んでいると言われて、別の診療所を紹介されて、そこへ行くと、「パニック障害」と言われた。
そして、派遣会社へそのことを連絡して、暫く仕事を休むことになった。




