社会人としての初仕事
高卒で入社した会社は、県内で有数のブランド女性服製造の工場。
他の同期の新入社員は、被服科のある学校の卒業生。
同じ学校の同期もいたけど、同じく普通科の出身で、被服科ではない。
でも、1ヶ月経つと、徐々にそれは形を表してきた。
研修中は、毎日が勉強の毎日で、まずは専門用語を覚えて、それから実践。
趣味範囲でしかやったことの無かった行程もあったので、何とかついてはいけたけど。
後半になるにつれ、実践形式で、服を一着、自分ですべて作ることになって、でも最終的に時間が足りず、全員が最後まで作り上げられなかった。
そして研修最後の課題として、練習用の線が書かれた布切れを渡され、その線に合わせて、素早くミシンを動かす練習に取り組んだ。
そしてその成果を見て、次々に実際の仕事の応援をすることになっていった。
でも、私は最後まで、実践することは無く、練習のままで研修は終わった。
そして配属されたのは、生産管理部。
所謂、現場事務の仕事だった。
もともと事務系の検定をいっぱい持ってたことと、実力を見ての判断だったのは分かるけど。
これで自分でもはっきりした。
自分は、オチコボレだってこと。
何をさせても、行動が遅く、判断に時間がかかる。
これじゃあ仕事にならないから、生産管理として、主に雑用係として、配属されたんだって。
だけど私は、本当に考えが幼稚で、言われた通りにしか理解出来なかったから。
「いろんな部署を回りながら、生産管理としての事務作業をしてほしい。」
そう言われて、自分はどの部署でもいける、期待されてると、変な誤解をしていた。
そして、生産管理として、最初に教わったのは、日々の生産記録を付けるのと、技術班が使うサンプル用の荷物を仕分ける仕事だった。
その後、現場に入って応援の仕事をし、荷物が来たら戻って仕分ける。
それの繰り返しだった。
最初の頃は、先輩がついてくれていたけど、ある日、その先輩が急に辞めることになって、自分一人ですることになった。
他の生産管理の人も手伝ってくれて、何とか仕分けるのが出来たけど、いろいろと失敗してサンプルの到着を回覧で回す順番を書き間違えたり、見落としがあったりして、何度かやり直したりもした。
それでも、必死に覚えようと、ノートに何度も書いては覚え、書いては覚えて、次第に間違えなく出来るようになっていった。
そんな日々が続いて、やっと仕事に慣れ始めたときだった。
同期の一人が、辞めることになった。
理由は、元々身体が弱く、何度も早退したりしていたので、これ以上迷惑掛けられないとのこと。
その人は専門学校の出身で、私より年上だったけど、どこか自分に似てる部分があったから、なんとなく、心配だった。
その後も、また同じ専門学校出身の一人が辞めることになり、10人いた同期が一気に2人も減った。
2人とも、現場の班に入ってて、いろいろと役回りもあったみたいだけど、プレッシャーに勝てなかったみたいで、辞めることに。
残った8人は、最後まで残ったけど、それでもどこかぎこちなくて、高卒組と、専門卒業組とで別れていた。
そして何だかんだして1年が経ち、2年目に入り、私も先輩の立場になった。
でも、その年を最後に、3年目は新入社員は入らず、20歳を迎えてからのことだった。
丁度、成人式の翌日だったので、はっきりと覚えてる。
「皆さんに伝えなければならないことがあります。」
社長から、社員全員へ連絡があり、緊急朝礼と称して、全員が集められて言われたのは、誰もが予想していたモノだったらしく、あまり驚く人はいなかった。
「誠に残念ですが、今年の4月いっぱいを持って、この工場を閉鎖することになりました。
皆さんの次の就職先は、こちらの方で何としますので、その点理解をお願いします。本当に、申し訳ありません。」
そう、工場の閉鎖を宣告されたのだった。
突然の失業。
未だ初めてのことだったので、実感が持てず、でも、入荷する荷物が日々少なくなっていくのが目に見えて分かっていたので、本当に終わるんだと思った。
そして、来る4月20日、工場は閉鎖され、私は失業した。
労働組合に入っていたので、退職金はちゃんと貰えた。
でも、結局私は次の就職先が決まらないまま、路頭に迷っていた。
そして、考えた末に、職業安定所で張り出されていた、ある支援団体主催の特別講習に参加することにした。
そこで、今までの自分が培った社会性をもう一度見直して、再就職へ向けて一歩を踏み出したのだった。




