表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

東京クロニクル4 —— 名探偵・神崎と少女助手の失われた血脈2

 第10幕 橘桂一郎の影


 翌日 午前10時 新宿・神崎探偵事務所

 橘財団の研究開発部門責任者・橘桂一郎(たちばなけいいちろう)

 美咲の過去を消去した"管理者"のログに残されていた名前。


 ——こいつが、美咲の記憶を封じた張本人だ。


 神崎と柚葉は、事務所で橘桂一郎についての情報を整理していた。


 柚葉が資料をめくりながら、小さく眉をひそめる。


「橘桂一郎……財団の"研究開発部門"に所属してるんですよね?」


「ああ。表向きは"医療技術の研究者"として活動している」


「でも、美咲ちゃんの記録を消したってことは……?」


「"橘財団の研究"が、美咲の失踪と関係している可能性が高い」


 神崎は机の上の資料に目を落とす。


 ——橘財団は、表向きは医療技術やバイオ研究に力を入れているが、その裏では"人体実験まがいの研究"を行っているという噂があった。


「……先生、これってつまり……」


 柚葉の表情が強張る。


「ああ、最悪の可能性も考えておいたほうがいい」


 ——美咲は"研究対象"として管理されているのかもしれない。


 柚葉はぎゅっと拳を握る。


「そんなの、許せません……!」


 神崎は静かにタバコに火をつけ、煙をくゆらせる。


「まずは、橘桂一郎に接触する手段を考える」


「でも、財団の人間ですよ? 簡単に会えるとは思えません……」


「ああ、"正攻法"じゃ無理だろうな」


 神崎はスマートフォンを取り出し、ある人物に連絡を入れた。


 ——橘財団の内部情報に詳しい、もう一人の協力者。


 "情報屋・三上みかみ"。


 午後1時 新宿・バー「NOIR」

 神崎と柚葉は、新宿の裏路地にある小さなバーにいた。


 カウンターの奥に座っていたのは、三上——財界や企業の裏事情に精通した情報屋だ。


「相変わらず、危ないネタを追ってるな」


 三上は苦笑しながら、グラスを傾ける。


「で、今回は"橘桂一郎"について知りたいって?」


「ああ、何か掴んでるか?」


 三上は少し考え込んだ後、静かに口を開いた。


「……最近、橘桂一郎は"ある場所"に頻繁に出入りしているらしい」


「"ある場所"?」


「ああ、"グラン・ルーベ"っていう会員制のサロンだ」


「……サロン?」


 柚葉が首をかしげる。


 三上はグラスを回しながら説明する。


「表向きは財界人や政治家が集まる"交流の場"だが、裏では"秘密裏の取引"が行われることもある」


 俺は軽く頷いた。


「つまり、そこで橘桂一郎に接触できる可能性があるわけか」


 三上はニヤリと笑う。


「そういうことだ。ただし、"会員以外"は簡単に入れないぞ?」


「そこは問題ない。"裏ルート"がある」


「さすがだな」


 三上は楽しそうに笑った。


「だが、一つ忠告しておく。橘財団の連中は"甘くない"。深入りすれば、お前らもただじゃ済まないぞ?」


 俺はタバコの煙を吐き出しながら、静かに言った。


「俺たちは、もう十分"深入り"してるさ」


 柚葉もまた、決意のこもった目をしていた。


「私も、引き下がるつもりはありません」


 三上はしばらく二人を見つめた後、肩をすくめる。


「……ったく、お前らは本当に無茶ばっかりするな」


 そして、彼はポケットから"グラン・ルーベのVIPパス"を取り出し、俺に差し出した。


「これを使え。今夜、橘桂一郎はそこに来る」


 神崎は軽く笑いながら、それを受け取る。


「助かる」


「せいぜい気をつけろよ」


「言われなくてもな」


 午後10時 銀座・会員制サロン「グラン・ルーベ」

 夜の銀座。煌びやかなネオンの中に、ひときわ異彩を放つ建物があった。


 会員制サロン「グラン・ルーベ」。


 そこに出入りできるのは、一部の特権階級と、影で動く"選ばれた人間"のみ。


 神崎と柚葉は、ドレスコードに合わせた装いで入り口へと向かった。


 柚葉は、落ち着かない様子で俺の隣を歩く。


「先生、こんなところに来るの、初めてです……」


「俺も"客として"入るのは久しぶりだ」


「"客として"じゃなければ、どう入ったんですか?」


「……色々とな」


 柚葉はため息をつきながら、苦笑した。


「……先生って、本当に何者なんでしょう」


 神崎は軽く笑いながら、受付にVIPパスを差し出す。


 係員が確認し、無言で扉を開ける。


 ——目の前に広がったのは、上品な音楽が流れる豪華なラウンジだった。


 金と深紅のインテリア、高級ワインが並ぶバーカウンター。

 テーブルにはスーツ姿の男たちと、ドレスに身を包んだ女性たちが談笑している。


 その奥——ソファ席に、一人の男が座っていた。


 銀縁の眼鏡をかけた端正な顔立ち。

 冷静な雰囲気を纏いながら、静かにグラスを傾ける。


 ——橘桂一郎。


「いたな」


 神崎は静かに柚葉に囁く。


「……どうするんですか?」


「まずは、"会話の糸口"を作る」


 神崎はグラスを手に取り、橘桂一郎の座る席へと向かった。


 ——ここからが、本当の勝負だ。


 第11幕 財団の真実


 午後10時15分 銀座・会員制サロン「グラン・ルーベ」

 神崎は、ゆっくりとグラスを傾けながら、ソファ席の奥に座る男を観察した。


 橘桂一郎。

 橘財団の研究開発部門責任者にして、美咲の記憶を封じた張本人。


 銀縁の眼鏡をかけた端正な顔立ち。

 冷静な表情を崩すことなく、ワイングラスを指先で軽く回している。


 柚葉は、緊張した様子で神崎の隣に座っていた。


「……先生、本当に話しかけるんですか?」


「ああ。"自然に"な」


 神崎はグラスを手に取り、橘桂一郎の席へと向かった。


「すみません、ご一緒しても?」


 神崎が落ち着いた口調で声をかけると、橘桂一郎はゆっくりと視線を向けた。


「……どなたでしたかな?」


 冷静で、抑揚のない声。


「神崎蓮司といいます。探偵をやっていましてね」


「探偵?」


 橘桂一郎の表情がわずかに動いた。


「珍しいですね。このサロンに探偵が来るとは」


「たまにはこういう場で情報交換することもありますので」


 神崎は軽く笑いながら、グラスの中のウイスキーを揺らした。


 ——まずは、"会話の糸口"を作る。


 神崎がわざと遠回しな言い方をしたのに対し、橘桂一郎は静かにワインを一口飲み、続けた。


「それで、探偵さん。私に何かご用でしょうか?」


「ええ、少し気になることがありましてね」


 神崎はグラスを置き、橘桂一郎の目をまっすぐ見据えた。


「"桜井美咲"について、お話を伺いたい」


 その瞬間——橘桂一郎の指が、グラスの縁でぴたりと止まった。


「……"桜井美咲"?」


 彼の声は変わらず冷静だったが、目の奥にわずかな警戒が宿る。


 柚葉は神崎の隣で息を呑んだ。


 神崎は静かに続ける。


「"彼女の記憶"を消したのは、あなたですね?」


 橘桂一郎はしばらく神崎を見つめていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。


「……何の話か、さっぱりわかりませんね」


 とぼけるつもりか。


 神崎はそう予想しながらも、ゆっくりと次の言葉を投げかけた。


「"ヴィラ・グレイス"の記録に、あなたのイニシャルが残っていた。"T.K."——橘桂一郎。あなたが、美咲の過去を消去した"管理者"です」


 橘桂一郎は微かに目を細めた。


 そして、静かにグラスを置くと、低く呟く。


「……なるほど」


 次の瞬間、彼は神崎の目をまっすぐに見据えた。


「あなた、"本当の美咲"を知っているのですか?」


 柚葉が小さく震える。


 神崎は、タバコをくわえながら静かに答えた。


「"本当の美咲"?」


「ええ。……では、逆にこちらから聞きましょう」


 橘桂一郎はグラスを指で回しながら、言葉を続けた。


「あなた方が"桜井美咲"だと思っている人物は、本当に"桜井美咲"なのでしょうか?」


 柚葉の肩がピクリと震えた。


 神崎は、じっと橘桂一郎の表情を観察する。


「……どういう意味です?」


 橘桂一郎は微笑を浮かべたまま、ゆっくりと答える。


「"桜井美咲"という名前は、10年前に存在していた。しかし、その名前を持つ人物が"本当に一人だけ"だったのか——あなたは考えたことがありますか?」


 神崎の脳内で、様々な可能性が交錯する。


「つまり、"美咲"は一人ではない?」


「そういうことです」


「なら、俺たちが探している美咲は、"どちら"の美咲なんですか?」


 橘桂一郎は、ゆっくりと微笑んだ。


「それは、ご自身で確かめることですね」


 神崎はタバコの煙を吐き出しながら、静かに言った。


「……なるほど。つまり、俺たちが"正しい答え"に近づいているということですね」


「ふふ……」


 橘桂一郎は笑い、ワインを一口飲む。


「探偵というのは、面白い職業ですね。……では、"もう少し"遊んでみましょうか」


 彼はポケットから、小さなUSBメモリを取り出し、神崎の前に置いた。


「これは?」


「"ヒント"ですよ。あなたが"美咲の本当の過去"を知りたいのなら、それを解析してみるといい」


 神崎は、ゆっくりとUSBメモリを手に取った。


「……罠では?」


「それは、探偵としての勘で判断してください」


 橘桂一郎は静かに笑うと、席を立った。


「……あなたたちが"どこまで辿り着く"のか、楽しみにしていますよ」


 そして、彼はそのまま店の奥へと消えていった。


 柚葉が不安そうに神崎を見上げる。


「先生……どうします?」


 神崎は、USBメモリを見つめながら静かに言った。


「"美咲は一人ではない"……か」


 神崎の頭の中で、様々なピースが組み合わさり始める。


 ——美咲は本当に"一人"だったのか?

 ——10年前の誘拐事件の裏に、さらに別の"計画"があったのか?


「……このUSBを解析する」


「でも、罠かもしれないんですよね?」


「罠なら、それごとひっくり返せばいい」


 神崎はタバコを消し、静かに立ち上がる。


 ——"本当の美咲"とは、一体何者なのか?


 謎は、ますます深まるばかりだった。


 第12幕 二人の美咲


 翌日 午前10時 新宿・神崎探偵事務所

 USBメモリを手に入れた神崎は、事務所に戻るとすぐに解析を始めた。


 橘桂一郎がわざわざ渡してきた"ヒント"。

 罠の可能性もあったが、"本当の美咲"を知るためには避けて通れない。


 柚葉は神崎の横で、緊張した表情で画面を覗き込んでいる。


「先生、何が入ってるんでしょう……?」


「今、確認する」


 神崎は慎重にUSBメモリを専用の解析用PCに接続し、データを開いた。


 ——そこに保存されていたのは、一つのフォルダだった。


 フォルダ名は、『M.I.プロジェクト』。


「……"M.I."?」


 柚葉が小さく呟く。


 神崎はファイルを開き、中身を確認する。


 中には数十枚の文書ファイルと、一つの動画ファイルが含まれていた。


「まずは文書の方から見るか」


 神崎がファイルを開くと、そこにはある計画書が記されていた。


 『M.I.プロジェクト概要』

 『対象:桜井美咲(M-01)、橘美咲(M-02)』

 『計画目的:遺伝子研究のための"双子"データ収集』


「……!?」


 神崎の手が、一瞬止まる。


 柚葉もまた、ファイルを覗き込み、驚愕した表情を浮かべた。


「……"双子"……?」


「つまり……"美咲は一人じゃなかった"ってことか」


 神崎の脳内で、今までの情報が一気に繋がり始める。


 10年前の誘拐事件——それは、単なる犯罪ではなかった。

 それは、"桜井美咲"と"橘美咲"、二人の少女を巡る計画の一部だった。


 柚葉の手が震える。


「……じゃあ、私が"桜井柚葉"として生きてきたのも……」


 神崎は静かに頷いた。


「お前は、本当は"橘美咲"だった。だが、何らかの理由で"桜井柚葉"として育てられた。そして"もう一人の美咲"が、10年前に消えた」


 柚葉は、頭を抱えるように俯いた。


「……なんで……なんでそんなことが……」


 神崎は彼女の肩に手を置き、落ち着かせるように言った。


「大丈夫だ。少しずつ整理していけばいい」


 柚葉は大きく息を吐き、震える手を握りしめた。


「……先生、次は"動画ファイル"を見てみましょう」


「ああ」


 神崎はファイル一覧に戻り、唯一の動画ファイルを開いた。


 動画ファイル『M.I.プロジェクト_記録001』

 画面に映し出されたのは、白い研究室のような部屋だった。


 そこには、二人の少女が並んで座っている。


 ——桜井美咲と、橘美咲。


 神崎は思わず息を呑んだ。


 柚葉もまた、画面を凝視している。


「……これ、私?」


「いや、違う。"お前と同じ顔のもう一人の少女"だ」


 動画の中の少女たちは、どちらも8歳くらいに見えた。

 見た目はほぼ同じ。しかし、微妙に雰囲気が違う。


 一人は明るく無邪気な笑顔を浮かべていた。

 もう一人は、少し控えめで、おとなしい表情をしていた。


 そこへ、白衣を着た男が近づく。


 ——橘桂一郎。


 彼は二人の少女の前に座り、静かに語りかけた。


「君たちは"特別な存在"なんだよ」


「これから君たちには"新しい役割"を持ってもらう」


 無邪気な方の少女が首を傾げる。


「新しい役割?」


 橘桂一郎は微笑みながら、こう言った。


「君たちには、それぞれ"別の人生"を歩んでもらう」


「一人は"橘家"の娘として、もう一人は"桜井家"の娘として——」


 柚葉の息が止まった。


「……つまり……私たちは、最初から"分けられていた"……?」


 神崎は、画面を睨みつけながら答える。


「ああ。お前たちは、生まれた瞬間から"役割"を与えられ、育てられた」


 ——桜井美咲と、橘美咲。

 ——彼女たちは、"計画の一部"として入れ替えられた。


 だが、その計画は10年前の誘拐事件で崩れた。


 神崎は動画をさらに進める。


 ——だが、その直後。画面が突然、ノイズに包まれた。


「……っ!?」


 画面が一瞬ブラックアウトし、次に映ったのは——


 白い病室のベッドに横たわる少女の姿。


 そして、その傍らで、橘桂一郎が静かに呟いた。


「"お前の記憶は、もう必要ない"」


 ——そこで、動画は途切れた。


 柚葉の手が震えていた。


「……美咲ちゃんは、記憶を"消された"んですね……」


 神崎はタバコに火をつけ、静かに煙を吐き出す。


「……"計画が崩れた"からな」


 ——橘桂一郎たちは、失敗した実験を隠すために"美咲の記憶を消した"。


 柚葉は、拳を握りしめる。


「先生……私、もう迷いません」


「……?」


「美咲ちゃんを取り戻します。そして、この計画を終わらせる」


 神崎は微かに笑い、頷いた。


「……そうか」


 ——二人の美咲。


 この計画の裏に、まだ何が隠されているのか。


 神崎と柚葉は、新たな決意を胸に、次なる行動を開始することを決めた。


 第13幕 計画の真実


 午後3時 新宿・神崎探偵事務所

 ——美咲は二人いた。


 USBメモリに残されていた『M.I.プロジェクト』の記録によれば、桜井美咲と橘美咲は双子として生まれ、それぞれ別の家庭に"振り分けられた"。


 そして10年前、誘拐事件が発生し、"桜井美咲"だけが行方不明になった。


 ——だが、それは偶然ではなかった。


 神崎はタバコをくわえながら、目の前の資料に目を通していた。


「……M.I.プロジェクト。"Memory Integration"、もしくは"Mind Implantation"か……」


「どういう意味ですか?」


 柚葉がソファに座りながら、不安げに尋ねる。


 神崎はゆっくりとタバコの煙を吐き出し、考えをまとめながら口を開いた。


「簡単に言えば、"記憶の操作"だ。……この計画の目的は、おそらく"一方の記憶を改ざんし、もう一方に移植すること"だった」


 柚葉の顔が驚きに染まる。


「……そんなこと、本当にできるんですか?」


「現実的には難しいが、橘財団ほどの技術力があれば、実験レベルで試されていた可能性はある」


 神崎は指でUSBメモリを転がしながら、静かに続ける。


「つまり、"桜井美咲の記憶"は、どこかに移植された可能性がある。そして、その結果——お前が"桜井柚葉"として生きることになった」


 柚葉の手が震える。


「じゃあ、私は……"誰かの記憶"を持っているってことですか?」


「可能性はあるな」


「でも、私は私です……美咲ちゃんのことを覚えてるし、柚葉としての人生も確かに生きてきた……!」


 神崎は彼女を見つめ、静かに頷いた。


「……記憶がどこにあるかより、お前がどう生きてきたかのほうが重要だ。だが、"本物の美咲"が今どこにいるのか、それを知ることが"すべての鍵"になる」


 柚葉は深く息を吐き、強く頷いた。


「先生……次は何をすればいいんですか?」


 神崎はUSBメモリを指で弾きながら、言葉を選ぶ。


「……"橘桂一郎の研究データ"を直接探し出す」


「研究データ?」


「もし、"美咲の記憶"が操作されたのなら、そのデータはどこかに残っているはずだ。おそらく、橘財団の"研究施設"のどこかに」


 柚葉は息を呑む。


「……つまり、"直接乗り込む"ってことですか?」


 神崎は微かに笑った。


「そういうことだ」


 午後11時 東京都内・橘財団 研究施設

 橘財団の研究施設は、都内の高級住宅街に紛れるように建っていた。


 表向きは医療系の企業ビルだが、裏では"特殊な研究"が行われている可能性が高い。


 神崎と柚葉は、ビルの裏口近くの暗がりに身を潜め、建物の構造を確認していた。


「先生、本当に大丈夫なんですか?」


「今さら引き返せないだろ?」


 神崎は黒い手袋をはめ、静かに施錠されたドアの前に立った。


 ——ピッキングツールを取り出し、慎重に鍵を外していく。


 カチリ。


「よし、開いた」


 神崎は扉を押し開け、柚葉と共に内部へと足を踏み入れた。


 午前0時 研究施設・データ管理室

 二人は慎重に施設内を進み、データ管理室へとたどり着いた。


「先生、誰もいません……」


「深夜だからな。だが、油断するな」


 神崎は素早くコンピューターに接続し、データを検索する。


 ——そして、あるファイルに辿り着いた。


 『M.I.プロジェクト_最終報告書』


 神崎は素早くファイルを開き、その内容を確認した。


 ——そこには、驚くべき事実が書かれていた。


 『被験者 M-01(桜井美咲):記憶操作成功。実験終了後、"施設Z"へ移送。』

 『被験者 M-02(橘美咲):実験中断。現在の行方不明。』


「……"施設Z"?」


 柚葉が覗き込み、息を呑む。


「美咲ちゃん……そこにいるんですか?」


「可能性は高いな」


 神崎は素早くファイルのコピーを取り、USBメモリに保存する。


「これさえあれば、美咲の行方を突き止められる」


 その時——


 ——警報音が鳴り響いた。


「侵入者検知システムが作動しました。直ちに警備員を派遣します」


「……っ!?」


 柚葉が驚いて顔を上げる。


 神崎は素早くUSBを引き抜き、立ち上がった。


「逃げるぞ!」


 二人は素早く部屋を飛び出す。


 ——だが、すでに廊下の奥から数名の黒服の警備員が走ってくるのが見えた。


「くそっ、出口は……?」


 神崎は即座に状況を判断し、非常階段へ向かう。


「柚葉、ついてこい!」


「はい!」


 二人は息を切らしながら非常階段を駆け下りる。


 背後では警備員たちの足音が迫ってきている。


 そして——施設の裏口が見えた、その瞬間。


 ——黒い車が、施設の前に停まっていた。


 窓が開き、低い声が響く。


「——乗れ」


 神崎は、柚葉と共に躊躇なく車に飛び込んだ。


 車が発進し、施設の警備員たちが遠ざかる。


 柚葉が息を整えながら、隣の運転席を見る。


 ——そこにいたのは、橘桂一郎だった。


「……あなた!?」


 神崎は静かに橘桂一郎を見据えた。


「どういうつもりです?」


 橘桂一郎は微かに笑う。


「"施設Z"に行きたいのでしょう?」


「なら、案内してあげましょう。……"本当の美咲"に会わせてあげますよ」


 第14幕 施設Z


 午前1時30分 都内 某所・移動中の車内

 黒い車は、静かに夜の街を進んでいた。


 ハンドルを握る橘桂一郎の横顔は、相変わらず冷静そのものだった。

 神崎は助手席に座り、彼の意図を探るようにじっと見つめる。


 後部座席では柚葉がまだ警戒を解けずにいた。


「……どういうつもりです?」


 神崎が静かに問いかけると、橘桂一郎は微かに笑う。


「私の目的は"情報の精査"ですよ」


「情報の精査?」


「そうです。"本当の美咲"がどこにいるのか、私も完全には把握していませんでした。ですが——」


 橘桂一郎はバックミラー越しに柚葉を見た。


「あなたが、"ここまで近づいた"ことで、ある仮説が立ちました」


 柚葉は少し身を引く。


「……私?」


「そう。"桜井柚葉"という名前の存在が、どれほどこの計画に影響を与えたのか……」


 神崎はタバコをくわえ、灰皿を探したが、車内にはなかった。


「"施設Z"に、美咲はいるんですね?」


「確証はありません。ただ、そこには"計画の最終段階"に関する情報が残されているはずです」


「……俺たちをそこに案内するということは、あなた自身も何かを確かめたい?」


 橘桂一郎はゆっくりと頷いた。


「そういうことです。"M.I.プロジェクト"は、私の手で始めた計画ではありません。私は、"途中から関わった"に過ぎない」


 神崎の眉がわずかに動く。


「……では、この計画を仕組んだ"本当の首謀者"がいる?」


 橘桂一郎は微かに笑うと、前を向いたまま答えた。


「"橘龍司(たちばなりゅうじ)"——私の父であり、橘財団の創設者です」


 柚葉が息を呑む。


「橘財団の……創設者……?」


 神崎は静かに腕を組んだ。


「つまり、あなたも"この計画の真相"を知らない?」


「ええ。そして、その真相が"施設Z"にあると考えています」


 車は都心を抜け、やがて人の気配のない郊外へと向かっていった。


 午前3時 施設Z・外周フェンス前

 目的地に到着した頃には、周囲は完全な闇に包まれていた。


 施設Z——正式名称は「橘バイオ研究所・第七施設」。


 すでに閉鎖され、今は誰もいないはずの研究所だった。


 だが——


「……電気がついているな」


 神崎は遠くの建物を見ながら呟いた。


「誰もいないはずなのに、"管理されている"」


 柚葉もフェンス越しに施設を見つめる。


「美咲ちゃん……本当にここに?」


「確かめるしかないな」


 橘桂一郎は、ポケットから電子キーを取り出し、施設のゲートにかざした。


 ——ピピッ。


 ロックが解除され、ゲートがゆっくりと開く。


 神崎は慎重に周囲を確認しながら、柚葉と共に施設内へと足を踏み入れた。


 午前3時15分 施設Z・中央ホール

 施設の中は、まるで時間が止まったような静寂に包まれていた。


 壁のホログラムモニターには、"M.I.プロジェクト"の文字が浮かんでいる。


 ——ここが、計画の中心だった場所か。


 神崎は周囲を警戒しながら、端末を起動させた。


「……ここに、美咲の記録が残っているはずだ」


 橘桂一郎は冷静に端末を操作し、データベースにアクセスを試みる。


 ——だが、その瞬間。


 施設内のスピーカーから、低い声が響いた。


「随分と勝手な真似をしてくれますね」


 神崎と柚葉が顔を上げると、モニターに一人の男の姿が映し出された。


 年齢は60代後半。

 鋭い目つきと、冷たい笑みを湛えたその男は——


 橘龍司(たちばなりゅうじ)


 橘財団の創設者にして、"M.I.プロジェクト"の本当の首謀者。


 柚葉の背筋が凍る。


「……あなたが"すべての元凶"?」


 橘龍司はゆっくりと笑った。


「ようこそ、"最後の真実"へ」


 モニターの映像が切り替わり、ある部屋の映像が映し出される。


 そこに映っていたのは——一人の少女だった。


 黒髪のロングヘア、無表情な顔。


 柚葉が息を呑む。


「……美咲ちゃん……!?」


 橘龍司の声が静かに響く。


「"本物の美咲"に会わせてあげましょう」


 モニターの映像が切り替わり、施設の奥の部屋の位置が示された。


 神崎は一瞬だけ考え、そして決断する。


「行くぞ、柚葉」


「はい!」


 柚葉は強く頷き、神崎の後に続く。


 ——この扉の向こうに、"最後の答え"がある。


 果たして、美咲は本当にそこにいるのか?

 そして、"M.I.プロジェクト"の本当の目的とは——?


 神崎は、静かに拳を握りしめた。


 第15幕 最深部


 午前3時30分 施設Z・地下階層

 神崎は慎重な足取りで、施設の奥へと進んでいた。


 柚葉はすぐ後ろをついてくる。


 廊下の先にあるのは、一つの分厚い金属扉。

 先ほどモニターに映し出された部屋の場所と一致する。


 ——この先に、美咲がいる。


 神崎はポケットから小型の端末を取り出し、扉の電子ロックを解析する。


「……まだ開かないですか?」


 柚葉が不安げに尋ねる。


「もう少しだ」


 ——カチッ。


 電子ロックが解除され、扉がゆっくりと開いた。


 神崎と柚葉は、息を詰めながら中へと足を踏み入れる。


 午前3時35分 施設Z・第7管理室

 そこは、真っ白な無機質な部屋だった。


 壁には何もなく、天井からは無音の白い光が降り注いでいる。


 そして——中央に、少女が一人座っていた。


 桜井美咲。


 神崎と柚葉は、一瞬息を飲んだ。


 黒髪のロングヘア。

 まるで時間が止まったかのような静かな佇まい。


 柚葉が、震える声で呟く。


「……美咲ちゃん……?」


 少女の瞳が、ゆっくりと二人を捉えた。


 その視線は、感情のないガラスのようだった。


「……あなたは……?」


 柚葉は駆け寄ろうとするが、神崎が腕を引き止める。


「待て」


 柚葉が戸惑ったように神崎を見上げる。


「どうして……? 美咲ちゃんがいるのに……」


「様子がおかしい」


 神崎は静かに言った。


 美咲の目には、明らかな"違和感"があった。

 ——彼女は、本当に"桜井美咲"なのか?


 その時——


 背後のスピーカーから、橘龍司の声が響いた。


「よくここまでたどり着きましたね」


 神崎は振り向かず、冷静に尋ねる。


「こいつは、本当に"美咲"なのか?」


 橘龍司は、ゆっくりと答えた。


「……その問いに、どんな答えを期待していますか?」


 神崎はポケットからタバコを取り出し、火をつける。


「俺はただ、"事実"が知りたいだけだ」


 モニターに映し出された橘龍司が、薄く笑った。


「では、お教えしましょう。"本物の美咲"は、もういません」


 柚葉の目が大きく見開かれる。


「そ、そんな……!」


 神崎は冷静な表情を崩さず、じっと美咲を見つめた。


「……こいつは、一体誰なんだ?」


 橘龍司は、ゆっくりと言った。


「"新しい美咲"ですよ」


 柚葉の息が詰まる。


「"新しい美咲"……?」


 橘龍司は淡々と語る。


「"M.I.プロジェクト"の目的は、"一つの意識を再構築し、別の個体に移植すること"でした」


 神崎の目が鋭く光る。


「つまり、"この美咲"は"作られた存在"ということか?」


「そうです」


 ——この少女は、本物の美咲ではない。

 ——"美咲の記憶"を元に作られた、別の人格。


 柚葉の手が震えた。


「そんなの……そんなの、美咲ちゃんじゃない……!」


 美咲はただ、静かに二人を見つめていた。


「私は……"美咲"です……」


 だが、その言葉には、確信も迷いもなかった。


 まるで"そうプログラムされた"ような、不自然な響きだった。


 神崎は、深く息を吐いた。


 ——"本物の美咲"は、もういないのか?


 神崎は最後の可能性に賭け、静かに問うた。


「……"お前は誰だ"?」


 美咲は、数秒の沈黙の後——ゆっくりと微笑んだ。


 そして、静かに答えた。


「私は、美咲。"あなたたちが求める美咲"です」


 神崎の背筋が冷える。


 ——こいつは、"誰かが作った偽物"だ。


 柚葉が涙を浮かべながら叫ぶ。


「そんなの、嘘だよ……!」


 その時——


 ——施設の警報が鳴り響いた。


「……!?」


 橘龍司の声が、モニター越しに低く響く。


「さて、お二人にはもう用済みです。ここで終わっていただきましょう」


 神崎は舌打ちしながら、素早く状況を確認する。


「……柚葉、ここを出るぞ!」


「でも、美咲ちゃんが……!」


「こいつは"本物じゃない"! まずは生き延びて、"本当の美咲"を探す!」


 ——ドアの向こうから、黒服の警備員たちの足音が近づいてくる。


「くそ……!」


 神崎は咄嗟に部屋の端末を操作し、施設内のセキュリティシステムを一時的にダウンさせた。


 ——その隙に、柚葉と共に出口へ向かって走る。


 背後では、美咲がただ静かに立ち尽くしていた。


「……"あなたたちが求める美咲"……?」


 神崎は最後にもう一度彼女を振り返る。


 ——その瞳には、"作られた存在"の無機質な光があった。


 ——だが、本当に"本物の美咲"はもういないのか?


 神崎は疑問を抱えたまま、柚葉と共に施設を後にした。


 午前4時30分 逃走中の車内

 車の中で、柚葉は拳を握りしめながら涙をこぼした。


「……先生、私……何を信じればいいんですか……?」


 神崎は静かにタバコに火をつける。


 そして、低く呟いた。


「"本物の美咲"が、本当にいないのか……まだわからない」


 柚葉が顔を上げる。


「……?」


 神崎はじっと前を見据えながら、言った。


「"もう一つの可能性"を探る。……まだ終わっていない」


 ——"本当の美咲"は、本当に消えたのか?


 物語は、まだ終わらない——。


 第16幕 最後の手がかり


 午前5時 東京・神崎探偵事務所

 夜明け前の静けさの中、神崎はデスクに肘をつき、タバコをくわえながら考え込んでいた。


 ——施設Zにいた"美咲"は、本物ではなかった。

 ——彼女は、"記憶を移植された存在"だった。


 では、本物の美咲はどこにいる?


 柚葉はソファに座ったまま、まだ混乱が収まらない様子だった。


「先生……"本物の美咲"は、本当にもういないんでしょうか?」


 神崎はゆっくりと煙を吐き出し、静かに答えた。


「それは、まだ確証がない。だが——"もう一つの可能性"を探る価値はある」


「もう一つの可能性……?」


「"M.I.プロジェクト"の最終報告書には、こう書かれていた。"被験者 M-01(桜井美咲):記憶操作成功。実験終了後、施設Zへ移送"と。だが、"M-02(橘美咲)は行方不明"だった」


 柚葉が息を呑む。


「つまり……"本当の美咲"が、まだどこかにいる可能性がある?」


「ああ。そして、その"痕跡"が残されている場所があるはずだ」


 神崎は机の上に広げられた資料を見つめる。


「"M-02"、つまり"本物の美咲"が消えた時期を特定する。……鍵になるのは、"10年前の誘拐事件"の詳細だ」


 柚葉は少し驚いた様子で神崎を見つめた。


「……でも、先生。10年前の事件はもう警察の記録にも残っていないんじゃ?」


「表向きはな。だが、"関係者"の記憶には残っている」


 神崎はスマートフォンを取り出し、ある番号に発信した。


 午前6時 都内某所・刑事・松田の自宅

 警視庁の元刑事・松田一志(まつだかずし)

 10年前の誘拐事件を担当していた人物だ。


 神崎と柚葉は、松田の自宅を訪れていた。


 松田はすでに警察を退職していたが、今でも"裏の世界"に詳しい情報通だった。


「久しぶりだな、神崎」


 松田はソファに腰掛け、煙草に火をつけながら話を続けた。


「……10年前の誘拐事件か。なんで今さらそんなことを?」


「"本物の美咲"を探してる」


 松田の表情が僅かに変わる。


「本物の……?」


「"M.I.プロジェクト"について知ってるか?」


 松田は数秒黙った後、低く呟いた。


「……聞いたことはある。"記憶操作の実験"だろ」


 柚葉が驚いたように松田を見つめる。


「知っていたんですか?」


「いや、"噂"程度だ。橘財団が何かヤバい研究をしていたって話は、当時の警察内部でも囁かれていた」


 神崎は懐からメモを取り出し、松田の前に置いた。


「10年前の事件の"内部記録"を知っているなら、教えてほしい」


 松田はメモをじっと見つめ、タバコの灰を落とす。


「……あの事件、警察は"正式な誘拐事件"として扱っていたが、不可解な点が多かった」


「例えば?」


「"身代金の要求がなかった"。」


 柚葉が息を呑む。


「えっ……?」


「普通の誘拐なら、金を要求するはずだ。しかし、あの事件では一度も身代金の話が出なかった。それどころか、警察が動き始める前に"事件は終了"した」


 神崎の表情が険しくなる。


「"事件が終了"?」


「そうだ。"桜井家の娘が行方不明になった"ことは報道されたが、その後の警察の捜査は"打ち切られた"。何者かの圧力があったんだろうな」


 ——つまり、誰かが"事件をもみ消した"?


 神崎は腕を組み、思考を巡らせる。


「当時、"桜井美咲"を最後に目撃したのは誰だった?」


 松田は少し考えた後、静かに答えた。


「……"ある施設の職員"だった」


 神崎と柚葉が、息を呑む。


「どこの施設ですか?」


 松田は、少し言い淀んだ後、低い声で答えた。


「"橘財団・旧研究施設"——通称、"第六ラボ"だ」


 神崎は瞬時に反応した。


「"第六ラボ"……? 施設Zじゃなく?」


「"施設Z"は、M.I.プロジェクトの"完成段階"に使われた施設だ。だが、その前段階の実験が行われていたのが"第六ラボ"だった」


 神崎はすぐにスマートフォンを取り出し、"第六ラボ"について検索する。


 ——しかし、現在は「存在しない施設」として扱われていた。


「……もう閉鎖されてる?」


「表向きはな。しかし、関係者の間では"まだ動いている"という噂もある」


 柚葉が震える声で言った。


「じゃあ……"本物の美咲"は、そこに……?」


 松田は目を細め、ゆっくりと言った。


「可能性はある。だが、そこは"橘龍司が関与していた最後の施設"だ。迂闊に近づけば、ただでは済まないぞ」


 神崎はタバコを灰皿に押し付け、静かに立ち上がった。


「俺たちはもう十分危険なところまで来てるさ」


 松田はため息をつき、肩をすくめる。


「……お前は昔から無茶ばかりだな。気をつけろよ」


 神崎は軽く笑い、ポケットに手を突っ込んだ。


「忠告はありがたく受け取るよ」


 柚葉も立ち上がり、真剣な目で松田を見つめた。


「私、美咲ちゃんを見つけます。何があっても」


 松田はしばらく彼女を見つめ、やがて微かに頷いた。


「……あの事件の真実を知る覚悟があるなら、行ってこい」


 神崎と柚葉は、最後の手がかりを手に、次なる目的地へと向かう決意を固めた。

読んでいただきありがとうございました。続きが気になる、面白かったって方はブックマークと下の方にある星マークを付けてください。ものすごく励みになりますので。それでは、次の話でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ