東京クロニクル3 ー 名探偵・神崎と少女助手の隠された記憶
第一幕 消えた少女
午後10時30分 東京・品川区
深夜の住宅街。月の光がアスファルトを照らし、静かな夜のはずだった。
だが、その静寂を破るように、一人の母親が絶望の声を上げる。
「警察を呼んでください!! 娘が……娘がいなくなったんです!!」
周囲の住民が家から顔を覗かせる。近くにいた警察官が駆けつけると、泣きじゃくる母親の前で、門の前にはぽつんと赤いランドセルが残されていた。
「桜井美咲、8歳——失踪。」
翌朝 新宿・神崎探偵事務所
「……先生、この事件……」
桜井柚葉が神崎蓮司のデスクに新聞を置いた。
「品川区で少女失踪。自宅前にランドセルだけが発見される。」
「8歳の子供が自宅前で忽然と姿を消す……」
神崎はタバコをふかしながら、静かに新聞を読み込む。
柚葉は少し落ち着かない様子で、腕を組んだまま窓の外を見つめていた。
「……どうした?」
「えっ?」
「お前、今朝から様子が変だ」
「そ、そんなことないですよ。ただ、なんか……この事件、他人事じゃない気がして……」
柚葉はそう言ったが、自分でも何に引っかかっているのか分からなかった。ただ、胸の奥がざわざわする。
その時——事務所の電話が鳴った。
神崎が受話器を取る。
「……神崎探偵か?」
男の低い声。
「そうだが」
「この事件に首を突っ込むな。でなければ——"過去"を暴かれることになるぞ。」
「……過去?」
「特に——"桜井柚葉"の過去、な。」
——その言葉を聞いた瞬間、柚葉の顔が凍りついた。
「……え?」
神崎はすぐに立ち上がり、電話の相手を追及しようとした。
だが——
ブツッ。
通話は一方的に切られた。
「……今の……」
柚葉が震えた声で呟く。
神崎はゆっくりと彼女の方を見た。
「柚葉、お前……"何か"隠してるな?」
「……!」
柚葉は言葉を詰まらせる。
そして、心の奥に封じ込めていた"記憶"が、少しずつ揺れ動き始めていた——。
第2幕 桜井柚葉の記憶
午前11時 新宿・神崎探偵事務所
事務所の空気が張り詰めていた。
神崎蓮司は椅子にもたれながら、静かに煙草をくゆらせている。
一方、桜井柚葉は自分の腕をぎゅっと握りしめ、視線を落としたままだった。
先ほどの電話——「桜井柚葉の過去が暴かれる」
その言葉が、彼女の心を乱していた。
「……柚葉、お前に何があった?」
神崎の問いかけに、柚葉は小さく肩を震わせた。
「……何も……」
「嘘だな」
「……!」
神崎はデスクの上にある新聞を指差した。
「品川区少女失踪事件」
「この事件を見た瞬間、お前は明らかに動揺した。昨日まではいつも通りだったのに、今朝からずっと様子がおかしい」
柚葉は唇を噛んだ。
「……先生には関係ないです」
「関係ない?」
神崎は冷たく笑った。
「お前は俺の助手だろうが。何か隠してる状態で事件を追えると思うか?」
「……!」
柚葉はしばらく黙ったままだったが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……私、小さい頃……"誘拐"されたことがあるんです」
神崎の表情が僅かに変わった。
「……いつの話だ?」
「ちょうど、8歳の時です」
——8歳。失踪した少女・桜井美咲と同じ年齢。
柚葉の過去と、この事件が繋がり始めた。
桜井柚葉の封印された記憶
10年前——。
桜井柚葉は、当時品川区に住んでいた。
その日、学校が終わって家に帰る途中、見知らぬ黒いワンボックスカーが彼女の横に止まった。
「ねえ、君。道に迷ってるの? お母さんが迎えに来るまで、一緒に待とうか?」
車の中にいたのは、優しそうな女性だった。
幼い柚葉は、疑うこともなくその車に乗り込んだ——それが"悪夢"の始まりだった。
——次に目が覚めた時、柚葉は暗い部屋の中にいた。
そこには、自分と同じくらいの年の少女がいた。
「……大丈夫?」
少女は怯えながらも、柚葉に話しかけた。
「……私、美咲。あなたは?」
「……柚葉……」
桜井美咲。
その名前を聞いた瞬間、現在の柚葉の脳裏に"雷"が落ちるような感覚が走った。
——あの時、一緒にいた女の子の名前も、美咲だった。
午前11時30分 探偵事務所
「……柚葉、お前まさか……」
神崎が低く呟く。
柚葉は青ざめた顔で、自分の腕を抱きしめた。
「……私が誘拐された時、一緒にいたのが"桜井美咲"でした……」
"桜井美咲"——今まさに行方不明になっている少女と、同じ名前。
「10年前の誘拐事件の"被害者"と、今回の事件の"被害者"が同じ名前……」
神崎の目が鋭くなる。
「偶然とは思えないな」
「……でも、私、"彼女"がどうなったのか覚えてないんです……」
柚葉は震えた声で続けた。
「私が目を覚ました時には、"一人"だった……美咲ちゃんは、いなかった……」
「つまり、"お前だけ"助かったってことか」
柚葉は力なく頷いた。
神崎はしばらく黙っていたが、やがてタバコの煙を吐き出し、立ち上がった。
「……よし、行くぞ」
「え?」
「品川区だ。もう一度、現場を洗う」
「で、でも……」
柚葉の表情には、不安と恐怖が入り混じっていた。
——10年前の事件の記憶が蘇ることが怖かった。
だが、神崎は彼女の肩を軽く叩いた。
「……逃げるか?」
「……!」
「過去からな」
その一言で、柚葉はギュッと拳を握った。
——逃げない。私は、もう"弱い子供"じゃない。
「……行きます」
神崎は満足げに頷き、コートを羽織った。
「じゃあ決まりだ。助手さん、"10年前の謎"を一緒に解こうぜ?」
「……はい!」
午後1時 品川区・桜井美咲の自宅前
神崎蓮司と桜井柚葉は、品川区の閑静な住宅街に立っていた。
目の前には、昨夜失踪した桜井美咲の家がある。
門の前には警察の規制線が張られ、鑑識班が捜査を続けていた。
柚葉はぎゅっと拳を握りしめ、深く息を吐く。
——10年前、私もここで誘拐された。
そして、一緒にいた"美咲ちゃん"は消えた。
「先生……私、怖いです」
正直にそう言った。
神崎はポケットに手を突っ込んだまま、ふっと笑う。
「"探偵助手"なら、もう少し肝を据えろ」
「……そう言われても、無理です」
「なら、"探偵"を信じろ」
「……!」
柚葉が神崎を見上げると、彼は真剣な眼差しを向けていた。
「お前が失った記憶も、消えた"美咲"も、俺が見つけてやる」
その言葉が、不思議と柚葉の胸に響いた。
「……分かりました」
柚葉は小さく頷くと、一歩前に踏み出した。
「10年前の"私の事件"も……一緒に解明してください」
神崎は小さく笑い、タバコを指で弾いた。
「任せとけ」
——こうして、"10年前"と"現在"が交錯する謎に挑む捜査が始まった。
第四幕 10年前の記憶
午後1時30分 品川区・桜井美咲の自宅
神崎蓮司と桜井柚葉は、失踪した桜井美咲の母・桜井玲子に会うため、自宅を訪れた。
家の中は静かだった。
リビングのテーブルには、警察から渡されたらしい報告書が広げられ、隣には美咲の写真が飾られている。
母・玲子は疲れ果てた表情で、二人を迎えた。
「……名探偵さん、どうか娘を見つけてください……」
「お話を伺えますか?」
神崎が静かに尋ねると、玲子は頷いた。
「昨日の夜、私は仕事で帰りが遅くなったんです。でも、美咲は『おばあちゃんが来るから大丈夫』って言っていて……」
「おばあちゃん?」
柚葉が聞き返すと、玲子は首を振った。
「いいえ、本当はそんな予定なかったんです。でも、美咲が言うんです。『おばあちゃんが"迎えに来る"って言ってた』って……」
「"迎えに来る"?」
神崎と柚葉は顔を見合わせた。
——まるで、誰かが彼女に"迎えが来る"と伝えていたかのようだ。
「それで、美咲ちゃんは一人で外へ出た……?」
「ええ……でも、私が帰ってきた時には、美咲はいなくて……」
玲子の手が震えていた。
柚葉はぎゅっと拳を握る。
——この話を聞いて、頭の奥で何かが引っかかる感覚があった。
「おばあちゃんが迎えに来る」
——それは、10年前の"自分の誘拐"の時と、同じだった。
「先生……」
柚葉が不安げに神崎を見上げる。
「……やっぱり、この事件、"私の過去"と関係してるかもしれません」
神崎は静かに頷いた。
「柚葉、お前の"失われた記憶"を探る必要があるな」
午後2時 品川区・事件現場
美咲が失踪した家の前には、ランドセルがそのまま残されていた。
「普通なら、誘拐犯は"持ち物ごと"連れ去るはずだ」
神崎はランドセルをじっと見つめる。
「でも、この場合は"わざと"置いていったように見える」
「……どういうことですか?」
「"これは誘拐だ"と警察に示すためかもしれん」
柚葉が息を呑む。
——まるで、"10年前の事件をなぞるように"。
「……10年前の私の事件では、ランドセルはどうなってましたか?」
「お前の場合も、"現場に残されていた"」
「……!」
柚葉の背筋に寒気が走る。
神崎は静かに煙草をくゆらせながら、言った。
「つまり、"10年前の事件"と"今回の事件"は、同じ手口ってことだ」
「じゃあ……私を誘拐した犯人が、美咲ちゃんを……?」
「可能性は高い」
神崎は柚葉を見つめ、ゆっくりと言葉を続けた。
「お前の"記憶"が、この事件を解決する鍵になるかもしれない」
柚葉は唇を噛んだ。
——10年前の恐怖を思い出さなければならない。
それが、この事件を解くための唯一の手がかりなのだから——。
第五幕 封印された記憶
午後3時 品川区・事件現場
神崎蓮司と桜井柚葉は、美咲の家の前に立ったまま沈黙していた。
柚葉の中で、何かが引っかかっている。
10年前の誘拐と、今回の事件——あまりにも手口が似すぎている。
「先生……私はどうすればいいんでしょう?」
柚葉は不安げに神崎を見上げた。
神崎はしばらく考えていたが、やがて静かに言った。
「……お前の"記憶"を取り戻す方法を試すしかないな」
「記憶を……?」
柚葉は少し戸惑ったが、神崎の目は真剣だった。
「お前の過去を知ってるのは、お前だけだ。だが、封印された記憶を無理に引き出すのは危険でもある」
「……それでも、私は知りたいです」
柚葉は小さく息を吐き、拳を握った。
「10年前、私が助かって……美咲ちゃんがいなくなった。"その理由"を知りたいんです」
神崎は微かに笑い、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「……なら、手伝ってもらおうか」
「え?」
神崎は電話をかけ、しばらくすると相手が出た。
「ああ、俺だ。ちょっと"記憶を掘り起こす"方法について相談したい」
——そして、30分後。
柚葉は10年前の記憶の扉を開くための"セラピー"を受けることになった。
午後4時 品川区・心理療法センター
神崎が呼んだのは、心理カウンセラーの佐伯という女性だった。
「記憶の封印は、トラウマや恐怖心によって起こることが多いんです」
佐伯は静かに説明する。
「ですが、催眠療法を用いれば、忘れてしまった記憶を引き出せる可能性があります」
柚葉は少し緊張したが、静かに頷いた。
「……お願いします」
佐伯は微笑み、柚葉をソファに座らせると、静かに催眠のプロセスを始めた。
「あなたは10年前に戻ります……誘拐された日のことを思い出してください……」
佐伯の穏やかな声に導かれ、柚葉はゆっくりと目を閉じた。
10年前の記憶——蘇る悪夢
——暗い部屋。
かすかに聞こえる"水の音"。
柚葉は薄暗い場所で目を覚ましていた。
「……柚葉ちゃん?」
怯えた声が聞こえた。
隣には、美咲がいた。
「ここ、どこなの……?」
二人は薄暗い部屋の中で、ただ怯えていた。
だが、突然——
ギィ……
鉄の扉が開き、黒い影が部屋に入ってきた。
「お前ら、静かにしろ」
低く冷たい声。
その声を聞いた瞬間——柚葉の体が震えた。
「……その声、知ってる……」
柚葉の意識が、現実へと引き戻される。
彼女は突然目を開き、大きく息を吐いた。
「……っ!」
神崎がすぐに傍に寄る。
「どうだった?」
柚葉は青ざめた顔で、震える声で答えた。
「先生……"犯人"の声を思い出しました……」
「……!」
「それに……そこには、美咲ちゃんもいました……」
柚葉は息を呑みながら、確信する。
——10年前、私は"美咲と一緒に誘拐されていた"。
そして……今、"もう一人の美咲"が消えた。
「この事件は、10年前と"全く同じ"なんです……!」
神崎は静かにタバコに火をつけた。
「……これは、"10年前の誘拐犯"が関わっている可能性が高いな」
「……はい」
「なら、"犯人"を追うぞ」
柚葉は深く息を吐き、覚悟を決める。
——10年前の真実を暴くために。
第六幕 10年前の犯人
午後6時 新宿・神崎探偵事務所
催眠療法を受けた後、桜井柚葉はずっと黙っていた。
神崎蓮司は彼女の様子を気にしながらも、焦らず待つことにした。
——柚葉は10年前、桜井美咲と一緒に誘拐されていた。
——そして、犯人の声を覚えている。
それだけでも十分な進展だった。
だが、柚葉はまだ言葉を探しているようだった。
神崎は静かにコーヒーを淹れ、カップを彼女の前に置く。
「……先生?」
「今のお前には、まず"落ち着く時間"が必要だ」
柚葉は少し驚いたが、カップを手に取り、一口飲んだ。
「……苦い」
「少し大人の味だろ?」
神崎は煙草に火をつけ、ふっと煙を吐いた。
「さあ、もう一度聞こうか。お前が思い出した"犯人の声"——何か心当たりはあるか?」
柚葉は、深呼吸してからゆっくりと口を開いた。
「……あの声、どこかで聞いたことがある気がするんです」
「10年前じゃなくて、最近か?」
「はい……でも、どこで聞いたのかが思い出せなくて……」
柚葉は頭を抱えた。
記憶の中で引っかかる何か——"声"が耳に残っているのに、それが誰なのかが分からない。
神崎はしばらく考えていたが、やがて静かに言った。
「なら、調べるしかないな」
「調べる?」
「お前が"声を聞いた可能性のある場所"を洗う」
神崎は椅子から立ち上がり、デスクの資料を整理する。
「お前はどこでこの声を聞いたと思う?」
柚葉は少し考えた後、ふと気づく。
「……警察の会見」
「……警察?」
「最近のニュースで、"美咲ちゃんの事件"について警察が会見していましたよね?」
「確かに……」
神崎はすぐにスマートフォンを取り出し、ニュース映像を確認した。
「……この会見の音声、聞き直してみるか」
柚葉はイヤホンをつけ、目を閉じてじっくりと聞いた。
——そして、その瞬間、背筋が凍る。
「……先生」
柚葉は震える声で言った。
「この声……警察の中にいる人の声と似ています……!」
午後8時 警視庁・捜査一課
「まさか、警察内部に"犯人"がいるってのか?」
警視庁捜査一課の大河内警部は、険しい顔で神崎と柚葉を見た。
「確証はない。でも、柚葉の記憶がそう言ってる」
神崎は煙草をくわえながら言った。
「10年前の事件の捜査記録を見せてほしい」
大河内は腕を組み、考え込んだ。
「……あの事件は未解決だ。捜査資料は極秘扱いになってる」
「なら、こっそり見せてくれないか?」
「簡単に言うな……」
大河内はため息をついたが、やがて渋々と言った。
「……いいだろう。だが、"誰にもバレずに"だ」
午後9時 警視庁・資料室
大河内の案内で、神崎と柚葉は警視庁の資料室に入った。
古い事件ファイルの中から、10年前の「品川少女誘拐事件」の記録が出てくる。
神崎がページをめくると、そこには当時の被害者の情報が書かれていた。
「桜井柚葉(当時8歳)——帰宅途中に失踪、翌日発見される」
「桜井美咲(当時8歳)——現在も行方不明」
柚葉はその記録を見て、息を呑んだ。
——自分だけが助かった事件。
——美咲は未だに見つかっていない。
だが、さらにページをめくった瞬間、神崎が目を細めた。
「事件の捜査責任者:警視庁・黒川智久」
「……黒川?」
柚葉がその名前を呟いた時——頭の奥で何かが"弾けた"。
——10年前、誘拐犯の声が、"黒川"の声に似ている。
「……黒川……さん……?」
柚葉の体が震える。
「どうした?」
「先生……私……この人……知ってます……」
神崎の目が鋭くなる。
「……やはり、こいつが"犯人"か」
その時——
「お前ら、何をしている?」
静かな声が資料室に響いた。
神崎がゆっくりと振り向くと、そこに立っていたのは——
警視庁の刑事・黒川智久だった。
彼は無表情のまま、二人をじっと見つめていた。
「こんなところで何を調べている?」
神崎は冷静に言った。
「……10年前の品川少女誘拐事件について調べていた」
黒川は微かに笑った。
「懐かしいな。未解決事件だ」
だが、その目には冷たい光が宿っていた。
柚葉は恐怖で体をこわばらせる。
「この男の声……間違いない……!」
神崎はそんな彼女を守るように立ち、ゆっくりと煙草を口に運んだ。
「……さて、刑事さん。"未解決事件"の"犯人"に話を聞かせてもらおうか?」
黒川は、ただ静かに微笑んだ——。
第七幕 刑事の正体
午後9時10分 警視庁・資料室
神崎蓮司と桜井柚葉は、警視庁の薄暗い資料室に立っていた。
そして、その前に黒川智久刑事が無表情のまま佇んでいる。
——10年前の品川少女誘拐事件の捜査責任者。
——そして、柚葉の記憶に残る"犯人の声"と一致する男。
黒川はポケットに手を入れたまま、静かに言った。
「……探偵さん、君は"未解決事件"に興味があるのか?」
神崎は煙草をくわえ、冷静に応じる。
「まあな。特に"解決されるべき事件"にはな」
柚葉は神崎の後ろに立ちながら、強張った表情で黒川を見つめる。
心臓の音が大きく響く。
——間違いない。10年前、私を誘拐した犯人の声はこの人の声だ。
「柚葉」
神崎の低い声に、柚葉ははっとする。
「……はい」
「落ち着け。ここは警視庁の中だ。いくら相手が"怪しい"とはいえ、まだ決定的な証拠はない」
——だが、こいつが犯人だ。
柚葉は確信していた。
10年前の誘拐事件。
自分は助かり、"美咲"は消えた。
その事件の捜査責任者が黒川だった。
偶然なはずがない。
黒川は一歩前に進み、穏やかに言った。
「それにしても、桜井柚葉……君は確か、"10年前の事件"の被害者だったな?」
「……」
「君が、なぜ今さら"あの事件"を調べている?」
柚葉の体がこわばる。
——この男は、私が記憶を取り戻しつつあることに気づいている。
だが、柚葉が何も言わないうちに、神崎がニヤリと笑った。
「まあ、当然だろう。目の前で"また同じ事件"が起こったんだからな」
黒川は微かに目を細めた。
「……なるほど、"桜井美咲"の失踪事件か」
「お前が関与してる可能性は十分にある」
神崎は煙を吐きながら言う。
「10年前の事件と手口が同じ。ランドセルを現場に残す特徴まで一緒だ。そして、お前は"その事件の捜査責任者だった"」
「……」
黒川は微笑んだまま、ゆっくりと首を振った。
「探偵さん、君の推理は興味深いが、"証拠"がないだろう?」
「証拠なら、"これから"手に入れるさ」
神崎はポケットから小型の録音機を取り出した。
「お前の"声"——柚葉の記憶と一致してるんだよ」
黒川の目が鋭く光る。
「……君は、私を"犯人"だと断言するのか?」
「まだな。ただ、お前が"隠してる何か"があることは確かだ」
黒川はしばらく沈黙した後、フッと笑った。
「……なるほどな」
その時——
ピピッ
黒川がポケットの中で何かのスイッチを押した音がした。
次の瞬間——
警報音が鳴り響く。
「警告——不審者が警視庁資料室に侵入」
「……くそっ!」
神崎が舌打ちする。
——黒川が仕掛けた罠だった。
「二人とも、ここで立ち止まってもらおうか」
黒川はポケットから手を出し、ニヤリと笑う。
「"違法侵入"の容疑でな」
午後9時20分 警視庁・取り調べ室
——その後、神崎と柚葉は**「不審者扱い」**として取り調べを受けることになった。
もちろん、大河内警部の取り計らいですぐに釈放されたが——。
「……黒川の野郎、やりやがったな」
神崎は外に出るなり煙草に火をつけた。
柚葉も悔しそうに唇を噛む。
「先生……このままじゃ、黒川さんに逃げられます……!」
「そうはさせねぇさ」
神崎は静かにスマートフォンを取り出し、大河内に電話をかけた。
「大河内、"黒川の足取り"を洗え」
「お前……まだ黒川を疑ってんのか?」
「"まだ"じゃない。"確定"だ」
神崎はそう言い切った。
「いいか? 俺たちはあいつに"はめられた"んだ。証拠を押さえる前に、俺たちを排除しようとした」
「……確かに、動きが怪しすぎるな」
「黒川は"次の一手"を打つはずだ。その前に奴の"尻尾"を掴む」
神崎は煙を吐き出しながら、静かに言った。
「"10年前の未解決事件"を、今ここで終わらせるぞ」
第八幕 黒川の闇
午後11時30分 新宿・神崎探偵事務所
——10年前の品川少女誘拐事件。
——その捜査責任者だった黒川智久刑事。
彼が何かを隠していることは確実だった。
しかし、警視庁の内部にいる黒川に直接手を出すのは難しい。
「……黒川は慎重な男だ。俺たちに気づいた時点で、もう証拠を処分し始めてるだろうな」
神崎蓮司は煙草をくわえながら、デスクに足を投げ出す。
柚葉は腕を組みながら考え込んでいた。
「でも、黒川さんが"美咲ちゃんの事件"に関与してるなら、まだ"どこかに証拠"があるはずです……」
「そうだな」
神崎はスマートフォンを取り出し、先ほど大河内警部に頼んでいた情報を確認した。
「黒川智久の現在の自宅住所:目黒区青葉台」
「……自宅を調べるんですか?」
柚葉が顔を上げる。
神崎は小さく笑った。
「もちろん"正攻法"じゃ無理だがな。だが、黒川がこの件に関与しているなら、何かしらの"痕跡"が残ってるはずだ」
「でも、警察官の家に忍び込むなんて……」
「別に忍び込むとは言ってねぇよ」
神崎は煙を吐きながら、スマートフォンを弄った。
「今から"ちょっとした罠"を仕掛ける」
午前0時30分 目黒区・黒川智久の自宅前
黒川の家は、閑静な住宅街の一角にあった。
神崎と柚葉は、少し離れた場所から様子を窺っていた。
「さて、どう出るか……」
神崎はスマートフォンを開き、ある"メッセージ"を送信した。
『10年前の証拠、まだ持っているのか?』
——差出人不明のメッセージを、黒川のスマホに送る。
もちろん、直接彼の番号に送るわけではない。
神崎の持つ匿名メッセージ送信ツールを使えば、送り主を特定されることなく偽装できる。
——そして、5分後。
「先生、誰か出てきました!」
柚葉が小声で言う。
黒川が家から出てきた。
しかも、かなり焦った様子で、スマートフォンを見ながらどこかへ向かおうとしている。
「……どこに行く気だ?」
神崎は車のエンジンをかけ、黒川の後を追い始めた。
午前0時50分 品川区・廃倉庫
黒川が向かった先は、品川の海沿いにある古びた倉庫だった。
「……ここ、前にも来たことがある気がする……」
柚葉が呟いた。
「おそらく、"10年前の事件現場"だな」
黒川は周囲を警戒しながら、倉庫の中へと入っていった。
神崎は車を少し離れた場所に止め、柚葉に言った。
「俺が行く。お前はここで待ってろ」
「……嫌です」
「は?」
柚葉は強く首を振った。
「私は"当事者"なんです……ここで待つなんてできません」
神崎は少し驚いたように柚葉を見たが、やがて小さく笑った。
「……なら、俺の指示には絶対従えよ」
「はい!」
そして、二人は静かに倉庫の中へと入っていった——。
午前1時00分 廃倉庫の奥
倉庫の中は薄暗く、湿気のこもった空気が漂っていた。
神崎と柚葉は足音を消しながら進む。
すると——
倉庫の奥で、黒川が"何か"を掘り返していた。
「……まさか……」
柚葉が息を呑む。
神崎は静かに目を細めた。
——黒川の足元には、小さな木箱が埋められていた。
10年前の"証拠"が、そこに隠されていたのだ。
黒川はそれを開けると、中から古びたノートを取り出した。
「……これさえ消せば……」
黒川がライターを取り出し、ノートに火をつけようとした——その瞬間。
「——それ以上動くな、黒川」
神崎の声が響いた。
黒川が驚いて振り返る。
「……貴様ら、なぜここに!?」
「お前が"証拠を処分しようとする"と思ったからな」
神崎は冷静に言った。
黒川は険しい顔をしながら、ポケットから拳銃を取り出した。
「探偵……これ以上首を突っ込むな」
柚葉はその場に凍りつく。
だが、神崎は微笑んだままだった。
「……お前、"自分が詰んでる"ことに気づいてねぇのか?」
「……?」
その瞬間——
「動くな、黒川!!」
数人の警官たちが倉庫に突入した。
黒川が驚いた顔で振り向くと、そこには拳銃を構えた大河内警部がいた。
「……くそっ!」
黒川は銃を向けようとするが——
パンッ!
大河内の撃った弾が、黒川の腕を撃ち抜いた。
「ぐっ……!」
銃が落ちる。
警官たちが一斉に黒川を取り押さえた。
——10年前の真犯人、黒川智久。
ついに、逮捕。
午前2時30分 警視庁・取り調べ室
黒川は、廃倉庫で発見されたノートの中身について問い詰められていた。
そこには、10年前の誘拐事件の詳細が書かれていた。
そして——
「桜井美咲は、まだ生きている可能性がある」
神崎と柚葉は顔を見合わせた。
「……つまり、まだ終わりじゃないってことですね」
神崎は深く息を吐き、静かに呟いた。
「"もう一人の美咲"を見つけるぞ」
——次なる戦いが、始まる。
最終幕 消えた少女
午前3時 警視庁・取り調べ室
黒川智久は無言のまま椅子に座り、手錠がかけられた手をじっと見つめていた。
神崎蓮司と桜井柚葉は、取り調べ室の片隅でその様子を見つめている。
——10年前の品川少女誘拐事件。
——その真犯人は、警視庁の刑事・黒川だった。
しかし、最大の謎はまだ残っている。
「……美咲ちゃんは、まだ生きている可能性がある」
黒川が隠していたノートには、そう書かれていた。
柚葉は手をぎゅっと握りしめる。
——10年前、一緒に誘拐された少女・桜井美咲。
彼女はどこにいるのか?
神崎は煙草をくわえながら、黒川に目を向けた。
「さて、黒川。お前の罪は確定だが……もう一つ聞かせてもらおうか」
黒川は何も答えない。
神崎はゆっくりと続けた。
「"もう一人の美咲"はどこにいる?」
黒川の指が微かに動いた。
——まるで、何かを思い出そうとするように。
「……」
しばらく沈黙が続いた後、黒川はゆっくりと口を開いた。
「……俺は、"本当のこと"は知らない」
「は?」
柚葉が息を呑む。
「10年前……俺が連れてきたのは"二人の少女"だった」
「……」
「だが、"美咲"はその後、"別の人間"に引き渡された」
「"別の人間"……?」
神崎の目が鋭くなる。
黒川は薄く笑いながら言った。
「俺はただの"駒"だった。……本当の"黒幕"がいる」
「誰だ?」
神崎の問いに、黒川は静かに答えた。
「……"橘財団"。」
「……!!?」
柚葉の背筋に寒気が走った。
——"橘財団"。
それは、日本国内でも屈指の影響力を持つ巨大財閥だった。
「待ってください、なんで"財団"が関係してるんですか?」
柚葉が声を震わせる。
黒川は微かに笑った。
「お前の家系をよく調べろ……"桜井家"は、"橘財団"と深い関係がある」
「……!」
柚葉は息を呑んだ。
——私の家族が、この事件に関係している?
神崎は煙草の煙を吐きながら、静かに言った。
「……どうやら、まだ終わりじゃなさそうだな」
——10年前の事件は、さらに深い闇へと繋がっていた。
「美咲を見つけるぞ、柚葉」
柚葉は強く頷いた。
——消えた少女を探し出すために。
エピローグ 新たなる事件
翌日。新宿・神崎探偵事務所。
「先生……"橘財団"って、一体……?」
柚葉が神崎に問いかける。
神崎は新聞をめくりながら、ぼそっと呟いた。
「……日本有数の財閥企業だ。表向きはクリーンだが、裏では"闇の取引"をしているとも言われている」
柚葉は不安げに眉を寄せる。
「そんな大きな組織が、どうして"美咲ちゃん"を……?」
神崎は軽く笑った。
「それをこれから探るんだろ? 探偵助手さんよ」
柚葉は驚いたが、やがて小さく笑った。
「……はい!」
——10年前の事件は、まだ終わっていない。
次なる謎が、二人を待っていた。
【完】(続編へ続く)
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