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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
9/65

09.Soot covered(9)

 目を開いた先には、よく知る少女の瞳と同じ紺碧の空が広がっていた。

 さらした肌を照る日差しは暑く、撫でる風は心地よい涼しさ。

 その両立を楽しむように浮かぶ雲は、ゆっくりと果てを目指して飛んでいる。


 わたしは誰?


 口内で溶かされた、自分自身への問いかけ。

 その答えは、長い黒髪を飛ばそうとするそよ風が去った後に口ずさまれた。


「……アンナ」


 答えたのは他の誰かではない。

 呆然と空を見ているミアの友だち、アンナという名前を思い出した子どもだった。


 記憶が途切れる直前。最後に覚えているのは、ミアに手を引かれながら教会の外に出たところまで。

 あの後どうなったのかが思い出せないアンナは、未だにおぼろげな意識のまま体を動かした。


 寝転がった状態から上半身だけを起こし、焦点がうまく合わない視界で見回していく。

 パサリと音がした方へ視線をやると、アンナには大きすぎるロングコートが膝に落ちている。

 疑問には思うも一度流し、何度も辺りを見ていく内にアンナの心に焦りが生まれていた。


 どこを探してもミアの姿が見当たらない。

 夢から覚めたような気分は、その事実だけをもってジワリと黒に染まっていく。


「ミア、どこ?」


 記憶が途切れる寸前まで繋がっていた彼女の手。

 その感覚は今でも残っていて、だからこそ引っ張られるようにアンナの手は虚空をさまよう。


 掴めない、届かない、見つからない。

 どこまで手を伸ばしても、差し出される友だちの手に触れられない。


「また一人だ。会いに来るって、やっぱり嘘」


 勝手にやって来て、勝手に笑って、勝手に友だちになって。

 嘘みたいな夢の友だちは、どこかへ行ってしまった。


 姿形から仕草に声音、太陽みたいにまぶしい笑顔すら思い出せる色褪せないミアとの記憶は、アンナの心に泣きながら刃を突き刺してくる。

 痛くて、痛すぎて。涙すらうまく流せないアンナは、また膝を抱えてうずくまった。


 また、こうしよう。

 こうしていれば、ミアは会いに来てくれる。

 わたしが待っていれば、彼女はまた勝手に約束を守ってくれる。


 そんな想いで作った殻に閉じこもろうとしたアンナを、聞き慣れない男性の声が打ち抜いた。


「平気かい、キミ」


 声をかけられたから、アンナは上を向いた。

 いいや。見上げた先に光を求めて、虚ろな目で顔を上げる。


 一度は伏せられた濃い紫色の瞳。

 アンナが捉えたのは、柔らかな笑みを口元で作り、そっと手を差し伸べている青年の姿だった。


「なんてことは、聞くまでもなかったね。済まない」


 目が覚めるまで見ていた悪夢の数々。

 これを経験してどこも壊れていない人物は、正真正銘の怪物だろう。


 だからこそ即座に謝罪を示した青年は、自身で振った話題を違うことでもみ消した。


「立てるかい? 無理なら、そのまま休んでいて良いよ」

「ミアは、どこ」


 差し出された手を、アンナは見ているだけ。

 拒絶もなにもなく彼の手に目を奪われ、ようやく口にできたのは、どこを探しても見当たらない少女のこと。


 それに対して青年は、言葉なく苦みを噛んだ笑みで返すのだった。


 口元でしか表情が現れない青年に、アンナもまた言葉を失う。

 怒るでもなく、悲しむでもなく。太陽がなくなった空のように、心が黒に染まっていく。


 何も持っていないアンナの側にあった、唯一の光。

 それを失ってしまったら、いったい誰が自分を見てくれるのだろう。


 いったい誰が、わたしを迎えに来てくれるのか。


「それは僕が話すよりも、実際に見た方がいい」


 何層もの殻を作り、アンナの体と心は重くなっていく。


 もう一度、眠ってしまえばミアに会えるのかな。

 そう思っているのに、アンナは青年の手から目を離せなかった。


 伸ばせば届く、誰かの手。

 求めている少女のものとは違うけれども、彼女が求めていた優しい手。


 それを引っ込めて、青年が今は無理かと踵を返そうとしたとき。

 アンナの背中は押され、意図せずして二人の手が繋がった。


「……待って」

「何かな」


 思わず取ってしまった彼の手を、アンナは自分でも驚きながら、しかし強く握っていく。


 どうしてかなんて、ミアを思うからこその行動だ。

 彼女の手を何度も取れなかったから、今度はちゃんと差し伸べられた手を掴みたい。


「外に行くって、約束したから。連れてって」

「分かった」


 自分の手を取ったアンナを、青年は軽々と引っ張り上げる。

 同時に落ちたロングコートを拾った彼は、相手に合わせたエスコートを進めていった。


 手は繋いだまま、どんなに遅くとも一歩を踏みしめる。

 離さない、離れない。その繋がりが途絶えた瞬間、また目が伏せられてしまうから。


 そうしてたどり着いた教会の外。

 そこでアンナが見たものは、ミアから聞かされていた話とは、あまりにもかけ離れていた。


「全焼しているよ。これがキミたちのいた町だった物さ」

「何も、ない」


 一面に青を広げる空と同じく、二人の視界に映るのは黒で満たされた町の全貌だった。


 無事な建造物は一つもなく、アンナたちが出た教会も例外ではない。

 何もかもが焼け落ちた廃墟の町。それが今いる町の姿だ。


「ミアも、町の人も。全部夢だったの?」

「その想像はごく一般的だが、残念ながら全て現実のことだ。昨日までは確かに町が栄えていて、地図にすら載っていた。僕も彼らのことは覚えている。なのにキミが教会から出た途端、この通り」


 アンナが教会に閉じ込められていた事で作られていた、虚像の町。

 町民たちも同様。交流のあった人々は、全員がこの虚像に気づきもしなかった。


 何もかもが偽物で、本物だったのはアンナだけ。

 そんな事実が飲みこめなくて、アンナは青年の言葉を受け止めるしかできない


「どこまでが夢だったのか、それは僕にも分からない。しかし目が覚めて残った現実は、これだけだ」


 どこを探しても、隣に座るミアはもういない。

 自分を怪物だと貶す町民たちも、どこにもいない。


 夢から覚めて残るのは、自分だけなのは当然のこと。


「キミは、どちらが良かった?」


 怪物として檻に囲われ、友だちと一緒に痛みを伴う都合のいい夢。

 そして誰もいなくなった、自由で空っぽな現実。


 僕はどちらを選んでも苦しいよ。

 そう自答する青年に、アンナは別の答えを用意する。


「そんなの分かんない。でも、もうミアはいないんでしょう」


 それならアンナの答えは、目が覚めたときと変わらない。

 二人で外に出よう。そう約束したのに、肝心の彼女がいないのなら、また悪夢に閉じこもるだけ。


 そう考えているのに、夢から覚める直前のミアの笑顔が引き留める。


「……勝手にする、か」


 覚えていないけれど、アンナに対してミアはいつも勝手だった。

 最初から最後まで好き勝手やって、すぐにどこかへ行ってしまう光の少女。


 アンナはそれに反応するのがやっとで、追いつくなんて出来なくて。

 けれども、彼女はいつも待っていてくれた。


「町の外って、なにがあるの」

「おそらく、キミの知り得ないことばかりだ」

「イチゴのタルトって、美味しい?」

「保証しよう。我が国は菓子に関して誇りがある」


 ミアのことを思い浮かべながら、アンナはたどたどしく言葉を紡いでいく。

 自分には無いけれど、友だちが関心を持っていたことは覚えている。


 全部、忘れていない。


「ミアが見たかったもの、知りたかったこと。わたしは全部、知れる?」


 だからミアが求めていたものを、探しに行こう。

 勝手にここまで連れて来られたのだから、わたしもちょっとは好きにしてみようと思う。


 空っぽの自分の中に込められた少女の夢。

 それを抱えていることを否定できないアンナは、手を握ったままの青年に向けて確認した。


 ──今はまだ、待っているしかできないから。


「知れるさ、望むなら全て。キミだろうと、僕だろうと。霧があるなら晴らせばいい」

「……そっか」


 アンナの問いかけなのに、自分自身にすら言い聞かせているように答えた青年は、今この時だけ地平線の向こうを眺めている。


 青年もまた、怪物がいるかどうかを知りたくて町にやって来ていた。

 糸口すら見つからない霧の中、不明なものを追いかけて。

 そうして得た答えが、一人の子どもと町の消失。


 吊り合いなんて取れていない現実に、髪で隠した瞳はどんな色をしているのだろう。


「ねえ、どうしてわたしを探してたの」

「それは簡単だよ、キミ」


 大した動揺も見えない青年の表情。

 それが隠す彼の真意はいったいなんなのか、アンナは気になって問いかけを続けていく。


「僕も怪物だからね。仲間が欲しかったから、かな」


 視線を下に。アンナへ振り向いた青年は、おどけるようにそう答えた。


 わずかに隙間から見えた赤い瞳。

 その一瞬でアンナの脳裏をよぎるのは、怪物的な強さを見せたアイザックの目。

 瓜二つの印象な彼らの目は、子どもの中に一つの結論を生み出した。


 二人の青年は、わたしと同じ怪物だって。


「……じゃあ、わたしたちは仲間なのかな」

「まだ知人だろう。共通の知り合いがいる、ね」

「うん、そうかも」


 一人の少女という細い糸。

 それは話せば話すほど、アンナを青年の下へ近づけていく。


 アンナにとって、そんな身勝手な引っ張り具合は覚えがあり、ついおかしくて頬が緩み。

 だからこそ、まだ残っている彼女の手の感覚に従って、一歩を踏み出した。


「ねえ。名前、教えて欲しい」

「アイザック。……いや、ザックでいい。僕はザックだ、キミは?」


 今、手を握っているのはミアではなくザック。

 そう受け止めたアンナは、彼の顔を見上げて静かに答えた。


 いつまでも友だちが呼び続けてくれた、自分の名前を。


「アンナ。わたしは、アンナ」


 焼けた教会の外。

 自身の名前を告げたアンナは、受け止めてくれた青年ザックの姿をジッと見続けた。


 友だちの興味を強く惹いた、変わった男性。

 彼を見ていると思い出すのは、少女がこぼしていた感情の一端。


 どうして、こんなに気になるんだろう。

 その気持ちの名前をアンナも知りたくて、確かめるために強く彼の手を握りしめた。


 ──行ってきます。

 その一言を心の底に刻んで。

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― 新着の感想 ―
こういうタイトル凝ってる系めちゃくちゃ好きなんで読ませていただきました! 童話を彷彿とさせる世界設定、そして描写、惹き込まれる作品でした!これからも楽しませていただきます
恋愛小説家かなと思って読みはじめましたが、壮大な勘違いでした。そして、怪物と人々が分かりあっていく物語かなと思ったのですが、これも違っていました。予想をひっくり返す展開の連続で、良い意味で裏切られたお…
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