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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第三幕 ???

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89/89

89.Dear chaser(7)

 少年ジャックを先頭に立たせ、貧民街での聞きこみを行う。

 知りたいのは、先日亡くなった女性がどのような人物に会っていたのか。


 特に前日時点での目撃談を得たいと、医者ウェスカーの取り仕切りによってザックたちの話はまとまった。


 行動を起こすのは翌日から。

 そう決まった日が没したころ、下宿のダイニングルームは温かな火が灯されていた。


「うーむ、記憶ですか。専門外なので私見を語ることすら(はば)られます。ましてや、殿下お抱えの医師殿が診た後です。私ごときではいかんとも」

「きっかけがあれば戻るかも。みたいなのは言われた」

「そうですなあ。薄暗い場所にいたり、怖いことを体験したら、それらしきものが脳裏に過ぎるのでしょう? 充分あり得ますな。ただ聞いている限りでは、よい記憶とはとても思えないのが悩ましい」

「ミアとの記憶だけとか、無理なの?」

「ご友人との楽しい思い出だけを。そのお気持ちは十二分に分かりますが、この手のことは往々にして不都合と隣り合わせ。難しいこととお考えになった方がよろしいです」

「そっか……」


 大きなテーブルに並べられた湯気立ち昇る料理たち。

 舌へ濃く残る味わいになるまで煮こまれたブラウンシチューに、安く多くと作られたライ麦パンをスライスしたもの。

 パンに塗るものとしてバターとマーマレードが用意され、アンナの皿にあるライ麦パンは、たっぷりとマーマレードが塗られている。


 アンナとカメリア。二人の女性の皿は、これで充分と落ち着きを持った並びとなっているが、残る男性二人は違った。


 オニオンリング、白身魚とジャガイモの揚げ物、複数種類のエール。

 夕食より肴が多く並んでおり、それを摘まみながらザックとウェスカーはジョッキを傾けていく。


「失礼ながら、殿下。アンナ嬢の身元は今も不明なのでしょうか」

「住んでいた場所は分かっているのですが、親族などは未だ何も。──お二人はご存じありませんか? 夏の終わりにあった、小さな町が焼失したという事件は」

「首都では耳にしない方が難しい話題ですね」

「私も勿論、把握しております。むしろ、今もなお調査が行われている場所でしょう。……もしやアンナ嬢のご出身はそこですか」

「ええ。他にもありますが、そうした理由で私の下にいてもらっています。あの町の生き残りがいるなんて話、公表したら酷いことにしかならない」

「全くですな。……いやしかし、アンナ嬢の記憶のこともそうですが。私どもが耳にしてもよろしかったのでしょうか。どうにも機密に触れているような感覚が拭えなくてですね」

「信用する医者だからこそ、多少胸を開いて話しているんです。当然、貴方がたに危険が及ぶ話はしていません」


 友だち以外の記憶が霧に包まれているアンナの記憶。

 そこにつながるのは、アンナとザックの関係性。


 どうして少女を手元に置いているのか。それに好機を向けるのは、どこの誰であろうと自然なこと。

 怪物であることは伏せつつも、らしい理由としてザックが挙げた事実に、ウェスカーは大きな関心を向けていた。


 記憶喪失は専門ではない。そう言いつつも、医者の性分としてアンナが抱える症状を聞いていたウェスカーに対し、少女の言葉は多くなっていく。


「記憶、戻らない方がいいの?」

「どうでしょう。過去も大切だと思うのであれば、戻った方がいいとも言えますし。それよりも今を取るのであれば、無理に記憶を戻す方法を探すこともない」

「結局、どっちがいいの。ウェスカー」

「こればかりは、アンナ嬢に決めてもらう他ありませんな」

「……なんか、ザックと答えが似てる。アイザックならもっとハッキリ言うのに」


 ミアの知りたかった世界に触れたいと願う気持ち。その次にある、自分のこと。

 頭にかかる霧が晴れた先には、何があるのか。そして、その光景を知るべきなのか。


 外側──世界への興味に、ザックたちは明確に答えをくれる。

 しかし内側──アンナの自信に関しては、いくつも道を示すものの、選ぶのはキミだと霧を濃くする言葉ばかり。


 最後の選択だけを迫られることに不満を覚えるアンナは、出会える頻度が露骨に減っているアイザックを思い浮かべていく。

 だが、直後に思い出したカメリアの言葉は、明確さのあるアイザックの代わりとして光り輝いた。


「そうだ。知りたいなら我がままに、だった」


 カメリアが作ったブラウンシチューを一口、また一口と頬張りながら、味の濃さに負けない意思があるかどうかを少女は胸に問いかける。


 自身の過去がどれだけ嫌な思いをするものなのかは、アンナも薄々分かっていた。

 教会から離れた今でも近い状況になれば起こる、トラウマによる体調不良と怪物の発生。

 思い出さない方がいいとするウェスカーの考えも、少女だって同意する。


 しかし引っかかってしまうのは、大切な友だちとの思い出だ。


 忘れてしまっても、あったはずのミアとのできごと。

 教会から引っ張り出してくれるまでのことを、他と一緒になかったことにはしたくない。


「ねえ、ザック。探偵って探し物をする仕事なんでしょう? わたしの記憶を探す仕事って、できる?」


 もう増やせないからこそ、ミアとの思い出を取り戻したい。

 その一点において嘘はなく、トラウマに触れれば浮かぶ黒とは真逆の明るい想い。


 そういう考え方ならと独りで頷いたアンナだったが、ふと浮かんだ記憶を取り戻す方法を口にした途端、大人たちの口は閉ざされてしまう。


「……フォレスターくんがですか。どうでしょう」

「よほどあの人の関心を買えるような過去でない限り、見向きすらしないかと」

「アンナが覚えているのは、これまで話したものだけです。それでお二方がこの反応なら、難しそうですね」


 記憶喪失を治すのは、ウェスカーたち医者の領分。

 しかしきっかけとなる物品や場所など、記憶を刺激する外的要因の捜索なら、確かに探偵の領分と言える。


 けれども、パーシヴァルをよく知る夫人と医者の表情は、芳しくないものだった。


 ただ悲惨な過去だけは、彼の興味に火すら点けられない。

 それが分かったアンナは黙々と食事に戻るも、意識は探偵へ向かったまま。


「そのパーシヴァルはどこ行ったんだろう」

「ふらりと外出するのは、彼の悪い癖ですな。しかも日も落ちたというのに。まあ大方、殺人鬼につながりそうなことを思いついたのでしょう」

「だといいのですが。あの人、昔から苛立つことがあると人を避けるんですよ。そうして出ていったと思ったら、喧嘩とか暴飲暴食とかで不健全なことをして。どうしようもない人です」

「ああ、それは私も体験しました。というより、彼との出会いはまさにそれ。喧嘩で怪我した彼を手当てしたのが懐かしい」


 姿を見せなくなったパーシヴァルがどうしているのか。

 付き合いの長い二人が推測を並べていくと、昔の記憶も蘇ったのか、オニオンリングを摘まむウェスカーの手が速まっていく。


「確か、夫人とフォレスターくんは十代の頃からお知り合いだったとか。若い頃の彼は、さぞかし尖っていたでしょう」

「そうですね。他人は全て観察対象。心の動きすら予測し、把握するもの。夫が彼へ付きまとうようになるまでは、傲慢(ごうまん)が服を着ていると思っていました」

「付きまとうって……あのフォレスターさんにですか。なかなか豪胆な方ですね、ご夫人の旦那さんは」

「警察官として見過ごせない。口癖のように彼が言っていたのを、私も覚えていますよ」


 市民を守る警察官。そのお手本のような人物だったと語るカメリアとフォレスターに、ザックは驚嘆していく。


 存在を認知しない探偵、素っ気ない態度をとる下宿の娘。そんな二人にフラれ続ける熱い男の味方は、まだ新米の医者だけ。

 自分は頭が悪いからと臆面もなく探偵に調査を依頼し、市民を危険にさらさないのが警察官の仕事だと探偵を置いて犯人を捕縛する。


 役割分担と惜しみない感謝を。そうして孤独な探偵の横へ並び続けていた男を語っていく内に、ウェスカーはぽつりと言葉を下へ落とした。


「もう……一年は経ちますか。彼が非業の死を遂げてから。っと、申し訳ない。カメリアさん」

「お気になさらず、先生」

「事情も知らずに口を挟むべきではないと思いますし、ただの憶測に過ぎないのですが。フォレスターさんが殺人鬼を追っているのは、その旦那さんが関係しているのでしょうか?」

「そうじゃないかって、前にカメリアから聞いた」

「……意外な話をしていたんだね、アンナ」


 ザックの質問にカメリアは無音を返し、スプーンを口に運んでいく。代わりに答えたアンナに対しても、頷くように空気を沈ませるだけ。


 世間を騒がせる殺人鬼がカメリアの夫の仇。

 その裏づけをするように、ジョッキを置いたウェスカーが落ち着いた声を絞りだしていく。


「ええ、まあ。私たちがそうじゃないかと思っているだけで、実際は違うかもしれません。ただこの一年、他の依頼をこなしつつも彼がいなくなった日のことを、ずっと調べているようですし。……一番堪えているのは、フォレスターくんなのかもしれません」

「最後にあの人を見たのは、パーシヴァルだけなんです。二人で出かけて、帰ってきたら消えてしまったと。遺体も見つからず、犯人としてパーシヴァルが捕まって。どうにか釈放はされたけれど、それからずっと真犯人探し」

「消えたところを見たと、フォレスターくんは言っていたのですが。何故か、細かいことは教えてくれないのですよ。どう消えたのかとか、それすらも分かりません」

「ただ追っているということは、何かがあの人を消したということ。少なくとも犯人の正体は生き物だと、私は想像しています」


 行方不明となったカメリアの夫を探し、パーシヴァルは殺人鬼がそれに関連するのではと目星をつけた。

 そこまではアンナとザックは頷くものの、肝心のどう消えてしまったのかに二人は首を傾げていく。


 遺体は見つからず、手段も分からず。あるのは、パーシヴァルが告げる亡くなったという言葉だけ。

 探偵は目にしているはずの現場を一切口にせず、独り何かを抱えたまま、見えないものを探している。


「まるで怪物の仕業のようだね。人ではなく、災害でもない。例え動物だった押したら、彼ならそう言うはずだ。なのに推測すらないのは、正体不明としか言いようがない」


 形容する言葉がない相手だったとしたら、閉口するのは理解できる。

 もしかすると。そんな期待を隠し切れないザックは、ジョッキを大きく呷ってエールを飲み干していく。


 白銀のハンドベルが捜す手袋をはじめとして、元々怪物探しの依頼をザックはするつもりだった。

 どれだけ呆れられても受けてもらうために、多額の前金を用意したのも下準備のためだ。


 しかし彼が追い求めている何かの正体が、ザックが探しているような怪物だったとしたら?

 パーシヴァルの協力をするだけで、また一つ前進できる。その期待を嘘にはできないザックに、アンナは珍しく冷めた視線を向けていた。


「ザック。たぶん、いい人じゃない」

「……そうだね。ごめん、アンナ」


 人を一人消失させ、探偵に追われる何かが善性のものとは思えない。

 そう告げるアンナに謝罪するザックは、自身の不謹慎さに苦みを感じていく。


 どれだけ求めていた存在であろうとも、アンナやいつかの錬金術師のように、話ができる相手でなくては意味がない。

 それを念頭に置けと自分に言い聞かせるザックだったが、心の内で転がす言葉よりも、冷ややかなアンナの視線の方が青年の胸を刺し貫いていた。

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