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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第三幕 ???

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88/90

88.Dear chaser(6)

 探偵が差しだした手を、ザックはいつもより口元を和らげながら握っていく。

 これで青年への不信は拭われた。そう確信して頷く医者のウェスカーは、鞄へ紙幣を片づけるパーシヴァルに嬉々とした声を向けていた。


「これでアイザック氏の疑いが晴れた訳だ。それなら、フォレスターくん。君の言葉遣いは正した方がいいのでは?」

「身分を隠しての援助と依頼だ。ならば、我々も合わせた態度を取らねばならない。彼はあくまでも多額の依頼料を払えるお客人だ。加えて、この紙幣が本物だからといって他全てが真実とはならない」

「……君は本当に疑り深いな。安心してくれ、アイザック氏。こうして約束を守ったんだ。私は貴方が王子であることを信じます」

「なあ、ウェスカーのオッサン。その王子っての、オレよく分かってねえんだけど。なにしてる奴なんだ」

「国の偉い人。そのぐらいの認識で構わないよ、ライト」


 国に地位を根ざした人物。

 そう聞いたジャックは、不審に満ちていた瞳の色を喜色へと変えていく。


 パーシヴァルはともかく、体の調子を診てくれるウェスカーが認めた。

 彼が信じるなら自分もと胸に光を生んでいく少年は、テーブルに身を乗り出す形でザックへ迫った。


「じゃあさ! アンタ、オレたちの住んでる場所どうにかしてくれよ! 偉いんだったら、国を何とかできんだろ!」

「ジャックくん、あまり無理を言うもんじゃないよ」

「構いません。ライトの言うことはもっともですから。──ただ、僕ではキミの期待に応えられない。まずはそれを謝りたい」


 生まれてから今まで、首都の華やかな生活どころか、田舎の質素な暮らしすら経験したことのない少年。

 そんな彼が望む貧民街の救済は、至極当然の主張だ。


 だからザックは受け止めるし、それを行うべきだと頷きもする。

 しかし自分では力不足だと首を振る青年は、声を落ちつけたまま続けていく。


「僕は王族の中だと地位が低くてね。自分の身を守るだけで精一杯なんだ。アンナのように一人雇うとか、建物を買うならできるけれども、街一つは難しい」

「はあ? 王子って、王さまの子どもってことぐらい、オレだって分かる。だからさ、お願いするだけでもできねえのかよ」

「キミのいう王さま──女王陛下へ陳情は、今度してみるよ。姉さんのレイラ王女にも話は通してみる。でも、期待はしないで欲しい」

「そんなに……話分かんねえ奴らばっかなのかよ」

「ジャックくん! 今の発言は流石に──」


 王族への侮蔑的な発言。しかも聞いている相手が誰なのかを知った上でのもの。


 いくらザックがお忍びで来ているからといっても、反感を買えばただでは済まない。

 現に、扉のそばで待機している使用人が眉をひそめており、知らないからこそできる少年の発言に、ウェスカーは冷や汗を流しながら止めに入った。


 同時に、ザックの広げた手も使用人たちへ向けられる。


「陛下と姉さんは聞いてくれるさ。姉さんの方はアンナも知ってる」

「うん。というより、レイラならザックたちが頼めばすぐじゃない?」

「すぐは無理だと思うよ、たぶん。──でも、二人は聞いてくれるし対応もしてくれる。問題はその後。二人の方針を聞いた政治家と貴族、それに現地の人間が素直に従ってくれるかどうか。ライトも、国の指示を受けている人間は知っているだろう?」

「……あっ、警察(サツ)の連中か」


 国の頂点にいるはずの女王も、それに類する席へ座るはずの王族たちも、どうして貧民街のような場所を放っておくのか。

 考えるだけでふつふつと沸く少年の熱い心は、ザックの出した手がかりによって具体的な目標を捉えた。


 ボスの指示に従うフリをして、好き勝手をしている子分たち。

 そう置き換えるとジャックにも納得のいく構図が見えてきて、元よりあった敵意が鋭くなっていく。


「政治的な話も結構だが、警察の話をするならば追っている事件を話させてもらう」

「失礼、本題はそちらですね。ちなみに殺人鬼と警察が関係するというのは、これまでの捜査でできた因縁でしょうか」

「初犯で捕まえられず、以降も繰り返しているがために傷つく面子とプライド。そんな警察内部の事情ではなく、もっと重大な──物的証拠と証言の話だ」

「というと?」

「貴方も身をもって体験しただろう、アイザック殿下。暴力的な捜査を」


 調査をするでもなく、その場を指揮する者が犯人だと思った人物を暴力に頼って拘束する。


 それを思い起こさせるパーシヴァルの言葉に、アンナは不機嫌な表情となり、ザックは全身の痛みが強まる感覚に襲われた。

 ジャックにも覚えがあるのか、腹部を押さえるように衣服を握りしめている。


「焦りから来る短絡的な行動。これを事件が起こる度に繰り返し、都度激化している。今では警察の姿があるだけで貧民街が無人となるほどだ。調査する身としては実に不都合極まりない」

「事件のこと聞こうとしても、みんないないから?」

「その通りだ。証言が得られない以上は物的証拠に頼る他なく、遺体とその周辺にある物で犯人像を作るしかない。それでできたのが、マスメディアが取り上げている切り裂き魔だ」


 いわれのない暴力を振るわれて、口を開くどころか近づく奇特な人物はそういない。

 目が合えば、お前が犯人だ。それがまかり通る状況に陥っていると、警察の現状を語るパーシヴァルに、その場の全員が無言で受けいれていた。


 被害者を知る者、現場の近くにいた者、探偵と少年のような公的機関とは違う形で事件を追う者。

 この全てに避けられた警察が形作る犯人像を、ウェスカーが引き継いで要素を並べていく。


「中々に酷いものです。赤い衣装を身に着けた女性を狙う、稀代の殺人鬼。有力な候補は刃物を使えるか、女性と遊べるほど裕福な職の人物。貴族は当然として、理髪店と肉屋に医者と詐欺師。鍛冶職人や料理人。ああ、怪しいからと探偵も疑われていましたね。首都住まいではない貴族もですし、マイナーですが王族を挙げている人もいます。意見が揃っているのは、犯人は男性だろうということだけです」

「……傷が抉られる気分です」

「これは申し訳ないことをしました、殿下。気休めといってはなんですが、私とフォレスターくんも同様に疑われております。皆、同じです」


 明確な証拠が揃わず、正体が霧に隠された殺人鬼。

 それはあらゆる憶測を生み、糸が一つ結ばれれば途端に犯人の候補となってしまう。


 私たちも同じ傷を受けたと告げるウェスカーに、ザックは笑えないなと返していく。


「ここまでが世間に知られていることだが、この少年を介して私はより深い情報を得ている」

「なあ、そんなにいいことできてんならよ。金もっと寄こせよ」

「先日のワインを含め、住人と接触して得たものを貴方に共有しよう。援助に対するお礼だ。もし犯人を捕まえられるのだとすれば、警察へ流していただいても構わない」

「無視かよ」

「その話ですが……ライトを連れて、貧民街へ赴いたのですか?」

「他にないだろう。素顔すら晒さない者を歓迎する彼らではない。少年と同じくいくどか物を与え、仕事として情報を話させた」


 同じ街の住人を介して何度も会い、仕事と称して事件にまつわる話を、些細なものでも引きだしていく。

 報酬は物か賃金。そうすることで警察が遠ざけてしまったものを得たと、パーシヴァルは語る。


 その話の中で気になった部分があったのか、アンナはザックの横顔を見つめていた。


「素顔だって、ザック」

「痛いところを突かないでくれ、アンナ。事情があるのは分かっているだろう?」

「綺麗なのに」

「キミのように思ってくれる人は少ないんだよ。──それで、どんな話を聞けたんですか? フォレスターさん」


 濃淡で分かれた赤い両目のことは伏せたまま、ザックは話の続きへ意識を向ける。

 もしかすると核心に近づく内容があったのか。そう期待する青年に向けて、まず口を開いたのはジャックの方だった。


「つっても、この前やられた女のことだろ。ジイさんが言ってたの」

「女って、僕たちが見た被害者のことかい?」

「そうだよ。ってか、アイツならオレも知ってんだよ。あのババア、マジでムカつく奴だった。美人だとか言って群がる連中多かったけどさ、性格は最悪。他の女のことは悪口しか言わねえし、男なんざ財布としか見てなかった。貧民街で働いてるってのに、なに偉そうにしてんだって感じだったよ。ぶっちゃけ、いなくなって清々してる」

「……随分と嫌われていたみたいですね」

「殿下が驚かれるのは無理もありません。私も初めて聞いたとき、想像と違いましたから。被害者はこう、やむを得ず貧民街にいる方とばかりに思っていました」

「な訳ねえよ。あそこにいて当然の奴さ。だってえのに、にたにた笑ってる野郎が沢山いてさ。すげえキモかった。アンタが捕まったとき、泣いてた奴がいただろ」

「ああ、覚えがあるよ」


 いたたまれない事情で生活を失った女性。

 そんな想像をぼんやりとしていたザックたちだったが、少年の語る被害者の実像とはかけ離れていたことを理解する。


 恨みを買ってもおかしくはない。いや、買い続けていた女性。

 その認識へ変わった途端に、殺人鬼の動機に対する想像も変わっていく。


 以前なら、何かしらの原因で初犯となり、その経験を忘れられずに再犯を繰り返している。

 そう考えていたが、今は──


「これまで五人だっけ? 全員、この前の奴みたいに死んで当然の奴ばっかだったさ。そりゃまあ、実際に死なれるとビックリするけどよ。オレはいなくなって良かったと思ってるぐらいだ」


 少年の告げる被害者の女性たちは全員、心証の悪い人物たちばかり。

 パーシヴァルが訂正を入れない以上、話を聞いたという老人の言葉も似たものだったのだろう。


 他の女性を憎み、男性を蔑み、他者を見下している美貌だけの悪女。

 身にまとっていた赤い衣装も、そう考えると綺麗な花ではなく、趣味の悪い貴金属のような印象となっていく。


 ──復讐。

 そんな言葉がポツリと浮かんだザックだったが、声には出さず飲みこんだ。


「この話を聞いたことはないだろう、アイザック殿下。本件は狂気を孕んだ人物より、恨みを募らせた人物と考えた方が妥当だ。勿論、前者も否定できないがね」

「こんな話を警察は逃し続けていたんですか」

「無理もありませんよ。ジャックくんをはじめ、被害者たちと同じくらい嫌な相手となっていますからね、今の警察は」

「だからさあ、案外オレたちの街にいる誰かなんじゃねえの?」


 被害に遭った女性たちは、共通して恨みを買っている。

 そうなれば犯人は、彼女たちをよく知る者となるのは自然のこと。


 パーシヴァルの案に乗っかり、少年を介して貧民街の人々へ聞きこみし、被害者たちの交流関係を調べていく。

 そんな流れができつつある中で独り、探偵だけは向ける視線の先が違っていた。


「……今回も奴につながるものはないか。いったい、どこで何をしてる」


 五人を害した殺人鬼。それに脅威を感じはするも、パーシヴァルの心に根ざした何かとは重ならない。


 あくまでも人が犯した罪の範疇(はんちゅう)

 そう捉える探偵は、場にいる各人が出す意見を脳裏で並べて整頓していく。


 溌溂(はつらつ)と笑う誰かの背中を思い浮かべながら。

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