87.Dear chaser(5)
パーシヴァルが住む部屋に集まったのは六人。
部屋の主はもちろんとして、ザックとアンナに名も知らぬ少年。
護衛も兼ねている使用人たちは、扉を守る形で部屋の内外に一人ずつ。
残りの一人は、使用人たちの配置が終わったのを見計らい、第一声をザックへ浴びせていく。
「やあ、アイザック氏。その後調子はどうかね。何か不都合があったりとかは?」
「その節はどうも、ウェスカー先生。痛みが続くぐらいで、問題というほどのことは何も。いただいた痛み止めも効いています」
ザックへ声をかけた男性の身なりは、いかにも休日を過ごしているといったラフなもの。
しかし包帯を巻く青年へ向ける視線は鋭く、その様は物を見極める際のパーシヴァルと近いものがあった。
──彼はウェスカー。二週間近く前、丁寧な治療もなく下宿へ現れたザックを、改めて診察と処置をした医者だ。
「そうか。薬が効いているのなら良かった。フォレスターくんと話があるというのは聞いている。後で診察をしたいのだが構わないかね」
「勿論です。……ここに貴方がいるということは、この少年は患者ですか」
「彼か、当たらずとも遠からずだ。貧民街にいる子でね。私の時間が空いたときに健診させてもらっているんだ。まあ、今日はフォレスターくんの用事で来ているがね」
「フォレスターさんの……ですか」
ウェスカーと会話をしながらも、パーシヴァルの無言の勧めのまま、ザックとアンナは外衣を脱いで席につく。
二人の正面には、探偵が先日と調子変わらず堂々と座っていて、横へ目を向けると件の少年が怪しむ視線をふくんだまま椅子に腰かけている。
ウェスターとの話の流れでザックが少年に目を向けると、ようやくパーシヴァルが口を開き言葉を放った。
「助手というには不足が大いにあるが、貴重な情報源だ。先日、貴方が訪れたときに来ていたのは彼だ」
「んだよ、オッサン。貴重なら助手でいいだろ」
「情報収集で役立っているのは認める。だが足が速いというだけなら、犬と変わらん」
「畜生と一緒にすんじゃねえ! ジイさんに話つけてやったの、もう忘れたってのか!」
「彼を当てにしたのも、交渉材料を用意したのも、必要な要求を考えたのも全て私だ。案内の他に君が行ったことはあるかね」
「いや……ない、けどさ」
オレは飼い犬なんかじゃねえ。
そうぼやく少年に対して、パーシヴァルは一瞥すらくれない。
だからこそ、なおさら噛みつこうとする少年を医者はなだめながら、彼と探偵の間に割ってはいった。
「まあまあ。彼が不遜なのはいつものことじゃないか、ジャックくん。フォレスターくんも、貴重な情報源と認めているのなら、その部分だけでも素直に褒めてあげなさい」
ウェスカーの和やかな雰囲気が両者の剣を受け止めるも、退いた彼らに訪れたのは不服の沈黙。
それに苦笑いをする医者は、部屋の主の代わりとばかりに客人のザックとアンナへ視線を向けた。
「すみませんね。ジャックくんが来ると、いつもこうなんですよ」
「いえ。ところで、この少年がフォレスターさんの用事で来ているというのは、その情報とやらですか」
話では聞いていた貧民街の少年。
実際に対面すると面食らうものはあるも、いつも通りの作り笑いをザックは崩さない。
探偵の手足と認識し、改めてジャックと呼ばれている少年にザックが目を向けると、続いた言葉は衝撃的なものだった。
「そうだ、クソ弱い怪しいオッサン」
「オッ……うん、まあキミの年齢からすれば、そうか」
「おっさん」
「アンナ。頼むからキミは真似しないでくれ。結構、心に来るんだ」
カメリアに告げた通り、見ているだけ聞いているだけのアンナだったが、意外な反応を示しているザックが気になったのか、少女はジャックが口にした言葉を繰り返す。
粗雑な少年に言われても、そう見えるかと諦めがついたザックだったが、隣に座る少女からの言葉だと槍の素早い一突きに変わる。
他の人物と関わるときは怪しさが全面に出るも、連れている少女と接するときだけは素が見えると感じた少年は、会話を途切れさせなかった。
「アンタ、二週間前オレたちの縄張りにいた奴だろ。なんであんとき抵抗しなかったんだ。ムカつく警察なんて、ぶっとばせばいいだろ。やっぱ弱いからか」
「弱いのは事実だけれど、ひとえに僕の都合さ。キミだって──」
「キミじゃねえ、ジャックだ。ジャック・ライト」
「……ライトも、我慢しなければいけないときがあるというは、分かるよね」
「それがあんのときだって? 王子の名前借りてる奴の考えは、やっぱ狂ってんな」
パーシヴァルか、それともウェスカーか。
ザックの事情を耳にしていた少年の反応に、青年はフッと笑って部屋まで持ちこんだ鞄を卓上へ乗せた。
これを待っていたとばかりに眉を動かしたパーシヴァルへ、ザックは鞄の中身を見せつける。
「借りているかどうかは、これで判断して貰いたい」
「これ……全て本物ですか。フォレスターくんから額を聞いたときは、随分と吹っかけたものだと思っていましたが。まさか本当に用意できているなんて」
「確認する、全てな。鞄も改めさせていただくが、異存は?」
「ありません。どうぞ、ご自由に」
一キログラムになる札束の山。三カラットにも達する希少な宝石を買える総額。
それを前に、医者と少年は手が伸びることすら叶わず視線だけが釘づけに。
開いた口がふさがらない二人だったが、探偵だけは独り黙々と札束に触れて、一枚一枚確認していく。
表裏の柄にインクの色味、紙の質。
目を皿にして細部を見ているパーシヴァルに、ジャックは呆れを混ぜた瞳を向けていた。
「全部本物なんじゃねえの、これ」
「表面の数枚だけを本物にし、残りを全て偽札とするのはよくある手だ。時間はかかるが、王子と断定するためなら無駄ではない」
「オレには同じにしか見えねえぞ」
ジャックにとって、束ねられた紙幣たちは馴染みのない代物。
偽造の識別はおろか、これが何十枚と集めた硬貨と同じ物ということを信じられずにいた。
札束の一つどころか、紙切れ一枚で自分の生活が一変する。
そんな現実味のない物を眺めながら、少年はふとアンナへ目を向けた。
世話になってる医者が驚愕し、扉の側で控えている使用人すら緊張の色を匂わせていて。
偉そうな態度の探偵ですら、本物かどうかの鑑定を熱心にやっている。
部屋に満ちた空気だけで、この鞄の中身は相当な価値があるとジャックですら理解できるのに、静かな少女は部屋に来たときから変わらず黒一色。
「オマエ、こういうの見慣れてんのか」
「別に」
「別にって……そうかよ。オマエ、見るからに金なんか持ったことなさそうだもんな」
無関心。それをよく表しているアンナに、ジャックの心の火が段々と熱を上げていく。
「血も見たことねえから、オレたちの場所で呆然としてたんだろ。安全な場所で寝て、美味い飯は食えて、ねだれば何でも出てくる。だからこの金も興味ねえんだろ」
貧民街に住むジャックたちとは真逆の存在。
血も汗も涙も流さず、生きていることが当然で、悩みなんて一つもない。
人形のように関心の薄さをにじませるアンナへ、隠さない敵意をジャックは向けていく。
まだ短い人生の中で積もった裕福さへの敵意。それをぶつけるのは少女でなくともよかった。
ただちょっとしたきっかけで燃え広がる赤は、少年自身でも止められない。
「待つんだ、ジャックくん。彼がもし本当に王子だった場合、お連れの子に失礼を働いたら──」
「うっせえよ、先生。最初見たときからムカついてたんだ。自分は愛されてんだってツラしてんのが悪い!」
「──別に、愛されてないよ。愛されてた記憶もない」
「はあ? 自覚なしとか、マジでムカつくな」
「ライト。アンナには本当に記憶がないんだ。この子の記憶は三カ月前から始まってる」
「……んだよそれ。記憶がねえって言いてえのか」
愛されていた記憶がない。
その真意を受け止めきれず弾き返そうとするジャックだったが、ザックは構わずに知っている限りの少女の身の上を話していく。
廃れた教会にいて、町民の悪意にさらされ、親しかった唯一の友だちはもういない。
怪物としてのあり方は伏せるも、悪夢にうなされているときの独り言から推測される、霧の奥に隠されたトラウマの断片。
今は愛されていたとしても、過去は決して違うとザックは語っていく。
「成る程。先日も含め、アイザック氏が彼女を傍に置きたがる理由が分かりました。ただ、予想以上というか何というか」
「だからという訳ではないけれど、キミが思っている以上にアンナは人の醜さを知っている。それは分かって欲しい」
「……飯も居場所もなかったのか」
「うん。ミアだけ来てくれてた」
「ソイツも、もういないんだろ。……悪かったよ」
「別に。ただビックリした」
出自が分からないアンナを気にする人物は、これまでも多くいた。
しかし真っ向から触れる者は数少なく、ザックの使用人たちの中でも限られている。
例え黒と赤で彩られた意思だとしても、どこか清々しい。
荒っぽいジャックの態度にそんな感覚を覚えるアンナは、わずかにだが口角を上げて少年を見つめた。
視線が結ばれ、強い感情を秘めた少年の瞳にアンナが重ねるのは、自分の手をどこまでも引っ張ってくれるはずだった友だちの眼差し。
一度駆け出してしまえば止まらない。そんな印象をジャックに抱くも、ふいに少年が顔を逸らしたことで霧散してしまう。
「何がおかしいんだよ」
「おかしくない。ただ似てるなって」
ミアの影を追いかけている。
そう言われても仕方がないが、真っ直ぐな瞳で向き合ってくれる人物に好感を持ちやすいのだと、心の中で自身の傾向を考えるアンナは、少年に合わせて自分も別のものへ視線を移していく。
自然と少女の瞳が捉えたのは、余裕の空気を醸しだしながら待っているザックの横顔。
彼がいなくては自分というものが成立しない。そう自覚するアンナだったが、青年がミアと似ているかというと違うと心が否定する。
ザックのことが気にはなっても、ミアたちとは違って明確な色が思い浮かばない。
なぜだろうと青年の顔をアンナが見つめていると、探偵の声が視線の糸をふつりと切った。
「確認を終えた。──改めて歓迎しよう。ようこそ、アイザック殿下」
お客人から敬称へ。
ザックの身分を認める証を口にしたパーシヴァルは、紙幣の束を離した右手を迷いなく青年へ差しだした。




