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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
70/75

70.Snow anthus(8)

 白銀のハンドベルを握ったアンナが、目を伏せたまま動かなくなって三十分。

 床へ寝かせられてもハンドベルは離さず、しかし男爵とヴィクトリアのように動きだしもしない。


 ゆすっても起きない眠り姫。

 そんなアンナの状態が関係しているのか不明だが、ザックとクリスティーを襲っていた頭痛は和らいでいた。


「お前の予想通り、この辺りにいる連中は、全員倒れたままだ。そっちはどうだ?」

「変わりないよ。僕たち以外誰も起きないし、アンナも鐘を握ったまま。怪人もほら、ずっとそこさ」


 ザックが示す方向にいるのは、膝を折ってアンナを見守る怪人の姿。


 仮面に描かれた笑みは変わらない。

 しかし微動だにもせず少女の側に居続ける彼からは、心配の色のようなものが伝わってくる。


 そんなに気になるのか、どうしてそこまで気に入っているのか。

 二人以外が眠ったままの状況で、クリスティーは心にもやを生みだしてしまう。


「んだよ。俺にはそこまでしたことねえ癖に」

「嫉妬なら後にしてくれ。僕たちだけで、この状況を打破する方法を考えなくてはいけないんだ」

「してねえ、勝手なこというな。ってか、打破っつってもさ。他の奴らが起きるまで待てばよくねえか」

「何もないのなら、それも手だね。僕もその案に乗っかりたいところだが、安心というには保障が何もない」


 彼らが起きても、まだ操られている。

 その可能性が残っている限り、気を抜くことはできない。


 そうした考えを告げるザックは、クリスティーの言葉を待たずに続きを述べていく。


「だから、もし何かがあった場合のことを考えて、できることはしておこうって話さ」

「だったらよお、王子さま。お前も動いてくれよ。なんで俺だけ、この建物の中を行ったり来たりしないといけないんだ」

「役割分担だよ。キミは体力があって動き回れる。僕はここを見張りながら考えをまとめられる。分かりやすいだろう」

「ただ動けねえだけだろ」

「辛らつだね。仮に今、アンナが起きた場合。キミはすべきことをいくつ思い浮かぶ?」


 無事かどうかを確かめる。

 間髪入れずにそう答えようとしたところで、クリスティーは待てよと喉まで上がった言葉を無理に飲みこむ。


 ミッドデイボーン男爵とヴィクトリアは、ハンドベルに触れることで人が変わった。

 なら、アンナがハンドベルを握っている今の状況は、前例に(なら)うとすれば最悪だ。


 起きたとなれば、それはまたこれまでを繰り返すのと同義。

 アンナだけが例外とは考えられず、自身の感情を押しだして駆け寄るのは危険すぎる。


「……えっと。ひとまず、本当にアンナか聞く……とか」

「いい考えだ。一応、様子が変なら押さえつけてくれと、怪人には声をかけてはある。聞いてくれるかは別だけれどね」


 これから何が起きるのか、それとも日常へ戻るためのわずかな空白なのか。

 夜間の静けさが二人の不安をあおり、行き所のない感情は態度に表れるばかり。


 クリスティーからすれば、この先の行動をどうすればいいのか分からず。

 ザックからすれば、思いつく事態が善し悪し問わず無数に浮かび、結果として控え目な手ばかりを打ってしまう。


「まあ、アンナなら平気だよ。きっと」

「確証ねえのによく言えんな」

「言えるさ。夢よりも現実を選んだ子だ。それに、僕との約束を放る子でもない」


 まだ僕は世界を教え切れていない。

 まだキミは友人との約束を果たしていない。

 だというのに、別の誰かになってしまう?


 それは笑えない冗談だと、ザックが口元を緩めると同時に、身じろぐ小さな音が二人の耳にそっと触れた。


「起きたのか、アンナ。……アンナ、でいいんだよな?」

「待て、ヘブンスコール。あまり歓迎できない、もう一つの方が来た」


 魔笛の怪人が見守る中、目を伏せたままゆらりとアンナは立ち上がる。

 しかしザックとクリスティーの呼びかけに応えたのは、少女の口ではない。


 火にくべられた炭のように、赤い流星群を描く彼女の黒髪。


 ザックにとってのもう一つの人格、怪物アイザックがいるように。

 怪物としての性質を露にするアンナへ、二人は厳しい表情で身構えた。


 人型の黒い怪物、空間を包みこむ黒い霧。

 これらが出現する前兆に、前へ出かけたクリスティーの足は止まる。


「おい、これの対処法は知ってんのか」

「明暗がはっきりした場所にいること、僕やカナルミアみたいな人間が側にいること、近くに怪物がいないことだ」

「どれも当てになんねえ! くそっ。おい、この前みたいにお前の方でどうにかしてくれ!」


 一度起こってしまえば最後。

 アンナの精神状態が落ち着くか、気を失うか。

 どちらか以外で収まった試しがなく、ザックは冷や汗を一滴たらした。


 迷っている暇がないとクリスティーが怪人に向かって叫ぶも、彼の態度は依然変わりなく。

 むしろ立ち上がった少女を祝うように、落ち着いた様子でアンナの背中を見つめていた。


「──よろしく、スノードロップ」


 まぶたが開かれ、辺りに正体不明の黒い怪物たちが生みだされる。

 そう覚悟したザックを前に、アンナが紡いだ言葉はある花の名前だった。


 握っている白銀の鐘とよく似た、白い花。

 その名前を告げるとともに、ザックとクリスティーの想像していた黒い霧が出現する。


 アンナの両手を包むようにして。


「彼に、似てるかな」


 少女の両手に集中する黒い霧。

 それは黒い怪物を生みだす物と同じでありながら、今までにない物を作りだしていく。


 濃縮し、アンナの手に沿って作られたのは、シンプルとしか言えない漆黒の手袋。

 それをつけたままハンドベルを握るアンナに、言動の変化はない。


 人が変わらず、黒い怪物を生みださず。

 それどころか親し気にハンドベルへ声をかけるアンナは、両手でしっかりと鐘を握る。


「約束。もう、一人じゃ捜さないって」


 誰に向かって話しているのか。

 ザックとクリスティーは理解できず、呆然とアンナの動向を見ているばかり。


 そんな二人を脇に、アンナは白銀のハンドベルを振るった。


 ──リンと静かな音の花が咲く。

 慣れを感じさせない旋律を引き連れて、響き渡るのは建物全体。


「頭痛がしねえ。今、ハンドベル鳴らしたよな? それに霧もあいつの手に出ただけで、周りには何もねえ」

「これは予想外だ。いや、想像なんてできる訳がない」


 ハンドベルが鳴らされれば、二人の体調は著しく悪くなる。

 そんな常識を素通りし、旋律が届いたのは眠っているヴィクトリアにランスト、そして男爵たちだけ。


 人形染みた熟睡から、悪夢にうなされる浅い眠りへ。

 明確に様子が変わった彼らへ二人の意識が向いた途端、アンナの手からハンドベルがこぼれ落ちた。


「これでみんな、平気。ザック、あとお願い」

「アンナ? ……くっ」


 床とぶつかり、盛大に音を響かせる白銀のハンドベル。

 それを追うように体を傾かせるアンナへ、ザックは怠さに満ちた全身へ力をこめた。


 ようやく開いた少女のまぶたが、体と同じく下へ。

 黒髪に流れる赤い光も輝きを失い、作りだされた黒い手袋も霧散して。


 何もかもが地に落ちる。

 そう思えた瞬間、少女の体だけはザックによって受け止められた。


「──……ふう、間にあって何よりだ。っとと、うわっ!」


 全身に巡る痛みなんて気にせず、アンナが倒れ切る前に駆け寄り、ザックは壁となっては抱きしめた。

 しかし深い寝息を立てる少女の顔を目にすると、消えたはずの怠さが息を吹き返す。


 足から崩れ、どうにか体勢を整えようともがくも、ザックは背中から倒れてしまう。


 結局はアンナとともに床の上へ。

 だが怪我をさせなかった。それならば良いと納得するザックに、一つの影が差しかかる。


「キミ、面倒を見るなら最後まで見てくれ。それとも、僕がいるなら構わないとでも思ったのかい」


 いつまでも変わらない笑顔の仮面。

 それをザックの作り物染みた笑みに重ねてきた怪人は、やはり無言のまま。

 ザックが苦言をていするものの、彼は微動だにしない。


 そして静かに眠るアンナの顔を覗いた怪人は、仮面に描いた口と立てた人差し指で十字を作り、そっと後退しながら体を黒い霧に変えていく。

 口笛にも似た軽快な音で、二人の声を奪いながら。

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