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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
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07.Soot covered(7)

 教会の奥で二人の子どもが目にしたのは、奇跡と信じてしまうような光景。

 黒くなった町民たちがザックに群がっているのに、想像していた凄惨(せいさん)な様子は一向に訪れない。


 彼らがどれだけ凶器を振るおうとも、両腕を伸ばして取り押さえようとしても、素手による純粋な暴力で訴えようとも。

 悪夢は青年の下から離れていく。


「貴様たち、徒労に終わると何故気づかない」


 暴威を働かせる黒の群れの中から、青年の声が響き渡る。

 しかし少女たちが聞いたのは、先程までの優しさと怪しさを両立させたものではない。


 冷たくて無感情的。

 それこそ、ミアの後ろにいる子どものような声音を、ザックは言葉に乗せていた。


「言葉もなく、意思もなく。人を狩る為だけの道具か」


 変わったのは状況もだ。

 悲鳴の代わりに上がる破裂音。それは到底人の出せる音ではなく、変異した町民たちのものだと分かる。


 どういう訳か、彼らは制されている。

 ザック本人にか、それとも別の何かが現れたのか。


「言葉を介さぬ獣以下など、怪物で事足りる。貴様もそう思うだろう」


 群がる町民たちは難なく突破され、敵意しか見えない彼らは次第に抑えられていく攻勢の波。


 彼らを破ったのは、素手による一方的な制圧。

 手段は単純。何の捻りもない先手必勝で得物を止め、腕を壊し、(こうべ)を垂れさせる。

 統制が取れておらず、技も修めていない烏合(うごう)(しゅう)ならば、圧倒的な力量差で場を掌握(しょうあく)するのはたやすい。

 それを一番近くから順にこなしていくことで成立する力業は、およそ人の成せる業ではない。


 戦いの場における怪物、もしくは英雄とされる類のものだ。

 そんな理不尽をこなせる印象はザックにはなく、むしろ真逆の印象。


 なら、彼はいったい誰なのか。


「あなたは、誰?」


 青年の無事、悪夢の打破。

 二つの希望が同時に輝いたというのに、ミアの口から漏れたのは疑問の一言。


 黒の群れを悠々と徒歩で突破した人物を見て、ミアは素直に喜ぶことができなかった。


 ──ザックによく似ているが、彼ではない。

 服装も背丈もあの青年のまま。それどころか、双子のように細部を除いて全てが同一だった。


 違うといえば色白の肌が褐色となり、いつも弧を描いていた口元は平坦に伸ばされている。

 まとう空気も静寂という性質は同じでありながら、ザックがショーケースの宝石なら、彼は抜き身の刀剣。


 下手に近づき、触れれば傷つく。

 それは彼の背後で伏せている町民たちが証明していた。


「アイザック。アイザック・マーティン・エリク・レイモンド」

「……えっと」


 確かに質問には答えてもらえたが、ミアはうまく飲みこめずに言葉をのどに詰まらせてしまう。


 どこかで聞いたことのある名前。

 ファーストネームの愛称がザックであり、そう考えれば彼とあの青年は同じ人なのだろう。

 しかし決定的な違いを目にしたミアは、こんな状況だというのにアイザックから視線を外せなくなってしまった。


 それは頑なに隠していた前髪を、あろうことかアイザックは上げたのだ。


 さらされたのは真紅で塗られた(ぎょく)双眸(そうぼう)

 宝石細工を思わせる赤は階調を作り、目撃した少女の心を同じ色に塗り潰していく。


 これはザックと初めて出会ったときに感じた、興味以上の何かの感情。

 そう確信できたのに、どこか首を傾げる違和感を覚える少女だったが、そんな彼女を気にする素振りもなく近づいてくる彼に、ミアの鼓動は距離と同期して激しくなっていく。


「それで、貴様はどちらだ」

「どっちって。何が、です……か」


 どうにか倒れずに済んでいるミアの前に、アイザックは見下げたまま立ち塞がった。

 威圧感のある長身にひるみ、うまく喋れない少女に対して、何かを思う素振りもなく彼は告げていく。


「そこの黒髪は怪物、後ろのアレらも怪物。そして私も同種だと、貴様は感じているだろう」


 ミアの心の内は見透かされていた。

 アイザックが自身を含めた三種は、どれもが怪物。


 少女は否定しているが、ミアの後ろにいる子どもは町民からそう呼ばれていた。

 現在の町民たちは言わずもがな、人の形をした黒い何かを人間とは呼ばない。

 そして今、ミアの目の前にいるザックとよく似た青年アイザック。


 彼は紛れもなく怪物的な力を持っていて、かつ人離れした美貌(びぼう)を持っている。

 だからこそアイザックが示したものは、たどり着いて当然の疑問だろう


「なら貴様はどうなのだと訊いている」


 人か、否か。

 その答えを口にする前に、ミアの胸中は冷気と熱気を両立させる。


 自分のことを人ではないと疑う、彼への幻滅。そして疑われたこと自体への強い怒り。

 今すぐにでも胸倉を掴んで叫びたい。そんな衝動に駆られるも、目に焼きついた町民たちの倒れていく姿は、ミアにとって透明な壁となった。


 それでも少女は、何もかもを破くように叫んだ。


「私は人間なの。私も、この子も! みんなとは違う!」

「ならば何故貴様は、そこの者の名を発せない」

「それはッ……」


 友だちも、そして反応からしてアイザックも。

 ミアが口にしているはずの名前を耳にしておらず、それが何故かと言われても、言葉に詰まってしまう。


 現実として名前を言えていないから、私も怪物なのか?

 そんな疑問が心に重くのしかかり、違うと首を振りたくて、記憶にある自分自身のことを思い返して、言語にして。

 けれども最後。どうしても名前を言えていないことが、少女の思いに蓋をする。


「何を恐れる。私は俗にいう怪物との接触を求めているが、それは世俗からの排除の為ではない」


 怪物を探している。

 それはザックとアイザック。彼ら二人の共通点であり、やはり繋がりがあるのだとミアは確信するも、続く話は少女たちも知らないこと。


 昼間にザックが聞き回っていたのは、怪物の居場所だけ。

 町民たちからはそこまで聞いたが、ミアはどうして探しているのかまでは把握していない。


 だからこそミアは彼の言葉を待ち、アイザックは当然だとばかりの語り口で話していく。


「手を取り給え。私がここを訪れたのは他でもない、貴様らを得たいが為だ」


 ミアと、そして後ろの子どもと。

 アイザックと相対する二人に向けられたのは、無手の状態でさらされた彼の手の平。


 無感動に差し出された青年の右手が意味することは、昼間にミアが友だちに向けた手と同じ。

 二人がただの子どもだろうと、怪物だろうと関係ない。

 この手を取れば窮地から救ってくれる、希望の糸口。


 それを前にしたミアは、彼の手と顔を交互に見比べて、少しだけ苦みが混ざった笑みを浮かべる。


「なら、この子だけ連れてって」


 ミアが笑った意味を、正面から見ていたアイザックも、背中しか見えない友だちも理解できなかった。


 するりと青年の脇を通り抜け、彼の背後へ少女は飛び移る。

 思いがけない行動にアイザックも反応が遅れ、振り返ってミアの意図を確認しようとした。


 しかし声よりも先に、赤い瞳は理由を把握する。


 アイザックの目に映ったのは、少女の全身だけではない。

 青年に背中を預けるように立ったミアの前には、黒く変異した人物が一人だけ、すぐそこまで迫っていた。


 その人物は服装からして、ミアの父親だった者。

 またその両手には、鋭利に研がれたナイフが握られていた。


「……貴様、何のつもりだ」


 アイザックの視線は全体から下がり、ミアの胴体へ。

 冷徹(れいてつ)な瞳が捉えたのは、見間違いようもなく少女に突き刺さった一本のナイフ。


 深々と、致命的に。

 今すぐにでも応急処置をしなければ助からない傷で、それを見ても慌てることのないアイザックに、ミアもまた意外な冷静さで返していく。


「危ないって、思ったから」

「その(なまくら)では私は害せん。それは貴様も目にしていただろう」

「それでも見たくないよ。友だちのこと怪物でもいいって人が、傷つけられるところなんて」


 おそらく人が扱う武器では、アイザックに傷一つつけることは無理だとミアは分かっていた。

 だからこそ町民たちを一方的に蹴散らし、平気な顔をして自分たちの前に立ってくれた。


 でもそれとこれとは、理屈が違う。

 誰も認めてくれなかった友だちのことを、彼は初めて受け入れてくれた。


 そんな人が暴力を振るわれるところなんて、少女は黙って見ていられる性分ではない。


「それにほら。ちょうど分かったこと、あったよ」


 アイザックとミアが言葉を交わしている間に、ナイフを突き立てた父親だったものは、体を震わせながら凶器を手放し後退していく。

 どんな姿になろうとも多少の意思は残っていたのか、父親は絶望を抱えて膝から崩れ落ちた。

 それは他の町民たちも同様で、あからさまな動揺が群体に広がっていく。


 だがそんな彼らは、かやの外。

 青年と子ども、二人の目は傷を見せるように振り返ったミアに集中する。


「ゴメンね。私、怪物だったみたい」


 そう告げたミアの傷口からは、血の一滴もこぼれていなかった。


 あるのは柔肌から覗く黒いひび割れ。

 後ろで失意に暮れる町民たちと同じ、赤い光が走る煤の黒。

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― 新着の感想 ―
えっ、ちょっと待って…… と、ここまでの話を読みながら何度も言いかけましたが、この話では本当に、ちょっと待ってってなっています。
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