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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
56/76

56.intermedio - light and shade(9)

 怪人の姿が町に溶ける夜が明け、迎えた朝は太陽が手で顔を隠していた。

 沈んだ顔を見られたくないのか、それともこぼれそうな涙を受け止めているのか。


 どちらにも思える空模様が窓に映るも、家の中は蒸気の明かりが代わりを果たす。


 雨を予感させる頭痛がヴィクトリアを悩ませる。

 そんな憂鬱(ゆううつ)な朝でも、彼女は毅然(きぜん)とした態度でテーブルに座っていた。


「常軌を逸した怪人。それならと思っていたのだけれど、ここまでなのは想定外ね」

「俺もだ。何でもできる奴と勝手に思ってたが、こんな欠点があるとはな」


 同席するのは、同じく晴れない表情を浮かべたクリスティー。

 二人が席に着いたテーブルには数十枚の紙が舞っていて、彼らが一枚ずつ手に取るたび、視線や口元はひずんでいく。


 朝食を摂り終えた二人が行っているのは、夜間に怪人が集めた情報の精査。

 文字と絵図で書かれた彼の見てきたものだが、ここで予想だにしない問題が浮かび上がっていた。


「字が下手、もう記号じゃないこれ。絵もまだ喋れない子どもが描いたのと同じ程度ですし、色の選び方も癖があり過ぎて、何が何やら」

「別の国の言語も混ざってそうだな。絵なのか文字なのか。第一、見たもの片っ端から書いてるだろ。これ、絶対そこらでうろついてた猫だって」

「もはや芸術的ね、画伯とでも呼ぼうかしら」


 文字と図の間に立つ未熟な筆跡。

 よれた線が結ばれてできた絵は、ところどころしか特徴を捉えておらず、未知の物体が多数。

 その上、見たものを書いていったせいか、アイザックの捜索には不必要なものが、全体の八割を占めている。


「彼は体だけで、中身は思った以上に幼いのかしら」

「単に下手なだけだろ。俺だって、ここまでじゃねえけど字は下手だぞ」

「頭にガラスの作り方しかなさそうですからね。やっぱり、アンナちゃんに通訳して貰った方が正確かしら」

「中身色んなもん詰まってんなら、お前が読み取れよ。……ってか、そのアンナは今日も寝起きわりぃのか」

「いえ、目は開けてましたよ。それにほら、ちょうど来たところみたいです」


 情報というには、あまりにも不要なものが多い怪人の書き置き。

 人にものを伝える難しさを痛感しながら、ヴィクトリアとクリスティーは解読に苦戦していく。


 怪人から一番正確な話を聞けるのは、アンナを通しての質疑応答。

 それならば、二人を集めた方が有意義だと判断したクリスティーは、黒い少女に意識を向けていく。


 放っておくと、昼近くまで寝ているアンナの話題を上げ始めると、タイミングを見計らったかのように噂の少女が姿を現した。


「ん? アンナ、どうした」

「探し物ですか?」


 いつもなら朝はぼんやりとしている。

 そんなアンナだったが、今日に限っては活発に家の中を動き回り、家具の隙間という隙間を覗いていた。


 何かを探しているのは分かる。

 しかし彼女が探すほどの物はヘブンスコール宅にはなく、どんな物を探しているのか、二人には想像もつかなかった。


「怪人がいない」

「いつもの事だろ。ってか、いてもそんな狭いとこじゃねえだろ」

「そうですよ、アンナちゃん。あの人、朝はいつもいないじゃない」

「そうじゃなくて。近くにいる感じもしない」


 屋内の隅々まで見て回るアンナに、二人は疑問を浮かべていく。

 だが、少女の意図するところが読めたのか、クリスティーは焦りの色が見える彼女の背中に問いかける。


「まさか呼んでも来ないのか」

「うん」

「……書き置きだけして、どこかへ行った? クリスティー、心当たりは」

「ねえよ。今日の分見たって、今までのと大差ねえぞ」


 感覚的な話だが、怪人が近場にいない。

 そう訴えるアンナに対して、ヴィクトリアとクリスティーは、顔を合わせては傾くのみ。


 怪人の動向につながる糸口はなく、どれだけ想像を重ねても、それらしい理由は見つからない。

 いつも通りと流しそうな事態だが、アンナの様子のおかしさに、二人は異変と認めていく。


「まさか殿下を見つけたとか」

「だったら言いに来るだろ。いや待てよ。また、やらかした貴族がいたとかじゃねえだろうな」


 アンナの落ち着きのなさが、ヴィクトリアとクリスティーにも伝わり、彼らは期待と不安に染まっていた。


 行方不明となっているアイザックを見つけ、接触を図ろうとしているのか。

 それともヘブンスコール家が請け負った仕事を、また無断で破棄するような輩がいたのか。


 いなくなる理由としてはどちらも納得がいき、だからこそ血流だけが早くなる感覚を彼らは覚える。

 怪人の行き先はどこか。それを話し合おうとした矢先に、大きな音を連れて玄関の扉が叩かれた。


「──おお、朝からなんだ。そんな騒がんでも今開ける。まったく、仕事なら会社を通してくれ。自宅に来られても困るんだよ」


 叩かれ続ける玄関に引き寄せられたのは、一人リビングルームでくつろいでいたヴァレンタイン。

 迷惑千万だとばかりに険しい目つきになった彼は、今にも破られそうな勢いで音を鳴らす扉を、ため息とともに開錠した。


 途端に開かれる扉。

 その勢いに負けて後ずさるヴァレンタインは、失礼な客と思っていた相手を見ると、覚えのない空気感に眉をひそめる。


 玄関の前に立っていたのは、特徴の薄い男性二人。

 しかし格好は、どこにでもいる小市民染みているも、立ち姿はどこか鋭利さを感じさせる。


「な、なんだお前ら。客じゃねえのか」


 ヴァレンタインの声にいちべつはするも、二人の男性の視線は家の中。

 無言のまま見回す彼らは、奥から現れた三人の気配に注視していく。


「親父、どうした」

「荒っぽい方なら貴方の出番ですね、クリスティー」

「二人いる」


 ヴァレンタインの邪魔とならないよう、家の奥から顔をのぞかせるアンナとヴィクトリア、クリスティー。

 彼ら三人を目にした男性たちの内、ここで一人がようやく口を動かした。


 とても低い、警告の音色を乗せて。


「アンナ、それとヒース家のご令嬢だな」

「お前、どうしてあの子たちのことを──」

「大人しくしろ、ガラス屋の店主殿。そうすれば丁寧に質問してやる」


 二人の少女を見るなり、名前と素性を口にした男性を、ヴァレンタインは問い詰めようと手を伸ばした。

 だが、水へ飛びこんだように違和感なく腕を取られた中年は、瞬く間に足を払われ、床に組み伏せられてしまう。


 背中側から押さえつける拘束は固く、ヴァレンタインに許されたのは顔の動きのみ。

 それを見て頷いたもう一人は、迷うことなく家の中へ足を踏みいれた。


 進む先は当然、アンナとヴィクトリア。

 止まる気配すらない男性の背中を越して、ヴァレンタインは三人に向けて叫んでいく。


「何やってんだ三人とも! 嬢ちゃんたちを狙う奴なんざ、片手もいねえだろ」


 地位ある男爵の娘はともかく、完全に素性を伏せたアンナを知っている。

 それが意味するのは、先日のパーティーを知っている者か、その関係者。


 その中でも少女たちを捜しているとなると、彼らの背後に見える影は何色だろうか。

 少なくとも優しさを感じなかったヴィクトリアとクリスティーは、ヴァレンタインの言葉に弾かれ、一斉に駆けだした。


「とにかく逃げるぞ」

「ちょっと、アンナちゃんを抱えるのならもっと丁寧に」

「んなこと言ってる場合か」


 クリスティーは、男性が迫ってくるのをジッと見ていたアンナを片腕で拾い上げ、狭い屋内を巧みに抜けていく。

 それを追うヴィクトリアも、負けず劣らずの速度を出し、あっという間に裏手の非常口から姿を消していく。


 ゆっくりと近づいていた男性が呆然としていると、ヴァレンタインを拘束しているもう一人が、睨みを利かせて指示を飛ばす。


「おい、呆けるな。表で待機させてた奴らと合流して、三人を追いこめ。うまく誘導すれば、来ていただくより楽になる」

「あっ、ああ、悪い。あんな綺麗に逃げると思ってなかったんだ。すぐ向かう」


 声をかけられてようやく我に返った男性は、指示通り駆け足で外へ戻っていく。

 残った一人目とヴァレンタインだが、彼らの間に張り詰めた糸だけがつながっていた。


「さて、ミスター。優雅ではないが話をしようじゃないか」


 いくらもがいても拘束は緩まず、視線で敵意を送っても怯まず。

 ヴァレンタインの行動は、全て手の内だとばかりに見下ろす男性は、真意を隠した嘘くさい笑みを浮かべるのだった。

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