54.intermedio - light and shade(7)
秋の涼やかな風を連れて、玄関から姿を現したのは、焦げ茶色の荒れた髪を持つ中年男性。
スーツを着てるものの、ネクタイは大げさに緩められ、足取りには確かな重みがあった。
まさに仕事帰りといった様子の中年だったが、家に入るなり飛びこんできた光景に、握っていた鞄を床へ落とす。
「なんだ、これはどういうことだ。……クリス、おいクリス! いるんだろう、これはなんだ!」
落ちた鞄は意識から外れ、混乱とともに中年が叫ぶのはクリスティーの愛称。
急ぎ足でまず向かうのは工房で、次に階段から二階に声をかけ、そしてまた一階を回っていく。
そうしてダイニングルームへたどり着いた彼は、口を開いたまま声の出し方も忘れてしまう。
「げっ、親父。いや、これはっつうか。こいつらはだな」
「あら、貴方のお父様ですか。初めまして、私はヴィクトリア。不本意ながら、この家に泊まらせていただいております」
「ん? クリスティーの父親?」
慌てて言い訳を考えている息子と、その隣で丁寧なお辞儀をする華麗な少女に、一人あやとりで遊んでいる中性的な子ども。
そして協力することで、見た目は汚いながらもあやとりの橋を作ることに成功した怪人。
本来であれば息子だけがいるはずの空間に、見慣れない人物たちが多くそろっている。
そんな光景をゆっくりと首を動かし、一人一人を瞳で捉えた男性は、最後に怪人をジッと見つめた後に深いため息をついた。
「お前が連れて来たんだな」
クリスティーの父親と怪人の視線が交わる。
怪人に目となる部分はないが、薄暗い怪訝な色と思いの見えない無色が紐づき、無言の肯定が塊となって落ちていく。
そして再び二人の少女を捉えた父親は、唐辛子をまぶした苦虫をかみ潰したような表情になった。
「クリス、こっちに来い。話がある」
ようやく現状を咀嚼した父親だったが、飲みこめてはいないのか、喉になにかを詰まらせたような低い声でクリスティーを呼んでいく。
そんな脅しめいた男性の声に、アンナは一瞬肩を跳ね上げて身を縮こませるも、怪人以外は目にも入れない。
親の指示に従えばどうなるのか。
想像がついているクリスティーは、視線を泳がせて迷ってしまう。
しかし言い逃れができないと悟り、うなだれながら父親の背中についていった。
「行っちゃった」
「結局、昼食は私が用意するのね。まったく、仕方ない。貴方、どうせいるのなら手伝いなさい」
「じゃあわたしも──」
「アンナちゃん、貴女はいいの。そこで座ってなさい」
ヘブンスコール親子は家の奥へ。
食事当番だったクリスティーがいなくなってしまったため、ヴィクトリアは少しだけ口元を尖らせるが、不満は声だけで体はすんなりと交代を受けいれていた。
早く終わらせるために怪人には声をかけるも、立ち上がろうとしたアンナには、笑顔をもって足に鎖をつけていく。
えっ、という小さな言葉がこぼれたのを聞いたのか、キッチンへ足を向きかけた怪人は、身をひねってアンナへ手を伸ばす。
ポンと怪人の大きな手が黒い少女の頭に力なく置かれ、そのまま二度三度撫でた後は、何の感情も示さずに足はヴィクトリアの方へ。
怪人の取った行動の意味とは?
それを捉えるのに時間をかけるアンナは、人形のように固まってしまう。
「もしかして小さい子どもだと思われてる?」
「もしかしても何も、今の貴女はそうとしか言えないわよ。わざわざアイザック王子が近くに置いていた理由、今更だけれど分かった気がするわ」
体を動かすことは不得意で、人と関わるのも積極的ではない。
性格は大人しいと言えば聞こえはいいが、何をするにしても受け身な態度なので、一人だけでは歩いているイメージすら湧かない。
見た目は誰もが認めるほど美しく、しかし内は深夜のように音のない暗闇。
人間の要素をつぎはぎにした精巧な人形。
それがヴィクトリアの中でのアンナの印象であり、自我の薄い子どもと言ってもいい。
「一人にしてはいけない。だからずっとあの子の近くにいるんでしょう、怪人さん」
この一週間、怪人がアンナに付きっ切りだったのは、それが理由だろう。
真意は分からずとも黒い少女に思うところがあり、動くきっかけを与え続けてきた。
「まるで手を引っ張っているみたいね」
ふさぎこんでいる子どもを、こっちにおいでよと誘っているのか。
派手な身なりから道化師を思わせる怪人に、ヴィクトリアは口元をかすかにほころばせる。
笑わせようとしているのか、どこかへ連れて行きたいのか。
アンナにだけは別の意図を見せる怪人は、言葉を並べるヴィクトリアに、笑う仮面を見せるだけ。
「なら私も、どこかへ連れて行こうとしているのかしら」
「違うみたいだけど」
「そこで頷かないでくださる? じゃあ貴方、どういった理由で私をここに連れて来たのよ!」
ヴィクトリアへの関心は薄い。
そう示すかのような態度に、灰の少女は疑いの目を向けるも、怪人は肩をすくめて誤魔化していく。
契約を破った者がいれば、その人物の大切なものを奪い去る。
それは生き物としての性質であり、損得や感情から来るものではない。
頭では理屈を描けるも、裏の意図があるのではと心の色を塗っていたヴィクトリアは、頬を赤く染めていく。
「もう本当に、二人ともよく分からない人たちね」
目を引く外見、けれども中身は霧のように不確か。
この二つに限ればアンナと怪人はよく似ていて、ヴィクトリアの心にすら複雑な色が溶かされたもやがかかってしまう。
そんな心の内を表情にすら描いていく少女に、アンナと怪人はそろって首を傾げるのだった。




