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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第二幕 無音を奏でる笛と鐘
50/75

50.intermedio - light and shade(3)

 着替えのために用意された部屋は、とても殺風景だった。


 寝て起きる。

 それだけのためと語る室内は、ベッドとクローゼット以外には小さなテーブルと椅子しかなく。

 窓を隠すカーテンの他に、ベッドに並べられたいくつかの衣装たちしか、人の色が感じられない。


「この裁縫道具、クリスティーのお母様の物かしら。女性の物も多少ありますし、あの怪人が持ってきたのね。それでも男性のばかりですから、どうにかしないと」


 クリスティーをはじめとした、明らかに男性が多い家族と分かる服装の品々。


 肉体労働を加味し、地味だが丈夫で動きやすい。

 母親が使っていたであろう古着も、近い環境にいるせいか、飾りを薄くする代わりに着やすさが重視されていた。


 今、自分たちが来ているドレスとは真逆の質素さ。

 しかし、それを前にしたヴィクトリアは、迷い少なく手を動かしていく。


「アンナちゃんはどうしますか? 裁縫の心得はありますので、似合うよう手直しはできますが」

「別に。前に来てたやつと似てるから、これでいい」

「前にって、あの王子のお眼鏡にかなう以前のことですか。……想像つきませんね」


 限られた素材の中で、どれだけ自分を飾れる衣装を組み立てられるか。

 そんな悩みを抱えるヴィクトリアの脇で、アンナが手に取ったのは、なんの変哲もない無地のトップスと長ズボン。

 彼らと代えられる黒のカクテルドレスだったが、脱ぎ捨てるところからアンナの扱いはあんまりだった。


 遠目でも分かる一級品だが、アンナにかかれば市販のものと大差ない。

 それを見てヴィクトリアは眉をひそめかけるも、黒い少女のこれまでの機微から、呆れる思いに蓋がされる。


 アンナは貴族でも、富裕層の出でもない。

 それどころか中流家庭にも思えず、日々を生きるのが精いっぱいな下流でも足りない。


 ──孤児、ストリートチルドレン。

 表す言葉は多くあるが、端的にいえば、こうして生きていることが奇跡の社会の末端。


 価値を学ぶ機会すらなかったと考えてしまうと、自然とヴィクトリアの口は閉ざされてしまう。


「貴女がそれで良いのでしたら構いませんが。どう見ても丈は合っていませんので、こちらへ。整えます」

「切ればよくない?」

「それも手ですが、ちゃんとしたやり方があるんです」


 アンナが選んだ衣服はクリスティーの物らしく、大きく差がある背丈の影響か、トップスだけでもワンピースに近くなっていた。

 それでは格好がつかないと告げるヴィクトリアは、自分で着る衣服の組み合わせを考えつつも、裁縫道具へ手を伸ばす。


「それで。ちゃんといらっしゃいますよね、クリスティー」

「いろっつったの、お前だろうが。……下手な探り合いは無しだ。どっちから話す」

「探れるほど太っているとは思えませんが。ここは貴方からが筋でしょう。犯罪を後回しにする気はありません。それとも大した理由がおありで?」

「一々腹立つ言い方すんな、お前。別に俺からでもいいが、あくまでこいつの行動を、俺なりに考えたってことは忘れんなよ」


 ベッドへ腰かけ、アンナの衣装の丈を調整していくヴィクトリアは、そのまま部屋の外にいるクリスティーと声を交わしていく。


 目的はこれまでにあった筋道のすり合わせ。


「まずこいつの正体は俺も知らねえ。そこは気にしても仕方ねえから、なんでお前らが(さら)われたのかってところからだな」

「気になったからとか」

「犬猫拾う話じゃねえ。簡単に言うとだな、俺たち家族との約束を破った奴から、高値のもん持ってくんだよ、こいつ」


 クリスティーの言葉に、時が止まったのはヴィクトリアだけ。

 針を持った手も、回していた口も、彼が並べていく音で静まり返る。


 それを知ってか知らずか、クリスティーは調べを奏で続けていく。


「お前たちも工房見ただろう。俺と親父はガラス職人でさ。普段は市販品で生計立ててんだが、たまに金持ちの依頼もあるんだよ。高い金出すから、無茶ぶりに応えろってやつ」

「私の父……男爵も貴方のところで、何か依頼をしたのですね」

「ああ。デカい事業成功したから、教会に寄付したいっつってな。古い教会のステンドグラスを新しくしたいって。そんときは、こんな貴族もいるんだなって感心したよ」

「父は敬虔な方ですから。ですが、その話の流れからすると、その依頼を破棄したと言うのですか」


 かろうじてヴィクトリアの手にした針は進んでいくも、こめられた色は揺らぐ赤。

 対して紡がれるクリスティーの言葉は、馬鹿にするかのような冷めた青で塗られていた。


「こいつがお前たちを(さら)ってきたからな。具体的などうこうはまだ分かんねえが、結果としてそうなる。依頼を他に回したか、金を別に使ったか」

「……侮辱(ぶじょく)に対する罰は後ほどにします。続きがあるのなら、どうぞ」

「怖えよ。まあ、お前たちがここに来た一連の流れはそんな感じだ。ただ、お前たちが連れて来られたってのが最悪だ」

「前にも言ってたね、それ」

「ああ。いつもの金やら宝石なら、孤児院とかに寄付するってのに。ったく、こいつが普段通りだとしたら、ヴィクトリア。お前本当、男爵から愛されてるよ」


 何を言っているの?

 そう聞き返そうとするも、クリスティーによって並べられた駒が、少女の脳内で一つの盤面を作っていた。


 昨夜のパーティー会場でも噂になっていた、魔笛(まてき)の怪人。

 内容はヴィクトリアもある程度は把握しており、耳にしたときは、彼女は疑いの眼差しを向けていた。


 いわく、悪行をなした貴族から宝石金貨を奪い、貧しい人たちへ分け与える現代の義賊。

 この噂から想像できるのは、怪人はなにを狙っているのかだ。


「──こいつは俺たちとの約束を破った奴から、そいつの一番大切なものを持ってくる」


 大金に目がくらんだ者からは金銀財宝を、人を愛している者からはその愛する者を。


 約束を違えるならば、それらを失う覚悟をもって行え。

 暗にそう告げているかのような怪人の行動に、ヴィクトリアは言葉どころか心すら動かすことができなかった。


 ここにいることこそ愛娘である証明。

 それは嬉しくもあり、同時になぜ依頼を破棄することになったのか、疑問ばかりが彼女を埋めていく。


「なら、わたしは?」

「お前は本当に分かんねえ。国の王子からの依頼なんて受けたことねえからな。あー、近くにいたからとか」


 考えるほどに口数が減るヴィクトリアは、手だけが時間を進めていき、話している間にもアンナの衣装を整え終えていた。

 体格に合わせられた服を、実際に動いて確認していくアンナだが、彼女もクリスティーの話に疑問をぶつけていく。


 悪行に対する罰を。

 これが適用されるのはヒース家だけのはずが、今ここにはアンナもいる。


 確かに連れらされる現場には居合わせたが、これまでの法則からは外れた行動。

 クリスティーですら首をひねる事態に、とうの本人である怪人は無言を貫いたまま。


「俺とこいつの話は、これで終わりだ。次は……ヴィクトリア、お前が話せ。さっきのやつ、後回しにするもんじゃねえだろ」

「そう、ね。私がここにいる理由にも繋がるかもしれないし」


 自分の衣装選びは程々に。

 嫌な考えが頭に巡り続けるヴィクトリアは、一度深呼吸をしてから、路地裏で聞いた話を口にしていく。


「これはあくまで小耳に挟んだだけだかが、本当かは分からないわよ。アンナちゃん、それだけは覚えておいて」

「……うん。分かった」

「アイザック王子が暗殺されかけた。未遂で、本人と関係者は行方が分からないそうよ」

「関係者はわたしと、あと車の運転手に付き添いのブリジットかな」


 同行者の詳細は分からず、おそらくはアンナの言うとおり。

 そう踏まえたヴィクトリアは、そうねと頷き返す。


 クリスティーは聞くことに専念しているのか、壁越しからの声は一つもなかった。


「犯人はランスト。私の従兄らしいのだけれど、正直信じられないわ」

「レイラを振った人?」

「王女呼び捨てかよ。ってか、そこだけ聞くと王女に不満があるから、意趣返しで弟狙ったみたいだな」

「そんな器の小さい人じゃないわ。後で自然と膝を折るまでビンタしてあげるから、貴方は黙っていなさい」

「怖すぎんだろ。どんだけ殴る気だ、暴力女」


 跪け。

 淡々と告げられた少女の言葉に、クリスティーは抗議の声を上げるも、続くと予想していた彼女の言葉は途絶えてしまう。


「どうした」

「これだけよ、私が聞いたのは」

「はあ?」

「これだけなの。でも、仕方ないでしょう。これ以上聞くのが怖かったし、何より深く聞いては駄目な気がしたの」


 自分にとって身近な存在が、国を揺るがす流血沙汰を起こした。

 それは想像を超える未知の怖さがあり、浮かび上がる数多の可能性は、自身の落命にすら達してしまう。


 本来であれば信じるに値しない、馬鹿々々しい噂話。

 けれども、人知を超えた怪人を目にしてしまった以上、少女の中にあった境界線は壊れていた。


「そこにいる怪人も、アンナちゃんが起こした黒い霧も。全部本当なら、王子暗殺だってありえるでしょう」


 一番ありえないものが傍にいる。

 それがアイザック暗殺未遂を真実に近づけている気がして、荒ぶる心を落ち着ける算段がつかない。


 既に衣装合わせをする手は止まり、ヴィクトリアは未だにドレス姿のまま。

 言葉を形にすればするほど、思いに波が生まれる彼女は、次第に険しい目つきで口を固く結んでしまう。


「……あっ、そうだ。忘れてた」


 ヴィクトリアから伝わる重さは、クリスティーの口にすら乗っかり。

 壁を挟み黙りこんでしまった二人を置いて、アンナは何かを思いだした。


「クリスティー」

「うわっ! 急に開けんな。なんだ、もういいのか」

「ヴィクトリアはダメ。あと、電話ある?」


 もう一人の少女が着替え終えていないのを気にせず、アンナは仕切りとなっていた扉をそっと開けていく。

 前触れなく起きたために動揺を隠せないクリスティーだったが、黒い少女はそれすらも流して、自分が思いだしたことを進めていった。


「何かあったら、この番号にかけろって言われてるの」

「家への電話か。……拉致されたとか言わなきゃ、使っていいぞ」


 クリスティーはその場に残り、電話の場所へは怪人が案内を。

 そうして希望した物を前にしたアンナだったが、受話器に手を伸ばそうとして、苦戦を強いられた。


 家の住人が背丈の高い者が多いのか、アンナでは背伸びをしてようやくの位置に電話があり、機械を操作しようとするたびに、小さな体はふらふらと揺れていく。

 それを見かねたのか、怪人は静かに少女を抱き上げた。


「ん、ありがと」


 奇抜な見た目が突然迫っても、アンナの心に揺らぎはない。

 変わらぬ調子で電話を操作し、教えられていた番号を入力して、少女は受話器を耳に当てる。


 きっと執事のフィリップが電話に出るだろう。

 そう考えていたアンナだったが、数秒のコール音の後に待っていたのは、人の声ではなく途絶の機械音だった。


「切れちゃった」


 いったい教えられた番号は何だったんだろう。

 首を傾げるアンナに合わせ、抱えている怪人もまた、笑った仮面のまま顔を横に傾けていた。

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― 新着の感想 ―
ヴィクトリアとクリスティーの会話の感じがなんか好きです。 新しく出てきた二人もとても良いキャラですね。 ヴィクトリア嬢可愛い。
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