50.intermedio - light and shade(3)
着替えのために用意された部屋は、とても殺風景だった。
寝て起きる。
それだけのためと語る室内は、ベッドとクローゼット以外には小さなテーブルと椅子しかなく。
窓を隠すカーテンの他に、ベッドに並べられたいくつかの衣装たちしか、人の色が感じられない。
「この裁縫道具、クリスティーのお母様の物かしら。女性の物も多少ありますし、あの怪人が持ってきたのね。それでも男性のばかりですから、どうにかしないと」
クリスティーをはじめとした、明らかに男性が多い家族と分かる服装の品々。
肉体労働を加味し、地味だが丈夫で動きやすい。
母親が使っていたであろう古着も、近い環境にいるせいか、飾りを薄くする代わりに着やすさが重視されていた。
今、自分たちが来ているドレスとは真逆の質素さ。
しかし、それを前にしたヴィクトリアは、迷い少なく手を動かしていく。
「アンナちゃんはどうしますか? 裁縫の心得はありますので、似合うよう手直しはできますが」
「別に。前に来てたやつと似てるから、これでいい」
「前にって、あの王子のお眼鏡にかなう以前のことですか。……想像つきませんね」
限られた素材の中で、どれだけ自分を飾れる衣装を組み立てられるか。
そんな悩みを抱えるヴィクトリアの脇で、アンナが手に取ったのは、なんの変哲もない無地のトップスと長ズボン。
彼らと代えられる黒のカクテルドレスだったが、脱ぎ捨てるところからアンナの扱いはあんまりだった。
遠目でも分かる一級品だが、アンナにかかれば市販のものと大差ない。
それを見てヴィクトリアは眉をひそめかけるも、黒い少女のこれまでの機微から、呆れる思いに蓋がされる。
アンナは貴族でも、富裕層の出でもない。
それどころか中流家庭にも思えず、日々を生きるのが精いっぱいな下流でも足りない。
──孤児、ストリートチルドレン。
表す言葉は多くあるが、端的にいえば、こうして生きていることが奇跡の社会の末端。
価値を学ぶ機会すらなかったと考えてしまうと、自然とヴィクトリアの口は閉ざされてしまう。
「貴女がそれで良いのでしたら構いませんが。どう見ても丈は合っていませんので、こちらへ。整えます」
「切ればよくない?」
「それも手ですが、ちゃんとしたやり方があるんです」
アンナが選んだ衣服はクリスティーの物らしく、大きく差がある背丈の影響か、トップスだけでもワンピースに近くなっていた。
それでは格好がつかないと告げるヴィクトリアは、自分で着る衣服の組み合わせを考えつつも、裁縫道具へ手を伸ばす。
「それで。ちゃんといらっしゃいますよね、クリスティー」
「いろっつったの、お前だろうが。……下手な探り合いは無しだ。どっちから話す」
「探れるほど太っているとは思えませんが。ここは貴方からが筋でしょう。犯罪を後回しにする気はありません。それとも大した理由がおありで?」
「一々腹立つ言い方すんな、お前。別に俺からでもいいが、あくまでこいつの行動を、俺なりに考えたってことは忘れんなよ」
ベッドへ腰かけ、アンナの衣装の丈を調整していくヴィクトリアは、そのまま部屋の外にいるクリスティーと声を交わしていく。
目的はこれまでにあった筋道のすり合わせ。
「まずこいつの正体は俺も知らねえ。そこは気にしても仕方ねえから、なんでお前らが攫われたのかってところからだな」
「気になったからとか」
「犬猫拾う話じゃねえ。簡単に言うとだな、俺たち家族との約束を破った奴から、高値のもん持ってくんだよ、こいつ」
クリスティーの言葉に、時が止まったのはヴィクトリアだけ。
針を持った手も、回していた口も、彼が並べていく音で静まり返る。
それを知ってか知らずか、クリスティーは調べを奏で続けていく。
「お前たちも工房見ただろう。俺と親父はガラス職人でさ。普段は市販品で生計立ててんだが、たまに金持ちの依頼もあるんだよ。高い金出すから、無茶ぶりに応えろってやつ」
「私の父……男爵も貴方のところで、何か依頼をしたのですね」
「ああ。デカい事業成功したから、教会に寄付したいっつってな。古い教会のステンドグラスを新しくしたいって。そんときは、こんな貴族もいるんだなって感心したよ」
「父は敬虔な方ですから。ですが、その話の流れからすると、その依頼を破棄したと言うのですか」
かろうじてヴィクトリアの手にした針は進んでいくも、こめられた色は揺らぐ赤。
対して紡がれるクリスティーの言葉は、馬鹿にするかのような冷めた青で塗られていた。
「こいつがお前たちを攫ってきたからな。具体的などうこうはまだ分かんねえが、結果としてそうなる。依頼を他に回したか、金を別に使ったか」
「……侮辱に対する罰は後ほどにします。続きがあるのなら、どうぞ」
「怖えよ。まあ、お前たちがここに来た一連の流れはそんな感じだ。ただ、お前たちが連れて来られたってのが最悪だ」
「前にも言ってたね、それ」
「ああ。いつもの金やら宝石なら、孤児院とかに寄付するってのに。ったく、こいつが普段通りだとしたら、ヴィクトリア。お前本当、男爵から愛されてるよ」
何を言っているの?
そう聞き返そうとするも、クリスティーによって並べられた駒が、少女の脳内で一つの盤面を作っていた。
昨夜のパーティー会場でも噂になっていた、魔笛の怪人。
内容はヴィクトリアもある程度は把握しており、耳にしたときは、彼女は疑いの眼差しを向けていた。
いわく、悪行をなした貴族から宝石金貨を奪い、貧しい人たちへ分け与える現代の義賊。
この噂から想像できるのは、怪人はなにを狙っているのかだ。
「──こいつは俺たちとの約束を破った奴から、そいつの一番大切なものを持ってくる」
大金に目がくらんだ者からは金銀財宝を、人を愛している者からはその愛する者を。
約束を違えるならば、それらを失う覚悟をもって行え。
暗にそう告げているかのような怪人の行動に、ヴィクトリアは言葉どころか心すら動かすことができなかった。
ここにいることこそ愛娘である証明。
それは嬉しくもあり、同時になぜ依頼を破棄することになったのか、疑問ばかりが彼女を埋めていく。
「なら、わたしは?」
「お前は本当に分かんねえ。国の王子からの依頼なんて受けたことねえからな。あー、近くにいたからとか」
考えるほどに口数が減るヴィクトリアは、手だけが時間を進めていき、話している間にもアンナの衣装を整え終えていた。
体格に合わせられた服を、実際に動いて確認していくアンナだが、彼女もクリスティーの話に疑問をぶつけていく。
悪行に対する罰を。
これが適用されるのはヒース家だけのはずが、今ここにはアンナもいる。
確かに連れらされる現場には居合わせたが、これまでの法則からは外れた行動。
クリスティーですら首をひねる事態に、とうの本人である怪人は無言を貫いたまま。
「俺とこいつの話は、これで終わりだ。次は……ヴィクトリア、お前が話せ。さっきのやつ、後回しにするもんじゃねえだろ」
「そう、ね。私がここにいる理由にも繋がるかもしれないし」
自分の衣装選びは程々に。
嫌な考えが頭に巡り続けるヴィクトリアは、一度深呼吸をしてから、路地裏で聞いた話を口にしていく。
「これはあくまで小耳に挟んだだけだかが、本当かは分からないわよ。アンナちゃん、それだけは覚えておいて」
「……うん。分かった」
「アイザック王子が暗殺されかけた。未遂で、本人と関係者は行方が分からないそうよ」
「関係者はわたしと、あと車の運転手に付き添いのブリジットかな」
同行者の詳細は分からず、おそらくはアンナの言うとおり。
そう踏まえたヴィクトリアは、そうねと頷き返す。
クリスティーは聞くことに専念しているのか、壁越しからの声は一つもなかった。
「犯人はランスト。私の従兄らしいのだけれど、正直信じられないわ」
「レイラを振った人?」
「王女呼び捨てかよ。ってか、そこだけ聞くと王女に不満があるから、意趣返しで弟狙ったみたいだな」
「そんな器の小さい人じゃないわ。後で自然と膝を折るまでビンタしてあげるから、貴方は黙っていなさい」
「怖すぎんだろ。どんだけ殴る気だ、暴力女」
跪け。
淡々と告げられた少女の言葉に、クリスティーは抗議の声を上げるも、続くと予想していた彼女の言葉は途絶えてしまう。
「どうした」
「これだけよ、私が聞いたのは」
「はあ?」
「これだけなの。でも、仕方ないでしょう。これ以上聞くのが怖かったし、何より深く聞いては駄目な気がしたの」
自分にとって身近な存在が、国を揺るがす流血沙汰を起こした。
それは想像を超える未知の怖さがあり、浮かび上がる数多の可能性は、自身の落命にすら達してしまう。
本来であれば信じるに値しない、馬鹿々々しい噂話。
けれども、人知を超えた怪人を目にしてしまった以上、少女の中にあった境界線は壊れていた。
「そこにいる怪人も、アンナちゃんが起こした黒い霧も。全部本当なら、王子暗殺だってありえるでしょう」
一番ありえないものが傍にいる。
それがアイザック暗殺未遂を真実に近づけている気がして、荒ぶる心を落ち着ける算段がつかない。
既に衣装合わせをする手は止まり、ヴィクトリアは未だにドレス姿のまま。
言葉を形にすればするほど、思いに波が生まれる彼女は、次第に険しい目つきで口を固く結んでしまう。
「……あっ、そうだ。忘れてた」
ヴィクトリアから伝わる重さは、クリスティーの口にすら乗っかり。
壁を挟み黙りこんでしまった二人を置いて、アンナは何かを思いだした。
「クリスティー」
「うわっ! 急に開けんな。なんだ、もういいのか」
「ヴィクトリアはダメ。あと、電話ある?」
もう一人の少女が着替え終えていないのを気にせず、アンナは仕切りとなっていた扉をそっと開けていく。
前触れなく起きたために動揺を隠せないクリスティーだったが、黒い少女はそれすらも流して、自分が思いだしたことを進めていった。
「何かあったら、この番号にかけろって言われてるの」
「家への電話か。……拉致されたとか言わなきゃ、使っていいぞ」
クリスティーはその場に残り、電話の場所へは怪人が案内を。
そうして希望した物を前にしたアンナだったが、受話器に手を伸ばそうとして、苦戦を強いられた。
家の住人が背丈の高い者が多いのか、アンナでは背伸びをしてようやくの位置に電話があり、機械を操作しようとするたびに、小さな体はふらふらと揺れていく。
それを見かねたのか、怪人は静かに少女を抱き上げた。
「ん、ありがと」
奇抜な見た目が突然迫っても、アンナの心に揺らぎはない。
変わらぬ調子で電話を操作し、教えられていた番号を入力して、少女は受話器を耳に当てる。
きっと執事のフィリップが電話に出るだろう。
そう考えていたアンナだったが、数秒のコール音の後に待っていたのは、人の声ではなく途絶の機械音だった。
「切れちゃった」
いったい教えられた番号は何だったんだろう。
首を傾げるアンナに合わせ、抱えている怪人もまた、笑った仮面のまま顔を横に傾けていた。




