05.Soot covered(5)
茜色だった空はもう藍色に。
ミアが急ぎたどり着いた教会は、いつも以上の静けさがあった。
音もなく肌を撫でる風。鳥に虫と、夏場は活発な彼らの声はどこへやら。
少女の耳を打つのは自分の鼓動ばかりで、他は凪のように姿を消している。
忙しなく動いていたミアの足は、建物に近づくにつれて緩められ、目前に迫ったところでトンと扉に手が置かれた。
どれだけ気持ちが焦っていても、伏せられたままの視線が思い出されて、勢いのままに扉を押すことができない。
また拒絶されたら、私はどうなってしまうのだろう。
「それでも行かなきゃ」
呼吸が浅くなるほど不安が心を蝕んでいくミアは、それでも一歩、二歩と足に力を入れていく。
手を震わせながらも扉を開き、教会に心許ない光を差し込んでいくと、やはり中の空気もいつもと違う。
「ザックさんは……いない」
ひとまず父親たちの下を飛び出したきっかけをミアは探すも、教会内にザックの姿は見当たらない。
なら、何が違うのだろう。
その答えはゆっくりと開けられた扉の先に、まざまざと姿を見せていた。
「なんで来たの、ミア」
教会の奥、いつもの陰になる場所。
そこで膝を抱えているのは、今でも視線を落とし続けているあの子。
けれどもミアの目は、違いを一つ見つけてしまう。
夜空に似た綺麗な黒い髪。
手入れをしたらどんな美しさを持つのだろうと考えてしまう長髪が、昼間とは一変して魅力から異常になっていた。
それは火から取り出された木炭のように、ところどころ赤い光が差し込まれた影の髪。
その赤さは攻撃的で、触れたら怪我をすると直感するミアは、友だちの呟きに対してすぐさま反応ができなかった。
「時々、こうなる。人間とは思えないよね」
異変が起きている自分の髪に手櫛を乱雑に通し、淡々と前からそうだったと告げる友だちの目は、光をさえぎる曇り空。
そんな姿を見て我慢できる性分ではなく、ミアは動揺を首を振って払い除け、強く一歩を踏みしめた。
探していたザックのことは、もう頭にない。
教会の扉は開いたまま、様子のおかしい友だちに向かって、ミアは違うと思いを叫ぶ。
「そんなことない。それぐらい、全然おかしくない」
「おかしいよ。人の髪は、こうならない」
「それでも人間だよ」
「人じゃない。ミアの親だって言ってた」
ミアの否定、あの子の否定。
二種類の拒む言葉はぶつかり合って、譲ることなんてできなくて。
異常を直に目にしても止まらない少女は、ついに友だちの目前にまで迫った。
そこでようやく子どもは顔を上げて、ミアと対になる瞳を重ねる。
少女の青さだけが映る虚ろな目は、続く言葉よりも無機質に相手を捉えた。
「わたしは怪物だ、ミア」
「違う。──は、怪物なんかじゃない」
友だちを示す大切な名前は、ミアの口から放たれた、パチンと火花が爆ぜる音によって消えてしまう。
誰にも分からないし聞こえない、自分の名前。
昼間は平然としていた子どもだが、火花の音を耳にすると、掴み切れなかった表情の色が青みを増していく。
「ウソだ。寝なくても、何も食べなくても全然平気。なのに教会の外が怖くて、一歩も歩けなくて。それに、それに」
子どもは自分自身を怪物だと認めてしまった。
だからこそ内から溢れてくる、ミアに言えなかった疑惑の数々。
わたしは人間だ。ううん、ミアのようにまともじゃない。
それを繰り返してきて、でも言い出す事なんてできなくて。
何度も差し伸べられた手を、見ているだけしかなかった子どもは、最後に震えた声で一番奥底のものをこぼした。
「……何も覚えてない。名前も、みんなの声も。聞こえるのはミアだけ。ねえ、ミア。わたしたち、いつから一緒にいたの?」
「覚えてないって、約束もなの」
「覚えてないよ。全部、夢みたいに」
それこそ嘘だ。
なんて台詞はミアの中に浮かぶも、すぐに沈められてしまう。
いつから一緒にいたのか。
その答えがいくら頭を悩ませても出なくて、少女は言葉を詰まらせる。
無意識にミアが手を伸ばしても、友だちは震えるその手を一瞥すらしてくれない。
そんなことないと、さっきまでと同じ勢いで首を振ろうとしても、心がねじれて痛み出す。
あと一歩、踏み出せたはずの足の力は、ポキリと折れた音がした。
「ミア、答えてよ。わたしは人間? それとも──」
「カイブツ、ダ」
子どもの問いかけに、口を強く結んだミアではない誰かが答えた。
声が聞こえたのは、少女よりさらに後ろ。開かれたままの扉の向こう。
何かが教会内に放り込まれて、ドサリと音を立てて床に伏したのと同時に姿を現したのは、ミアの父親だった。
「……ザックさん?」
聞き慣れた声に反応したミアだったが、視線は声を上げた父親にではなく、床に倒れたものに吸い寄せられる。
くすんだようにも見える白髪に、夏場とは思えない長袖のコート姿。
それは探していた怪しい青年そのもので、だからこそ倒れている理由が少女には分からなかった。
なんで、どうして。
怪我をしたのか、ならザックに駆け寄って無事かどうかを確かめたい。
けれど今、友だちから離れると、二度と元には戻れない気がして心がざわつき。
呆然としていた自分の意識を貫いた父親の声は、頬の痛みを強く思い出させてくる。
「サア、ミア。コッチ……ヘ」
背筋に寒気を走らせる、嫌な感情がこもった父親の声。
それをおそるおそる追いかけて、視線をザックよりも上に向けると、まず見知った服装が目に映り。
全身が真っ黒くなった父親と町民たちが、教会の前に立ちふさがっていた。