04.Soot covered(4)
いつも教会でうずくまっているあの子とは、本当に友だちだと思っていた。
どうやって出会ったのかも思い出せないくらい、一緒にいることが当然。
どれだけ拒絶しても、居ることだけは許してくれる。
遠くても、いい距離感の関係。
それが自分とあの子との、友だちといえる繋がり。
そう言いきれるのに、ミアは今、これまでにない遠さを感じていた。
「なんで、違うって言ってくれなかったの」
夕暮れの下。一歩ずつ遠ざかっていく教会との距離は、それの置き換え。
涙は枯れ、手を握る力もなく、進む足は引きずっているに近い。
そんなミアは誰にぶつけるでもなく呟くと、地面に落ちた言葉は自身へ返ってくる。
本当に言いたかった相手は自分ではない。本当は背後の彼方にいるあの子へ、叫びたい。
けれども黙ったままの父親の後をついていくしかない少女は、足の重さにつられて浮かぼうとする心に錨をつけてしまう。
「どうして、私じゃダメなの」
頬の痛みが、あの子にされたものと錯覚する。
あの時に目を合わせてくれなかったのは、きっと本心なのだろう。
これまでも突き放したくて、無視をして、無理に付き合って。
本当はこの痛みを与えたいぐらいに、私から離れたかったんだ。
「私、そんなに悪い子なの?」
心に渦巻く嫌いな言葉と感情たち。
自分自身のなにもかもを否定された気分が全身に伝わり、ミアの足は今にも止まりそうだった。
進んだ先は、少女の友だちを快く思わない人たちの場所。
戻った先は、ミアが友だちだと思っていた誰かの場所。
そんな二択しかないのが辛くて、また泣きたくて。
もう何でもいいと立ち止まったとき、ポンと私の頭の上になにかが乗せられた。
「済まなかった。自分の娘を殴るなんて、教えを破ったとしてもするべきじゃなかった」
「……パパ」
「許してくれるとは思ってない。だが、分かって欲しい。それぐらい大切なことなんだ」
そのままミアの頭を優しく撫でる、大きな父親の手の平。
教会内での威圧的な態度はどこへやら。
見知った空気に戻った父親に、一度は顔を上げた少女だが、敵意の影がちらついて再び視線は落ちていく。
「今夜はお前の好きな、母さんのイチゴタルトがある。早く帰ろう。今日のあれこれは、また明日。ゆっくりと話し合おうか」
あの子の前で語った、大好きなイチゴたっぷりのタルト。
それを耳にしてもミアは素直に頷けず、声すら発さずについていくだけの様子に、父親も困り果てて会話は途切れ途切れ。
そうして町の外れから戻ってきた二人の前に、数名の町民が現れた。
彼らはランタンを持っている人を筆頭に、農具やら工具、鉄パイプを持っていて。
ミアの父親を目にすると、こちらも困った様子で話しかけてきた。
「おお、ダブフライの旦那。嬢ちゃんも一緒か。なあ、今日の昼ごろ町に来た兄ちゃん、ザックって奴を見なかったか」
「……ザックさん?」
きっと他のことなら、全てを聞き流していただろう。
しかし興味の的であったザックの名前が上がると、ミアの耳は彼らの一点に集中した。
「宿でくつろいでたらしいんだが、どこにも見当たんなくてよ。皆で探してんだ」
「怪物を探してんだとか狂ったこと言って、ちょっと目を離すと消えちまう」
「危ねぇ奴だよ。何しでかすか分かんねえから、警察を連れて来たのにこれだよ」
酔っている訳でもなく、素面で怪物探しをしている若い人。
しかも怪しげな雰囲気のある人物であれば、不安を晴らすために警察に相談をするのは自然だ。
なにをやっているのだろう、ザックさんは。
そんなことを思いつつも、ミアが引っかかるのはその怪物。
もしかするとザックが探しているのは、教会にいるあの子なのか。
見つけたとして、あの青年は何をしようというのか。
それまでの失意を押し流す憶測の渦は、不本意にもミアの脱力を解消していく。
「行かなきゃ」
あの子は私の友だちで、怪物なんかじゃない。
パパは分からず屋だ。私の言うことなんてきっと信じない。
もう、あの子を否定なんてされたくない。
「ちょっ、ミアちゃん」
「私、教会に戻るから。あの子は怪物じゃないって、証明するから!」
それまで鉛のような重さをしていた足は、未だに名残りはあっても、ザックと初めて出会ったときに近い軽さを取り戻していた。
きびすを返し、逆風となるあの子への不安感を押し退けて、ミアはまたあの教会を目指していく。
教会に置いてきてしまったあの子は、怪物じゃない。
そう証明するための当ては、怪物を探しているというザックさんだ。
彼が違うと首を横に振ってくれれば、パパを説得するための材料になる。
そしてうまくいけば、あの子自身にだって──
「苦労しますな、旦那」
「時折思うよ、もう少しお淑やかになって欲しいって」
わずかな希望を胸に抱いて駆けるミアの背中を、父親たちはため息をつきながら見送っていた。
向ける視線は呆れの一色。
説得の機会すらないのかと諦めている瞳が物語るのは、教会にいるものが怪物だということだけ。
ミアがどれだけ違うといっても、彼らは変わらない。
「──それで。例の男はいったいどこへ」
「さあ? 昼間にぁ、怪物の居場所も聞かれましたね」
「何でまあ、いるとしたらあそこしかないでしょう」
町民たちの視線が一点に集まる。
その先にあるのは、ミアが走っていった更に向こう。
沈む夕焼けに照らされた、町はずれの教会。
「はあ……。またしてもあの噂か。あんなものを信じるだなんて、馬鹿な奴もいたものだ」
向ける意識とは別に父親が思うのは、大切な娘に手を上げてしまった事への後悔。
そんな後ろめたさがってか、彼はすぐさまミアの背中を追いかけることができなかった。
だから意識の切り替えとして、青年ザックが町に来た理由を思案する。
例の青年が町へ来たのは、きっとある噂によるものだろう。
それが本当ならば呆れるしかないと首を鳴らす父親は、その噂とやらを嘲笑混じりに口にした。
「怪物を見つけた者に名誉と財貨を。それを我が国の王子が仰られていただなんて、眉唾物だ」
怪物は確かに存在する。
彼らにとっては教会にいるアレがそうなのだから、否定はしない。
しかし、疑わしくも田舎町にまで伝わる風の噂。
もしかすると真実の部分が残っているかもしれない。そんな期待を寄せてしまうのは否定できないし、やましい憶測は噂の醍醐味だろう。
だからこそ父親が考えるのは、ザックというありふれた青年ではなく、そんな噂が立つような王子の人物像だ。
「アイザック殿下か。噂が本当なら、相当変わってる」
ミアの背中が見えなくなったのを見届けた町民たちの姿が、夕日が沈むにつれて黒ずんでいく。
行方をくらましたザックを探し、怪物の下へと向かった少女の心配をする彼らは、散り散りとなって自分たちの町へと溶け込んでいった。