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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
28/75

28.The Altruism Lord(5)

 絵画の人物とまったくの同一。

 そう認めるには、アンナとザックの目の前にいる男性は、異なる点があった。


 マント以外の衣服が現代の物で、それも市販で売られている物というのは、絵画にある(つつ)ましさから考えて納得はいく。

 髪型や肌のつや、まとう雰囲気(ふんいき)に変化があるのも、百年という時間が念頭にあれば(うな)ける。


 しかしもっとも目を引いて、かつ痛ましさを感じさせる違いが、彼の右目にあった。


 ──眼帯。

 左目だけを残して去ってしまったことを教える、黒の当て布。


 その一点だけが、彼と絵画の男性を別人と強く思わせる。


「リアム様。彼らですが……」

「俺の客人だろう? この記念館に足を運ぶほどだ。話の一つくらいはあるだろう」


 物の価値が分かるお客様。

 そう案内人が紹介しようとしたところで、ブロンズロック男爵はいくつもの段階を超えて、二人の客人の目的を言い当てる。


「特に彼は、今すぐにでもって感じだな」

「お見通しですか。考えていることが分かりにくいと、よく言われるんですけれどね」

「伊達に長くは生きていない。口や目以外にも、意思を語るものはいくらでもある」


 案内人がどう紹介しようとも、ブロンズロック男爵を讃えた記念館に自ら来た時点で、リアムと呼ばれる彼に関心があるのは否定できない。

 ただ単に、芸術品やら歴史ある物が好きな人物の可能性もあるが、リアムにとって最大の決定打は態度そのもの。


 混乱で呆然(ぼうぜん)とせず、逃避(とうひ)で去ろうともせず、他人の空似や出し物として認識もせず。

 驚き動揺(どうよう)はすれど、意識はリアムを本人として捉えている。


 それならば元より存在を知っていた、もしくは会う前提での訪問。

 この二択だと絞ったリアムは、自分の客人と認めたザックとアンナを手招きしていく。


「案内、ご苦労だった。後は俺が相手をするから、休むなり他の仕事をするなりしてくれ」

「とんでもありません、リアム様。これが私の仕事ですから。では、私はこれで失礼いたします」


 役目を終え、リアムに案内の旗を任せた男性は、静かに元の持ち場へ。

 進んで引き継いだ彼だが、こっちだと青年と少女を連れて向かうのは、記念館を出た先。


 玄関から庭へ出て、その隣。

 別館として建てられた小さな一階建ての家に、リアムは足を向けた。


「こっちだ。俺に用があるのなら、人はいない方が良いだろう?」


 外観は本館に寄せたデザインだが、新しさを感じさせる別館は、古くても築二十年以内。

 そんな場所へ誘う彼は、右手で玄関を開けながら笑って語っていく。


「元々は本館の方に住んでいたんだが、記念館の計画が上がった際に、当時の町長が気を利かせてくれてね。今はこっちで暮らしている」


 狭さはあるも、生活に必要なものはそろっているし、小部屋も数を確保されている。

 生きていくだけならば、これだけで充分。

 身をもってそう告げる内装は、一見すると質素という言葉をこれ以上なく表していた。


 しかし細部へ目を光らせたザックによって、それは否定される。


「中々、良い物が(そろ)っていますね。これもその町長の気遣(きづか)いですか?」

「何度も断ったんだが、無下にできずにコレさ。まあ、来客用とかとして、うまく使わせて貰っているよ」


 ザックが目をつけたのは、数々の調度品(ちょうどひん)たち。

 ひっそりとした別館の雰囲気(ふんいき)にまぎれて、安物ですよと主張する彼らだったが、意匠がシンプルなだけで、素材は一級品。

 その控え目な意匠ですら、限られた造形に力が入っている物ばかり。


 リアム自身とは真逆で内面が派手な別館は、バランスが取れているという意味では、似合いの住居だった。


「では知っていると思うが、リアム・クライングスワロウだ。気安くリアムでいい。ブロンズロックの男爵位もあるが、捨てたも同然だから気にするな」

「僕は……アイザック・マーティン・エリク・レイモンド。ザックで構わない」


 応接室と思しき部屋まで通し、着席の前に改まって名乗るリアムは、声の通りに重さのない態度で右手をザックに差しだした。

 それを受けた青年だが、わずかに言葉を選ぶ間があるも、いざ口にしたのは身分を証明する彼の本名。


 国中へ知れ渡っている王子の名であり、旅の間では隠す方が賢明の名前。

 しかし真正面からそれを告げられたリアムは、困ったとばかりの苦笑いで応えるのだった。


「まさか、かのレイラ王女の弟君(おとうとぎみ)の名前を出すとは。偽名だとしても、本気なら冗句(じょうく)が下手だな」

「それはお互い様でしょう。貴方が本当にその名の通りなら、百五十年は生きたお(じい)さんだ」

「若作りの老人がいれば、目の前に国の王子がいても可笑しくないって? ……良いだろう。よろしく、ザック」


 お互いの言葉が冗談めいているのだから、真偽のほどは今は横へ。

 そう同意がなされた証として、二人は握手を交わし合った。


 どちらも容姿だけで怪しさがあり、放つ言葉をふくめると、さらに純度が増していく。

 そんな彼らをおいて、調度品(ちょうどひん)を静かに見て回っていたアンナは、次第にその目をリアムに向けていった。


 少女の瞳に宿るのは、懐疑的(かいぎてき)な暗い色。

 ザックとは違って疑いを隠さない彼女に、リアムは余裕のある態度で接していく。


「何か嫌われることをしたかな、俺は」

「別に。あの絵の人とは思えないだけ。表情、全然違う」


 友だちのミアと同じ、複雑な色で描かれた微笑(びしょう)を浮かべる男性。

 彼と今アンナたちの前にいる男性が、同一とはどうしても彼女は思えなかった。


 年月の経過を差し引いても、拭いきれない違和感(いわかん)

 それを抱えたままのアンナは、頭を下げるだけで彼の手を取ることはなかった。


「アンナ。一応、ザックの妹だって」

「一応ね。いいさ、そういうことにしておこう」


 良好な空気は作るも、この場にいる誰もが全ての手札をさらさず。

 霧がかった室内で繰り広げられる探り合いは、目に見えた成果はもたらさない。


 曖昧(あいまい)だからこそ成り立っている、この状況。

 それでも歓迎はしているよと、二人に着席を進めながら、リアムは振る舞うお茶の準備を始めていく。


「……義手ですか」

「ん、これか。訳有りでね。不便だろうって、町の職人が用意してくれたんだ。古臭い錬金術よりも、よっぽど役立つ代物だよ」


 お湯を沸かし、その間にそろえるのは人数分のカップ。

 棚から茶箱を降ろし、ティーポットに入れる香り高い茶葉。

 鳴いたお湯をポットに注ぐと、紅茶の香りが部屋全体に広まっていく。


 これらを手際よくこなしていくリアムだが、ザックたちの目を奪ったのは、他でもなく彼の左腕。

 マントでうまく誤魔化(ごまか)してはいたが、両手を使う作業を行うと、その全貌が露になる。


 人間どころか生物ですらない、金属の三本指。

 腕も鋼鉄の棒となっていて、つなぐ関節はネジと歯車。


 蒸気技術の発達により誕生した義肢(ぎし)技術。

 その恩恵を預かるリアムは、自嘲めいたことを口にする。


「俺には金の錬成(れんせい)なんてできない。町民に与えていたのも、今では普遍(ふへん)となった、医療知識と薬のあれこればかりだ。相談事は今でも受けているが、言葉で救える人は限られている」


 錬金術師とは、科学者や医者の古い呼び名。

 そう語るリアムが並べていくのは、言葉にすれば簡単でも、どれも一朝一夕(いっちょういっせき)ではこなせないことばかり。


 民間療法の類であっても、効果を示せていた治療行為。

 薬の調合に関しても、毒をはじめとした危険物ばかりを作っていては、町民からの理解は得られない。


 今でも続けているという相談事もそうだ。

 話してよかった。そう思えた人が多いからこそ、記念館ができた。


「そんな、ただいるだけの老いぼれに何の用なのか、聞かせて貰おうか。わざわざ服屋の新郎に会ってまで、俺に話したい要件をね」


 町の中であれば隠し事は不可能。

 そんなふくみを加えるリアムだが、ザックは笑って返すだけ。


「午前中のことだというのに、よくご存じで」

「世間というのは、どこへ行こうと同じだ。噂好きの主婦を止めることはできない」

「だとすると、僕たちが町に着いた時点で知られていた。そういう訳ですか」

「目的までは知らないさ。ただ、風変わりな男女がいると噂でね」


 怪しい風体の青年と、同行するのは育ちの良さそうな少女の二人組。

 兄妹というていを押し通してはいたものの、風の噂にそんな力は通じない。


 口から口へ。妄想と歪曲を重ねていく話の伝達は、町の影で密かに暗い色へと変化する。

 それを一度に耳にできるリアムだが、噂の二人を前にした彼は、ただよう紅茶の香りと同様に、落ち着きだけを全身で描いていた。


「まあ、物騒な話ではないようだし、ゆっくりと聞こうか。お茶の一杯くらい、飲んでいく時間はあるだろう?」

「一杯どころか、夕食までご相伴(しょうばん)に預かるかもしれませんよ」

「ふっ……遠大な話だ。王子自ら出向く要件なら、それぐらいは当然か」


 アンナから見れば、手を取り合う素振りを見せながら、弾いて追いかけてを繰り返す迂遠(うえん)なやり取り。


 味方ではないが、敵でもない。

 白い霧をどの色で染めるか、それを決める相談だと理解するも、少女にしてみれば退屈なものだった。


 ザックの並んで席に座るアンナは、差しだされた紅茶の香りを楽しみながら、砂糖を落とすように言葉をこぼす。


「やっぱりあの人じゃない。きっとあの人なら──」


 ミアと同じように、笑いながらどうしたのと問いかけてくる。


 差し伸べた手は開いたまま。取れば握り返し、迷えば掴み。

 けっして、相手の悪意を勘定にはいれない。


 だから絵画の人と、目の前のリアムは別人だ。


 紅茶に砂糖とミルクをたっぷりと。

 そんな風に直感で駆ける光を強めるアンナは、今もなお回りくどいやり取りをしている男性二人に、白けた目を向けていく。


「ザックの馬鹿」


 二人だけで楽しんでいる。

 そう捉えたアンナは、甘くなった紅茶をすすると少しだけ笑みをこぼす。


 普段のザックは優しく甘いけれど、こういうときはキッパリとしたアイザックの方が好み。

 ミアはザックに惹かれていたけれど、わたしはアイザックの方が良いのかな。


 そんなことをアンナが心の中で思っていると、別館の玄関から荒れた息遣いが紛れこんできた。

 駆ける音はもつれそうな不安感があり、現に何度かはつまづきそうな悲鳴が混ざっている。


 さすがのザックとリアムも、腹を見せないやり取りを中断して、突然現れた慌ただしい声の注視した。


「おねがい、リアムさま! この子を……この子をなおしてっ!」


 アフタヌーンティーの時間に差しかかり、青を食べ始める空模様。

 そんな空の下を走り、リアムのところにまで上がりこんできたのは、中型犬を抱きしめた幼い少女だった。

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