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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
20/75

20.act-tune - The Queen's Homeland

 漁師が釣り竿を肩にかけて走るように、蒸気機関車は吹いた排煙を背に担いで駆けている。

 小麦畑が広がる農村から、人が満ちている都市部まで。

 線路さえあれば分け隔てなく仕事をこなす彼は、今日も石炭を頬張っていく。


 そんな活力の塊である車両の中、最も格式ある一等車にアンナは身を置いていた。


 ガラスで閉じた窓から見えるのは、流麗(りゅうれい)に描かれた様々な風景。

 それを飾りとする内装は、豪奢(ごうしゃ)なカフェテリアをそのまま移し替えたような、シックなデザイン。

 向かい合わせの椅子は落ち着き深い赤で彩られ、間に設置されたテーブルも、味わいを邪魔しない簡素な白。


 車両の揺れも乗客の声も、この空間を壊さないようにしているのか、控えられたものしか伝わらない。


「どれも美味しそう」


 まさに静謐(せいひつ)絢爛(けんらん)な一等車。

 しかし無彩色の少女は空間の色合いを気にもせず、口からささいな欲をこぼしていく。


 アンナが目にしているのは、テーブルに広げられたチラシの群れ。

 乱雑に幅を利かせる彼らには、王国内でも評判の料理店や菓子店のメニューが描かれていた。


 ローストビーフをはじめとして、ベイクドポテトに白身魚のパイ。

 果実のジャムを使ったパイは種類豊富で、店舗によって特色をみせるトライフルは、見比べるだけでも目を楽しませてくれる。

 中には紅茶の茶葉だけを語るチラシもあり、興味津々と目を輝かせるアンナは、ふと顔を上げて向かい側に座る人物へ声をかけた。


「どれからが良いかな? アイザック」


 視線の先にいるのは、目元を隠した作り笑いの上手い青年ではない。

 冷酷に思える赤い瞳をさらし、淡々とした無機物めいた表情で世界を捉える、褐色肌の青年。


 怪物アイザック。


 二重人格の内、もう一人のザックである彼とアンナが出会うのは、少女の元いた町が焼失して以来。

 半月もの間、姿を見ることすらなかった彼に、入れ替わったザックと同じ調子でアンナは接していく。


「好きにしろ。構う必要はない」

「わたしだけじゃ、選び方わかんない」


 あくまで同席しているだけ。そんな突き放した態度をとるアイザックに、アンナは怯まず近づいていく。


 テーブルに両手をつき、身を乗り出して。

 ひじ掛けに腕を置いて頬杖をつく彼と、目をそらされないように顔を突き合わせる。


 重なるのは、赤い宝玉の瞳と夜空めいた紫の瞳。

 お互いに譲ることなく、熱のこもらない両者の目は鏡写し。


 それでも引かないアンナは、言葉で彼の手を取った。


「アイザックは、わたしに何も教えてくれないの?」


 それはザックと交わした約束。

 アンナの知りたいこと、友だちのミアが知りたかったこと。

 できる限り教えると青年が告げたことは、入れ替わってしまえば無効となってしまうのか。


 そう問いかける少女に、アイザックは静かに目を閉じて応えていく。


「貴様の友人。あれは口の重しが軽いだろう。あの手の輩は好みの一つや二つ、自発的に告げるものだ」

「ミアの……じゃあイチゴのタルト。どれくらい美味しいかな」

「食せば分かる」


 まずはミアが教えてくれた物から。

 そう言っていると解釈したアンナは、チラシの中からデザート類が描かれているものを中心に手元へ集めていく。


 落ち着いた絵の多い主食は遠く、派手に飾られたデザートは近くに。


 多色の紹介がされている菓子類は、主食と比べると色彩豊かだ。

 果実の色合いが激しく主張し、支えるのはささやかな生地と焼け具合の色調。


 明るくポップに、爽やかでクールに、優雅で上品に。

 お菓子の色相環となっているチラシを、表情には出ていないが嬉々として眺めていくアンナ。


 しかし気になる部分があったのか、ときおり上目遣いとなる彼女に、アイザックは冷たく言い放った。


「遠慮はいらん、何の用だ」

「アイザックって、昼でも会えるんだ」


 今度は視線が結ばれず、繋がるのは高低差のある音域だけ。

 そうして紡がれた少女の言葉は、青年の人格が切り替わるタイミングについて。


 初めて会ったのは、月も顔を出していたわずかな時間だけ。

 そして怪物という先入観から、二人の青年は夜の間だけ入れ替わっている。


 そう思っていたと告げるアンナだったが、アイザックが返したのは言われてみればの内容だった。


「時の経過で交代する。そんな好都合、私たちに有りはしない。貴様も身に起こることを自由にはできまい」

「……そうだね」


 不便極まりない。

 アイザックの含みをこめた言葉は、アンナに重くのしかかる。


 今この瞬間に、彼はザックと入れ替わるかもしれない。

 同じくアンナも、外出用に整えてもらった黒髪に、赤い光が走るかもしれない。


 何一つ思い通りになったことがない、怪物の力。

 それを改めて思い知ったアンナは、沈黙に促されて頷いていく。


「本当に不便だ」


 自分自身のことなのに、何一つとして理解もできなければ、自覚もできない。

 だからこそ青年たちの思惑に、少女は身を任せて乗りかかる。


 怪物なんてものに、好きでなりたかった訳ではないから。

 少しでも早く真っ当な人間になりたい、それがアンナの目指すところだった。


「アイザックはさ、どうして一人になりたいの?」

「個人として当然の時間を得る。それ以上の意図はない」

「やりたいこととかも?」


 怪物でなくなったらやりたいこと。

 漠然としているものの、その一端をアンナは叶えられていた。


 どこへ行くのか決めて、何を食べるのか言い合って。

 誰かと知らない場所へ旅立つ、そんな友だちの憧れた情景。


 相手はミアではないが、それを今実現しているからこそ、少女は気になってしまう。


 怪物アイザックは、人間になれたら何をしたいのか。

 制限のない時間を得て、その目で見たいものはいったい何なのか。


 知りたい。そう眼差しで語るアンナは、知らぬと澄ました顔をしたアイザックを見つめていく。


 目は合わず、彼の視線は流れ去る風景の方へ。

 どれだけ願っても避けられる少女の思いは、次の言葉でさらに両断されてしまう。


「貴様は話すに値しない。所詮、事が成されれば市井(しせい)に下る身だろう」


 怪物でなくなれば、アンナはただの一人の少女。

 そうなれば王侯貴族に易々と接触できる立場ではいられず、補助はあれど一国民として遠ざけられる。


 だから契約の成就より先のことを、少女の耳に入れるつもりはない。

 そうはね退けるアイザックに、アンナは少しだけ頬を膨らませ、不機嫌さを表に出していった。


 互いの距離はつかず離れず。

 そんな淡い関係性の少女と青年を乗せ、蒸気機関車は変わらぬレールを駆けていく。

 ひらけた農地から市街地に。そして薄っすらと白煙に包まれた、城下の町を目指して──

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読ませていただきました! 美しい言葉遣いと多彩な表現が楽しく、いろんな想像を掻き立てられて、楽しく読ませていただきました。霧の中を手探りで物語の糸を辿るような、そんな面白さがあって、謎解きのような、パ…
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