14.a happiness without a cat(5)
物言わぬ堅牢な扉。
その前で待機するのは二人の使用人。
一人は、少女を主人の部屋まで案内するように任されていた女性、カナルミア。
もう一人は厳かな雰囲気で主命を待つ、壮年の男性。
彼らはザックの姿を認めると、音もなく頭を傾け、主の歩みを妨げないように両端へ身を寄せた。
「待たせたね。ラルストン、カナルミア」
「とんでもございません、殿下。時間通りでございます」
「多少の遅れは織りこみ済みか。本当、僕のことをよく見ているよ、キミは」
「ご容赦を。それが私めの、務めでございますゆえ」
ザックに対して一歩引いた態度を見せる男性だが、彼らの会話に含まれる空気には、冷たさは感じられない。
明確な線引きと、それを維持する互いの距離感。
主と使用人という不変の関係性ながら、信頼という糸が二人を結んでいるからこその、堅苦しさでおおった軽口のたたき合い。
よく知った仲だからこその礼節を。
それを体現している彼らをよそに、カナルミアは残されたもう一人へ意識を向ける。
ラルストンと呼ばれた男性を見るや否や、気持ち程度にザックへ体を近づけ、彼の背に隠れてしまったアンナ。
彼女に話しかけるため、主の邪魔とならないようそっと後ろへ回ったカナルミアは、視線を合わせるべく腰をやや落とした。
「彼が怖いの? アンナ」
「何となく。考えてること、分かりにくいから」
「そうね。でもお酒が入ると面白いのよ、あの仏頂面」
「聞こえているぞ、ブリジット。酒席での醜態を笑える君ではないだろう」
「これは失言でした、ラルストン様。平時でも気軽に冗句を飛ばせる、素敵な殿方でしたね」
ザックのそばに控えているからこそ、減らず口がと目で告げるラルストンを相手に、部下であるはずの女性は涼しい顔をしている。
主従であっても、使用人同士だとしても。
明確な上下関係が存在する職において、礼を失した下の振る舞いは、往々にして厳しく咎められる所業だ。
そう認識していたアンナだったが、その冷酷さは彼ら三人の間には曖昧な色となって見えていた。
友人とはまた違う、少女が知らない名前の関係性。
興味が引かれる間柄だが、アンナはまだ、青年の背中越しにでしか見ていられなかった。
「そうだ、アンナ。僕から彼らを紹介させてくれ。……とは言っても、この一週間で嫌というほど会っているだろうけれどね」
そんな少女の気配を感じたのか、後ろを振り向いて、ザックはそっとアンナの背中を押す。
前に出されたアンナは、借りてきた猫のように身を縮こまらせるが、何も怖くないさと笑いながら、青年は話を続けた。
「彼女はブリジット・カナルミア。キミの世話係を任せていたけれど、その様子なら問題はなかったみたいだね」
「ザックより、いい人」
「あら。これは素直に喜んでよろしいのでしょうか、殿下」
「言われても困る。屋敷に着くまでの道中、不満が多かったのなら謝るよ」
ザックの紹介に合わせてお辞儀をするカナルミアに、アンナは顔色一つ変えずに印象を告げた。
少女の思いに、言葉はまっすぐ受け取ることを避ける素振りがあるも、表情はそんなこともなく。
どうしましょうと、面白がるように比較対象へ目を向ける女性に対して、ザックは得意の作り笑いを歪ませていた。
アンナを連れて、焼失した町からこの屋敷へ。
従者の駆る蒸気自動車を利用した旅路は、青年の思い返す限りだと褒められたものではない。
なにせ同性だと思いこんでいた時であり、粗雑な扱いもあったと彼は後悔を見せる。
しかし、とうの本人であるアンナは、青年の言葉に小さな頷きのみで応えていた。
「そして彼がフィリップ・ラルストンだ。この屋敷の執事だから、困ったら彼に何でも聞くといい」
「改めてお見知り置きを、アンナ嬢」
世話を任されていたカナルミアには、明るい対応をしていたアンナだったが、執事のラルストンにはその真逆。
苦手意識を隠さず、是非の色しか示さない少女に、分からなくはないとザックは内心で頷いていた。
光の当たり方によって青を覗かせる黒髪と、私欲を消したインディゴの瞳。
服装はしわ一つ許さず、極度の繊細さをさらす風体は、威圧に磨きをかけている。
主人への不敬は、わずかであれど罪は罪。
相手のなすこと全てを数えてそうな彼の立ち姿は、怪しさを内包するザックとは違う意味で、誰もが身構えるだろう。
「話は変わりますが、殿下。ご指示通り、この書庫の鍵は用意いたしました。しかし、よろしいのですか?」
「物は試しさ。もしもの時は頼むよ、ラルストン」
仰せの通りに。
そう言いながら懐から一本の鍵をラルストンは取り出すと、彼は握るべき相手の前に立った。
何のひねりもない、真鍮の鍵。
それを差し出されたのはザックではなく、大人しくしていたアンナだった。
「殿下のご命令です。こちらをお使いください」
「ただの鍵。どういうこと、ザック」
鍵を手に取りやすいよう、少女の前でラルストンは膝をつく。
鍵を使って扉を開けろ。彼の言葉をそのまま受け取るのなら、それ以外の解釈はなく。
含みのある言い回しになる要素がないと、青年の顔をアンナは見上げる。
「鍵も扉も造りは普通さ。問題は別にあってね」
アンナの疑問に答えていくザックだったが、やはり口の滑りは悪い。
もったいぶっているのか、それとも少女には言い出しづらい内容なのか。
使用人たちも後は自分がと引き継ぐことはせず、判断は主人に任せている。
数拍置いて青年から告げられたのは、突拍子もないことだった。
「開かないのさ。その鍵を使っても、そこの扉はピクリともね。それどころか過去何人も、無理に扉を開けようとして怪我を負っている」
怪我の程度は、小さな切り傷から病院で静養を求められるまで。
そう付け加えるザックの言葉が信じられず、カナルミアに目だけで真偽のほどを確認するアンナだったが、神妙な頷きはことの正確さを裏付ける。
開かずの扉。触れた者に訪れるのは傷害の災い。
そんな出鱈目に思える話は、本来であれば笑い話で酒の肴だろう。
「無理にとは言わないよ。キミに怪我をされるのは、僕も望むところじゃない」
「いいよ。開けるだけでしょ」
負傷者が出ている、なんて話は心配から来る警告だ。
主人と使用人は、三者三様で少女が鍵を取らないことを願っていた。
だというのに、大した迷いもなく鍵を手にしたアンナは、扉へ向かう足も淡々と。
不安すら見せず鍵を鍵穴へ差し込んでいく少女に、我慢できず声をかけたのはカナルミアだった。
「アンナ。もしおかしいなと思ったら、すぐに離れて」
「平気だよ。それに手伝うって、ザックと約束したから」
カナルミアの心配は、少女に微塵も伝わらない。
それどころか、先ほどザックと交わした約束を果たそうと、アンナは先を見たまま。
そんな様子を見守る二人の男性は、ひっそりと会話を繋いでいく。
「アンナ嬢は、もう一人の殿下に似ていますね」
「そうかな。彼があんなに分かりやすいとは、僕は思わないけれど」
「人には理解し難い現象に対する姿勢がです、殿下」
「なるほどね」
自分自身が同じ存在だから、無暗におかしいと拒絶しない。
理解できずとも真正面から受け入れる姿勢は、彼らも同様か。
ラルストンの言にそう納得したザックは、恐れの色がない少女の背中に、言いようのない遠さを感じていく。
「開けるよ」
回された鍵はすんなりと動き、扉は無事に解錠された。
続いて両手で開扉しようとしたところで、ふいに少女は視線を下げる。
そこには誰もいないし、何もいないただの床。
だというのに後ろの三人にではなく、足元の虚空へ言葉を打ちこんだアンナは、か細い腕に力をこめた。




