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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
14/75

14.a happiness without a cat(5)

 物言わぬ堅牢(けんろう)な扉。

 その前で待機するのは二人の使用人。


 一人は、少女を主人の部屋まで案内するように任されていた女性、カナルミア。

 もう一人は厳かな雰囲気で主命を待つ、壮年(そうねん)の男性。


 彼らはザックの姿を認めると、音もなく頭を傾け、主の歩みを妨げないように両端へ身を寄せた。


「待たせたね。ラルストン、カナルミア」

「とんでもございません、殿下。時間通りでございます」

「多少の遅れは織りこみ済みか。本当、僕のことをよく見ているよ、キミは」

「ご容赦を。それが私めの、務めでございますゆえ」


 ザックに対して一歩引いた態度を見せる男性だが、彼らの会話に含まれる空気には、冷たさは感じられない。


 明確な線引きと、それを維持する互いの距離感。

 主と使用人という不変の関係性ながら、信頼という糸が二人を結んでいるからこその、堅苦しさでおおった軽口のたたき合い。


 よく知った仲だからこその礼節を。

 それを体現している彼らをよそに、カナルミアは残されたもう一人へ意識を向ける。


 ラルストンと呼ばれた男性を見るや否や、気持ち程度にザックへ体を近づけ、彼の背に隠れてしまったアンナ。

 彼女に話しかけるため、主の邪魔とならないようそっと後ろへ回ったカナルミアは、視線を合わせるべく腰をやや落とした。


「彼が怖いの? アンナ」

「何となく。考えてること、分かりにくいから」

「そうね。でもお酒が入ると面白いのよ、あの仏頂面」

「聞こえているぞ、ブリジット。酒席(しゅせき)での醜態(しゅうたい)を笑える君ではないだろう」

「これは失言でした、ラルストン様。平時でも気軽に冗句(じょうく)を飛ばせる、素敵な殿方(とのがた)でしたね」


 ザックのそばに控えているからこそ、減らず口がと目で告げるラルストンを相手に、部下であるはずの女性は涼しい顔をしている。


 主従であっても、使用人同士だとしても。

 明確な上下関係が存在する職において、礼を失した下の振る舞いは、往々にして厳しく(とが)められる所業だ。


 そう認識していたアンナだったが、その冷酷さは彼ら三人の間には曖昧な色となって見えていた。


 友人とはまた違う、少女が知らない名前の関係性。

 興味が引かれる間柄だが、アンナはまだ、青年の背中越しにでしか見ていられなかった。


「そうだ、アンナ。僕から彼らを紹介させてくれ。……とは言っても、この一週間で嫌というほど会っているだろうけれどね」


 そんな少女の気配を感じたのか、後ろを振り向いて、ザックはそっとアンナの背中を押す。

 前に出されたアンナは、借りてきた猫のように身を縮こまらせるが、何も怖くないさと笑いながら、青年は話を続けた。


「彼女はブリジット・カナルミア。キミの世話係を任せていたけれど、その様子なら問題はなかったみたいだね」

「ザックより、いい人」

「あら。これは素直に喜んでよろしいのでしょうか、殿下」

「言われても困る。屋敷に着くまでの道中、不満が多かったのなら謝るよ」


 ザックの紹介に合わせてお辞儀をするカナルミアに、アンナは顔色一つ変えずに印象を告げた。

 少女の思いに、言葉はまっすぐ受け取ることを避ける素振りがあるも、表情はそんなこともなく。


 どうしましょうと、面白がるように比較対象へ目を向ける女性に対して、ザックは得意の作り笑いを歪ませていた。


 アンナを連れて、焼失した町からこの屋敷へ。

 従者の駆る蒸気自動車を利用した旅路は、青年の思い返す限りだと()められたものではない。


 なにせ同性だと思いこんでいた時であり、粗雑な扱いもあったと彼は後悔を見せる。

 しかし、とうの本人であるアンナは、青年の言葉に小さな頷きのみで応えていた。


「そして彼がフィリップ・ラルストンだ。この屋敷の執事だから、困ったら彼に何でも聞くといい」

「改めてお見知り置きを、アンナ嬢」


 世話を任されていたカナルミアには、明るい対応をしていたアンナだったが、執事のラルストンにはその真逆。

 苦手意識を隠さず、是非の色しか示さない少女に、分からなくはないとザックは内心で頷いていた。


 光の当たり方によって青を(のぞ)かせる黒髪と、私欲を消したインディゴの瞳。

 服装はしわ一つ許さず、極度の繊細(せんさい)さをさらす風体は、威圧に(みが)きをかけている。

 主人への不敬は、わずかであれど罪は罪。

 相手のなすこと全てを数えてそうな彼の立ち姿は、怪しさを内包するザックとは違う意味で、誰もが身構えるだろう。


「話は変わりますが、殿下。ご指示通り、この書庫の鍵は用意いたしました。しかし、よろしいのですか?」

「物は試しさ。もしもの時は頼むよ、ラルストン」


 仰せの通りに。

 そう言いながら懐から一本の鍵をラルストンは取り出すと、彼は握るべき相手の前に立った。


 何のひねりもない、真鍮(しんちゅう)の鍵。

 それを差し出されたのはザックではなく、大人しくしていたアンナだった。


「殿下のご命令です。こちらをお使いください」

「ただの鍵。どういうこと、ザック」


 鍵を手に取りやすいよう、少女の前でラルストンは膝をつく。


 鍵を使って扉を開けろ。彼の言葉をそのまま受け取るのなら、それ以外の解釈はなく。

 含みのある言い回しになる要素がないと、青年の顔をアンナは見上げる。


「鍵も扉も造りは普通さ。問題は別にあってね」


 アンナの疑問に答えていくザックだったが、やはり口の滑りは悪い。

 もったいぶっているのか、それとも少女には言い出しづらい内容なのか。

 使用人たちも後は自分がと引き継ぐことはせず、判断は主人に任せている。


 数拍置いて青年から告げられたのは、突拍子もないことだった。


「開かないのさ。その鍵を使っても、そこの扉はピクリともね。それどころか過去何人も、無理に扉を開けようとして怪我を負っている」


 怪我の程度は、小さな切り傷から病院で静養を求められるまで。

 そう付け加えるザックの言葉が信じられず、カナルミアに目だけで真偽のほどを確認するアンナだったが、神妙な頷きはことの正確さを裏付ける。


 開かずの扉。触れた者に訪れるのは傷害(しょうがい)の災い。

 そんな出鱈目(でたらめ)に思える話は、本来であれば笑い話で酒の(さかな)だろう。


「無理にとは言わないよ。キミに怪我をされるのは、僕も望むところじゃない」

「いいよ。開けるだけでしょ」


 負傷者が出ている、なんて話は心配から来る警告だ。

 主人と使用人は、三者三様で少女が鍵を取らないことを願っていた。


 だというのに、大した迷いもなく鍵を手にしたアンナは、扉へ向かう足も淡々と。

 不安すら見せず鍵を鍵穴へ差し込んでいく少女に、我慢できず声をかけたのはカナルミアだった。


「アンナ。もしおかしいなと思ったら、すぐに離れて」

「平気だよ。それに手伝うって、ザックと約束したから」


 カナルミアの心配は、少女に微塵も伝わらない。

 それどころか、先ほどザックと交わした約束を果たそうと、アンナは先を見たまま。


 そんな様子を見守る二人の男性は、ひっそりと会話を繋いでいく。


「アンナ嬢は、もう一人の殿下に似ていますね」

「そうかな。彼があんなに分かりやすいとは、僕は思わないけれど」

「人には理解し難い現象に対する姿勢がです、殿下」

「なるほどね」


 自分自身が同じ存在だから、無暗におかしいと拒絶しない。

 理解できずとも真正面から受け入れる姿勢は、彼らも同様か。


 ラルストンの言にそう納得したザックは、恐れの色がない少女の背中に、言いようのない遠さを感じていく。


「開けるよ」


 回された鍵はすんなりと動き、扉は無事に解錠された。

 続いて両手で開扉しようとしたところで、ふいに少女は視線を下げる。


 そこには誰もいないし、何もいないただの床。

 だというのに後ろの三人にではなく、足元の虚空へ言葉を打ちこんだアンナは、か細い腕に力をこめた。

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