12.a happiness without a cat(3)
ザックと話すために、彼の対面にあるソファへアンナは足を進める。
ちょこんと座り、青年と向き合う少女。
話を切り出すのはどちらか。
それは疑いようもなく、持ちかけたザックの方からだった。
「話といっても、いま聞きたいのは一つだけ。手間は取らせない」
「なら、部屋に来た時にでも良かったよね」
「寝るための言い訳さ。言っただろう? ろくに寝れていないって」
仕事一辺倒になるほど真面目じゃない。
部下の目をかいくぐって怠けるような人間だと、ザックは苦笑しながら告白する。
そのために利用したことを青年が謝罪するも、とうの本人であるアンナの関心は薄かった。
「じゃあ、寝てていいよ。ザック」
「その言葉は嬉しいけど、はい分かりましたと素直に受け取れないな。それができるほど、僕は怠惰を愛せない」
「……そうすれば、また見れるのに」
「あとで好きなだけ──いや、話を戻そう。とにかく僕が聞きたいのは、キミの目的についてだ」
好きなだけと言いかけたとき、アンナの目にわずかばかりの光が灯る。
一瞬、期待で染まった瞳に捕まりかけた青年だが、平常を装い奥歯をかみ締めた。
うかつなことを口にして、目の前の少女に自分の目を観察され続ける。
そんな事態を避けたかったザックは、無理にでも話題を引き戻していく。
「まずは僕の方から話そうか。──キミはあの教会で見た、僕じゃない誰かを覚えているかい?」
「うん。アイザックだよね、あなたと同じ」
名前と外見。そのほとんどが同じ、もう一人の青年。
彼はあの後、どこへ行ったのか。
気になってはいたが言い出さなかったアンナに、隠すことはないとザックは自ら触れていく。
「そうだ。彼と僕はほぼ同一人物……二重人格といえば、通りはいいかな。二人の人間が、一つの体を使っていると思ってくれ」
「二重人格……」
「ようは彼と僕で、この体を交代で使ってるんだよ」
今は頼りないザックが目の前にいるが、時にはあの怪物そのものなアイザックへと姿が成り代わる。
言葉の上では理解できても、現実それが行われているとは到底信じられない。
あくまで瓜二つなだけで、ザックと彼は別人だ。
感覚として受け入れがたく、困ったように小首を傾げるアンナを見て、青年もまた口元の形を迷子にする。
「僕からは、それで理解してくれとしか言えないな。納得は無理さ。この屋敷にいる他の人ですら、そういうものだと受け入れただけの者もいる」
「ザックはアイザックで、アイザックはザック?」
「改めて言われると混乱するけれど、その通り。さっきのカナルミアなんかは、同姓同名の双子って認識をしていたよ。僕もあれは驚いた」
虹彩異色を隠し、ふとした拍子に消えてしまいそうな薄さをもつ青年ザック。
対して宝石のような赤い瞳をさらし、威圧で他人の膝を折る堂々とした振る舞いを見せていた、怪物アイザック。
どちらも、アイザック・マーティン・エリク・レイモンド。
だというのに同一とは手放しでは言い切れず、霧で影しか見えない人物へ、名前を聞いているような状態だ。
「ふざけているように聞こえるかもしれないが、事実だけしか並べていないよ。こう説明するしかない、というのはキミにもあるだろう」
「……うん」
ザックと同じ、他人に納得してもらえる理屈を用意できない体質。
それはアンナの心の奥深くにまで根付いているものであり、一週間経った今でも、青年のようなそれらしい言葉を少女はまだ持ち合わせていない。
現在は落ち着いているが、赤く発光する髪が例として分かりやすい。
いの一番に姿を変えた町民と、異変を自覚していなかったミア。
彼らの異常と似た髪を持つ少女は、他にも人間離れしていた部分がある。
食事と睡眠が不要。ミアと過ごした時間以外は記憶が定かではないし、教会の外への恐怖心は狂気に属するものだった。
今もまだ、それが続いているのか?
そんな問いに、アンナは自信をもって答えられない。
だからこそ、こう言う他ないと示すザックに共感を見せ、少女は小さく肯定した。
「ここで彼も言ったことだけれど、僕たちはキミみたいな子と知り合いたかった。この前も言ったね。──仲間が欲しかったって」
「こうやって似た悩みを話せるから?」
「そこは色々と事情がね。けれど僕と彼に限ってしまえば、キミも大いに興味のある事柄なはずだ」
少女も興味を惹くもの。
そうやって楽しそうに大きく出たザックに、置いていかれているような寂しさをアンナは見せる。
青年の話は少し遠回りだ。
なんて気が削がれていく少女だったが、続けられた言葉は聞き逃せないものだった。
「僕と彼はね、二人に別れたいんだ。キミに当てはめると、人間とは違うところを無くしたいかな」
二十四時間を分け合う、二人で一人。
ではなくて、完全に独立した個人同士になりたい。
そう豪語するザックに対して、アンナは言葉を失う。
一つの体しかないものを、どうやって二つに増やす?
増やしたところで、二つの意識をどうやって分離する?
その目的が、どうしてわたしの異常を消すことにつながる?
言いたいことは多々あるが、目的の根底にあるものはザックのいう通り、少女も同意できる事柄だった。
「僕も彼も、お互いを消したい訳じゃない。なら二人に別れることが理想であり、それを成すにはまた、人には説明のつかない奇跡みたいな力がいる。そう考えたから、僕たちと同じ怪物を探していたんだ」
「それでわたしの所に来たんだ」
「そう。教会に怪物が住んでいる町があるって、噂を耳にしてね。安心して。何もキミに、そうして欲しいとは思っていない」
「言われても無理」
分かってる。
そう穏やかな声で告げるザックに、焦りの色はない。
人を二つに分ける力をもった怪物。
そんな都合の良すぎる存在なんて、それこそ奇跡が起きなければ見つからないと。
ザックの見せる余裕はそういった諦めか、それとも希望の一端を既に握っているのか。
不明な心境で飾られた彼の表情を、アンナは眺めることしかできなかった。
「そこでだ。キミには僕たちの手伝いをしてもらいたい。それについての是非と、キミ自身からの要望。このどちらかを聞きたいんだ」
「それ、二つだよね」
「片方だけ選んでも良いということさ。仮にキミが僕たちに協力をしなくとも、しばらくの間は衣食住を保障するし、要望を蹴るなんてこともしない」
あくまでも、頭を下げる立場にザックはいる。
焼失した町から身柄を保護した事実をもって、見返りなんて要求しない。
アンナは丁重に扱うべき客人だから、意思を尊重するべく強い言い方も避けた。
その上で自分の背中を追ってくれるか。
沈黙で少女の答えを待つザックだったが、肝心の彼女はなにを思ったのか席から立ちあがる。
アンナが逡巡したのは、ごくわずか。
そのまま迷いなく青年の前まで歩き、そして握るのをためらってしまう細い手を、彼の目の前に差し出した。
「いいよ」
「……えっと。何が、かな」
「ザックのやりたいこと、手伝う。わたしにできることがあるかは、知らないけど」
ザックが裏に様々なことを抱えているのと同じく、アンナにだって思惑はある。
ここ以外のどこにも行く当てがないのはもちろん。
今後も人としての生活を支えてくれるというのなら、恩の一つくらいは返したいとアンナは考えた。
他にも少女の背を押す動機なら、いくつか並べられる。
「それに外に出るって、ミアと約束したから。──だからわたしからもお願い、ザック」
手を差し伸べたのは、大切な友だちの真似。
うまく笑えないし、怪物アイザックみたいに無感情で冷たい手かもしれない。
けれども、こうすることが大切だって実感しているから。
ただ向き合って話すのではなく、手を取り合ってから物事を始めたい。
「わたしの知りたいこと、教えるって。約束して」
「勿論。キミの友だちが求めたもの全て、僕ができる限り教えるさ」
いつかの昔。きっと笑いながら、ミアは見知らぬ少女にこうしたのだろう。
約束だよって、暖かい手を相手の目の前まで。
そんな想像をしながら手の平を見せるアンナに、ザックは少しばかり開かれた自身の口に気がつかなかった。
少女のやわい手の平から、視線を上げて顔へ。
アンナの表情につられて頬を緩めたザックは、恐縮そうに彼女の手を取るのだった。




