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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第一幕 無明の星
11/74

11.a happiness without a cat(2)

 従者が退室し、アンナと二人きりとなったザックは、自身の椅子にはなく客人用のソファへと向かう。

 首元のネクタイを少し緩め、座ると同時に漏れるのは疲れをふくんだため息。


 気が抜けた。

 そう捉えていい様子を見せる青年は、不思議そうな顔をして執務机の上を眺めている少女をよそに、ソファの背もたれに深く身を預ける。


「そんなに珍しいかい」

「ミアの話にはなかったから」

「そうか。なら、しばらくは見学でもしていてくれ」


 ザックの声が徐々に下へ。

 なぜかと気になったアンナが、辺りを見回すのを止めてザックを視界に収めると、予想だにしていない姿を青年が見せていた。


 アンナの扱いは、ここでは客人だ。

 だというのにソファに寝転がり、礼儀の一文字目すらおろそかにしているザックは、見るからにひと眠りする体勢。


 失礼だという考えは少女にはない。

 だが、見学をしていろと言われて素直に頷くほど、今の状態を疑問に思わないアンナではなかった。


「話、あるんじゃなかったの?」

「勿論、あるさ。けれどこの家にキミを連れて来てから、色々とあってね。ろくに寝れていないんだ」


 焼失した町で怪物と呼ばれていた少女は身分不明で、匿う他はない。

 しかし、いつまでもそうしている訳にも行かないため、今後の身の振り方は早めに決めるべきだろう。


 大事件となってしまった、怪物探しに関してもそうだ。

 事の顛末(てんまつ)を世間へ公表はせずとも、ザックの行動を把握している者たちには、報告を入れなければいけない。

 だが青年の知る事実は、全て交渉のカード。話す相手によって使い分ける必要がある。


 これらをさばくことは容易でなく、一週間の日数があっても未だ終わる見通しは立たない。

 それだけの仕事を抱えている今のザックは、声に説得力を乗せていた。


 寝転がってすぐに眠気が回り始めているのだろう。

 言葉の紡ぎ方はゆっくりで、芯の通った喋りはもうしていない。


「三十分経ったら起こしてくれ」

「それ、少しじゃない」


 カナルミアに告げた、少し話があるとは何だったのか。

 仮眠をとる気しかないザックは、力の抜けた手で飾られた古時計を指差して、少女にお願いをした。


 しかしアンナからすれば一方的であり、話を聞く心構えを作っていた彼女は、続けて文句の一つでも浴びせようとする。


「もう寝てる」


 空席の客人用ソファを素通りし、途端に静かとなったザックへ近づいた彼女だったが、湧いた小さないら立ちはその矛先を見失ってしまう。


 規則正しく行われる寝息。

 前髪で隠れている目は開けている気配がなく、ものの数秒で青年の意識が途切れたと分かる。


 寝てしまった人に文句を言っても仕方がない。

 そう諦めたアンナはジィっと青年の顔を見続けて、何かが気になったのか、そのまま屈みこんで視線を下げた。


「ミア、言ってたな。ザックの目が気になるって」


 他人を間近で見るのは、アンナからすれば友だちのミア以外では初めてのこと。

 せっかくだからと息を殺して観察をする少女は、もういない少女との比較をしていく。


 ミアは活発さを表す焼けた肌をしていたが、ザックはその逆。病気と心配されそうなほどに白さが目立ち、手には青い血管も見て取れた。

 体つきもイメージとして浮かぶ男性像からは遠く、柔い細い薄いなどの感想ばかりが思いつく。

 そうしていると上下する胸元が気になり、おそるおそるだがアンナは右手を伸ばしてそっと触れた。


 生きてる。

 空いた左手を自分の胸にあて、トクントクンと、ザックと自身の鼓動が同じ動きをしていることを感じたアンナは、無機質だった表情をやや崩した。


「きっと同じだったよね、ミア」


 人じゃなかったとしても鼓動は同じ。

 これを知っていれば、もっと早く彼女のことを友だちだって言い切れたのかな。


 そんな後悔は針で刺されたように痛くて。

 でもそれがミアとの繋がりだと受け入れるアンナは、最初の目的を果たすべく、次の行動へ移っていった。


 それは躊躇(ちゅうちょ)どころか遠慮もない、ザックの腹部への腰かけ。

 両足をそろえて座り、顔を見るために前のめりとなる体は、寝ている青年の顔の隣へ左手を置くことで支える。

 そのままゆっくりと。前髪を右手で上げるアンナだったが、ただそれだけなのに緊張が走ってしまう。


「どうしよう」


 気持ちは直接、手の震えに。

 ザックの目を見るだけ。だというのに動悸に乱れが生まれてしまったことに、アンナは動揺を隠せなかった。


 もう前髪は上げ終わり、さらされた素顔は見覚えがある。

 黒い怪物となった町民たちを蹴散らすもう一人の怪物、アイザックと名乗った彼に瓜二つ。

 いや、表情の作り方で印象が違うが、顔立ちだけなら同一だろう。


 後は隈のある、閉じられたまぶたを開くだけ。

 なのにそれだけができなくて、少女はまじまじと寝顔を見続けるだけに留まってしまう。


「……何してるんだい、アンナ」

「起きた、ちょうど良かった」

「えっ、本当になに。何でキミ、僕の上に乗ってるの」


 だが固まった時間は長く続かなかった。

 小柄で細身。ゆえに女性としても羽根のような軽さのアンナだが、腹部に乗れば呼吸の妨げとなるだけの重さはあり、意識を取り戻したザックと瞳が重なる。


 興味津々の深い紫の目には、ルビーの赤が。戸惑う赤い目には、アメジストの紫が。

 しかし青年の赤はアイザックのそれと似てはいるも、決定的に違う部分があった。


「目、右と左で違う。面白い」

「これは生まれつきだ。まさかそれを見たいがために、こんな事をしたのか」


 両目が階調(かいちょう)の真紅だったアイザックに対して、ザックの瞳は左右の色合いが違う虹彩異色。

 右が深く、左が淡く。赤の濃淡で分けられた双眸(そうぼう)は、非情に珍しいと言えるだろう。


「あのさ、アンナ。そんなに見られると気まずいんだが」


 初対面で興味を抱いていたミアは言わずもがな。

 まず見ることはない目の色に興味を持つのは、アンナといえど禁じ得ない。


 少しでも長く見ていたいと無言の圧をかける少女に、ザックは視線を迷わせるばかり。

 頬には気持ち赤みが差し、いくら鍛えが足りなくとも、簡単に少女を退けることのできるはずの青年の体は硬直したまま。


 訳も分からず年下の少女に、良いようにされている。

 そんな状況に陥ってしまったザックだが、最大の原因はアンナの表情だった。


「綺麗だね。ミアと一緒に見たかったな」


 僕の顔は観賞物か。

 そう言い返そうとするも、ザックは口を動かせなかった。


 ──絵画のように時を止めたい。

 評論家のような多弁で飾らず、率直な思いをザックに実らせたのは、自然と生み出された少女の微笑みだ。


 前だけは向いて、彩りは寂しさだけ。


 この子は、こんな風に笑えるんだな。

 この子は、こんな風にしか笑えないんだ。


 見て、見られて。二つの感情を抱いたザックは、見惚れてしまって。

 だからこそ、ふつと湧いた気持ちを握り、固めてできた言葉を彼は言い放つ。


「もう寝れそうにない。だから退いてくれ、アンナ」

「まだ時間ある。いいの?」

「構わないさ。のんびりと寝るのは後にするよ」


 晴れた笑顔を浮かべられない少女。

 そんなものを見て、のうのうと目を閉じていられるほど、図太い精神をザックは持ち合わせていなかった。


 左右で違う色の両目を観察したいのか、なかなか青年から降りないアンナだったが、起きると主張する彼にやんわりと断られ、仕方なく床に立つ。

 無事に降りてくれたことを認めたザックも、疲労による体の重さを感じさせる動きで、少女と向き合うように座り直す。


 青年の瞳はもう隠された。

 けれども不可視の細い糸一本。何かが繋がる感覚を覚えたアンナは、不思議と彼の作り笑いに気持ち程度の色を目にする。


「それじゃあ始めようか。キミと僕、二人だけの怪物の話を」


 アンナがいくども目にしてきた、優しさに染まった手の平。

 ザックの今の笑みはそれと近しいと思い、少女は頷きながら言葉とともに飲みこんだ。

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