10.a happiness without a cat
蝋で閉じられた手紙が一枚。
持ち主である青年はそれを机の上に放置し、気に留める様子もなく新聞を広げていた。
陽はまだ高く、照明なく文字が読める新聞に書かれているのは、先日起きた怪事件。
一夜で焼失した小さな田舎町。
古い工場を抱える所だったが、火災の報せもなく、原因も不明。
生存者も、もれなく不明。
仰々しく一面を飾るにはもってこいの話題だ。
書かれた文面から記者のすさまじい熱意が読み取れ、分析していると主張する専門家は、推測ばかりの言葉を広げている。
近隣住民から寄せられたコメントは、どれもあやふや。
その中で力説する人物のものは、滑稽な字面をつづっていた。
王国全土の不思議に惹かれる国民たち。
彼らの熱量を一字一句逃さず、時間をかけて読了した青年は、ふうと息を漏らして新聞を閉じた。
「秋に入ってから連日。マスメディアの仕事ぶりは見事なものだ」
手にしていた新聞は手紙のそばへ。
その後、腰かけている椅子に深く背中を預けるのは、怪事件の一端を知る青年。
アイザックこと、ザック。
彼は町が消失した際の当事者ではあるが、世間には沈黙を貫いたまま。
国民の動向を追いはするも、あえて触れることはしない。
「彼らの働きぶりに免じて、僕から一言。なんて許しはしないか」
ザックの知る一部始終を公表すれば、騒ぐ世間はさらなる混迷に陥る。
それは理解できても事実を知る彼からすれば、誰か一人にでもこの話をしてみたい。
そんな欲が生まれるのは、人の心理として当たり前。
だがその上で、理性をもって自分を律するザックは、次に手紙へと視線を移す。
「口止めなんてしなくとも平気なのに。心配性な姉さんだ」
手紙を封しているのは、薔薇と獅子が描かれた赤い蝋。
それはザックの姉──ひいては実家からの手紙である証であり、確認せずとも内容を察した彼は、手をつけるどころか現状を維持する。
実際の内容がどうであれ、数日以内には顔を見せる予定を組んでいたザックは、催促されなくとも行くよと心の中で返事をした。
「もっとも気にしているのは、この事ではなく、あの子だろうね」
実姉の気にするところ。その内実は焼失した町でもなければ、実弟の動向ではない。
ザックが消えた町に、何をしに行っていたのか。
それを把握している姉が求めるのは、成果の有無だろう。
であれば、今手元にある手紙への対応として、満点に近い回答は──
「失礼いたします、殿下。ご予定通り、お客人をお連れ致しました」
「ああ、もうそんな時間か。連れて来てくれてありがとう、カナルミア」
巡っていたザックの思考を遮断したのは、部屋の扉をノックした音。
どうぞと彼からの応答を待った後、静かに扉を開いて現れたのはローズタンドルの髪色をした女性。
背丈はザックに迫り、年齢も同年代だと分かる若さ。
暗色のロングワンピースにエプロンと、シンプルな着こなしの彼女は、笑みを作ったままのザックとは違って、淡々とした表情を作っていた。
それでもなお目元は気の強さを隠せず、人によっては攻撃的にも見えるだろう。
そんな彼女はザックからの許しを得たにも関わらず、入室してもすぐには扉を閉めなかった。
理由は背後にいる人影。
カナルミアと呼ばれた女性が連れてきた人物であり、ザックが招いた客人だ。
しかし何かに戸惑う相手を、二人は言葉で急かすことはしない。
アイコンタクト。そう呼べるほどではないが、仕草にもならない空気での指示により、カナルミアは客人の背中にそっと手を添えて後押しをした。
「一週間ぶりかな。調子はどう──」
ようやく入ってきた人物を見て、扉が閉じられるまでの少しばかりの時間、ザックは言葉を無くしてしまう。
彼が部屋へ招き入れたのは、焼失した町にいた怪物。
性別すら判別しにくい、貧困層の十代の子ども。そんな印象だった相手だったがゆえに、今の姿を見てザックが驚くのは無理もない。
招かれたザックの執務室に溶け込む黒のワンピースは、クラシカルかつ華やかなイメージが調和されている。
足にすら届いていた黒の長髪は整えられ、背中を覆う程度に。
感情の希薄さがにじんでいる深い紫の目は、しっかりと外界を捉えていた。
なによりザックをうろたえさせたのは、怪物がこれらを収めて花を咲かせるほど、端正な容姿をした少女だったからだ。
「どうかなさいましたか、殿下」
「いや……」
ザックの問いかけに反応もせず、シックにデザインされた執務室を見渡す少女。
入ってきた扉へ振り向き、そのまま足元をなぞって部屋のあちこちに視線を移すさまは、まるで何かを目で追っている猫のよう。
そんな彼女をたしなめることなく、そのまま二人は会話を続けていく。
カナルミアが気になったのは、少女を目の当たりにした際のザックの反応。
まるで隠し事があると自白するように言葉を途切れさせる彼に、仕えている身でありながら追及を始めた。
「この少女の身なりに何か不備がございましたら、私どもの不徳の致すところ。お目汚しなさる前に、今は一度控えさせていただきます」
「そうじゃないんだ、カナルミア。何といえばいいか。……そうだな。その子が女の子だとは思わなかった、かな」
カナルミアを初めとして、ザックに仕える者たちには不手際はない。
むしろ自分に都合の悪いことがあると、口ごもりながらも彼は真意を話す。
それは焼失した町で会った時から、ここに至るまでの間の勘違い。
外見からの印象で大雑把に男性だと思いこんでいたザックは、少年だという前提でこれまでを過ごしてきた。
怪物の少年。彼と改めて話すときには、どういう態度が望ましいか。
どこから語り、何をもって接すれば親交を深められるか。
そんな想像を胸に執務室で仕事をしていた彼だが、抱いた想定はガレキとなってしまった。
「……ハァ。他人を覚えることが、殿下は不得手だと存じています。ですが、性別を見分けることすら難しいとは、記憶しておりませんでした」
「済まない。ようやく同類と会えたことが嬉しくてね。同性だと思いこんでしまった」
しかしカナルミアからすれば、目が節穴だったと主が自ら宣言したことに他ならない。
確かに中性的な印象もある少女だが、身だしなみを整える前でも、男女のどちらであるかは判別がついた。
本来ならば不躾であり、懲罰の対象ですらあるカナルミアの態度だが、ため息をつく彼女にザックは気を落としながら謝罪する。
「はい。いいえ、殿下。非礼を詫びるのであれば、この子にです」
「そうだな。重ねて済まない。キミが少女だとは思わなかったことを、謝らせてくれ。──アンナ」
これまでは椅子に座ったままだったが、それでは謝意を感じさせないだろうと、ザックは立ち上がった。
夏が過ぎてまだ間もない。
露出の少ない薄着姿をさらす彼は、未だに部屋を観察している少女の前で膝をつく。
心よりの謝罪を。そう頭を下げたザックに対して、そこでようやくアンナは彼に目を向けた。
「ん……何のこと、ザック」
「僕がキミのことを、少年だと勘違いしていたことだ。その様子だと、気にもしていなかったようだね」
「わたしが女だと不味かった?」
「いや、驚かされただけだよ。性別も、そしてその容姿もね。綺麗だと僕は思うよ」
ザックの言葉に嘘はない。
拾った煤まみれの石を洗い、丁寧に磨いたら実は宝石だった。
そんな気分を味わっている彼は、アンナにだからこそ素直な文句を並べていく。
しかし受け取る側の少女はキョトンとしており、言葉は分かってもそれ以上の興味を持たず、ただ聞いているのみ。
「……では、私はここで失礼させていただきます、殿下」
「待ってくれ、カナルミア。何か勘違いをしていないか? 女性の扱いを間違えたらキミに睨まれ、正直に感想を述べたら誤解されて。いったいどうすれば良いんだ」
「わざとらしい振る舞いを止されることが一番かと」
見るからに感情が希薄そうな少女に、主であるザックが気を引こうとしている。
カナルミアからはそう見える一連の流れ。ゆえに席を外すのが得策と、退室をしようとした彼女を青年は制止した。
アンナをここへ呼んだのは怪物に関わる話をするためであり、色恋に準ずるものではない。
そう慌てて訂正を求めるザックに、カナルミアは悪戯心を混ぜた笑みを浮かべる。
主従関係である二人。
しかし友人のようなやり取りをしている中で、アンナは女性が上だと思わせる空気を感じていた。
「これでも自然体のつもりなんだが。……とにかく。案内ご苦労だった、カナルミア。少しアンナと話があるから、席を外してくれ」
「かしこまりました、殿下。それでは後ほど、お飲み物をお持ちいたします」
「いや、いい。話が終わったら、すぐにあの書庫へ向かうつもりだ」
あの書庫。
その言葉が出た途端、従者と友人のバランスを半々で取っていたカナルミアは、スンと冷めた表情に片寄らせる。
どこの書庫だろうと、頭の上で飛び交う会話に疑問を抱くアンナだったが、それよりも気になることがあるのか、また視線は部屋に移っていく。
今度瞳に収めたのは、先程までザックがいた椅子の前。執務机だった。
「では、その旨を執事にも伝えておきます。──気をつけて下さいね、アンナ」
「話すだけだ。というより、主の心配はないのか」
していますよ、殿下。
そうつけ足して退室していくカナルミアに、ザックはわずかばかりの疲労を感じていた。
あの緑の目は楽しんでいる。そんな確信を抱く彼は、扉が閉じられた後に改めてアンナへ視線を向ける。
二人が話している時でも、少女の大きな関心が向いていたのは部屋の方々ばかり。
物珍しいのは理解できるが限度がある。そんな事を思いながらも、仕方がないとザックは肩をすくめた。
焼失した町から連れてきた少女、アンナ。
怪物呼ばれ恐れられていた彼女は今、唯一の友だちを失い、記憶すらも定かではないのだから。




