37話【再出発】
奇跡の再会から一夜が明けた。閉め切ったカーテンから漏れる太陽の光と、外から聞こえてくる鳥の囀りに黒木は目を覚ます。
双葉
「……」
彼の前には今だに此方を抱きしめて、小さく寝息を立てている双葉の寝顔。夢じゃない、昨日の出来事は現実だったのだと改めて実感する。
黒木
「…おはよう、双葉さん」
彼は起こさない程度の小声で囁き、そっと引き離してベッドから降りる。
寝室から出ると、まだメイクをしていない素の聡がベストのフォーマルファッションの上からエプロンを着用して、フライパンで目玉焼きを焼いている。テーブルには三人分の朝食が用意されて【ご飯 納豆 味噌汁】のセット。聡は起きた黒木に気付くと笑顔で振り返った。
聡
「あ〜んら、おっはようクロちゃん♡昨夜はラブラブした〜ん?」
黒木
「おはようございます聡さん。ラブラブは…まぁ…はい…それどころじゃなかったので…」
聡
「いやオッサンのウッザイジョークは適当に流していいからね?そんなことより、そこに朝食を置いてあるからちゃちゃーっと食べて!」
黒木
「ありがとうございます。…あの、聡さん。その目玉焼き…焼きすぎなような…なんだか焦げてませんか?」
聡
「ふふふ、それはそうね。なんせ今日初めて目玉焼きを挑戦したから!!」
黒木
「えぇ…」
聡
「お二人に美味しいものを食べてもらおうと挑戦してこの有様よ!!アティシが食べるから気にしないで!!」
相変わらず聡のノリに追いつけないが、黒木は席について用意された朝食を食べる。少しすると聡は焦げた目玉焼きを皿に移して席に着く。
聡
「イッタダキマンボー♫さてさて、今日は明美ちゃんの元へ二人を送ろうと思ってるの。午後からはアティシも仕事があるから、一旦お別れよ。クロちゃんは?」
黒木
「俺は今日も休みなんで、双葉さんの側に居ようと思います。明日からは仕事があるので…どうするか考えないといけないですね」
聡
「んー、クロちゃんの職場ってここから遠い?」
黒木
「え?……車でここまで来る時、景色をずっと見ていましたが、そう遠くはないところだと思います。どうしてですか?」
聡は不思議そうにしている黒木に提案をする。
聡
「クロちゃんが嫌じゃなければ、暫くはこの家に住んでもらっても良いわよん?アティシも仕事の都合上、この家に戻ってくることがあまりないのよね。双葉ちゃんと一緒に居たいなら、絶好の場所だと思うのよ」
黒木
「いいんですか?」
聡
「大丈夫大丈夫!ちょっと歩けば駅もあるし、通勤方法が変わるかもしれないけど、それで構わないなら好きなだけ居てちょうだい!お二人のファンタスティック⭐︎ラブに栄光あれ!!」
黒木
「あ、ありがとうございます…」
朝から超が着くほど元気な聡に、黒木も引き気味に笑った。
気が付けば先に朝食を食べ出した黒木よりも、聡は一瞬にして食べ終えたようで手を合わせて立ち上がる。
聡
「さてさて、アティシはファンタスティックに変身するメイクタイムのお時間だ・か・ら♡ゆっくりしてってねぇ〜ん!」
黒木
「は、はい」
聡はドキツイウインクを見せて自室へと戻っていった。黒木は一人、朝食を黙々と食べ進める。
すると、寝室の扉が開く。黒木は振り返ると、そこには眠そうにしながらノビをする双葉が立っていた。昨晩は安心して眠れたのだろうか。目の下のクマも少しはマシになっている。
黒木は彼女が起きてきた事を喜び、食事を止めて双葉の元へ向かって寄り添う。双葉も黒木の顔を見ると嬉しそうに微笑んで彼をギュッと抱きしめた。勿論、黒木もそれに応えて抱き返す。【完璧】とは程遠い寝癖さえも、彼には愛おしく思えた。
双葉
「おはよう、黒木さん」
黒木
「おはようございます、双葉さん。よく眠れましたか?」
双葉
「うん。黒木さんがずっと居てくれたからね」
二人は暫くその場で抱きしめ合う。双葉はほんの少しでも長く、人肌の温もりを感じていたいのだろう。黒木も側に居たいという思いに、彼女を離す事はない。
だが、何時迄もこうしてはいられない。食事を摂らないと彼女の元気な体を取り戻せないのだ。黒木は離して、双葉をテーブル席まで誘導して座らせる。
黒木
「食べてください双葉さん。聡さんが用意してくれました」
双葉
「…うん。いただきます」
双葉は手を合わせ朝食を食べ出す。その様子を黒木は隣に座って、彼女の食べている姿をじっと見守る。
あまり元気そうには見えないが、痩せ細った彼女が目の前で、ちゃんと食べてくれているのを見るだけでもとりあえずは安心が出来る。黒木は彼女の横から話しかけた。
黒木
「食べ終えたら聡さんが細田さんの元まで送ってくれるそうです」
双葉
「……」
双葉の表情はあまり浮かないまま黙っている。
黒木
「…会うのが不安ですか?」
双葉
「…そうだね。細田さんは私を責めないのはわかってるんだけどさ…?やっぱりあの事故を思い出すと…ね…?」
黒木
「……」
表情が暗い双葉に黒木は立ち上がり、自身の食べ終えた食器を集めてキッチンのシンクで洗い出す。丁寧に拭き終えて片付けを済ますと、聡がメイクをしている自室の前に立ち扉先の彼に呼びかけた。
黒木
「聡さん。送迎は無しで大丈夫です。病院は俺と双葉さんだけで行きます」
双葉
「…?」
聡
「えぇん!?ドゥーユーことぉ!?」
黒木
「せっかく支度をしてくれているのに、勝手な事を言ってしまってすみません。…でも、後は任せてください」
聡
「ンー、まぁクロちゃんがそう言うなら任せるしかないわねぇーん。必要ならまた連絡してちょ⭐︎」
黒木
「ありがとうございます」
黒木は双葉の方へ振り返り微笑む。
黒木
「双葉さん。久々に一緒にこの街を歩きませんか?」
双葉
「え…?」
………
二人は支度を終えると聡の教えてくれた駅に向かい、電車に乗って都市の中心へと戻る。通勤ラッシュの時間は避けたとは言え車内の人は多く、二人は離れない様に片手をしっかりと握り寄り添っていた。
駅を降りると見慣れたビル群に囲まれた街の光景が広がる。ジリジリと蝉の鳴き声が何処からか聞こえ真っ青の快晴は、清々しい夏の朝ならではだ。
二人はあの頃のように一緒に街を歩く。以前の様な煌めく体験を求めての趣味探しといったものではないが、こうして共に一緒に歩ける日を心より待ち望んでいた黒木には、とても嬉しい瞬間であった。彼は優しく片手を握りながら双葉に言葉を掛ける。
黒木
「懐かしいですね、この感じ…あの頃は貴方と一緒に街を歩き回って、色々な体験をしましたね」
彼は以前の趣味探しの続きとして、態々歩く事を聡に告げたのだろう。自身が元気になるのを考えてとった、彼なりの気遣いなのだ。双葉はその思い遣りに気付き、少しだけ微笑むと視線を下に向ける。
双葉
「そうだね、凄く懐かしい。…あの時は色々とやったよね、私達。黒木さんのファッションをチェックしたり、バズってるスイーツ巡りしたり」
黒木
「美術館を一緒に見回ったり、おみくじをしたり…」
双葉
「聡ちゃんに教えられて魚釣りもやったね。大きな魚が釣れたの嬉しかったなぁー」
黒木
「射的もやりましたね。景品に当たった弾が俺に返ってきて…」
双葉
「あったあった。あれはほんっとうに面白くて暫く笑ってたよねー」
二人の思い出を語り合う間に、双葉は少しずつ元気を取り戻していく。彼女にとっても、良い思い出なのだろう。
黒木
「…どの思い出も、貴方と一緒ならとても楽しかった。あの時の一つ一つの瞬間が、俺の中で煌めいていました。だから…その…何が言いたいのかと言うと」
黒木
「今、こうして双葉さんと一緒に歩けてるだけで、俺は幸せに感じています」
真っ直ぐな目で双葉の方を見ると、彼女も横目で目を見返してくる。おかしかったのか、彼女は口を開いて笑った。
双葉
「あはは。黒木さんって、全然恥ずかしがらずに自分の想いを言えるよね。それって告白?」
黒木
「え?い、いや。こ、告白じゃなくて……あっ」
このやりとりに覚えがある。それは、自分が双葉へ【特別な人】の理由を伝えたカフェでの彼女の返し。そう、彼女もまた黒木との日々を少したりとも忘れていないのだ。
双葉
「…私も、黒木さんと一緒に過ごせる日が戻ってきたのが嬉しいよ。またこうして歩ける日が来るなんて、思ってもなかったから」
彼女の握る手はぎゅっと強くなる。
双葉
「…ありがとう。私を受け入れてくれて」
黒木
「……」
黒木は静かに頷き、手を握り返す。少し元気を取り戻した双葉は茶化す。
双葉
「まっ、今は告白じゃなくて本当に付き合ってるんだけどね」
黒木
「…ハハ、そうですね」
楽しそうに二人が歩く先には細田が入院する病院が見えてくるのだった。
院内に入り、受付を済ませて二人は細田の居る部屋まで向かう。引き戸を開けるとそこには車椅子に座る細田と、その隣にはKENGOが立っていた。
初めてKENGOを見る黒木は一瞬戸惑ったが、細田のお見舞いに来る人間なら関係者なのだろうと察して直ぐに頭を下げる。KENGOも黒木が聡が言っていた人物だと瞬時に理解して会釈を交わす。
双葉はただ黙って先に部屋へと入り、何も言わずに細田とKENGOを其々と順番に強く抱き締めた。彼等も何も言葉を掛ける事なく彼女を静かに抱き返し、背中を優しく摩る。其々の想いは口に出さなくても、これだけで十分に通じ合うのだ。
少しすると、KENGOから扉の側にじっと立つ黒木に声を掛ける。
KENGO
「君が黒木君…だね?初めまして、俺はSunnaで社長をしているKENGOです」
黒木
「黒木です。社長さん…でしたか。取り込み中なら、俺は帰り…」
KENGO
「いやいや、大丈夫大丈夫。君の事は聡くんから色々と聞いているんだ。君が双葉ちゃんをここまで支えてくれたんだってね。…ありがとう」
KENGO
「…早速で悪いんだけど俺からも、少し君と話したいことがあるんだ。少し悪いんだけど、付いてきてくれるかな?」
黒木
「わかりました」
KENGO
「悪いね。それじゃあ細田さん、君達も2人で話したいことがあるはずだろう?頃合いを見計らって、また戻ってくるから」
細田
「ありがとうございます、社長」
KENGO
「またあとでね、双葉ちゃん」
KENGOは笑顔を見せて双葉に手を振ると、黒木を連れて部屋から出て行った。
…待合室。横に長いソファに黒木は先に座るよう伝えられじっと待つ。KENGOは戻ってくると缶コーヒーを2本両手に持って、黒木の隣に座った。自販機で買ってきたのだろう。彼が持つ二種類はブラックとカフェオレ。
KENGO
「どっちにする?」
黒木
「じゃあ…此方をいただきます」
そう言って黒木はカフェオレの缶を受け取る。二人は蓋を開けて一口飲むと一旦落ち着いた。KENGOから話しかけてくる。
KENGO
「実は君に逢いたかったんだ。深く傷ついている双葉ちゃんを救った心の救世主は誰なんだって一目見ておきたくてね。まさかこんなイケメンでスタイルも良い子だとは思わなかったよ。君もモデルなのかい?」
黒木
「い、いえ…俺はただのスーパーで働く正社員でして…」
KENGO
「スーパーの?んー、君みたいな格好良い人が店員だとお客様からも人気なんじゃないかな?…そうだ。本職にしなくても良いからSunnaのモデルになってみるなんてどうだい?君なら直ぐに注目されると思うよ」
黒木
「ハ、ハハ…考えておきます」
気さくに話し掛けてくるKENGOに、まるでSunnaのお偉いさんとは思えないフレンドリー精神を感じる。きっと、緊張している黒木を解す為の言動なのだろう。少し、肩が軽くなるとKENGOはコーヒー缶を強く握り、声のトーンを下げて話し出す。
KENGO
「…再確認したいんだけど…君は、双葉ちゃんの本当の姿を見たんだね?」
黒木
「…はい」
KENGO
「そっか。…そして、それを受け入れてくれたからここにいるわけだ。俺や細田さん以外にも受け入れてくれる人間が居た事は、きっと彼女も喜んでいるはずだよ」
黒木
「…違います」
KENGO
「?」
黒木は飲み終えたカフェオレの缶を見つめながら話す。
黒木
「俺がした事はただ、自分の想いで動いて、双葉さんに会いに行っただけで、双葉さんが俺を信じてくれたからなんです。あの人が俺を受け入れてくれたから…ただそれだけなんです」
黒木の言葉にKENGOは深く頷く。
KENGO
「……成る程。何故あの子が君を受け入れたのか分かる気がするよ」
黒木
「…え?」
KENGO
「君の想いからは【パーフェクトモデル】の双葉ちゃんは一切感じ取れない。あの子が望んでいた本当の姿だけを、君は見ているんだ。【一般人】になった双葉ちゃんを、君は愛している。そうだろう?」
KENGOの問いに照れながらも頷いた。
KENGOは視線を待合室に置いてあるテレビの方へ向ける。放送しているのは恋愛ドラマのようで、丁度メインの男女が【愛してる】と伝え抱き合っている感動的なシーンだった。
KENGO
「…黒木君。恥ずかしがらずに答えて欲しいのだけれど、心を開いた双葉ちゃんはどんな行動を君に見せた?」
黒木
「どんな…行動?」
KENGO
「答えられる範囲だけで構わない。…聞かせてくれないか?」
あくまで茶化すつもりで聞いてるつもりではなさそうだ。黒木は昨日の事を振り返りながら話す。
黒木
「…ずっと抱きしめ合って添い寝もして…寝ている時も抱きしめて…朝起きてからも抱きしめて…ここに来るまではずっと手を繋いでました」
KENGO
「ハハハ、熱々だね」
黒木
「…KENGOさん」
KENGO
「ゴメンゴメン。…君のおかげで【答え】が分かったよ。双葉ちゃんが言う【本当の愛】のね」
黒木
「それは【パーフェクトモデル】じゃなく、普通の人として愛することじゃ…」
KENGO
「勿論それも含まれるのだろうけど……黒木君は、細田さんから双葉ちゃんの過去を教えてもらったんだよね?」
黒木
「はい。双葉さんの家庭環境は酷いものだと思います…」
KENGO
「そこなんだよ」
黒木
「?」
両者愛している事を確認出来た主役の二人は口付けを交わす。KENGOはその映像を見続けながら話を続けた。
KENGO
「双葉ちゃんは両親から愛されなかった【孤独感】を強く持っている。あの子のファンサが神だと言われる程頑張っていたのも、人との触れ合いを直接出来る事が、孤独感を埋めてくれたからだ。でも、それだけじゃあ【本当の愛】には到達しない。そこにファンとの壁があるからね」
KENGO
「双葉ちゃんが本当に求めていたのは、【親の愛情】なんだと思う。小さい子供って親に甘えたい時には抱きしめて欲しいとか手を繋ぎたいとか強請ったりするだろう?黒木君には、彼女の行動がそれに似たように感じなかったかな?」
黒木
「…言われてみると、双葉さんは何だか甘えてくる感じでした。半年前の頃も、時々そういった行動があったような気がします」
KENGO
「君のような純粋な心を持つ人間だと分かったから、双葉ちゃんも甘えてるんだろうね。そしてそれに対する君の反応が正に【親の愛情】なんじゃないかな。家族に愛されなかったあの子が、安心出来る【愛の形】…かもしれないね」
考察するKENGOに黒木も、ドラマの映像を彼と一緒に見る。
黒木
「…どんな形であれ、俺は双葉さんの隣にずっといたいだけですから。あの人にはもう二度と、悲しい思いをしてほしくない」
KENGO
「…素晴らしい人間だよ、君は」
KENGOは映像を見るのを止めて、黒木の方へ体を向けて両手を自身の膝に乗せると、深々と誠心誠意の気持ちを込めて頭を下げた。
KENGO
「…本当にありがとう。君のおかげで、双葉ちゃんも俺達も報われたよ。どれだけ御礼の言葉を言っても足りないぐらいに…君の事を感謝している」
KENGO
「あの子はもう、完璧に囚われず普通の人間として幸せに生きてほしい。…どうか、後は頼みます」
黒木
「…はい。後は任せてください」
社長の想いを受け取り、黒木も頭を下げる。初対面でありながらも、二人の想いは双葉の未来の事であり意思疎通するのであった。
場所は変わって病室。双葉は細田の隣に椅子を持ってきて隣に座る。車椅子の肘掛けに乗せている手を、双葉は握ったままだ。
細田
「…いつまで握ってるの?」
双葉
「ずっと。もう離さないから」
細田
「何言ってるのよ…」
呆れながらも手を離す事なく握り返す。口には出さないが、細田も双葉との再会を心から嬉しく思っているのだ。しかし、彼女は申し訳なさそうに目を逸らして話し出す。
細田
「…貴方に謝らなくちゃあいけないわ…黒木さんを貴方の元へ信じて送りだした時……どうしても、貴方の背中の秘密だけは語れなかった。あの背中だけは、直接貴方から見せるべきだと思ったからなの。……それで…見せたの?」
双葉は目を閉じて頷く。
双葉
「…うん。黒木さんには失望して私のことを忘れてほしかったから、あの背中を見せたよ。…どんな反応だったと思う?」
細田
「…やっぱり驚いたのでしょう?」
双葉
「それがね、微笑んでたの。この姿を見せた勇気に見惚れたなんて言っちゃってさ?本当に面白い人だよね、黒木さんって」
双葉
「…忘れてた。私がどうしてあの人と一緒に居たいってあの時思ったのか。あの人は、完璧が崩れた瞬間でも、私に寄り添ってくれた優しい人だった」
双葉
「細田さんが事故に巻き込まれて…みんなが私をまだ求めるから…全てが嫌になって、あの人を私から突き放してしまった。最低な事をしたのに、それでもまた私の前に現れて…」
双葉
「あぁ、これが【好き】になるってことなんだなって、分かっちゃった」
以前のような元気な様子は見られないものの、双葉は嬉しそうに話す。細田も相槌を打ちながら双葉の方へ顔を向ける。
細田
「…一応聞くけど、もうモデルには戻るつもりはないのね?」
双葉
「…そうだね。【パーフェクトモデル】を演じなくても、私を愛してくれる人が出来たからね。…って、言っても私も【愛】がよく分からないんだけどさ」
双葉
「…でも、分からないなりにでもあの人の事をずっと愛したい。この気持ちだけは、嘘じゃなくて本当だって言える」
双葉は自身の胸に手を当て目を閉じた。
長い間、彼女を見てきた細田には分かる。彼女が求めていた【本当の愛】は、【親の愛情】だった事を。両親に見捨てられた故に、細田は不妊症で産めなかった自身と合わせるように、双葉を我が子のように接して両者の【心の埋め合わせ】をしていた。
だが、今の彼女の語る【本当の愛】は、黒木を異性として愛する愛へと徐々に変わろうとしているのだ。彼女の表情が今、少しだけ頬が赤く染まっているのを見て確信した。
双葉は、子供から大人に変わろうとしているのである。もうそこに、自分が居なくても大丈夫だとハッキリと言える。
双葉
「…とりあえずモデルはやらないけど、ずっと働かない訳にはいかないからね。細田さん、今度こそ私を本屋に雇っ……」
細田
「【自分らしく生きなさい】」
双葉
「…?」
細田
「私がずっと前から言っていたこの言葉……貴方が【パーフェクトモデル】として囚われている頃は、ただの気休めにしか言えてなかった。少しでも貴方には楽になってほしいって意味で言い続けてた」
細田
「でも、今の貴方には心より願ってそう言える。…貴方が本屋で働きたいのも、私がこのような体になった事をまだ自分のせいだと思って、それを償いたい…からじゃないかしら」
双葉
「…やっぱり、そう見える?」
細田
「何年、貴方と付き合ったと思ってるの。…大丈夫。貴方はもう何も囚われなくていい。新しい居場所を見つけたのなら、そこで幸せになりなさい」
細田
「貴方の隣に居るのは私じゃない。黒木さん…でしょ?」
そう言って細田は優しく微笑んだ。
あの様な大事故に巻き込まれ、自身の体が動けなくなって、本屋という夢も遠ざかったのにも関わらず、自分を責めるどころか、自分の幸せな未来を願う細田の美しい想いは双葉に届くのである。
その言葉に彼女はボロボロと涙が溢れ出し、手で拭き取りながら嬉しそうに笑う。
双葉
「あは…!あはは…!…ッ…いいのかなぁ…?私なんかが【幸せ】になっても…っ」
涙が止まらない双葉に、細田は体を前のめりに出してゆっくりと抱きしめる。
細田
「当たり前じゃない…人々に光を届けた人間が、幸せになっても誰も文句なんて言わないわ」
細田
「…ほんっとうに、ここまでよく頑張ったわね。…お疲れ様、双葉」
双葉
「うん…!うん…!!」
双葉は泣き噦り、細田を強く抱き返した。
二人の【親子】の関係は終わりを迎え、其々の未来を辿る【再出発】が始まる。例え離れていても、二人の絆は永遠に汚れず、何時迄も輝き続けるだろう。
KENGOが部屋に戻ってきて双葉を呼ぶ。これから仕事があるから帰らないといけない。会社に戻る前にここまで徒歩で来た二人を送迎してくれるそうだ。
双葉はまた会いに来る事を細田には伝え、最後に軽く抱き締めると部屋を後にする。細田も部屋を出ていく彼女の背中を、扉が閉まるまでじっと見送っていた。
部屋を出て行ったのを確認すると、細田は一人でため息を吐いて部屋の隅にある机の引き出しを開けた。引き出しの中に入っているのは、十年以上も前の機種モデルである古い折り畳み式携帯。メッキも所々剥がれ、動くかも怪しい朽ちた携帯を細田は手に持ち、思い耽る様に見つめて小さく呟く。
細田
「……私も【過去のけじめ】をつけないとね」




