7話【完璧である為に】
黒木
『【そんな事】』
黒木
『双葉さんの悩みは俺にとって【そんな事】じゃないですよ。もしも、あるなら話してください。少しでも力になりたいんです。…俺達【友達】ですから』
………
午前5:15
スマホのアラームが鳴り出す。双葉は眠そうにタイマーを止めてベッドから体を起こす。
ここは双葉が住むタワーマンションの一室。彼女が起きて初めにする事は、つぶグラのタイムラインのチェックだ。真っ暗な部屋でスマホの光だけが彼女の寝ぼけた表情を照らし眩しそうに目を細める。画面を上にスクロールし続け、流れてくる情報をぼやけた瞳で見つめていく。
一通り確認を終えると、大きな欠伸をしながら、ベッドから降りて部屋の電気を付ける。冬の朝は、外がまだ暗くて室内も冷え切り肌寒い。
キッチンに向かいケトルを手に取ると、水を注いで100℃にセット。沸騰を待っている間にリモコンを手に取り、テレビの電源を付けてそのまま洗面台へ向かう。歯を磨き顔を洗って、リビングから聞こえてくるテレビのニュースに耳を傾ける。ニュースの内容は星座占い、射手座の彼女のランキングは【12位】だった。
キッチンに戻ってくるとケトルは既に沸騰していて、棚からマグカップとインスタントコーヒーを取り出す。お湯を注いで、リビングへと戻ってくるとソファへ座ってテレビを見る。
…テレビを見ていても彼女の頭の中へ情報が全く入ってこない。昨日黒木が言った言葉が、まだ脳内で再生されていたからだ。
これまで双葉はモデルの仕事をしてきて、多くの人達が声をかけて近付いてきた。そんな多くの業界人を見てきたからこそわかるものがある。
『困ったことがない?』
『何か手伝えることはない?話聞くよ?』
『私に任せて、双葉ちゃん。だから友達になりましょう!』
その言葉は上っ面で内心は、自身の売名の利用や彼女にしたいといった下心である事。近付いてくる誰もが馴れ馴れしく作り笑いを見せ媚を売る。所詮【パーフェクトモデル】に惹かれているだけで、双葉には興味がないのを多くの経験から学んだのだ。
しかし、あの時の黒木からは【友達】として、真っ白な心で接してくれた。彼の言葉は嘘偽りがない信頼が出来るものだと、不思議に感じたのである。
双葉
(…黒木さんの前なら、完璧じゃない私にもなれるのかな…)
彼の言葉の意味を、静かに考えながらゆっくりとコーヒーを飲む。
すると、彼女の考え事を吹き飛ばすかのように突然インターホンが鳴りだす。マグカップをテーブルに置いてゆっくりとソファから立ち、玄関へとゆらゆら歩く。
誰が来たかと確認する事もなく、鍵を解除して扉を開ける。そこにはスーツ姿の細田が腕を組んで立っていた。彼女の姿を見ると、双葉は嬉しそうに抱きつく。
双葉
「細田さんおはよー♫」
細田
「はいはい、おはよう双葉」
相変わらずの行動に呆れながらも、双葉のボサボサの髪を撫でる。
細田
「早く寝ぐせ直して着替えてきなさい。今日から年末まで休みはないんだから」
双葉
「はーい。…あっ、細田さんもコーヒーどう?まだお湯残ってるよ?」
細田
「いいから早く支度しなさい…」
………
午前6:17
双葉の支度も細田の手伝いもあって直ぐに終えた。キャップと眼鏡の変装もバッチリ、送迎車に乗り込みマンションを後にする。日は昇り、街は徐々に明かりに包まれ、通勤する人々も増えてきている。
赤信号に捕まりブレーキをゆっくりと踏んで止める。ハンドルを握る細田はバックミラーで後部座席に座る双葉の様子を覗く。彼女は手に顎を乗せてボンヤリと車窓から街を見ているようだ。
細田
「…何かあったの?」
双葉
「…あっ、やっぱりわかっちゃう?」
細田の一言に双葉は振り向く。一見何でもないように見える表情も、細田からすれば双葉が何か考えていることを見抜く事など容易いものである。
細田
「当たり前よ、何年付き合ってると思ってるの?」
双葉
「あはは、流石は細田さん」
双葉はニコッと笑う。青信号に変わり、視線を前に戻すと運転を再開する。
細田
「それで?何があったのかしら?」
双葉
「んー…まだ決まったわけじゃないんだけどさ…細田さん以外にも悩みが話せそうな人がいるんだよね」
細田
「あら、良かったじゃない。それって春香ちゃん?あの子、とても良い子よね」
双葉
「春香ちゃん良い子だよねー。でも違いまーす」
細田
「じゃあ誰?」
双葉
「一般人の人」
細田
「ふーん一般人の人…一般人の人!?」
双葉
「ついでに男」
細田
「ついでに男!??」
双葉の口から出た思いもよらぬ発言と同時に赤信号で止まる。驚愕の表情で細田はバッと双葉に振り返る。
細田
「い、いつの間に一般男性と仲良くなったの!?」
双葉
「私の誕生日の日にさ、親切な人が案内してくれたって話したでしょ?その人だよ」
細田
「それは聞いたけど、そこからまだその人と会ってたの!?」
双葉
「うん、そうだよ。…あっ、細田さん青だよ青」
双葉に言われ已む無く顔を前に向けて運転を再開した。細田は片手で頭を抑えながら大きく溜息を吐く。
細田
「どうして話さなかったのよ…貴方は日本中が注目してる【パーフェクトモデル】なのよ?そんな貴方が一般男性と一緒に居る事が、もしも世間に知られたら…メディアが黙ってる訳がないわ」
双葉
「大丈夫大丈夫、今の所バレてないからっ」
細田
「貴方の言う大丈夫は大丈夫じゃないのよ…」
能天気に和やかに返事する双葉に呆れながらも話を続ける。
細田
「とりあえずこの話は、落ち着いた時に聞かせて?今は仕事に集中しないといけないから」
双葉
「うん、わかった」
双葉
(細田さん怒っちゃったな…それもそっか。【パーフェクトモデル】が一般人と遊んでるなんて誰も思われないよね)
細田の反応があまり良くなかった事に、笑顔を見せつつも内心はモヤつき、車窓から街を眺めるのであった。
………
午前9:02
都内にある某撮影スタジオ。華やかな衣装を身に纏い双葉は入ってくる。衣装の特徴を利用して晒される彼女の洗練されたボディラインは、周りのスタッフも手を止める程に魅了されて、目は勝手に歩く彼女を追っていく。
スタッフ
「凄い…あれが【パーフェクトモデル】か」
カメラマン
「あの人を今から撮るのか…うぅ…緊張してきたよ」
撮影が始まり指示されたポーズを次々と撮っていく。彼女が繰り出すポーズは全てが究極の完成形であり、一枚一枚が美術館に飾られる名画のような出来だ。
双葉の撮影現場を一目見ようと、待機室に居た他のモデルも出てきて彼女を遠くから見ている。他のモデルには絶対に真似が出来ないであろう、一つ一つのポーズに完璧な彼女の世界観が生み出されていき、思わず唾を呑み込んで魅入ってしまう。
モデル
「【パーフェクトモデル】って言われてる理由わかった気がする。あんなの超えれるわけないわ」
モデル2
「今回の雑誌も私達【おまけ】になるんだろうねー…」
彼女の撮影姿にモデル達は感動したり嫉妬している。その様子は、双葉からも見えていた。
双葉
(そう、私はみんなが憧れる完璧の存在【パーフェクトモデル】)
………
午後14:02
多くの有名芸能人が出演している人気バラエティ番組のスタジオ。司会は観客を沸かせようと興奮気味に話す。
司会
「本日はなんと!!日本中が彼女に夢中になっているでしょう!!あの【パーフェクトモデル】こと双葉さんが!!ゲストできてくれました!!」
芸能人
「ええええ!!?嘘でしょお!?」
司会
「それではどうぞぉ!!」
双葉
「こんにちはー!双葉でーす!」
朗らかな笑顔で観客席に手を振りながら双葉が出てくる。彼女の姿を見た瞬間、観客は音が割れる程の大歓声で手を振り拍手で迎える。まるでハリウッドのスーパースターが来日したような盛り上がりだ。それは観客だけでなく、出演者も彼女の持つ唯一無二の美しいスタイルに見惚れている。
芸能人
「うわー!正に【パーフェクトモデル】ですね!背も大きいしめっちゃスタイルいいです!」
双葉
「あはは、知ってるー♫」
司会
「あっ、それ聞いたことありますよ!最近ハマってる台詞ですよね!」
双葉
「えっ?知っていてくれて嬉しいです!このまま流行語大賞取っちゃいます?」
芸能人
「双葉さんが言うなら絶対取れますって!」
周りの芸能人は双葉を持て囃し、観客はずっと盛り上がり止まない。
双葉
(みんなが私を【パーフェクトモデル】と褒めてくれるから、どんな事があっても頑張れる)
………
午後16:58
都内のカフェのテラス席。双葉は記者の取材を受けている。
記者
「…成る程。話を聞いてる限りだととても多忙なスケジュールですね。到底誰も真似できませんよ」
双葉
「確かに大変ですけど…私を見てくれている人が日本中にいるから、手を抜いちゃダメだって思ってます」
記者
「素晴らしい理由ですね。…しかし、これだけ忙しいとやはり悩みや苦労もあるのでは?」
彼の質問に双葉は注文したホットカフェラテを飲んで、笑顔で答える。
双葉
「ありませんよ?むしろこれだけ応援されて幸せなぐらいです」
記者
「ハハっ、失礼しました。いやはや、流石は【パーフェクトモデル】と呼ばれるだけありますね。見てるこっちも元気が貰えますよ」
双葉
「そう言ってくれると嬉しいです。次の写真集も期待してくださいね?」
双葉
(だから弱いところは見せちゃダメ。そんな【パーフェクトモデル】なんて誰も見たくないから)
双葉
(みんなが求める【パーフェクトモデル】に、弱点なんていらない)
………
午後18:33
すっかり空は暗くなり街は照明に輝く。細田の運転する送迎車は高速道路を走らせていた。
細田
「はい、はい。時間通りに到着するかと…はい」
細田はBluetoothに繋げたカーナビの電話対応をしていて、双葉は後部座席で暇そうにスマホでつぶグラを閲覧している。
双葉
(細田さん、朝に言った事もう忘れてそうだなー)
忙しそうに対応している細田の言葉を聞きながらぼんやりとスクロールをしている。
双葉
(…あっ)
そんな彼女の瞳に一つの投稿内容が映ると、スクロールしている指を止める。
『双葉ちゃんマジでやばい。俺の親友が芸能人だから彼女と会って話を聞いたみたいなんだけど、美容院に月1回じゃなくて週4回は通ってるらしい。自分でやらずにプロに任せるのが一番だって本人も言ってたみたい。まあこれはど正論だよね』
双葉に関するこの投稿は、1万を超えるシェアが行われ世間にはバズっているみたいだ。
双葉
「……」
無言でスクロールをしていき、この投稿への返信も確認する。
『やっぱそういうところが【パーフェクトモデル】って感じだよねw』
『凄すぎて草』
『流石は双葉さんですね!お金はかかるけど、私も真似しようかな!』
双葉
(私が言ってもない事で凄い盛り上がってる…)
出鱈目な内容に盛り上がる人達を光景に、顔を上げて目を瞑る。自身が完璧な存在として見られるが故に、人々の中で勝手に創造した噂話を広げ、彼女を神格化していく。人々の期待が、彼女の存在を更に大きくしていくのである。ファンを大切に思う双葉であろうと、これには流石に頭を抱える悩みであったのだ。
双葉
(常に完璧であるのが【パーフェクトモデル】だもんね。盛った内容でも信じるんだろうな)
双葉
「…まぁ、それでも週に4回は無理かなー」
呆れながら再び画面を見て、引き続き返信欄を確認していく。
『当たり前だろ。双葉ぐらいになれば超有名人と付き合ってるだろうし、美容も一般人以上に大事にしてるはずだ』
『わかるw双葉の友達とかも凄そうだよね。最近テレビでもよく見るようになったし、やっぱ普段から俳優さんとかに囲まれて遊んでいるのかな?』
双葉
「……」
今、双葉が気にしている【一般人】と【友達】のワードを目に、彼女はスマホの電源を消して外を見る。
双葉
(私の友達は俳優か…やっぱり、それがファンが求める私の姿なんだね)
………
午後19:45
都会の夜景が広がる高層ビルのテラス。夜景を背景にSunna所属のモデルが集まり、雑誌の特集ページを飾る撮影を行っている。
スタッフ
「一旦休憩に入りまーす」
スタッフの掛け声と共に周囲の緊張も解ける。モデル同士で仲良く話し合っている中、双葉は一人隅っこでスマホを触っている。
春香
「双葉さーん!」
撮影に参加していた春香は、休憩と共に直ぐに双葉を見つけると直ぐに駆け付ける。しかし、それを邪魔するかのように二人のモデルが春香の前に立ち塞がった。
モデル
「春香ちゃん、疲れたでしょ?あっちでスタッフさんがコーヒー淹れてくれたみたいだから飲みに行こっ」
春香
「え?それなら双葉さんも一緒に…」
モデル2
「あの子は後で誘うから。ほら行こ行こ」
春香
「え?あ、は、はいぃ…」
モデル達に背中を押され、なすがままに双葉から引き離されてしまった。双葉は連れて行かれる春香に気づく事なくスマホを触り続けている。その表情は何処か孤独を感じる寂しいものだ。
聡
「双葉ちゃーん。お疲れちゃん♫」
双葉
「あっ、聡ちゃん」
その姿を察したかのように、聡がコーヒーを持ってやってくる。彼が差し出してくれたコーヒーは丁度よい熱さで、高層ビルの寒い空気をも忘れさせる。聡は夜景を見下ろし指を刺す。
聡
「あのビルが見える双葉ちゃん?あれがアティシ達の事務所よ」
双葉
「えー、全然見えないよ」
話を振ってくれる彼の優しさに嬉しそうに双葉は返してくれる。聡は横目でその姿を見ると安心したかのように胸を撫で下ろし、夜景を見下ろしながら話を続ける。
聡
「まぁ…それで、何かあったの?」
双葉
「聡ちゃんもそう聞くんだ。朝に細田さんにも同じ事言われたよ」
聡
「そうねぇ…【パーフェクトモデル】のはずの双葉ちゃんが、撮影現場で楽しそうにしてないのなんて異常事態よん?」
双葉
「よく見てるんだね」
聡
「双葉ちゃん程じゃあないわ。…で?何かあった?」
双葉も聡と一緒に夜景を見下ろし、心配してくれている彼に応えるように話す。
双葉
「私が一般人と友達になるのっておかしいのかな?」
聡
「?どういう事かしら?」
双葉
「つぶグラを見てるとね、私は俳優さんと友達だなんて思ってるみたいだよ?」
そう言って彼女はスマホのつぶグラで例の返信欄を聡に見せつける。それを見た彼は最初は戸惑いながらも、投稿されている内容の一覧を見終えて可笑しそうに笑った。
聡
「あっはっはっ!そりゃあそんなもんなんじゃない?だって貴方は誰もが憧れる最強無敵の【パーフェクトモデル】よ?ファンも貴方と友達になりたいって思うより、横に立つのも無理だって思ってるんじゃない?だから友達は俳優って決めつけられてるのよ」
双葉
「あー、私輝きすぎちゃってるからねー」
聡
「そう、輝きすぎよ。アティシのセンスも合わさって常人は直視不可能ね」
聡の冗談にノリ良く、双葉は顎に手を当てカッコつけてドヤ顔をキメる。
双葉
「それで?聡ちゃんはどう思うかな。私が一般人と友達になるのって。やっぱり変?」
聡
「どうも何も…友達になったの?一般人の子と」
双葉
「今は私の質問に答えてよ」
いつにも増して双葉の表情は真面目だ。普段はお互いに冗談を言い合うような関係だが、今の彼女が求めてる言葉はそれとは違うものだと聡はわかった。
聡
「んー、そうねぇ…深くは聞くつもりはないけれど、まずお相手さんは双葉ちゃんの事をちゃんと友達と思ってるの?」
聡の返しに少し口が閉じるも、双葉は再び夜景を見下ろしながら話す。
双葉
「…うん、思ってる、思ってくれてる。この業界に入ってから色々な人と出会ってさ。みーんな作り笑顔で友達になろうなんて言っちゃって。私というブランドを利用したいだけなんだなーってわかっちゃうんだ」
双葉
「…でも、あの人が言った友達って言葉はさ。とっても真っ直ぐな言葉だった。私が【パーフェクトモデル】だからじゃなくて、一人の人間として言ってくれた…そんな気がする。…だから、悪いことしちゃったなって思ってるところもあるんだけどね」
聡
「?悪いこと?」
双葉は夜景を見るのを止め、姿勢を手摺りに靠れるように変える。
双葉
「その人はね、初めて出会った時に私の事を【特別な人】だって言ってくれたんだ。それがどうしてか気になるから聞き出すのに、私から友達になろうって軽いノリで言っちゃったの」
双葉
「どうせこの人も【パーフェクトモデル】の私にしか興味ないんだろうなーって何処かで思ったままだったのに…まさかここまで【友達】として真剣に向き合ってくれるとは思ってなかったから…」
自身の軽い発言に反省しているかのように苦く笑っている。それを見た聡も腕を組みながら、双葉と同じように姿勢を変えて手摺りに靠れた。
聡
「だったら。後はやる事は決まってるじゃない。今からでも【友達】としてその子と仲良くしなさいよ」
双葉
「でも…この事を細田さんに話したら良い反応してくれなかったんだ。私が一般人…しかも異性と居るのがメディアにバレたら厄介になるって」
聡
「あー明美ちゃんなら言いそうね。あの子、双葉ちゃんを愛娘だって思ってるぐらい過保護だし」
聡は空を見上げながら心当たりがあるように笑う。
聡
「でも、今はそんな事気にしちゃダメ。双葉ちゃんが悪いって思ってるのなら、彼にちゃんと自分の想いを返してあげるべきよ?」
聡
「例え世間が【パーフェクトモデル】って崇めようと双葉ちゃんも一人の人間に変わりないんだから。一般人と友達だからって何よ、大物芸能人だってそんなの普通にいるわよ。だからたまには、周りの目なんて忘れちゃいなさい」
そう言うと彼は双葉の頭を優しく撫でる。彼の言葉を求めていた答えだったかのように双葉は笑みを溢す。
双葉
「…ありがとう聡ちゃん。少し気持ちが楽になったよ」
聡
「明美ちゃんが居ない時はアティシが双葉ちゃんのカウンセラーよ。困ったことがあったらどんどん言いなさいな」
双葉
「それじゃあ今度お寿司奢って♫」
聡
「それは無理ね。むしろ奢りなさいよアンタの方がお金持ってるでしょ!」
双葉
「あはは、知ってるー」
双葉の調子も戻り、いつもの冗談を言えるまでに元気にはなっていた。
スタッフ
「そろそろ休憩おわりまーす!皆さん集合お願いしまーす!」
スタッフの呼び声が聞こえてくる。聡は双葉に気合いを入れるように背中を軽く押す
聡
「さっ、残りの仕事頑張ってきちゃいなさい」
双葉
「うん、頑張ってくるね聡ちゃん」
ニコッといつもの笑顔を見せた双葉は、コーヒーを一口飲んで、残りを彼に預けて走っていく。調子を取り戻した彼女の後ろ姿を微笑ましく聡は見守ってるのであった。
聡
「そうよ双葉ちゃん。明美ちゃんも言ってるじゃない。貴方はもっと自分らしく生きなさいって…」
………
午後22:22
双葉の住むマンションの前に細田の送迎車が止まった。後部座席から双葉は降りて運転席の方へと振り返る。
双葉
「お疲れ細田さん。また明日も宜しくね」
彼女のお別れの言葉も返さず、細田はスマホを耳に当て電話をしている。忙しそうな彼女の姿に小さく手を振ると、細田は気付いて手を振り返し車を発進させた。
結局、朝の相談の事は細田と話し合う事はなかったが、聡の言葉に気持ち落ち着いた双葉は気にする事なくマンションへと入っていく。
双葉
「疲れたー…忙しいってわかってたけど、今日から年末までずっとこんな感じってことかー…」
独り言を言いながら自分の住んでいる部屋まで戻ってきた。部屋に入り、電気を付けながらスマホを取り出す。撮影中は忙しくて見れず、車内では寝落ちをしてしまっていたので、直ぐにでも触りたかったのだ。
双葉
「…あっ」
電話通知が21時に1件入っている。開いて確認するとそれは黒木からだった。
双葉
「黒木さんから初めて連絡くれた…ふふっ」
なんて事でもない事ではあるが、積極的でない彼の方から行動してくれていると思うと、双葉は嬉しくなってきて口元が緩む。
双葉
(もう寝ちゃってるかな…?)
コートを脱いでハンガーに吊るし、電話を掛けてスマホを耳に当てる。1コール…2コール…3コール…コールは鳴り続けるが彼が出てくれそうにもない。
双葉
(やっぱり寝ちゃってるよね。日を改めよっと)
6コールが鳴った所で諦めて耳から離したその時、鳴り続いていたコール音は突如切れて、彼の声に切り替わった。
黒木
『もしもし双葉さん…ですか…?』
双葉
「!黒木さん!良かったー繋がったー」
直ぐにスマホを耳に戻して嬉しそうに電話をする。
黒木
『こんばんは双葉さん…出るのが遅くなってすみません…』
電話越しの彼の声はいつもより低くて掠れてる気がする。繋がるのが遅かったのも考えれば、さっきまで黒木は寝ていたのだろう。
双葉
「あっ、やっぱり寝てたかー…ごめんね、起こしちゃって」
黒木
『あ…いえ、違うんです…友人が【映画鑑賞を趣味にしろ】と言って貸してくれたDVDをさっきまで見てたんですが…いつの間にか寝てしまってたみたいです』
双葉
「そうなんだ?…どうだった?新しい趣味になりそう?」
黒木
『寝てた事ですし…恐らくは今回もあまり響かなかったと言いますか…』
双葉
「貸してくれた映画が面白くなかったんじゃないかな?何てタイトルの映画?」
黒木
『ええと…【バトルアース・ゴッド・フィールド《1万年後の地球》】ですね』
双葉
「あはは、何それ。面白くなさそー」
黒木
『やっぱり面白くなかっただけなんですかね…?』
彼の声もいつもの調子に戻って来て会話も弾む。双葉も何の他愛もない通話ではあるが、多忙の中での一時を楽しめているようだ。
双葉
「それで…黒木さん、何かあったからさっき連絡をしてくれたの?」
黒木
『あぁ、そうなんです。昨日の御礼をまだ言えてなかったので…昨日は俺の為に忙しい中、一緒に趣味探しを手伝ってくれてありがとうございました』
双葉
「えー?そんなの気にしなくていいのに。私も楽しかったからさ」
双葉は電話をしながら就寝の支度を進めていく。
双葉
「そうだ、それなら今度は映画でも見に行く?面白そうな映画を見回るツアーなんてどうかな?もしかしたらハマるかもしれないよ?」
黒木
『それは…良いですね、是非行きたいです。一人で見つけるより、双葉さんと一緒の方が新しい趣味を見つけられそうな気がします』
双葉
「そっか。……」
一通り準備を終えると、ベッドに座り暫く黙り込んでしまう。
黒木
『…双葉さん?』
電話越しの無音に心配をする黒木の声を聞いて、彼女の口は開いた。
双葉
「…黒木さん。もしもの話で聞いてほしいんだけどさ。私が【パーフェクトモデル】じゃなくたって【友達】でいてくれるのかな?」
黒木
『…いきなりどうしたんですか?』
双葉
「やっぱり【パーフェクトモデル】じゃない私は魅力がない?」
黒木
『…すみません。双葉さんの言ってる意味が俺にはわかりません』
双葉
「もしもとして答えてみてよ。あっ、勿論【パーフェクトモデル】を辞めるつもりはな…」
黒木
『俺は双葉さんを【友達】だと思ってます。そこに【パーフェクトモデル】なんて関係ありませんよ』
黒木
『もしも双葉さんが俺の事を【友達】とずっと思ってくれるのなら、俺もずっと双葉さんと【友達】で居させてほしい…それが俺の思いです』
双葉
(…あぁ、やっぱり。この人の声は安心出来る)
彼の声から伝わる純粋で真っ白な本意は双葉の心を揺らがせ、細田と聡に言われた言葉が頭に過ぎる。
【周りの事なんて気にしないで、もっと自分らしく生きてもいい】
双葉
(…黒木さんの前でなら、少しだけ、もう少しだけ自分らしく生きてもいいのかな)
双葉
(…こんな私を信じてくれるのなら、私もこの人を信じてあげないとね)
ゆっくりと目を閉じ彼女の心の中で何かが煌めいたのを感じる。
黒木
『まぁ…逆に俺みたいなただの一般人が双葉さんの【友達】を名乗っていいのかなんてまだ思ってますが……もしもし、双葉さん?』
再び黙っている双葉を心配するように彼は声を掛けてくれる。双葉は目を開いて意気揚々に話す。
双葉
「ううん、勿論だよ黒木さん。私も黒木さんと【友達】でいたいから。これからもよろしくね」
黒木
『はい。よろしくお願いします…あっ、何かあったら本当に連絡してくださいね?絶対に出ますから』
双葉
「うん、ありがとう。それじゃ、引き続き映画楽しんでねー」
黒木
『はい、おやすみなさい双葉さん』
電話を切りスマホをテーブルに置くと、ベッドに大の字で仰向けに寝転んで、じっと天井を見る。
双葉
「…ふふっ」
黒木の言ってくれた言葉を思い出し双葉は一人で嬉しそうに微笑む。仕事に疲れながらも、今晩は良い一日で終わりを迎えたのだった。
黒木
「…後3時間もあるんだ、これ」
黒木も借りてきた【つまらない映画】を睡魔と闘いながら鑑賞する長い夜になるのであった。