23話【幻滅の愛】
PM16:07
双葉の住むマンションの前にタクシーが到着した。まだ現実を受け入れられずに力が入らない双葉に、先に降りた小嶋は手を差し出しゆっくりと下ろす。
双葉
「…ありがとう小嶋さん。後は一人でも大丈夫…」
そう言って車から降りた双葉は、一人でにフラフラと歩き出しマンションへと向かう。
見ていられないと思った彼は直ぐに隣について手を貸そうとするも、彼女は小嶋を見向きもせず俯いたままマンションへと進み続ける。
今の彼女をどうすることもできない無力さに悔しく、その場で立ち止まり彼女の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
小嶋
「…っ!双葉さん!細田さんは絶対に大丈夫です!だから、安心して休んでくださいね!」
双葉
「………」
彼なりに励ましの言葉を送るも彼女の足は止まらず、マンションの中へと入っていった。嫌な予感がする。このまま彼女は二度と人前に現れなくなるのではないかと。
だが、これ以上何か出来るわけでもないので小嶋は諦めタクシーに乗り込み、TMAの事故を報告をする為MARUKADO本社へと戻るのだった。
…………
……
…
PM21:02 Sunna ロビー
黒木
「………」
あれからずっと双葉の情報と帰りを待っていた彼だったが、結局彼女から連絡も来ることがなくすっかり夜になっていた。つぶグラのタイムラインや速報ニュースを見て分かったことは【双葉は無事】【事故に巻き込まれたのは細田】【事故の内容】ぐらいだ。まだまだ情報が足りない。
外で騒いでいたマスコミの人々も数は少なくなったものの、未だに関係者を捕まえようと待ち伏せしているのがチラホラとここから見える。幸い、彼方からは中の様子は見えないので黒木は気付かれていない。
田中
「お腹は空いてませんか?黒木さん」
じっと待つ彼を心配して田中が惣菜パンを持って様子を観に来る。ずっと何かの対応していたのだろう、昼間と違って、彼女も疲れ切った表情をしている。
黒木
「田中さん…」
田中
「こっちもジュリちゃんの協力のおかげで今日は何とか落ち着きそうです」
黒木
「神田さんは中で何を?」
田中
「今回のスタコレにSunna側から参加していたのは、スタッフも含め多くいましたので、手分けをしてスタッフ一人一人の安否確認の協力してもらいました」
黒木
「そうですか…」
田中
「…あの、失礼ですが…改めて確認したいのですが、双葉ちゃんの友達なんですよね?」
黒木
「はい。…それがどうかしましたか?」
彼の疑問に答える前に田中は黒木の対面ソファに座って、惣菜パンを机に置く。
田中
「いや…双葉ちゃんってプライベートの事殆ど知られてなくてですね…Sunna以外に友達がいるかも誰も知らなかったでしょうし…」
黒木
「え…?」
田中
「あっ、勿論友達はいると思ってましたよ!?双葉ちゃんすっごく性格がいいから、あれで友達がいないって逆に無理な話ですし!」
田中
「…でも、一緒の会社に勤めてるはずなのに、双葉ちゃんの事本当に知らない事ばかりなんですよ。あの子はSunnaの一員のはずなのに、秘密だらけと言いますか……」
田中
「つまり、何が言いたいのかと言いますと、せっかくここへ来て頂いたのにも関わらず、何も協力が出来ずに申し訳ありません」
そう言って彼女は立ち上がり頭を深々と下げる。黒木は首を横に振り冷静に話す。
黒木
「顔を上げてください。田中さんは何も悪くないじゃないですか」
田中
「うぅ…そう言って頂けると此方も救われます…黒木さん、もしご迷惑でなければ今日はここに泊まりませんか?」
黒木
「ここにですか?」
田中は頷き、窓から外を見つめる。
田中
「はい。外は見てもらったらわかるのですが…まだマスコミの人達が目をギラギラさせて私達を待ち受けてます。黒木さんが今出ていったら何されるかわかりません」
田中
「それにSunnaは急遽宿泊出来る用に部屋も幾つか用意されてるんですよ!ホテル感覚で泊まれる事も保証します!どうでしょうか?」
彼女の言う通り、恐らく外のマスコミはこの建物から出てきた人物に質問責めをするだろう。
こんな状況に慣れていない自分がそんな質問を押しつけられると、慌ててしまいウッカリと双葉との関係を漏らしてしまいそうだと黒木は思った。そうなれば取り返しのつかない事になる。彼女の提案に従い、今日はここに居た方が良いのだろう。
黒木
「ありがとうございます田中さん。お言葉に甘えて今日はここに泊まることにします」
田中
「わかりました。部屋の準備を済ませてくるので、もう少しだけここにいてください」
田中は頷いて部屋の準備に向かう。彼女と会話した事で少し気が抜けて腹の音が鳴る。昼間からずっと待っていたので空腹だった。じっと待っていても仕方がない。彼女が気遣って用意してくれたパンを手に取り食べる。腹は満たせても味はしなかった。頭が彼女の事ばかり考えてしまい味覚すら感じ取れない。
双葉はSunnaの人に自分の事を伝えてなかった。先日見た彼女の本心の一部も、まるで【パーフェクトモデル】の偶像に囚われているようにも思えた。そして双葉の父親【秀樹】に対する嘘の笑顔…
もしかすると、双葉はまだまだ人々に隠し続けている事が多く、それは友人であろうと話せない事を沢山抱えているのかもしれない。【嘘】に囚われ、偽りの姿を演じているだけ。そう考えると、双葉が自分に向けて言ってくれる【友達】の言葉も…
ネガティブな事を考えたくはなかったが、夜になっても一向に連絡がつかず折り返しもない彼女に黒木の思考は焦りと不安で冷静さを欠けて不信を積もらせる。食べかけのパンを強く握り、何も出来ず、そして彼女を信じきれない自分の愚かさに嫌気が差した。
黒木
(双葉さん…俺は…)
………
PM21:09 都内のホテル入り口前
人々がTMAの事故で話題になっている中、難波は急遽泊まる事となったホテルの前まで来ていた。会場ではその後参加者は明日までは待機するように伝えられ、一旦解散の指示を受けたからだ。
難波は日帰りの予定だったのでホテル等予約しておらず、この時間に至るまで見つからずに街を歩き回っていたのだ。
そんな慣れない都会に苦戦する難波を助けたのはRABiだった。彼女の助けがなければまだ宿泊先が見つかってなかったかもしれない。彼女に感謝しながらも、ここまで案内をしているうちに二人の仲はより良くなっていた。
難波
「ほんま助かったわRABiちゃん。アンタがおーへんかったら、もっと探してたところやったで」
RABi
「気にしないで難波さん!難波さんの関西トークとっても面白かったよ!」
難波
「ナハハ!せやろ?…しっかしまぁ、えらい事になってもうたなぁ」
事故の件を思い出して難波は深いため息をつく。それはRABiも同じ思いだった。まさか夢の舞台であのような惨劇が起きるとは誰も思ってもいなかっただろう。
RABi
「明日には指示があるみたいだけど…どうなるかやっぱり不安だよね」
難波
「ホンマにな。…まぁ、ウチが一番気にしてんのは双葉やけどな。聞いた話やけど、目の前で人が下敷きになる瞬間見たらしいで?流石の双葉もそんなん見てもうたらトラウマになるやろ」
RABi
「それに…あの後も結局双葉さんに会えなかったしね。ハルちゃんは事務所から自宅に待機するように言われて先に帰っちゃったし…」
難波
「そういえば姫川からもグループトークが届いとったな。後で返してやらんとな」
RABi
「えっ、難波さんまだ返してなかったの?私もハルちゃんも直ぐに返したのに…」
難波
「しゃーないやろ!ここまでずっとバタバタしてたんやから!……一先ず!今は大人しく明日まで待つしかないわな」
難波は腕を組み首を横に振り、これ以上考えても仕方ないのを悟っていた。
RABi
「そうだね。……でも、悪いことばかりじゃなかったと思う」
難波
「んあ?」
RABiは煌めく瞳で難波を見て微笑み、彼女の手を握る。
RABi
「スタコレは本当に残念だったけど…私、難波さんと出逢えて良かったと思ってるんだ」
難波
「はぁ〜ん?どゆことや?…あぁ、先ゆーとくわ。百合営業はやらんで?」
RABi
「違うから!!…実は私【PP⭐︎STAR】のリーダーになってから、ずっとメンバーからキツい目で見られてて…仕方ないって思ってたけど、今日難波さんから教えてもらった【自信を持つ事】を今後は活かしていこうと思う!私はリーダーなんだから!もっとこう!堂々としようって!」
出逢った時はオドオドしてた彼女も、今は本来の自分の姿をありのままに表に出してるように見える。その姿に難波はニヤリと笑った。
難波
「なんや、ええ顔してんで自分?流石はウチよりも人気やった女やな」
RABi
「えへへ〜…そ、そうかな〜?」
褒められて照れるRABiに難波は握っていた手を引き寄せ突然ハグを交わす。
RABi
「え、ええっ?!難波さん?!」
難波
「アンタは口だけやなくてホンマに才能あるで。もっと自分に自信持ちや?また会える日を楽しみにしてるわ」
RABi
「!…難波さん……ありがとう」
驚いて固まっていたRABiも難波の励ましに嬉しくなってハグを返すのだった。東西の星々の友情は、誰よりも煌めき輝いていた。
………
PM21:11 グッド・スター事務所
午後の仕事も終わり、姫川は事務所に戻ってきた。TMAの事故のショックもあり、彼女の心はそれどころではなく、午後の仕事は全く集中が出来なかった。
精神的にも疲れ果ててる彼女はロビーのソファに一人座り、スマホの画面をじっと見続けている。画面に映るのは午前中に隠し撮りをした双葉の背中の姿。
本人に聞く事も出来ず、周りに相談する事も出来ず一人で抱え込んだこの写真。消すべきだと分かっていても、彼女の心に潜む独占欲が、指を削除ボタンまで動かさない。
姫川
(…何してるんだろう、私は)
一人大きな溜息を吐いて落ち込んでいる姫川に、一件のメッセージが届く。春香からだ。
姫川
(春香さん…?)
普段、仕事の連絡ぐらいしかメッセージが届かない彼女にとって友達からのメッセージは新鮮だった。彼女は迷う事なくメッセージを開く。
【姫川さん、お疲れ様です(*´-`)もう知ってるかとは思いますが、あの後TMAで事故が起きてしまって…今も双葉さんから連絡もなくて、私も直ぐに事務所に戻りたいんですけど、Sunnaの周りにマスコミが沢山集まってるから戻ってこないでって言われました】
読んでいる最中にもう一件と彼女から届く。
【姫川さんにこんな事書いても仕方ないのですが、双葉さんは大丈夫ですよね?何だかこのまま双葉さんに出会えなくなるんじゃないかって不安になってきて…(◞‸◟)】
文章から双葉への心配の気持ちが伝わってくる。彼女にとってかけがえのない存在へ、寄り添うことが出来ないのはとても苦しいのだろう。
姫川にとっても双葉は憧れの人であり、今の彼女の気持ちが心の底から理解出来る。自分の言葉で春香を元気にさせることは出来なくとも、友として返信のメッセージを入力した。
【大丈夫です春香さん。双葉さんは必ず私達の元に戻ってきます。今は信じて待ちましょう】
誤字がないかしっかりと確認して送信を終えると、姫川はスマホの電源を消し天井を見上げる。今はこの自分だけが知る秘密を抱えるのも忘れた方がいいのだろう。天井の白い面をじっと薄っすらとした目で見続ける。
姫川
(私は…どうすればいいのだろう…)
…………
PM21:30 東京総合病院 手術室前
薄暗い廊下の隅にあるベンチにKENGOはじっと座り、細田の手術の終わりを待つ。手術が始まってもう何時間も経っているが一向に終わりを迎えない。どうか無事に成功してくれ、それだけをKENGOは祈り続け手術室のランプが消えるのを待ち続ける。
聡
「ケンちゃん、やっぱりダメよ。双葉ちゃんに電話が繋がらないわ」
そう言って席を外していた聡は戻ってくる。彼も全身に硝子の破片による切り傷があり、先程治療を終えたばかりで暫くは安静にするように指示を受けていた。それからは病院で待機しつつも、双葉に連絡を入れようと何度も電話を試みているが、ずっと繋がらずに困っていたのである。
KENGO
「聡君…これだけ繋がらないとなると、もしかしたら双葉ちゃんのスマホも壊れてしまったんじゃないかな」
聡
「可能性は高いわね。…仕方ない。アティシ、今から直接会いに行ってくるわ」
KENGO
「いや、それは出来ない」
聡
「ハァ??」
KENGO
「これを見てくれ」
そう言って彼は自分のスマホを聡に見せる。
聡
「…!これって…」
映像には双葉が住むマンションの前で中継をするリポーターの女性が映し出されていた。彼女だけでなく映像に映っているのを確認するだけでも、他にも多くのテレビ局がマンションの前で中継しているのがわかる。
リポーター
『此方は双葉さんが住んでいると【思われる】マンションですが、彼女は未だ人々の前に姿を出さずにコメントを控えている状態です。我々としては、事故を目の当たりにした彼女のコメントも頂きたく…』
聡
「ちょっと…何よこれ…!」
今までたった数人しか知らなかった双葉の住んでる場所が、マスコミに情報が漏れている事に聡は驚愕した。KENGOは冷静に事の経緯を彼に伝える。
KENGO
「これはあくまで憶測なんだけど、TMAで双葉ちゃんを送る際に、見逃さなかった現地の取材班が居たんじゃないかな?この映像の後に小嶋君からは直ぐに連絡が届いてね。彼は【誓って情報を漏らしてません】と言って謝ってたよ」
KENGO
「二人が乗るタクシーを後から追い掛けて住んでいる場所を特定したのなら、今関係者が双葉ちゃんの家に向かうのはかなりマズイ。まだ彼等は可能性の内に留めているけど、それが原因で確定に変わってしまう」
聡
「ちょっと…!それじゃあ、今誰よりも助けが必要なあの子をほっとけってわけ!?」
KENGO
「言い方は悪いけれど…今はそうするしかない」
聡
「それは無理よケンちゃん!アティシ、今から行ってきてコイツらをシバいて…」
KENGO
「彼女の為なんだ!」
詰め寄る聡にKENGOの怒鳴り声が無音の廊下に響き渡る。ここが病院だということを思い出し、彼は溜息を吐くと再び冷静に話しだす。
KENGO
「…今のマスコミにとって彼女の気持ちなんてどうでもいいと思ってる。彼等が求めているのは【完璧な対応】なんだ」
KENGO
「少しでも隙を見せたら、彼等は双葉ちゃんに躊躇無く【パーフェクトモデル】としての質問責めを続けるだろう。そうなってしまうと本当に双葉ちゃんの心が壊れてしまう」
KENGO
「マスコミがあの子の付近に張り付いている限りは、居場所を【確定】に変えない為にも、此方からも近寄るわけにはいかない。分かってくれ、聡君」
聡
「…っ…」
KENGOに説得され悔しそうに聡は頷くと、彼の隣に座り細田の結果を待つ事にした。
すると、手術室のランプがフッと消える。
KENGO・聡
「…!」
彼はそれを見た瞬間に立ち上がり、今か今かと唾を飲んで待機する。
ゆっくりと手術室の扉が開くと、長時間の手術を終え汗を拭く先生が出てきた。
KENGO
「せ、先生!!…そ、その…結果…は?」
恐る恐る聞くKENGOの胸はドクンドクンと高鳴っていく。彼の一言で、細田の命運が決まるとなると、汗が噴き出し怖くて仕方がなかった。
先生は二人の方へ向くと目を細くして答える。マスク越しでもわかる。彼は我々を安心させるように微笑んでくれたのだ。
先生
「手術は無事に成功しました。細田さんは生きてます」
KENGO
「!!ほ、本当ですか!?」
聡
「よ、良かったぁ〜……」
嬉しく喜ぶ反応を見せるKENGOとは逆に、緊張から解放されて腰を抜かしその場で聡はへたり込んだ。
しかし、先生はその後直ぐに微笑むのを止めて真剣な眼差しで彼等に話す。
先生
「ですが、残念な知らせもお伝えしなければなりません」
KENGO
「…?残念な…知らせ?」
…………
二人は場所を変えて診察室へと移動する。先生は座り、今回の手術した部分の写真をボードに貼り出して順序よく説明をする。
先生
「まずですが…細田さんは奇跡的にあの瓦礫の山で致命的な怪我を負う事はなく助かりました。体の状態から見るに打撲跡が少なく、一度目の瓦礫で潰された際に瓦礫と瓦礫の間の僅かな隙間に倒れ込んだ結果、完全に潰される事は避けられたんだと思います。…あれ程の落下に生き抜いたのは、本当に奇跡だと思いますよ」
先生
「ですが下半身の損傷は非常に酷く、足の部分の神経は完全に機能を失ってしまいました。此方としても力を尽くしましたが…今後の回復も難しく二度と歩けないかと……」
KENGO
「車椅子……ということですね?」
KENGOの問いに先生は静かに頷く。
聡
「…っ…で、でも生きてて本当に良かったわ。車椅子は大変かもしれないけど…死んでしまったら元も…」
先生
「…申し上げにくいのですが、もう一つ悪いお知らせがあります」
聡
「…?」
先生
「落下物による強い衝撃は、頭部にも直撃していたみたいで…死に至るものではありませんでしたが、強いショックに現在も意識を取り戻してはおりません。脳への損傷はなく、幸い【植物状態】は免れたのですが…いつ目覚めるかは目処が立っておりません」
KENGO
「!そ、そんな…」
先生
「はい。ですので目覚めるまで当院での入院を薦めますが…如何しましょうか?」
聡
「…ケンちゃん。一度明美ちゃんのご家族に連絡をした方がいいんじゃないかしら」
聡の提案にKENGOは迷う事なくしっかりと答える。
KENGO
「…そうだね。こればかりは我々で決める事じゃない。だけど、彼女の入院費の負担や手続きは俺が何とかしようと思う」
KENGO
「細田さんはSunnaの為に尽くして…そして双葉ちゃんを助けた永遠の恩人だ。何が何でも最後まで彼女を支えると初めから決めてたよ」
聡
「…フッ、流石はケンちゃんね」
彼の決意に聡は惚れ惚れして男として尊敬する。先生もKENGOの言葉に頷くと立ち上がった。
先生
「細田さんの部屋まで案内します。どうぞ此方へ」
先生の先導に二人もついていき部屋を出る。
薄暗い廊下を歩き続け、一つの入院室に辿り着く。壁に貼ってある名札には【細田】と書かれていて、二人は改めて細田の命が助かった事を確認出来て安心が募る。
引き戸をゆっくりと開け暗い部屋に窓の外からは、都会の煌めく灯りが室内を少し照らしている。そんな窓際のベッドに、頭に包帯を巻いて静かに眠っている細田が横たわっていた。
細田
「……」
あまりにも落ち着いて寝ている姿に、今にでも何も問題なく起きてくれそうに思えるが…先生の方を見ると残念そうな表情で首を横に振る。
ふと細田が寝ている隣のテーブルには、レンズにヒビが入り、フレームが曲がった眼鏡が置かれていた。壊れてしまった眼鏡から、今回の事故がどれだけ悲惨なものだったのかヒシヒシと伝わってくる。聡は崩れないように、メガネをそっと拾って悲しげに見つめる。
聡
「双葉ちゃんにはどう伝えるべきかしら…」
KENGO
「そうだね…一先ずこのまま考えても仕方がない。今日はもう遅いし明日から対策を考えよう」
KENGOは先生の許可を頂き、起きることがない細田の隣に座り彼女を見守ることにした。聡は双葉のマンション付近まで近付きマスコミの動きを監視しに出て行くのだった。
…………
……
2月28日 AM6:55 Sunna
悲劇から一日が経った。どんよりとした曇り雲が都会の空を覆い、今にも雨が降りそうな天気となっている。昨夜、宿泊部屋にて黒木は双葉を待ち続けたが、結局連絡はなくSunnaに戻ってこなかった。
これ以上は勤務先にも事務所にも迷惑がかかると思い黒木は部屋を出て、早朝から出勤していた受付に感謝の言葉を述べる。こっそりと事務所の外を確認するも、幸いマスコミは既に居ないようで一先ずは安心出来た。
車も数える程しか走らず通行人も少ない、静かな街中を黒木は歩き続ける。有り難いことに今日は元から休みだった為、このまま家に帰ることにする。今は少しでも落ち着ける場所に居たいと思うからだ。彼はスマホを取り出し、店長と高田に昨日の感謝と状況を報告するメッセージを入力していく。
その最中、ふと顔を見上げるとビルの壁には大きな双葉の広告が目に映った。輝かしい姿に彼の足は立ち止まり茫然と見つめ、心の中の不安な気持ちがより強さを増していく。
黒木
(双葉さん…)
彼はメッセージを送信して、再び帰る場所に向けて足を動かす。彼はただ、双葉にまた会いたいと願う事しか今は出来なかった。
AM9:03
照明もない薄暗い部屋。昨夜から付けっぱなしのテレビ画面の明かりだけが部屋を照らす。テレビからの音だけが響く空間の中、ソファの上で体育座りで顔を俯かせて座る双葉がいた。いつもの元気を失い、放心状態が続く彼女に、一つの報道が耳に入ってくる。
ニュースキャスター
『速報です。昨日事故が起きたStar Collectionですが、開催延期が決まりました』
双葉
「……」
双葉は顔を俯かせたまま、ニュースに耳を傾ける。
ニュースキャスター
『先程行われた緊急会見では、Star Collection運営代表【北野 慎二】氏より説明が行われました』
【モデルの祭典でこのような事故が起きた事をとても悲しく思います。今回の事故の原因を調べる為、Star Collectionは延期とさせていただきます。
楽しみにしていたファンの皆様には申し訳ありませんが、事故の解明を急ぐよう努めてまいりますので再開の日をお待ちください】
ニュースキャスター
『次の再開日は未定で、開催日が決まり次第随時告知していくとの事です。…また、今回の事故による落下した天井の照明器具を担当した【丸印建設】は昨夜会見を行い謝罪しました。丸印建設の説明によると、照明器具を固定するネジの部分に問題があったと……』
双葉
(…スタコレ、中止になるんだ)
双葉はゆっくりと顔を上げてテレビ画面を見つめる。目元は赤く腫れている。
彼女の目に映ったのは、番組の下枠に流れているつぶグラのハッシュタグの書き込み部分のテロップ。スマホを無くしてしまった彼女は、この日初めて人々の反応を目にする。
【スタコレ中止か…まあこれは仕方ないよね】
【双葉の最後のランウェイが見れないのが残念すぎる】
【とりあえず双葉さんに怪我がなくて良かった】
…どうして?
【双葉さんからのコメントはまだなの?】
【双葉が海外に行く前にスタコレが開催出来たらいいのにね】
【事故現場の近くにいたんだよね?双葉さん大丈夫かな?】
どうしてこの人達は
ニュースキャスター
「今回の事故についてどう思いますか?」
ゲスト
「そうですね。怪我人が出てきたのはとても悲しい事ですが…これから海外に行く双葉さんは特に巻き込まれなくて良かったと思います。日本を代表するモデルが…」
細田さんの心配をしてくれないの?
双葉
「……」
双葉
「……こんなの私が求める【愛】じゃない…」
そう呟き双葉は力なく立ち上がる。
今
彼女の心に宿す光は
暗闇に包まれて消えてしまった。
顔を俯かせたままフラフラと洗面台へと向かい、誰にも気付かれない徹底した変装衣装を身に纏うと部屋から出て行く。
空は真っ黒な雲に覆われ強い雨が降り出す。マンションの前にて、合羽を纏い双葉の姿を捉えようとカメラを構え辛抱強く待つマスコミ達も、たった今、自分達の前を通り過ぎた女性が双葉だと気付く事はなかった。双葉は一人、フラフラと雨に打たれ街の中へと消えて行くのだった。光を失った彼女に、誰も見向きはしなかった。
………
AM9:59 東京総合病院 病室
一夜が明け、KENGOは眠り続ける細田の隣でずっと座っていた。彼は朝早くから細田の両親に電話で説明を行い、細田の看病と入院に伴う費用をSunnaが対応する事への許可を得た。
彼等は遠くの地方で住んでいて、足腰を悪くしている為直ぐには来れないが必ず娘の元へ向かうとKENGOに伝え、その言葉を聞いた彼も一先ずは安心が出来た。
残りは双葉だ。彼女に連絡をしようにもスマホには繋がらず、家に電話機を置いていないのも知っていたので連絡方法が途絶えていた。今はマスコミも彼女の家に張り付き、迂闊に近寄る事も出来ない。何か策はないかと考えていたところ、突然ポケットに入れていたスマホの電話が鳴りだす。
彼は消音に切り替えポケットから取り出し画面を見る。彼の電話帳には登録されていない見知らぬ電話番号。
このタイミングだと、何処からか自身の電話番号を入手したマスコミ関係者かもしれない。彼は警戒しながら電話を繋げゆっくりと耳に充てる。
KENGO
「…もしもし」
?
『……』
KENGO
「…もしもし?」
?
『……社長』
KENGO
「…!その声は…双葉ちゃん…?双葉ちゃんか!」
彼は漸く連絡が取れた双葉に興奮気味に立ち上がる。電話の先から聞こえてきた彼女の声は、力がなく弱々しいものだった。
KENGO
「連絡が出来て良かった!双葉ちゃん、聞いてくれ!細田さんは助か……!」
双葉
『…社長、お話があります』
KENGO
「……?」
静かに話す彼女の透き通った声が、KENGOの心に不穏を与えるのであった。