16話【本当の君】
PM20:06 同日 焼肉店【最強炭火焼肉ちゃん】
この日は華金の夜で店内は勤務帰りの人々で賑わい、店員も忙しそうに足早に注文を受け回っている。そんな人々に埋もれる様に角の座敷テーブル席では、ジョッキグラスを片手に斎藤と小嶋、そして対面席にはアリケンが座って乾杯をしていた。見ていて気持ちのいい一気飲みを披露するアリケンの姿に、小嶋は口が開き圧倒されている。
アリケン
「…っはぁー!!いやー!やっと時間を合わせられましたね!ほんっと、斎藤さんには御礼でもしないと気が収まらなかったというか…マジ今回はありがとうございました!おかげで登録者数も爆上がりですよ!」
斎藤
「ハッハッハッ、なんのなんの。私はただ、昔に調べていた情報を頼りにアリケンさんに提供しただけですよ」
店員は大量の肉を乗せた皿を運んでくる。アリケンは飲み終えたグラスを店員に差し出し指を立て【お代わり】を頼む。
店員は皿をテーブルに並べ終えるとグラスを手に取り、直ぐに引き下がる。アリケンは機嫌良さげにどんどんと肉を箸で摘み、網の上へと並べていく。腹を空かした今の彼等には、肉の焼ける音はとても心地よい音で幸福に満たされる。一通り肉を並べ終えると、アリケンは焼き加減の様子を見ながら喋る。
アリケン
「しっかし…双葉の情報ってガチで探せば案外直ぐにわかるもんなんですね。まさか、こんなにも簡単に秀樹さんが見つかるなんて思ってませんでしたし」
斎藤
「あの男が前から双葉の父だって事は前から分かってたんですよ」
アリケン
「それも昔に調べてた情報で?」
斎藤
「えぇ。…まぁ、調べていたのはあの男に関してではなく、あくまで双葉の情報のおまけ程度で分かっただけの事なんですがね」
小嶋
「先輩、さっきから言ってる昔の情報って何なんですか?」
彼の質問にアリケンは馬鹿にするように爆笑する。既に酔ってるようだ。
アリケン
「ダッハッハッハッ!!えっ、斎藤さん?小嶋君に何も教えてないの!?部下なのに!?」
まるで人を馬鹿にするような笑いに小嶋はあからさまに苛立っているのが顔に出ている。斎藤はしっかりと焼けた肉を箸で摘むと、小嶋の皿へと入れる。
斎藤
「まぁこれは俺の仕事ですからね。コイツは知らなくてもいいんですよ」
小嶋
「そんな事言わずに教えてくださいよ。俺だって一人の記者ですよ?」
斎藤
「まあまあ、お前は肉でも食っとけ。今日はアリケンさんの奢りだぞ?」
不服そうではあるが、小嶋は彼の言われるがままに皿に入れられた肉を食べる事に集中する。アリケンは斎藤の面白くない反応に不満があったのか、勝手にわざとらしい説明口調で話し出した。
アリケン
「海外出張で多忙な男の実態は、借金塗れの三股男!名前も取り立て屋から逃れられる為に偽名にして、瞳も目立つから毎日サングラスで隠し続けてきた」
小嶋
「んぶっ!?」
アリケン
「…ハッハッハッ!!まさか【パーフェクトモデル】の父親が、絵に描いたようなクズ男だなんて誰も想像してないでしょうね!!」
アリケンの言葉に、食べている最中だった小嶋も思わず咽せて何度も胸を叩く。アリケンは無知な彼に疼いてどうしても教えたかったのだろう。【余計な事をするな】と言いたげにアリケンを見ながら斎藤は溜息をつく。
小嶋
「かはっ…ぺっ…!…ま、マジですかアリケンさん!?」
アリケン
「マジマジ。だから僕が借金を払う代わりに、話題作りにチャンネルへ出演してくれって頼んだんだよ」
アリケン
「いやー、訪問した時はさ、凄かったんだよ?服はボロボロだし部屋は何にもないし…情報を入手するものを一切持ってなかったから、自分の娘が【パーフェクトモデル】と呼ばれているのも知らなかったしね!」
小嶋
「な、なんで…?WeTubeとかテレビに出演してた時は凄く良い人そうだし綺麗に見えましたよ!?っていうか、そこまでしてアリケンさんにメリットなんかあるんですか!?」
必死に聞いてくる彼を面白がるように悪い笑みを浮かべ、アリケンは答える。
アリケン
「そりゃあ、再生数稼げるからに決まってるじゃん?汚いおっさんを映しても誰も双葉の父親だなんて信じないからね。沢山お金を渡したんだから、少しぐらいは演じてもらわないとねー。おかげで今も再生数止まらずバズりまくり!視聴者のお涙頂戴も超ちょれーっすわ!」
小嶋
「そ、そんな…」
真実を知った小嶋は酷く落胆して俯いて食べる気も無くしてしまった。目に見えて分かる彼の落ち込み具合に、アリケンも態とらしく斎藤に振る。
アリケン
「あー!これは言っちゃあ不味かったですかねー斎藤さん?」
斎藤
「ここだけの話でお願いします。小嶋、お前もこの情報を漏らすなよ」
斎藤はアリケンの態度に眉がピクつき、ポケットからタバコを取り出す。
斎藤
「そして先日には海外出張を理由に再び世間の目から姿を消した…恐らく、裏でSunnaが動いたでしょうね。これ以上余計な事をされたくなかったでしょうし」
斎藤
「此方にSunnaから連絡が未だに無い辺り、今回の件であの男は我々が呼び出した事はまだ気付いてないでしょう。アリケンさんも安心して良いんじゃないですか?」
アリケン
「いやはや、この一連の流れも斎藤さんが予想していた通りでしたね!流石っすわ!」
タバコを咥え火をつけようとするも、ライターが見当たらずポケットに何度も手を当てて探す。小嶋が代わりにライターを取り出し隣から彼のタバコに火をつけた。
小嶋
「せ、先輩はどうしてこんな事をしたんですか?」
眉が下がり今にも泣きそうな表情をしている彼に、斎藤は冷たい目で見返す。
斎藤
「双葉が家族の情報を隠していたのは、あのクズ親を世間に見せたくなかったからだ。それが今回人々に晒された事で当の本人もかなり動揺してるだろう」
斎藤
「人間はな、心が揺らいでいる時はうっかりとボロを出してしまうもんなんだよ。双葉はどんなに完璧人間であろうと一人の人間に過ぎないんだ。だから、こうして外からじわじわと隠し続けてる本心を揺らしてやれば…」
斎藤
「軈て笑顔の仮面は剥がれて、特大記事を書き上げるのに絶好な姿を晒してくれるはずだ。俺はそれを書きたい。それが理由だ」
煙を吐いてタバコを灰皿へと乗せる。誰もひっくり返さないで焦げて萎んだ肉を箸で掴み、斎藤は口に入れ硬くなった肉を噛みながら話す。
斎藤
「小嶋。父親の件は、双葉が何かやらかした時に一緒に載せる為にとっておく。燃えてもない場所にガソリンを撒くよりも、批判の炎に燃えてる時に燃料を足す方がよく燃えるからな。だから絶対に話すなよ」
アリケン
「うわ〜斎藤さん、えっぐいすね〜流石は多くの芸能人を叩き落としたお方だ!…っと、電話か。ちょっと、席外しますね!はいはい、お疲れさんです!」
アリケンはスマホを片手に立ち上がり外へ出ていった。焦げた肉は不味かったのだろう、斎藤は苦い表情をしてビールで流し込む。
ふと、小嶋の方を見ると彼は肉を一切食べずに俯いたままだった。斎藤は溜息をつくと灰皿に置いていたタバコを咥え彼の皿を手に取り、代わりに網の上で焼けている肉をどんどん回収して入れていく。
斎藤
「ほら食えよ小嶋。お前そんなキャラじゃねえだろ」
小嶋
「…最低です」
斎藤
「…?」
小嶋は動揺を隠せない震え声で発する。
小嶋
「先輩もアリケンさんも最低ですよ。何でこんな酷いことするんですか?双葉さんは何か悪いことしましたか?」
小嶋
「僕は、ネガティブな記事を書く為に記者に就職したわけじゃないですよ!みんなが見て楽しめる記事を書きたいんです!なのに…これじゃあ、悪い方向へ俺達が誘導してるだけじゃないですか…!」
目の前に置かれた自身の皿に盛られた肉を、一切口につけず悔しそうに見つめている。
その様子を見て斎藤は、小嶋の背中を優しく叩く。これまで自分を雑に扱ってきた男の意外な行動に、驚いた表情で斎藤の方へ振り向いた。彼は見返す事もなく、肉を焼く事に専念する。
斎藤
「お前は良い奴だよ、小嶋」
小嶋
「えっ…?」
斎藤
「俺も若い頃はお前みたいに人々が喜ぶ記事を作ろうって目を輝かしてたもんだ。……でもな、この仕事を続けていくうちに、ある答えへと辿り着くんだ。それはお前もこの道でやっていくなら、必ず打ち当たる答えだ」
彼はそう言って、隅に忘れられていた真っ黒に焦げた肉を拾い上げる。
斎藤
「読者は【幸福な記事】よりも、【不幸な記事】を求めているんだってな」
………
PM 20:49 都内のとある公園
黒木
「お待たせしました、双葉さん」
粉雪が降る寒く暗い公園の中で、双葉はベンチに座り自販機のホットココアを2人分用意して黒木は戻ってくる。
双葉
「ホットココア!丁度甘いの飲みたかったんだよね」
いつものように輝く笑顔で、嬉しそうに彼から缶を受け取った。黒木も微笑み返して双葉の隣へと座る。
双葉
「ごめんね、最近忙しくてずっと連絡出来なくて…」
黒木
「とんでもないです。何とかスマホのマップを使って事務所まで行けたので…警備員の人に双葉さんに会いたいって言っても、モデル志望だって思われてしまいました」
双葉
「あはは、黒木さんは身長も高いしカッコいいからね。モデルになれるよ、Sunnaにくる?」
黒木
「ハハ…やめておきます」
久々の再会でも、いつもと変わらぬやりとりが場を少し和ませた。
寒い夜にホットココアが二人の手を温める。黒木はこの寒さに彼女へ配慮して近くの店に行こうと提案したが、双葉は「この公園で良い」と言って訪れたのだ。彼女はホットココアの蓋を開けず、微笑んだまま缶を見つめるように俯いている。いつも通りに見える彼女の様子も、黒木には少しおかしい事に気付いてきた。
黒木
「…何か、あったんですか?」
黒木の問い掛けが分かっていたように、双葉は直ぐに返す。
双葉
「大丈夫だよ。寒いなーって思って…手を温めちゅー」
黒木
「…目が腫れて鼻も赤くなってて…さっきまで泣いてたんですよね?」
双葉
「……」
いつでも真剣に向き合ってくれる彼には、この心境を誤魔化せないようだ。黒木は彼女の顔を覗き込み見つめた。
黒木
「…先日のお父さんとの再会した時の笑顔も、嘘ついてるんだって思いました。もしかしてですが…お父さんに関係する事ですか?」
双葉
「どうして嘘をついてるって思ったの?」
【嘘】というワードに突っかかるように双葉は彼に聞く。いつもの穏やかな彼女と違い、今は気が動転しているのも黒木は見抜いていた。彼は冷静に、落ちてくる雪を見上げながら答える。
黒木
「…俺と居る時は、あんな笑顔じゃなかったから…ですかね」
双葉
「え…?」
黒木
「それだけじゃないです。雑誌でも、テレビでも、街の広告でも、毎日双葉さんの笑顔をずっと見てきました。だから何となくですが…わかるんです。いつも楽しそうに笑う貴方だからこそ…あの時に見せた笑顔は【嘘】だって」
双葉
「……そうなんだ」
黒木の返しに、彼女の缶を握っている両手はギュッと力が入る。思い詰めてる彼女に、黒木はそっと片手を添える。
黒木
「双葉さん、覚えていますか?本当に困った時がきたら、俺に相談するって言ったのを」
双葉
(…ダメ。言わないで)
黒木
「…今が、正にその時じゃないですか?」
双葉
「………」
俯き缶を見続ける彼女の重い口は開く。
双葉
「…あはは、そう言えばそんな事言ってたかも」
双葉
(ダメ。こんなのダメ)
双葉
「黒木さんの言う通り…今の私は困ってるのかもしれないね」
双葉
(今まで上手くやってきた。弱い所をずっと隠してきた。ファンに見せちゃダメなんだって)
彼はゆっくり話す双葉に真剣な表情で相槌を打ってくれている。その姿に、双葉の口はどんどんと動いていく。
双葉
「…あのね、聞いてくれる?」
双葉
(ファンが求めるのは【完璧】の私。こんなの話したら私は【完璧】じゃなくなる)
黒木
「俺で良ければ…どんな事でも聞きますよ」
双葉
(私に優しくしないで。どうして貴方はいつもそうなの?その真っ直ぐな目で見られたら…話してしまいそうになるよ。貴方の前でも【パーフェクトモデル】でいたいのに…こんな事を話したら、貴方は…)
双葉
「私…」
双葉
(私に幻滅しちゃうよ)
双葉
「……」
口が閉じて黙り込んでしまう。彼女は気付いていないが瞳には涙が溢れて溜まっていた。
黒木は優しく彼女の手を缶から離して自分の手へ握らせる。その手の優しい温もりを感じて、彼が双葉を【友達】として心の内を打ち解けてくれる事を思い、取った行動である。
その思いが届いたように双葉の手は強く握り返し、再び口が開く。
双葉
「……細田さんと喧嘩したんだ。私が我儘なせいで…」
次の瞬間、彼女の溜まっていた涙はボロボロと溢れ震え声で、どんどんと自身の秘めていた思いを曝け出してしまう。余程溜まっていたのだろう、口は止まる事なく動き続ける。
双葉
「今まで喧嘩したこともないのに…後数ヶ月でお別れだなんて急に言われたからさ…私、あの人が居ないとどうする事も出来ないのに…認めたくないからって喧嘩しちゃった…!」
双葉
「私に優しくしてくれたのに…ここまで連れてきてくれたのに…!私…細田さんの事も考えず勝手な事言っちゃって…!」
双葉
「嫌われたら…どうしようって…!誰にも嫌われたくないのに…!」
弱々しく言葉を吐き出し、身を丸くして彼女は震え泣く。【パーフェクトモデル】と呼ばれ崇められる人間が今、人々に見せてはならない哀れな姿を、黒木は目の当たりにしている。
しかし、彼にはそんな事どうでも良かったのだ。震える彼女に、自分のコートを直ぐに脱いで羽織らせ、少しでも温めようと側に寄り添う。彼の心から尊敬する彼女への思いが、今自分は何をすべきなのかを本能でわかっているのである。彼は双葉の思いを聞いて優しく話す。
黒木
「…双葉さん。喧嘩をして細田さんが貴方を嫌いになる事なんて絶対にないですよ」
双葉
「え…?」
黒木
「あの人は双葉さんのことを本当に大切にしてる人なんだって、ファミレスで話をした時によく分かりましたから。喧嘩の内容はわからないですが…細田さんはそんな人じゃないって俺は言い切れます…後、最近神田さ…ジュリさんと言い合いになって俺自身気付いたこともあるんです」
双葉
「ジュリちゃんと…?」
黒木
「はい。ジュリさんが双葉さんの悪口を言っていた時、俺は我慢が出来ず怒り返してしまいました。でも、それって【相手の事を思っているから怒る】んだって」
黒木
「どうでも良いと思われていたら、怒られる事すらなくなるんだと思います。周りに無関心だった前までの俺なら、きっとジュリさんに双葉さんの悪口を言われても、そんな風には返せてなかったと思います」
黒木
「双葉さんと細田さんが喧嘩をしたのなら、それはお互いに相手を思っての喧嘩ですよ。それ程、お二人は信頼しあっているんじゃないですか?」
そう言って黒木は手を強く握り安心させるように微笑む。双葉は、彼の温かみある言葉に涙を流し続け、信頼が出来る友達の瞳を見つめる。
黒木
「まぁ…喧嘩しない事が一番良いんですけどね。すみません、俺みたいなのが分かったつもりに話してしまって…あっ、ジュリさんとも今は和解して、悪口を言ってたのも反省してましたからね?」
双葉
「…黒木さんの言葉に、凄く安心出来た。…そうだよね、細田さんは私の為に怒ってくれてるんだよね。…私、細田さんを大切な人だって言ってる癖に、全然信用してないじゃん…それなのに嫌われたくないなんて…バカだよね」
涙は止まるも、自分の愚かさに俯いて彼女はまだ元気がないようだ。彼女が元気になる方法はないか、黒木は大切な人の為に必死に考え、ある事を思い出す。
彼は「これだ」と頷いて立ち上がり、双葉の前に立つと手を差し出す。
黒木
「双葉さん。まだ時間があるのなら、少しだけ付き合っていただけませんか?」
双葉
「…?何処かに行くの?」
黒木
「はい。【趣味探し】に行きましょう」
………
PM22:03 ロックンロール・バー【EDGE】
若者
「ヒャッハァー!!!」
爆音のメタルソングで店内をビリビリと響かせ、パンクファッションの若者達が気が狂ったように踊り散らかす。流れるデスボイスに一同は頭を上下に揺らし、見事に一体感を作り上げている。
狂気的な絵面に、流石に双葉であろうと入店した瞬間、目が点になり唖然としていた。まさか黒木が、こんな派手な場所に連れてくるとは考えてもなかったのだ。
双葉
「…凄い所にきたね」
黒木
「やっぱり…凄い所ですよね。でも【スカッとするにはサイコーの場所】だって、この間ジュリさんが言ってました」
双葉
「ジュリちゃんが?…っていうか、さっきの話もそうだけど、黒木さんとジュリちゃん知り合いだったんだ」
黒木
「あっ、彼女は言ってないんですね。あの子は今俺の働いてるスーパーでアルバイトしていて…いや、この話はまた今度にしましょう」
黒木は踊る人々に近付いていき、双葉の方へと振り返り手を差し出す。
黒木
「双葉さん、彼等のように俺達も踊ってみませんか?今の暗い気持ちが、もしかしたら晴れるかもしれませんよ?」
双葉
「……」
黒木の差し出した手を握り引き寄せられた次の瞬間、双葉は激しい曲に合わせて、体の全身を使って滅茶苦茶に踊り出す。
双葉
「ワァーッ!!!」
中身のないダンスに爆音の音楽へ負けないぐらいの大声で叫び回る。普段じゃ絶対に見られない彼女の無茶苦茶な姿に、黒木も初めは驚いていたが、真似をするように続けて我武者羅に踊り出す。
黒木
「わ、ワァー…!」
しかし普段から大声を出すこともなく、踊りなんてした事もない彼には、カクカクとしたぎこちない踊りで力の抜けた叫びしかできなかった。
双葉
「…!!ぷっ、ふふっ…!あはははははっ!!」
その姿を見た双葉は踊りを止めて思わず吹き出し腹を抱え、黒木を指差して大きく笑う。かなりツボったのだろう、彼女は涙を流しながら笑い続ける。
双葉
「く、黒…黒木さん…!?なにそれっ!?ちょ…ほ、ほんと…ダメ…アッハッハハハハハ!!」
黒木
「わ、ワァー…!」
黒木は恥ずかしがりながらも踊り続けた。笑い続けてくれる彼女の笑顔をずっと見られるのならと。
双葉は笑い疲れ黒木の隣に並ぶと、彼と同じように再び滅茶苦茶に踊り出し、只管に叫び続けた。今の彼女が流す涙は、【悲しみ】から【喜び】へと切り替わり、この踊り狂う空間が、心の底から楽しく感じるのであった。
バーカウンターでは、アルバイト中のジュリが店長と一緒に食器を洗っている。店長は周りの客に、全く合わさず踊って目立つ二人に気付いてジュリの肩を叩く。
店長
「おうジュリ。この間のニーちゃん、また来てるぜ?」
ジュリ
「え?マジすか?…んんっ!?双葉先輩…!?」
黒木がいる事も珍しく思うが、ここへ来るはずのない双葉も居る事にジュリはギョッと驚いた。
明らかに場違いであるが、二人の表情は見た事がないぐらいに笑い合って楽しそうにしている。その姿が見ている人間にも楽しさを分け合う尊いものに見惚れる。
ジュリ
「…あの人達、あんなに笑えるんだ…」
店長
「知り合いだろ?ジュリちゃんも踊ってくるか?」
ジュリ
「いえ、バイト中なんで。…それに、あの二人の邪魔はしない方が良いでしょ」
店長
「あー。まぁ、それもそうだな」
ジュリに見られている事も知らず彼等は踊り続け、雪が止まない長い夜を楽しんだ。この激しい空間は、双葉に降り注いでいたストレスの負荷を吹っ飛ばし、沈み切った心は元気を取り戻していくのだった。
………
AM0:21 帰り道
何も考えず踊り続けていると、すっかり日は越してしまった。流石に疲れ果てた二人は店を出ると、灯りも消えていく静かな都内の歩道を歩く。雪は止んでいたが、街の隅々には微かに積もっていた跡があり、さっきまでは降り続けていたのがわかる。
元気を取り戻した双葉は、嬉しそうな表情を見せ手を後ろに回しルンルンと歩いている。その姿を黒木も嬉しそうに見守って微笑み、隣を一緒に付いて歩く。
双葉
「はぁ〜…!あんなに楽しい場所があったんだね!おかげで気持ちが楽になったよ!」
黒木
「俺は明日は全身筋肉痛になってると思いますね…」
双葉
「私にとっても良い刺激になったよ!黒木さんは?」
黒木
「楽しかったですけど…一生分踊った気がします」
双葉は黒木の前に回り込んで正面に立ち、彼を立ち止まらせた。
双葉
「…本当は趣味探しじゃなくて、私の為に連れて行ってくれたんだよね?…ありがとう、黒木さん」
そう言ってニコッと笑顔を見せる。あの時に見せた【嘘の笑顔】ではなく【本当の笑顔】を久しく見た黒木の心はときめき、彼も嬉しそうに笑う。
黒木
「そう言ってくれると…俺も嬉しいです。双葉さん」
すると、彼女はスッと黒木に手を差し出す。
黒木
「?」
双葉
「…ねぇ、寒いしさ?手を握って帰ろうよ?」
黒木
「…え?いやいや…それは誰かに見られちゃ不味いですよ」
断る権利もなく双葉は黒木の手を取り引き寄せて、しっかりと手を繋いで隣にくっつき歩く。
黒木
「…?!ちょっ…!」
双葉
「ほら、こうした方が温かい♫」
黒木
「俺はお兄ちゃん俺はお兄ちゃん俺はお兄ちゃん…」
万が一の事に備え、自分は兄だという設定を思い出し、上手く演じる為言い聞かせるのにぶつぶつと念じる。
しかし、彼女が握る手にはまだ寒さとは違う、微かな震えに黒木は気付き、念じるのを止めて双葉の方を見る。元気を取り戻したはずの彼女だったが、俯いて帽子で表情は隠れている。
双葉
「…ごめんね。もう少しだけこうしていたいんだ。今日だけは、私の我儘を許して」
黒木
「……わかりました」
その言葉に黒木は前を向いて、握る手を強く握り返し、灯りのない都内をゆっくり帰っていく。彼は彼女の為に、彼女は彼に甘えたい為に、其々の思いで手を握り続けるのであった。
………
AM1:11 都内のマンションの一室
真っ暗な自室で机の上の資料を端に除けて、ノートパソコンの電源を付ける。画面の照明は真っ暗だった部屋を照らし、斎藤は資料の山の上に置いてあるタバコの箱を手に取ると、火を付けることもなく一本咥えてパソコンの前へと座った。
パソコンが立ち上がるまでの間、斎藤は机に置かれた一冊の古い雑誌を手に取りページを開く。雑誌の表紙名は【消えた芸能人!あの人は今!】
斎藤
(桜井秀樹…コイツが6年前の別記事による取材情報から出てくるなんてな)
ページを捲っていき、70ページ目にてその手は止まる。
【16年前に活躍した元モデル『星谷 美花』都会を離れひっそりと田舎暮らしをする先に待っていたのは…自殺だった!】
【星谷美花は当時『MIKA』で活動をしていたモデル。16年前の結婚を機にモデル業を引退した。それからは人々の前から突然姿を消して、苗字を『桜井』に変えて田舎に住んでいたようだ】
斎藤
(…双葉を見ていてずっと違和感があった。あの女の顔は、何処かで見たことがある顔だった)
【しかし、当時を知る地元の人々の話によると夫とは既に離婚。(※いつ離婚したのかは不明)
それから娘と同居していたそうだが、6年前に娘を置いて自殺をしていた。詳細は不明だが、金銭や人間関係のトラブルがあったようで精神が不安定になっていたらしい】
斎藤
(…だが、桜井秀樹の情報を纏めるのに、当時俺が書いたこのページを久々に読み返して、その違和感の謎が解けるとはな)
【夫は今何処にいるのかは不明だが、星谷から桜井への苗字の変更に、MIKAが現役だった頃付き合っていると言われていた『桜井秀樹』の可能性が高いと思われる】
【また、娘の名前は現地の人々は知らずどんな子なのかも覚えていないようだ。人前に殆ど出なかったらしい】
【娘の消息も不明で誰に引き取られたか、保健所に行ったのかも謎に包まれている。もしも無事に引き取られていたとしても、両親が居なくなった心の傷を癒やす事は簡単なものではないだろう。私は、娘の無事と未来を心より祈っている】
斎藤
(…まさか俺が娘の未来を潰そうとしてるなんて思わなかったよ)
ページの端に載せられた古い写真には、双葉と容姿が瓜二つの女性が写っている。
女性の名は【星谷 美花】
斎藤
(…今一度、MIKAの情報を整理すべきだな)
斎藤は準備が出来たパソコンのモニターに目を映す。画面には現役時代の美花と思われる人物と、その横に並んで立つ若い頃の細田の写真が表示されていたのであった。