72話【君にとっての『光』】後編
都内の正午。天高く輝く太陽は、街を仄かに温かく包んで照らす。何でもない平日のこの時間だが、街中は人々で溢れかえっていた。観光を楽しむ者、昼休みに食事へ向かう者…この街の人々は、其々の意味を成してその足を動かしている。
そんな人々と共に歩むのは黒木とRABiも同じであった。彼等も同じく、お互いに意味を持って今日再会したのである。…と、そう思っているのは黒木だ。RABiの方はというと落ち着いていられずソワソワと、気が気でない状態であった。
RABiは今、自分が生きてきた人生で初めて、異性と二人っきりで街を歩いている。前日までなんて事はないと思っていたはずなのに、いざこうして一緒に歩くと、思いの外緊張してしまっているのを自覚していた。どうやら友達と一緒に歩くのとは訳が違うみたいだ。
これは決して【デート】ではない。
そう分かっていても、双葉からの後押しの言葉もあってか、どうにも落ち着かない。何か話をしようにも、黒木は黙々と歩き続けていて、どのタイミングで話し掛けたら良いかも分からない。
そうこうと一人で苦悩している彼女の事など知らず、黒木は遂に話し掛けてくる。
黒木
「またこうして会ってくれて嬉しいです。RABiさん」
何の前触れもなく唐突に話しかけてくる彼に驚き、慌てふためきながらもしっかりと返事をする。
RABi
「え!?あっ、そうだね!私も今日が楽しみだったんだよねー。いやー、つい最近までずーっとスタコレのリハだったからさ。1日休みを挟めるのは超ラッキー的な?」
黒木
「リハーサルを?それはお疲れ様です」
RABi
「うん!ありがとう!…でもさ、夢の舞台へ遂に出られるって考えたら、ここまで大変だったけど楽しかったって気持ちの方が強いかな?明日がチョー楽しみで楽しみで!」
黒木
「そうですか」
相手から話しかけてくれるとRABiも合わせやすく、口を軽々と動かす。そしてこの話題から、RABiは気になる事を黒木へ尋ねた。
RABi
「ええと、マコッチは明日のスタコレに来てくれるの?」
黒木
「え?」
RABi
「あっ、ほら…だって、双葉さんも出てくるしさ?前のチケットは確か持ってたんだよね?それなら来て…」
黒木は真顔のまま、少し俯いてその質問の答えを返す。
黒木
「…いえ、前のチケットは持ってたみたいなんですが…記憶がないせいで手続きを怠ってしまって、今回は見に行けないんです」
RABi
「あー……そ、そうなんだ。へぇー……」
聞いてはいけない様な質問をしてしまったかの様に、RABiは気まずそうに笑顔が引き攣っていた。
だが、黒木の横顔を見るに、彼自身はあまり気にしている様には思えなかった。恐らく記憶のない黒木にとって、スタコレなんてものは興味がないのである。
二人の間に再び沈黙が続き、ただ黙って街を歩き続ける。出会ってから数十分、今更ながらこの歩く先が何処へ向かっているのかRABiは疑問に思った。彼女は話題作りにと黒木へ問いかける。
RABi
「そ、そういえばさ!さっきからこうして歩いているんだけど…何処に行くかって決めてる感じ?適当に歩いてるなら、一旦何処かで話が出来る場所で…」
黒木
「…退院した日」
RABi
「?」
RABiの提案を聞かず、黒木は顔を上げて歩き続けながら、淡々と話し始める。
黒木
「退院したあの日。俺の手元にはスマホが返ってきたんです。普段はニュースやメールを使う以外に見ることはないのですが…友人と喧嘩をした日、何故かアルバムを見たくなって開いたんですよ」
黒木
「…そこにあったのは俺と双葉さんが一緒に写っている写真ばかり。記憶を失う前の俺は、双葉さんと並んで撮っている時、とても幸せそうな顔をしてました。…それは、双葉さんも同じです」
黒木
「…双葉さんは、俺との関係を【家族ごっこ】だと言っていました。…でも、あの写真からは【家族ごっこ】というものじゃ、言い表せない何かが伝わってくるんです」
黒木は立ち止まりRABiの方へ体を向けると、綺麗な姿勢でゆっくりと頭を下げる。
黒木
「…RABiさん。俺は今からその写真に写っていた場所を巡り回りたいんです。そうすれば何か思い出せるかもしれないって……どうか、こんな我儘な提案に付き合ってくれませんか?」
RABi
「マコッチ…」
隙がなく丁寧な頼む彼の姿勢に、RABiは迷う訳がなかった。黒木が顔を上げて彼女を見ると、嬉しそうに笑いながら親指をグッと上げてくれていたのである。
RABi
「そんなの大丈夫に決まってんじゃん!今日はマコッチの記憶取り戻し大作戦の日なんだからさ?私に出来る事はどんどんと言っちゃって!!」
黒木
「RABiさん……ありがとうございます」
RABi
「そうと決まれば早速行こう!さっ、案内よろしくぅ!」
前に進もうとしている彼の姿が嬉しく、RABiも気合いを入れて張り切る。黒木はしっかりと頷くと、スマホを片手に思い出の場所へと向かうのであった。
………
二人が訪れたのはカラフルな装飾を飾ったレストラン。一見すると女性受けしそうな店だが、メニューを見ると高級料理店というのが直ぐに分かった。普通に過ごしている中で、絶対に訪れる事はないであろうこの店に、黒木は懐かしさよりも困惑が勝ってしまう。
だが、写真を見ると黒木と双葉は確かにこの場所へと訪れているのだ。美味しそうなコース料理を机一杯に広げ、緊張している黒木を置いて燥ぐ双葉との写真。
このコースを再現しようとするも、その驚きの価格に黒木は踏み留まった。このコースを頼んでしまうと、暫くは節約生活を余儀なくされるだろう。苦渋の末、震え声で注文しようとするが、金銭感覚を察したRABiが代わりに支払うと名乗り出た事、でこの問題は解決するのであった。
あの時と変わらない。全く同じコースを食べてみる。経験したことのない極上の味が口いっぱいに広がり、これが贅沢というものなのだろうと全身で感じる。だが、その感想だけで他に何かあるわけではない。このお店での体験だけでは、何も思い出せないのである。
セレクトショップでファッションをしてみても
流行りの極上十段パンケーキを食べても
ゲームセンターでダンスゲームにチャレンジしてみても
美術館、ペットショップ、CDショップに本屋…
写真に映る場所へ次々と向かい、あの頃を再現するかの様に同じ体験をしてみても、黒木は新鮮な気分になるだけで、何も思い出すことが出来なかった。
…そんな様々な体験を終えた頃には、すっかり夜になってしまっていた。2月は日が沈むのがとても早い。街は照明の灯りに包まれ、人々は寒い空気に耐えながら帰宅していく。
そんな中、二人は今日の体験を振り返りながら公園のベンチに座って、歩き疲れた足を癒していた。結局、何も思い出せなかった黒木は、片手で頭を抱え肩を落として落ち込んでいる。
黒木
「すみません…こんなにも付き合わせてしまったのに…何の成果もありませんでした」
RABi
「いいっていいって!目が覚めてから日も浅いし、これで思い出せたなら奇跡って感じだったし?それよりも私も色々と体験出来て、楽しい休日になっちゃった!」
落ち込む彼を見てRABiは笑顔で励ます。その溢れる輝きに、黒木も少し気が楽になると微笑みを返した。
黒木
「…ありがとうございます。思い出す事は出来ませんでしたが……RABiさんと一緒に色々と体験出来たのは良かったです。俺も楽しかったです」
RABi
「…!そ、そう!?それなら良かったじゃん!ウィンウィンってやつかなー?アハハー?」
不意を突くような言葉に、RABiは笑って誤魔化す。彼の言葉を聞いて胸の鼓動が高鳴り、頬が少し赤く染まる。
黒木には敢えて言わないが、本当に今日の1日がとても楽しかったのである。一度は経験しているであろうはずの彼が、どんな事だろうと初めて経験した様なリアクションをしている。それを側で見ているだけで、ワクワクが止まらなかったのだ。
今まで見てきた黒木はファンの一人としての姿。今日目の前で見ているのはプライベートの姿。きっと、【自分の大切なファンの日常】を目の当たりに出来た事で、RABiはとても幸福に感じていたのである。
RABi
(…マコッチ、凄く楽しそうだったな。双葉さんと一緒にいた時も、こんな感じだったのかな)
RABi
(私も思い出す為の協力だったはずなのに…途中から楽しむ事ばかり考えちゃってたな……)
スマホを見ている黒木の横顔を、ぼうっと見つめ今日の事を振り返る。
人生初の異性とのお出かけ。初めは緊張はしたけれども、終始楽しく過ごせたこの一日の体験を、RABiは生涯忘れる事はないのだろう。
この感じた事のないキラキラとした感情は
双葉が言う【恋】なのかもしれない。
黒木
「もう時間も遅いですし、駅に向かいましょう」
RABi
「…え?あっ!う、うん!そうだね!」
彼の一言にハッと我に返り慌てて立ち上がる。黒木もRABiは明日を控えているので、これ以上付き合わせてはならないと思っていたのだ。
二人は他の通行人と共に夜の街を歩く。先程まで晴れていた空は雪雲によって覆われ、少しずつ粉雪が降り出していた。駅に着くまでの合間、二人は今一度今日の1日を振り返り会話が弾む。たった数回しか会った事のない関係でも、この1日を通して、お互いに遠慮無く笑い合えるまで距離は縮んでいた。
だが、そんな楽しい時間も永遠に続くものではない。目的地の駅へ到着すると黒木は途端に足を止める。急に止まるものなので、数歩先に歩いてからRABiは気付いて、思わず彼の方へと振り返る。
RABi
「…マコッチ?」
黒木
「ええと、ここまでですね。俺、帰り道こっちじゃないので…」
RABi
「え!?じゃあ私の為にここまでついてきてくれたの!?」
黒木
「はい」
RABi
「えー?どうして?そこまでしなくてもいいのに…!」
RABiは申し訳なさそうにしているが、黒木は揺らぐ事のないその瞳でRABiを見ながら嬉しそうに微笑む。
黒木
「変な事を言ってるのかもしれないのですが…見送るギリギリまで一緒にいたいなって思って…」
RABi
「え?」
黒木
「その…今日は本当に楽しかったんです。RABiさんが楽しい一日だって言ってくれて、貴方と同じ気持ちになれて凄く嬉しかった。だから恥ずかしい話なんですけども、見送る最後まで一緒にいたくて…改めて、今日はありがとうございました」
RABi
「え…?あっ、あぁ…いや…こちらこそ…!ありがとう…ございまし…た?」
黒木の真っ直ぐな言葉を聞いて戸惑いを隠せず、思わず目を逸らしてしまった。
彼から伝わる嘘偽りのない健気な姿。近くにいるだけで自分の心の内に秘めた思いも晒してしまいそうになる。
これまでずっと人々に本当の姿を隠してきた双葉が、黒木にだけ本心を見せたのは、きっと彼の【無償の愛】に触れたからなのだろう。何故彼女が、黒木という男に惚れたのか、今となって胸が痛くなる程理解が出来た。
そんな彼が、最愛の人を愛さず、
私と居ることを楽しいと感じている
私の思いを貴方に伝えたら
貴方は私を愛するのだろうか
黒木
「…それじゃあRABiさん。当日、頑張ってください。応援してます」
RABi
「…うん」
黒木は手を振りRABiも逸らしていた目を合わせて手を振り返す。別れの挨拶も済まし黒木は再び微笑んで頷くと、満足した様に背中を向けて歩き出した。駅から段々と遠ざかる彼の姿。RABiは改札に向かわず、じっとその背中を見つめる。
RABi
「……待って!!」
黒木
「…?」
人混みに消えそうになった黒木を、ずっと抑えてきた感情に我慢が出来なかったRABiは、懸命に追い掛けて呼び止めた。
黒木は振り返ると、RABiはハァハァと息を切らし白い息を口から漏らしている。さっきまで楽しそうにしていた彼女の顔は、今は険しく難しい表情をしていた。鈍感な黒木でも、RABiのその姿を見て、自分に何かを伝えたいのだと察する。
黒木
「…RABiさん?」
RABiは息を整える為に、何度も何度も深呼吸をする。どれだけ彼を待たせようと、この言葉を伝えるのには万全の状態にしたいのだ。
漸く心は落ち着き、ずっと目の前で立って待っていてくれた黒木に目を合わせる。その揺れる事のない黒の瞳は、自分が今から言う言葉を真っ直ぐに受け止めてくれるだろう。
だからこそ、私は伝えなくてはならない。
RABi
「…マコッチ!」
黒木
「…はい」
RABi
「…ッ!わ、私…!!」
………
…閉館の時間も超えたTMAにはもう人が居ない。いるとすれば、警備員と……関係者から許可を得て自己練を励む一人の女性。最低限の照明に照らされ、舞台の上で何度も何度もモデルウォークをチェックする。
双葉
「……」
たった一人のリハーサル。明日のランウェイで最高のパフォーマンスをする為には、この暗闇の中で孤独になろうと時間を惜しまない。彼女の思いはたった一つだけだ。
全ては
【最愛】の為に