68話【怨念】中編
…同時刻。スーパーリコリスでは開店して間もないにも関わらず、多くの客で店内は賑わっていた。そんな賑わう表とは無縁である在庫管理をするバックルームでは黒木と高田が、トラックによって配送されたばかりの商品の仕分けをしていたのであった。
大人の男性が持ち上げても重いであろう荷物を、二人は文句一つ言う事もなく淡々と運ぶ。額から汗を沢山流し、彼等は真面目に仕事に取り組んでいる。
本当ならこの二人きりの空間は、高田がふざけたり文句を言ったりして楽しみながらする作業だが、あの喧嘩以来、二人は会話を交わす事は最低限に減ってしまっていた。高田から喋り掛けない限り、真面目に働く黒木から話しかけてくる事はない。
だが、そんな沈黙の日も今日で終わりを迎える事となる。一通り商品の仕分けを終えると、二人は手で額の汗を拭いて一息付く。ほんの少しの休憩を終えて黒木は荷物を選んでバックルームを出て行こうとするが、積み上げた荷物に肘を乗せてまだ休んでいる高田が彼を呼び止めた。
高田
「なぁ黒木」
黒木
「…?」
喧嘩以来による彼からの久しい呼び声。その声に体は反応して直ぐ様振り返る。
高田
「お前、スタコレは見に行くのか?」
黒木
「スタコレ…?いや……別に……どうして?」
高田
「…そうか。いや、今のは忘れてくれ。今のお前には、前の記憶がないから仕方ないわな」
高田は溜息を吐くと荷物から肘を離し、黒木の隣まで歩み寄ってくる。
高田
「それで…あれからも何も思い出せないままのか?」
その質問に黒木は残念そうに首を縦に振る。だが、何もしてないわけではない事を報告するべく彼は言った。
黒木
「…高田には言ってなかったんだけどさ。俺、何故かRABiさんとの記憶は残ってたんだよ」
高田
「…え!?お、おい!何でそれ早く言わなかったんだよ!!」
予想もしない発言に高田は驚いた顔で黒木に詰める。
黒木
「…ごめん。俺も何故RABiさんだけ覚えているのか分からなくて色々と考えてたから……結局、それ以上に何か手掛かりになる事はなかったんだけど…」
黒木
「…それで、その後RABiさんの提案もあってさ。数日後、もう一度会う事になったんだ。もしかしたら、あの人と話したら他に何か思い出せるかもしれないって思って…」
高田
「お、お前…それ、双葉ちゃんは……あぁ、いや……そ、そうか…」
黒木
「…高田?」
高田
「…一応確認したいんだけどさ?お前はRABiちゃんの記憶だけ残ってるわけだし…その事をどう思ってるんだ?」
高田の質問を聞いて黒木は黙る。視線を下に向けて俯き、少し考えた後に彼は答えた。
黒木
「…わからない。だけど、記憶を無くした俺が唯一残っていた人なんだ。多分、俺の中であの人との思い出が鮮明に残る程の経験があったんだと思う」
黒木
「…なんていうか、病室でRABiさんと話していた時、あの人が凄く輝いて見えたんだ。…こんな事話しても信じてもらえないと思うけれど、最近まで同じ夢をずっと見ていた。…真っ暗な海の上で一人小舟に取り残されて、どこに行けば良いかもわからない迷子の様な悪夢…」
黒木
「…だけど、RABiさんと話した時、その小舟から光が見えた気がしたんだ。まるで、俺が向かう先の答えを教えてくれているかの様に…俺にはその答えが何かは分からないけれど…あの人といれば、それも分かりそうな気がする」
高田
「…それ、双葉ちゃんは知ってるのか?」
黒木
「うん」
高田
「なんて言った?」
黒木
「『それはきっと恋だ。【家族ごっこ】しかしていない私よりも、貴方にはRABiちゃんが似合う。だから応援させて欲しい』…って」
高田
「…そ、そうか」
高田
(双葉ちゃん…最近黒木と会ってなかったのはこういう事か……本当にアンタって人は、何から何まで自分を犠牲にして……)
黒木の言葉を耳に歯を食い縛り、拳をプルプルと強く握り怒りを抑える高田。
分かっているのだ。彼に怒っても何も解決しない事を。記憶を無くした彼には、双葉を引き離した重大さを理解出来ていない。怒ったところで、誰の為にもならない。
悔しそうな表情で俯く高田だが、目を閉じて一人で相槌を打ち、無理矢理自分に納得させて溜息を大きく吐く。そして、決心したかの様に目を開くと、黒木の方へ顔を向けて話した。
高田
「…黒木。前に俺達、喧嘩したろ?アレなんだけど……その……改めて謝らせて欲しい。…ごめんな、記憶を無くすのってどんな感じか分からねえのに、俺一人の感情で怒鳴ってよ」
黒木は首を横に振る。
黒木
「…高田、俺の方こそ悪かったよ。…きっと今の俺は、他の人達からすれば、見ていられないような状態なんだと思う」
高田
「…あぁ、そうだよ。お前の古き友としてハッキリと言ってやる。今のお前は、輝きを失った【つまらない人間】に戻っちまったんだ。俺は、そんな昔のお前を見ている様な気分になって腹が立って仕方がなかったんだよ」
黒木
「…ごめん」
高田
「……だけどな」
黒木
「…?」
高田は此方を見てくる黒木の右肩に、そっと自分の右手を乗せた。
高田
「…こうして長く付き合ってきてさ。お前が怒ったところ、俺初めて見たよ。感情表現が出来なかった昔のお前とは違う……ちゃんと自分の意思を誰かに見せれているんだって、冷静になった後に気付いたんだ」
高田
「お前がそんな風になれたのは、双葉ちゃんと出逢えたからなんだよ。お前は双葉ちゃんと出逢って、全てが変わったんだ。……今のお前には、双葉ちゃんがどれだけ大事な人かは理解出来ないと思う。だけど、その感情が残ってるって事は……」
高田
「お前の中でまだ双葉ちゃんという存在を完全に忘れてなんかない。……俺はそれ信じているぜ、黒木」
黒木
「……高田」
乗せている手を離して、仕分けを終えた商品を運びだし店へ出ようとする。だが、店へ出る一歩手前で立ち止まり、再び黒木の方へ振り返った。
高田
「双葉ちゃんはお前の幸せの為に、その選択を選んだ。その決断を部外者が否定するものじゃない。…だから、俺も双葉ちゃんの意思を尊重するためにこれ以上、黒木の選ぶ道を否定しない。黒木のこの先を、どうか見守らせてくれ」
高田
「友の進む道を応援する。…それが【親友】って奴だからな」
高田はその言葉を残して背を向けると、先に商品と共に店内へと出て行った。
一人バックルームに取り残される黒木。友の言葉を聞き、自分が何をすべきかを改めて考える。一体何が正しい道なのか、今もまだ分からない。
だが、一つ分かることがあるとすれば、自分の中で双葉がどれ程大事だったのかを【親友】の思いを聞いて再確認が出来たこと。その言葉は、心の中にある暗黒の舟道に光を差した気がした。彼は胸に手を当て、静かに思う。
黒木
(…俺は…)
………
場所は変わってTMA。いよいよ一週間を切ったスタコレ。イベントに関わる人達は最終段階へと移り其々の思いを胸に、最高の舞台へと仕上げるべく全力で取り組んでいた。
そんな必死になる彼等だが、思わず手を止める事もある。彼等の視線の先は、半年以上人々の前から姿を消していた双葉が会場に姿を現したのである。
スタッフ
「ふ、双葉だ…!」
スタッフ2
「復帰したって報道…本当だったんだ」
モデル
「ここに来たって事は…やっぱりサプライズ枠として…」
周りの人々は嘗ての伝説を目にヒソヒソと話す。
双葉を尊敬していた者、双葉のファンだった者、再びその目で見る事が出来た彼女の姿に、感極まって瞳が潤む者もいた。
だが、全員が同じ反応ではない。すれ違うモデルは此方を冷ややかな目で見て、態と聞こえるような舌打ちを鳴らす者もいる。双葉の事情を知らない者からすれば、最後の写真集を宣言しながらも、好き勝手に復帰している事へ嫌悪感を抱くのだろう。これは今に始まったことではない。現役の頃も、自分への嫉妬や怒りでやられてきた行為だ。
しかし、今はそんな冷たい反応も怖くなどない。以前とは違い、自分の周りには自分を愛してくれる人々が付いてきてくれているから。ジュリと春香を引き連れて堂々と歩き、【私が戻ってきた】と言わんばかりに自信に満ちた誇らしげな顔をしていた。
?
「アンタの帰り、待っとったで。【パーフェクトモデル】」
そして、彼女達の歩く足を止める呼び声。
三人は声のする方へ振り返ると、TOP4とダブル・アイが駆け寄ってきていた。彼等の表情を見るに、誰もが双葉の復帰を歓迎してくれている。
姫川は春香と目が合うと、二人は何も言わずに寄り添って嬉しそうにハグを交わす。それを見たRABiもいつもの春香に戻ったのだと安心して、後から混ざり込みハグを交わす。
RABi
「ごめんねハルちゃん。ハルちゃんが辛いって分かっているのに何も出来なくて…」
春香
「ううん、謝るのは私の方です。親切にしてくれているのに私だけが勝手に暴走してしまって…もう大丈夫です、今は皆さんと一緒に輝きたいって思ってますから。こんな私ですけど…最後まで頑張ります」
春香はTOP4の三人から愛されている。それを見るだけで分かる美しい友情に双葉も微笑ましく見守っていた。
一方でダブル・アイと合流したジュリ。ずっとポニーテールだった二奈がツインテールに変わっていることに気付く。
ジュリ
「二奈、どうしたのその髪型」
二奈
「ウェーイ!ウチ気付いたんだけどさ!ダブル・アイのダブルってツインじゃん?ならなら一本のポニテより二本のツインテにした方が、ダブル・アイっぽくねー?って思ったワケ!これに気付いたウチマジやばくね!?」
ジュリ
「ヤバいかどうかは置いといて二奈らしい理由だなって思った」
一馬
「ポニーテールで激カワだった妹が、ツインテールによって鬼カワになったという事デス」
ジュリ
「ソダネ」
相変わらずの独特な返しの兄妹にジュリは怠そうに溜息を吐く。自分達に呆れるこの顔はいつものジュリに戻ったのだと一馬は分かっていた。
一馬
「その顔…もう迷いはなさそうデスネ。ジュリちゃん」
ジュリ
「まぁね。…それにさ」
一馬
「…?」
ジュリ
「もしもまた迷ったとしても二人が助けてくれるでしょ?…頼りにしてるよ、一馬さん、二奈」
二奈
「…ヒュウ〜♫」
一馬
「…フッ、間違いありませんネ」
ジュリはグーの手を二人に向けると、一馬も二奈も迷う事なくグーの手を突き出してタッチを交わす。ダブル・アイも今ではお互いに尊重し合う成長を遂げたのだ。
豪華なメンバーが総結集したこの場所。夢の様な瞬間ではあるが、一つだけ気掛かりな事がRABiにはあった。それは、双葉が復帰となると黒木についてはどうなるのかだ。一同が会話に盛り上がっている所をコッソリと抜け出し、会場の人達へ挨拶に回り出している双葉の元へと駆け付ける。
RABi
「双葉さん!」
RABiの声を聞いて彼女は余裕のある笑顔で振り返ってくれた。
双葉
「RABiちゃん!久しぶりだね。あれからどう?順調?」
RABi
「どうも何も忙しすぎて大変っていうか…って、そうじゃなくて!ええと…まずは復帰おめでとうございます!それで……復帰についてなんですけど……やっぱりマコッチの為に……?」
双葉
「うん、そうだよ」
サラッと隠す事なく答える。この堂々とした姿は正に全盛期に我々に見せてきた【パーフェクトモデル】そのものだ。
双葉が再び愛する人の為に立ち上がったのはとても喜ばしい事だ。もし自分のこの気持ちが彼女が言う【恋愛】だったとしても、ここまで苦難の道を歩み続けた彼女が幸せになるべきであると潔く譲れるものである。RABiはその返事に嬉しそうな反応を見せた。
RABi
「うん!それでいい!マコッチも双葉さんの華やかな姿を見れたらきっと喜…」
双葉
「今回私がスタコレに出る事を、黒木さんには伝えてないよ」
RABi
「…え?」
双葉
「黒木さんはきっと、自分の意思じゃなく呼ばれたからって理由で私を見ても、何も感じないと思う。あの人が、自分の意思で、私を見つけてくれたら、それで構わない」
思わぬ返しに困惑しているRABiの手を、双葉は優しく握る。
双葉
「それに、あの時にも言ったけど私は意思は強いんだ。今更RABiちゃんに言ったことを無かったことにしてほしいだなんて思ってもない。今の私は、黒木さん以外の人達からも沢山愛されているって分かって充分幸せだから」
双葉
「だから、次はRABiちゃんが幸せになる番。黒木さんは凄く良い人だから、絶対に離しちゃダメだよ?上手くいくこと応援してるから♫」
RABi
「あ…その…」
迷いない笑顔でとっくに覚悟を決めている双葉に、RABiは声が上手く出なかった。何か言おうと言葉を選び悩むそんな時、双葉を見つけたスタッフが遠くから駆けつけてくる。
スタッフ
「あっ、双葉さん!矢ざ…さ、聡ちゃんが呼んでましたよ!着いてきてくれますか?」
双葉
「あっ、はーい♫それじゃあねRABiちゃん!私も今から忙しくなると思うし、次に会うのは当日かな?お互いに頑張ろーう!」
双葉は手を離して、姿が見えなくなるまでこちらに手を振り続けてくれた。RABiも小さく手を上げて振り続け、呆然と双葉の姿を見送るのだった。
彼女の意思は変わらない。彼女は自分と黒木を繋げてくれようとしている。それを受け入れたら、この心の奥でモヤついている感情も晴れるのだろうか。
答えがわからないRABiは胸に手を当てて大きく深呼吸をすると、一先ずこの件を置いておく事にする。今は大切な春香が元気になった事を、仲間と共に喜びたいという思いが強く、彼女達の元へと再び戻るのであった。
…一方、TMA会場の女子トイレでは、手洗い場所で水を流し続けて俯いている華城の姿があった。机の上に乗せられたスマホの画面には、双葉がTMA会場に姿を現した速報が全面に映し出されている。
誰かのリークによって世間に晒された情報。既にコメント欄はお祭り状態となり、サイトはつぶグラを通してバズっていた。復帰してたった数日で、全日本中を注目させる人間。正にスーパーモデルに相応しい反響だ。
と、次の瞬間
華城
「…ァァアアアァァアアアッ!!!」
華城はキリキリと甲高い声で怒りのままに叫んだかと思うと、何度も何度も机を叩き、せっかく整えた髪もクシャクシャになるまで両手で掻き乱す。
目の前の鏡に映る自分の醜い姿。ハァハァと興奮気味に息を吐き、虚な目は焦点が定まっていない。最早、モデルと呼ぶにはあまりにも醜いモンスターへと変わっていた。
彼女は怒りに満ちた震え声で独り言を吐いていく。
華城
「…なんでなんでなんでなんで!!アンタは私をここまで苦しませるのよ…!?大切な人を潰してやっても…!周りから虐められるように仕組んでも…!なんで毎回私の前に戻ってくるわけ…!?頭おかしいんじゃないの!?」
誰もいない部屋で怒鳴り散らしても、誰も反応する事などない。その虚しさに、少しは興奮も落ち着いた。
華城
「…もういい。どうせ私の嘘がバレるのも時間の問題…ここまで来たなら私のキャリアとか地位とかもどうでもいい…!…地獄へ行くなら道連れにしてやる…!」
鏡に映る憎悪に溢れた自分の顔を見つめながら、机に置いていたスマホを乱暴に取ると、電話を繋げて耳に当てる。
?
『…もしもし?』
華城
「おい。前に言ってた計画、実行するわよ」
?
『…本当にやるんすか?そんな事したら貴方も業界から絶対に干されるし、俺もヤバいというか…』
華城
「うるさぁい!!アンタ、今まで芸能界の裏事情を提供してあげた恩を忘れたなんて言わせないわよ!!アイツを地獄に落とせるのなら、もう私の立場なんてどうでも良いの!!」
怒りに震える手はスマホをぎゅうっと強く握る。怨念を身に纏ったこの女を、最早誰にも止める事が出来ないのだろう。
華城
「アンタは誰からも愛されてないって事を…!!私が直々に教えてやる…!!双葉…!!」