67話【怨念】前編
昨日の騒動から一夜が明けた早朝の朝。春香は支度を終えて自宅のアパートから出てくる。今日も朝からスタコレのリハーサルが控えている。
春香
「…あっ」
聡
「ちゃお〜♫ハルちゃ〜ん。ファンタスティック⭐︎モーニングねん♡」
春香の自宅の前では聡が、自慢のオープンカーで迎えに来ていた。
彼が春香の専属に就いてからは時間が合う度に迎えに来てくれていた。昨日、酷いことを言ったのに彼は相変わらず笑顔で手を振って待っていてくれている。春香は駆け足でオープンカーの前まで来ると深々と頭を下げる。
春香
「聡さん!!昨日は本当にごめんなさい!!私、せっかく心配してくれてるのにあんなことを…!!」
聡
「マーマーマーボー豆腐。とりま乗っチャイナ⭐︎」
そう言って彼は呑気に助手席側の扉を開けて春香を招く。彼女は戸惑いながらも乗り込み、聡は星形サングラスを華麗に装着して車を走らせた。
街を駆け抜け、徐々に近付く春の空気を浴びる。早朝に目覚めた時にだけ体験できる気持ちの良い天気だ。
聡はラジオから流れる流行曲に合わせて体をクネクネと動かし鼻歌を歌う。機嫌が良さそうな彼とは別に、春香は俯いたまま暗い表情をしていた。昨日の事をまだ引き摺っているのだろう。
そんな彼女の様子を横目で気付いた聡はナビを操作してラジオを止める。そして、次の瞬間スピーカーからは若者に流行ってる流行曲【AP2】が流れ出した。
聡
「アーパツアパツ!!パツパツアパツ!!」
春香
「!?」
信号待ちにて突然手拍子をノリノリで叩きながら歌い出す聡に春香はギョッとした表情で驚いた。しかし彼は止まらない。
聡
「ほらほらハルちゃんもエビバディセイ!!アーパツアパツ!!パツパツアパツ!!イヤァオゥ!!」
春香
「あ、アーパツアパツ…パツパツアパ…」
聡
「声が小さぁい!!!アーパツアパツ!!ファンタスティック⭐︎アパツ!!」
春香
「あ、アーパツアパツ!パツパツアパツ!」
聡に無理矢理誘われて懸命に歌う。初めはそんな気分でもなかったのに、不思議と彼と一緒に歌い続けていくと気分が良くなってきた。
信号が青に変わり、手拍子を止めてハンドルをギュッと握って走らせる。この時の聡は、やりきったと言わんばかりの爽やかな表情をしていた。
聡
「ふぅ。やるじゃなーいの。ハルちゃん。アティシのファンタスティック⭐︎ハーモニーに付いてこられるなんて…流石はケンちゃんがプッシュするガールね…」
春香
「あ、あの…聡さん…気遣ってくれてるんですよね…?その、本当に昨日は…」
聡
「過去のやらかしを引き摺っても、良いことなんてないじゃなーい?」
春香
「え…?」
聡は真っ直ぐな瞳で前を見ながら、運転に集中しつつ横から見てくる春香に語りかける。
聡
「ハルちゃん。地球ちゃんはね、常に前に進み続けているのよ。アティシ達はそんな地球ちゃんと共存する存在。地球ちゃんに逆らって過去へ逆走してたら、時代に置いていかれちゃうわよん?」
春香
「そ、そんな壮大な事じゃ…」
聡
「いいえ、壮大な事なの。地球と共に前に進み成長してきた人類は成長の証なのよん。貴方が本当にモデルとして高みを目指すのなら、過去の事をクヨクヨしてる場合じゃないわ」
聡
「やっちまった事を反省するは良し。それだけ出来たらもうオッケー!後は二度とやらかさないって心に決めて前を進めばいいだけなのよ、ハルちゃん」
春香
「聡さん…」
信号は赤に変わり車は止まる。フゥと溜息を吐くと聡は苦く笑って春香を見つめ返す。
聡
「……アティシも反省すべきなのよ、ハルちゃん。貴方が大変な思いをしていたっていうのに、側にいたアティシが気付けなかったんだもの。専属スタイリストとして申し訳ない事をしちゃったわ。…ごめんなさいね」
春香
「…聡さんも過去の事を引き摺ってるじゃないですか」
聡
「あらま、本当ね。アティシってば、ファンタスティックすぎて、地球ちゃんに抗っちゃったわ」
春香
「何ですかそれ……ふふ、あははっ」
自由奔放な彼の発言がおかしく、ずっとモヤモヤしていた気分も馬鹿馬鹿しく感じて、春香は思わず笑ってしまった。それを見た聡は嬉しそうに再び体をクネクネと動かし口角をグッと上げる。
聡
「さぁさぁ!アティシ達のヴィクトリーロードに向けて、前に進むわよハルちゃん!貴方はスタコレで精一杯!ファンタスティックに!輝きなさい!!」
春香
「…はい!」
そう言って信号が青に変わると聡は勢いよく急発進させた。
目指すは来たるべくスタコレの会場となるTMAへの道……ではなく、TMAとは全く別の方向へと車を走らせていく。
春香
「あ、あれ?聡さん!?道間違ってませんか?」
聡
「ナイスツッコミねハルちゃん……実はもう一件、寄りたいところがあるのよん。大丈夫、遅刻はしない様にちゃーんと調整済みだから」
春香
「…?」
そう言って聡が運転する車は街中を駆け抜け、ある場所へと向かうのだった。
暫く車を走らせ到着したのは、何処にでもあるアパートの前。聡は道路端に車を寄せてハザードを点滅させると車から降りる。車から降りた聡を見て彼女も同じ様に降りた。
そして立って待つこと数分。アパートの方から人が出てくるのが見える。それは見覚えのある姿、眠くて不機嫌そうな表情で、近寄り難い雰囲気を醸し出している。
春香
「あっ…」
ジュリ
「おはようございます」
アパートから出てゆったりとこちらへ歩いてきたのはジュリだった。昨日、酷いことを言った相手との再会は、気持ちが落ち着いた今でもとても気まずい。
だが、春香は変わろうとしていた。難波と姫川が教えてくれた【仲間】を大切したいと、今は心より思っているのである。ジュリが車に乗り込もうとする前に、春香は勢いよく頭を大きく下げた。
春香
「ジュリちゃん!!昨日はごめん!!」
気合の入った謝罪の言葉。早朝から聞くには耳の奥まで響いてうるさい。乗り込もうとする足を止めて、春香の方へ体を向けると大きく溜息を吐いて、何かを伝えようとしている春香へ耳を傾ける。
春香
「私、ジュリちゃんが心配してくれているのに突き放したし酷いことも言っちゃった…都合のいいように聞こえるかもしれないけれど、あんな事は本当は思ってないの!」
春香
「…私、忘れてた。私を支えてくれる仲間が沢山いることを……なのに前に進むことばかりだけを考えてしまって……本当にごめん…」
頭を下げ続けて話す春香に、ジュリはゆっくりと口を開く。
ジュリ
「貴方をもう【仲間】と思ってませんよ」
春香
「……」
厳しい返しに春香は暗い表情のままゆっくりと顔を上げる。
当然のことだ。自分がジュリに放った発言は、彼女のモデルとしてのプライドを傷つけたのだ。謝罪の言葉を言ったところで、ジュリから信頼が無くなるのは、当たり前のことなのである。
そう思っていたが、顔を上げた視線にはジュリの手が此方に差し出されていた。思わず彼女の顔を見ると、真っ直ぐと信念を宿した青い瞳で此方を見ていた。
ジュリ
「思い出したんです。この業界は【仲間】ではなく【ライバル】が集う場所だという事を。私が誰よりも上に立つ為に、誰かを心配している暇なんてないんだって目が覚めました」
ジュリ
「春香先輩はもう【仲間】じゃない。【ライバル】です。貴方が私のことをどう思っていようと、もうどうだっていい。いつかアンタも引き摺り落として私が……いや、ダブル・アイの時代に変えるから覚悟してくださいよ、春香先輩」
ジュリは逞しく片手を腰に手を当てて、差し出している手をグイグイと春香に押し付ける様に向ける。彼女は彼女で、この件を通して何か成長するものがあったのだろう。
あれだけ酷いことを言っても尚、決して心が折れずに関係を切らないで向き合ってくれる後輩に、春香はいつの間にか涙が流れていた。そして、差し出してくる手を無視して、大きく腕を広げたと思ったらジュリに勢いよく抱きつくのである。
ジュリ
「!!ちょ、ちょっと…!苦しいですよ春香先輩!!」
春香
「ありがとう…!ありがとうねぇジュリちゃん…!!もう絶対、酷いことなんて言わないから、これからも仲良くしてくれる…!?」
ジュリ
「だから私達はもう【ライバル】であって…!…あぁ、もう。せっかく格好つけたのに全部台無しじゃん。……仕方ないから仲良くしてやりますよ、感謝してくださいね」
春香
「うん…!!うん…!!ありがとうジュリちゃん!!」
ジュリ
「ったく……フッ…」
感情のまま強く抱きしめてくる先輩に呆れながらも、ジュリは軽く微笑み抱き返す。この温もりを永遠に忘れることはないだろう。そう二人は心の内で静かに秘めるのだ。
二人の友情を側から見ていた聡は、ただ静かに何度も何度も頷きご満悦な顔をしていた。だが、ただ二人を合わせるためだけにここへ来たのなら、それは彼にとってファンタスティックではないのである。二人が仲直り出来たのを確認すると、聡はパンパンと手を叩き二人に注目させる。
聡
「すんばらしいファンタスティック⭐︎フレンドシップをありがとう。…でーもでも、これだけじゃ終わらないのよねーん」
春香
「え?」
そう言うと聡はクネクネと歩きながらスポーツカーのトランクの前へと移動して、トランクの鍵を開ける。
そしてトランクを持ち上げぐいっと開くと、そこからは勢いよく人が立ち上がって飛び出てきたのである。
双葉
「サプラーイズ!!♫」
春香
「……」
ジュリ
「……」
春香・ジュリ
「「エエエェェェーッ!!?」」
トランクより出てきた絶対的美女の参上に、二人は驚きの声を揃えて挙げる。
二人のリアクションを見て決まったと言わんばかりに聡とは両手でハイタッチを交わし、双葉はトランクから飛び降りると彼女達の元へ笑顔で歩み寄った。
双葉
「やっほー、二人のことは聡ちゃんから聞いたよ。色々大変だったんだねー」
春香
「え…い、いや!ふ、双葉さん!?いつからトランクにいたんですか!?」
双葉
「え?聡ちゃんが車を出した時からずっとだよ?」
ジュリ
「スポーツカーのトランクなんて役に立たない小さな空間だって言うのに、そんなところにずっと居たって言うんですか!?」
双葉
「二人を驚かす為にね。…それにね、トランクに乗って、分かったことがあるんだ」
春香
「…?」
双葉
「体の節々が、超痛い」
ジュリ
「でしょうね」
ニコニコと相変わらずの様子で話す双葉。二人は久々に見た彼女の自由っぷりに、シリアスだった空気も何処かへ行ってしまい呆れてしまう。
そんな呆然とみてくる二人に追い討ちをかけるように、双葉は思いっきり腕を広げると二人纏めて抱きしめた。この感じは、大江戸タワーで少しだけ自分達に心を開いてくれた双葉が抱きしめてくれた時と同じようだ。彼女は優しい声色で二人に話し掛ける。
双葉
「…二人とも覚えてる?私が言ったこと。【自分らしく生きてほしい】…私も、この一年間色々あってさ、漸く自分と向き合えれたの。そしたら、今の私が何をすべきかも分かった。…やっぱりいいよね、自分らしく生きるのはさ」
双葉
「今の二人には、この言葉の意味が理解出来たんだと思う。私がいない間も凄く頑張ってたから、二人なりの答えを見つけれたんだよ?…本当に、ここまでよく頑張ったね」
春香
「…っ…ふ、双葉さん……」
ジュリ
「…ったく。帰ってくるの遅すぎでしょ」
二人の頭を両手で優しく撫でる。今にも泣きそうな春香と、照れてそっぽ向いているジュリは、静かに双葉に抱き返すのだった。
遂に、三人は集結した。一度は諦めていた三人が同時に参加する大舞台の夢も、再び叶う時がきたのである。モデルとして立派に成長した三人の姿に、聡は鼻水を垂らし気合の入れたメイクが落ちるほど号泣していた。
聡
「ビィィ〜ン!!本ッ当によがっだわねぇ〜ん!!」
双葉
「アハハ。もー、聡ちゃん泣きすぎだって」
聡
「グスッ…失礼。アティシってば、目からファンタスティック⭐︎天然ウォーターを流しちゃったみたいねぇん。ちょっと待ってね」
そう言って聡の顔がプリントされたハンカチを取り出して彼は涙を拭く。
ジュリ
「いや趣味悪ッ!?なんですかそのハンカチ!?」
あまりの独特なハンカチに、思わずジュリのツッコミが入る。
聡
「へ?ファンタスティック⭐︎ハンカチだけど?もれなく全国オンラインショッピングで買えるわよ?」
ジュリ
「いらねーよ!!」
春香
「あは、あはははっ!!もー、聡ちゃん面白すぎますよー!!」
聡
「あったりまえよぉん!!なんせアティシは!世界一ファンタスティックで!!宇宙一ファンタスティ…」
双葉
「そろそろ行かないと遅刻しちゃうし、聡ちゃん早く運転してくれない?」
聡
「あぁん!!最後まで言わせてよぉん!!」
春香
「アハハハハッ!!ふ、双葉さん冷たすぎますよ!?」
双葉
「知ってる♫」
ジュリ
「…ふっ」
三人は和やかな空気に包まれ、聡の車へと乗り込む。
これ程、心地よい気持ちになったのはいつぶりだろう。オープンカーの特権である、爽やかな風を浴びながら一同は最高の気分で夢の舞台へと向かうのであった。