66話【貴方は私の光】
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『君が新人モデルの春香か。うーん…そうか。あ、いやね?なんていうかSunnaの社長も安定を選んだ感じに見えるというか…君はモデルとしては確かに悪くないよ?悪くないけれど…君を見てると【パーフェクトモデル】の様なカリスマ性を感じないんだ』
『…あっ、ほら見て。アイツよアイツ。逃げた双葉の代わりになった奴。なんであんな奴を社長も押すのかな?私達の方がもっと魅力があるのに』
『どうせコネでも作ってたんでしょ?アイツ、ずーっとニコニコしながら双葉にくっついてたもんね。気色悪いわー…』
『どうせ双葉の事なんて好きでもないくせに。ああやって媚びたおかげでSunnaの顔になれるなら、アタシももっと双葉にくっついた方が良かったわー』
『…あっ、ハルちゃん!久しぶり!大学で会うのいつぶりだろ?最近モデルの方、凄く忙しそうだもんねー。大丈夫?無理してない?……え?中退するの?……そうなんだ。あー……なんていうか、【パーフェクトモデル】の代わりになるのって大変なんだなって……本当に大丈夫?なんか……』
『前までのハルちゃんとは別人に見えるよ?』
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春香
「…っ」
嫌な記憶が蘇り、最悪の目覚めを迎える。
ゆっくりと体を起こし周囲を見回す。知らない部屋のベッドで寝ていたようだ。だが、壁に貼り付けられている【緊急病室】と書かれたパネルに、ここはTMAの一室だと気付く。
壁掛け時計を見ると時刻は午後18時を回ろうとしていた。今覚えているのはジュリに酷い事を言ってしまった事。そこから記憶がなく、こうして寝ていたとなると、今の今まで気を失ってしまっていたのだろう。
春香
「…休んでる場合じゃない」
そう独り言を呟きベッドから降りる。
体は怠くて頭痛も酷い。足にも力が入らず小刻みに震えている。少し歩くだけでも倒れそうになり力が上手く入らない。
だが、休んでる暇などないのだ。
春香は、【パーフェクトモデル】を越えなければならないのだ。双葉が復帰するとなると再び世間は彼女を注目するだろう。そうなれば、ここまで頑張ってきた自分の努力は全て無駄になる。そんな最悪な結末だけは、受け入れたくないのだ。
ヨロヨロと歩き、引き戸の扉を開けようと手を掛ける。しかし扉は、手の力が入る前に勝手に一人で開いた。
聡
「!ハルちゃん!」
春香
「…聡…さん?」
扉が開いた先にはメイクを落とした聡が立っていた。彼は寝ているはずの春香が、目の前で立っている事へ驚きながらも、直ぐに春香の手を引いてベッドに無理矢理戻して座らせる。
聡
「ノンノンノン、ダメダメよハルちゃん。貴方は重なる過労で倒れちゃったんだから。動いちゃダーメ⭐︎」
春香
「過労で…そうですか…充分寝ましたしもう大丈夫です」
少し足りとも休もうとしない春香に聡は首を横に振る。
聡
「ダメよ、ハルちゃん。ファンタスティックなモデルはね、自己管理もちゃんと出来るものなのよ?貴方の体は今ボロボロボロネーゼなんだから、無理せずファンタスティック⭐︎ブレイクを満喫しなさいな」
無理矢理寝かしつけようとするが、春香の体は硬直したまま寝ようとしない。
春香
「…双葉さんが【パーフェクトモデル】だった頃」
聡
「…?」
春香
「あの人が休んでいるところを私は見たことがないです。事務所にいる時は、勤務外でもずっとジムでトレーニングをしてましたし、スケジュールも常に埋まっていて……」
春香
「みんなは双葉さんが天才だからと言いますが、あの人がずっと影で努力をしていたのを私は知っています。……でないと、デビューしてたった数年で誰にも越えられない頂点になんてなれませんよ」
春香
「私は、【パーフェクトモデル】を越える。その為には、休んでる時間すらも勿体無い。…行かせてください、聡さん。もう充分休みましたから」
聡の抑える手を振り払い春香は立ち上がる。
聡
「ちょいちょいちょい、ハルちゃん落ち着いて。隠さず言うならハルちゃんは働きすぎってことなの。焦る必要なんてないんだから、今はゆっくりと…」
春香
「ダメなんです!!!」
まだ引き留めようとする聡に不満が爆発して春香は怒鳴る。おっとりとした彼女をずっと見てきた聡は、これ程怒ってる彼女の姿を見て口が開いたまま唖然としてしまった。
春香
「今のまま続けていてもあの人を超えられないなら!今よりももっと魅せれるようにならないと!!何でわからないんですか!?」
聡
「ハルちゃん…」
?
「おいハル、少しは落ち着けや」
春香
「!」
声がする方へ春香は顔を振り向かせると、扉の前には難波と姫川が立っていた。難波は腕を組んで険しい表情で此方を見ている。
難波
「サトヤン、ちょっと席外してくれへんか?ウチらもハルと話したいことがあるんや」
聡
「…分かったわ」
聡は静かに頷き、波乱の予感に唾を飲む。そして、そっと立ち上がると難波達の横を通り過ぎて部屋を静かに出て行った。聡が出て行ったのを目視で確認し終えると難波は荒々しく引き戸を閉める。
難波
「ハル。一旦座れ」
春香
「…難波さん。私は何も話すことなんて…」
難波
「座れって言っとるんや」
春香
「……」
難波の強烈な圧に屈して春香はベッドに座る。
難波は大きく溜息を吐く。そして、片手で頭を掻きながら来客用として置かれている椅子を引き摺って春香の前まで運ぶと、足を組んで堂々と座った。
緊迫した空気が続く中、姫川は心配そうに部屋の隅に寄りかかり二人の顔を何度も見つめる。
そして、難波もかなり溜まっていたのだろう。聞いて分かる苛立った口調で喋り出す。
難波
「なぁハル。一体どうしたんや?何をそんなに焦っとんねん。ここ最近全ッ然笑ってへんやん?」
春香
「スタコレに備えて集中してるだけです」
難波
「ウチらが声を掛けても上の空だったり、周りに止められても続ける自主トレ……あれもそれもスタコレに集中したいからか?RABiも姫川も気遣って何も言わんかったけど、自分から周りを引き離してるんやで?」
春香
「……」
黙り俯く春香。難波は両肘を膝に乗せ体を前のめりにしながら語り続ける。
難波
「…なぁ春香。ええ加減にしたらどうや?何でもかんでも自分一人で抱えてやで?無茶をし続けた結果どうなったかを、自分が一番理解してるはずやろ?後輩には罵倒するし蓄積された疲労で倒れてしまうし……これがお前がなりたかった姿なんか?」
春香
「……」
難波
「アンタはあのカス(華城)と違って、周りに沢山の仲間がおるやろ。せっかく自分を気にかけてくれる人達がおるっちゅうのに、なんでもっと甘え…」
春香
「大丈夫だから!!!」
淡々と語り掛けてくる難波に腹が立ったのか、突然春香は俯いたまま叫ぶように怒鳴った。
春香
「分かってないのはみんなの方だよ!!!私が大丈夫って言ってるんだから勝手にやらせてよ!!!体調ももう悪くないし!しっかり休めたし!!私は大丈夫だって何度言えば…!!」
難波
「大丈夫ちゃうに決まってるやろぉ!!!!」
春香
「!!」
怒りのままに怒鳴り吐く春香を、難波の怒号がビリビリと部屋全体に響いて黙らせる。
春香は顔を上げて難波の顔を見るとフゥフゥと怒りに興奮して息を荒らげながらも、何処か泣きそうな顔をしていた。難波のこの複雑な表情に、春香は思わず固まってしまう。
難波
「ウチの知ってる春香はなぁ!!いつもニコニコでお人好しで人懐っこくて!!たまにドジする間抜けなところもあるけど!それでも周囲を盛り上げようと精一杯頑張る健気な奴やぁ!!今のお前には、そんな面影が少しも見当たらん!!これの何処か大丈夫やって言うんや、ええ!?」
モデル業界に入って初めて正面から怒鳴られた。だが、不思議と不快にはならなかった。
難波が怒ってるのは間違いない。だが、その姿はまるで母親が言うことを聞かない子供を叱る時のような【愛情のある怒り】なのである。
難波は大きく深呼吸して心を落ち着かせる。そして、次に話す時には荒げていた声はすっかり収まり、春香の気持ちに寄り添うように彼女の瞳をじっと見ながら語り掛ける。
難波
「…ウチのおとんな、昔立派な社長をやっとってんけど…ある時、詐欺に引っかかって全部失ってもうたんや」
難波
「ウチやおかんの前では、いつも『何とかなる!ワシに任せとき!』なんて言って明るかったんやけど…ホンマは鬱になってたみたいで……それに気付いた頃にはもう遅かった。おとんは、ウチらを置いて死んでもうたんや…」
難波
「…春香。今のお前はおとんと一緒なんや。誰にも相談せず一人で全部抱えて、そんで何もかもあかんようになって最後は堕ちていく……アンタらは不安にさせたくないって気持ちで、そんな事をしてるのかもしれへん。…けどな、ハッキリと言ったるわ」
難波
「…頼ってくれへんのも、ゴッツ辛いもんなんやで。なんであの時話してくれへんかったんやとか、信頼されてへんかったんかって苦しまされるねん。ほっときゃええやろって思うかもしれへんけどな、そんなん無理な話や。何でか分かるか?」
難波
「それが仲間っちゅうもんやからや。困った時、悩んだ時、その苦痛から救いの手を差し出してくれる大切な存在……自分を心配してくれてるのなら、それに甘えたってええに決まってるやろ?」
難波
「ウチらは【TOP4】お互いに尊重して、共にスタコレを盛り上げる…同じ意思を持ち、向かう先が同じなら、それは間違いなく【仲間】やん?」
春香
「難波……さん……」
最近まで見ていた春香の近寄り難い表情は、難波の言葉を聞いて少しだけ和らいでいた。彼女の心の中で僅かながらも光が灯されたのである。
難波は照れているのを隠す様に目を逸らし、話を続ける。
難波
「…恥ずかしい話やで。関西モデルが最強だって証明するのに、関東の奴らを全員蹴散らしたるって意気込んでここへ来たっちゅうのに……気付いた頃にはTOP4のみんなとおる時間が楽しくてしゃーなくなってもうてたわ」
難波
「RABiの家に集まって盛り上がって…リハじゃ情報交換して高め合って…休憩中にふざけて戯れ合うRABiと春香を見て笑って…どれもどれも、ウチにとっては最高の半年やった。同業者は全員ライバルや、って考えてたのがアホらしくなったんや」
難波
「この四人なら、絶対にスタコレは成功出来る。そう確信させてくれたのはアンタらなんやで?だから…その…それを気付かせてくれたお返しの為にも…もっと頼ってぇや」
春香
「……ッ」
難波の思いを聞いた春香は顔を俯かせ唇をギュッと噛んだ。ここまで思っていてくれたのにも関わらず、自分は上手くいかない事を理由に、ずっと冷たい態度を続けてしまっていた事を酷く後悔をした。
沈黙が続く病室。ずっと部屋の隅で見守っていた姫川が遂に動き出し、そっと春香の側に寄り添う。
姫川
「難波さん。後は私に任せてもらっていいですか?…春香さん、少し付き合ってください」
春香
「え…?」
………
病室を出て二人は廊下に出る。薄暗い廊下を歩き続けること数分。姫川の歩く足は止まった。
春香
「…ここは…」
二人の前に見えるのは何の変哲もないベンチが壁際に設置されただけの廊下。
だが、この場所を春香と姫川は知っている。ここは姫川と春香が初めて出逢った場所なのだ。双葉の秘密を知ってしまいパニックになっていた姫川を、春香は落ち着くまで側に居てくれた思い出の場所。
姫川
「…あの時のように、隣に座ってくれますか?」
姫川はそう言ってベンチへ先に座る。その場で立ったまま少し悩んでいたが、最終的には頷いて姫川の隣へと座る。
姫川
「…覚えてますか?初めてのリハーサルの時を?私と春香さんは、ここで出逢ったんですよね」
春香
「…そうですね」
いつもは控えめで自分から話しかける事がない彼女が、今こうして春香を元気付けるように隣で話している。あの時とは逆の状況だ。姫川は優しい声色で春香に話し掛ける。
姫川
「…春香さんがSunnaの為にここまで頑張ろうとしている気持ち、私にはよく分かります。私も一時期は【ネクストモデル】と人々から呼ばれ、モデル業界を引っ張る存在だと期待されていましたから」
姫川
「…期待される事は、とても嬉しいことです。ですが、それと同時に、期待に応えないといけないというプレッシャーに毎日押し潰されそうになる……どれだけ頑張っても、それが本当に人々が求める答えなのかも分からない……誰かに相談したくとも、自分の弱さを見せたくないと無理して隠してしまう…」
姫川
「今の春香さんは、あの頃の私を思い出してしまうんです。…ごめんなさい、本当はもっと早く貴方に声をかけるべきだったのに…貴方の気分を悪くさせたくないって勇気が出せませんでした…私は、相変わらず弱いままです」
春香
「……」
姫川
「春香さんには無理をしないでと言うつもりはありません。モデルとして高みを目指す人を、誰かが止めるべきではありませんから。…ですが、これだけは伝えておきたい」
俯いたまま話を聞いている春香。膝の上に乗せている手を姫川はそっと差し出して優しく触れる。
姫川
「…スタコレのリハーサル初日。あの日、私はとても気が動転していて酷く乱していました……でも、この場所で、春香さんが声をかけてくれて、私が落ち着くまで側にいてくれた時……凄く嬉しかったんです」
春香
「え…?」
姫川
「…きっと、あのまま声を掛けてもらえず一人で抱え続けていたら……私はずっと誰かに心を開くこともなかったんだと思います…春香さんやTOP4の皆さんの優しさに触れて、私も少しずつですが、変わることが出来ました」
姫川
「皆さんと出会えた事…そして、春香さんが手を差し伸べてくれた事を…本当に感謝しています」
優しく触れていた手は、強く彼女の手を握り温もりを伝える。顔を上げて姫川の方を見ると、彼女は見たことの無い曇りなき笑顔をしていた。
姫川
「春香さん…いや、ハルちゃん。貴方は私にとって【光】なの。あの時貴方が私にしてくれたように…今度は私が貴方の【光】になりたい」
姫川
「力不足かもしれないけれど…役に立たないかもしれないけれど…難波さんが言ってた様に、貴方は一人なんかじゃない。貴方の手助けをさせて?ハルちゃん」
春香
「ひ、姫川…さん…」
姫川の優しい言葉と笑顔に、春香の目からはボロボロと涙が流れていた。抑えに抑え続けていた感情が崩壊して、涙に代わって溢れ出ていた。
姫川は握っている手を軽く引いて抱き寄せて背中を摩る。春香はワンワンと泣き続け姫川を強く抱き返す。二人は共に【友情の光】を与え支え合う。この輝きを失いたくないと、今の二人は強く願うのだった。
そんな二人の様子を、遠くから見守っていた難波はホッと胸を撫で下ろしスマホを耳に当てる。
難波
「…もしもし、RABiか。ハルやけど…もう安心してええで。元気になりそうやわ」
通話相手はRABi。本当は一緒に居たかったが、次の仕事が控えていた彼女は已む無くTMAから離れていた。難波からの朗報を聴いてRABiは嬉しそうな声で返事をする。
RABi
『良かったぁ〜…倒れた時はマジで焦ったからさぁ〜…本当に良かった』
難波
「せやな。…なぁ、RABi。ウチらってTOP4として出逢えて良かったと思うわ」
RABi
『…?』
難波
「いや、まぁ、ウチらがどれだけ凄くとも、お互い何かしらで悩んでいる…結局は、ただの人間の一人に過ぎへん。でも、アンタらと出逢えて共に成長してここまで来れた訳や…ホンマありがとうな、RABi」
RABi
『え!?何々!?いきなりどうしたの難波さん!?素直になれるお菓子でも食べちゃった?』
難波
「なんでやねん!!そこは普通に受け取れや!!…全く、そんな感じやとRABiの方は問題なさそうやな。一応言っておくけど、なんか悩んでるんなら遠慮なく相談しいや?」
RABi
『…うん、ありがとう難波さん。…そろそろ仕事に行くね。ハルちゃんには心配してたって言っておいて』
難波
「おう、任しい。RABiも仕事頑張りや!」
難波の応援の言葉を耳に、RABiは電話を切る。
アイドル衣装を身に纏い、薄暗いバックステージにて一人。眩しく光るスマホの画面には着信履歴が映り、【黒木】の文字が目に入っている。画面を切り替え、スケジュールカレンダーを開くと五日後には
【クロッチと初デート!?!?】
と書かれた予定が入れ込まれていた。
スタコレまで残り一週間。本番を目前に黒木との再会。双葉の言われた通り、このまま彼に想いを打ち解けカップルになるべきなのか。彼女は今だに答えが分からず悩み続けて、らしくもない大きな溜息を吐くのである。
RABi
「…私も、前に進まないと」