63.5話【残された記録】
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「…もしもし」
『……』
「…?もしもし?」
『…その声、久しぶりに聴いたなぁ。お久しぶり、細田さん』
「…!その声…貴方…美花なの?」
『うん。覚えててくれたんだ。嬉しいなぁ』
「忘れるわけないでしょう?でも…何年振りかしら。貴方が退職してから全く連絡がなかったから…」
『私達が別れて16年だよ』
「そう、もうそんなにも経ったのね…そうなると貴方は…35歳?お互い歳を取ったわね」
『年齢も覚えててくれたんだ。やっぱり凄いね、細田さんは』
「元担当の子を忘れた事なんてないわよ。…それで?電話してきてどうしたの?知らない番号だったから繋げるか迷ったのよ?」
『……』
「それに…貴方の声…あの時と違ってなんだか元気がないわね。…大丈夫?何かあった?」
『…細田さん。これから話す事をよく聞いてね。多分、この電話が最初で最後になると思うから』
「…?どういうこと?」
『お願い。何も聞かずに聞いて。これが私の最後の【我儘】だから』
「……わかったわ。とりあえず話してみて?」
『…ありがとう』
『…私ね、あれから娘が産まれたの。今年で15歳になるんだ。私と違って凄く優しい子に育ってくれた』
『でも、私はあの子を愛そうとしなかった。あの子はずっと、私を愛していてくれたのに……あの青い瞳が、あの男を思い出してしまって……それで…私は、どんどんおかしくなっていって…』
「…何を言っているの?美花?」
『あの子にしてきたこれまでの5年間…凄く恨まれてると思う。でも、あの子は気付かせてくれた。…私はあの子を愛していたんだって。…だから、せめて最後ぐらいは母親らしくなりたいの』
「最後って何?さっきから言ってる事がわからないわ美花!今どこにいるの?!」
『…細田さん。私の娘の名前は【双葉】…可愛い名前でしょ?美しく咲いた花の隣に、芽生えて大きくなって欲しいって想いで私が名付けたんだよ』
『もしも…もしも貴方が私の子と出会ったら、私の代わりに愛してあげてほしいの。私はもうあの子に優しく出来ないから…心から信頼出来る貴方に託したい。それが最後の【我儘】』
「美花…!」
『いきなり電話をしてきたと思ったら、こんな事を言ってきて迷惑だよね?…だけど…私の両親の事、知ってるよね?今更関係を修復なんて出来ないし、いつ…また…私がおかしくなるかと思うと…残された時間はもうない……今は、貴方だけが頼りなの』
『…あの子、小さい頃に私を見て【モデルになりたい】って言ってくれてたなぁ…細田さん、まだSunnaにいるなら採用してくれないかな?あの子は逞しくて美しい……モデルとしての才能を宿しているわ』
「美花!聞きなさい!」
『きっとあの子なら誰よりも輝くスーパーモデルになれると思うな。…私には到達出来なかった世界を、あの子ならきっと…』
「美花!!」
『……』
「…まさか、まさかよ?貴方、自殺なんて考えてないでしょうね?そんな事を考えているなら、私は絶対に許さないわ」
『……』
「一方的に自分の考えだけを押し付けて我儘を通すところ…貴方は昔から変わらないわね。その性格に当時はどれだけ振り回された事か…」
『…ごめん』
「…でも、そんな貴方もモデルとして上手くやっていけたでしょう?貴方はそれだけ強いはずよ?だから…どうか早まらないで。その…双葉ちゃん?だったわよね……貴方の子を私に紹介してよ、美花」
『…えっ?』
「美花、何処にいるか教えてくれる?今からでも直ぐに向かうわ。その子に私も会わせたいのでしょう?だったら、あの頃みたいにまた話しましょう?貴方の家でも良いし、居心地が悪いのなら、何処か指定してくれる?」
『…【飛行船】』
「…あら、また懐かしい場所ね」
『忘れるわけないよ。私のモデル人生の始まりの場所であり終わりの場所…うん、そうだね。そこがいい、そこで話そう』
「分かったわ。直ぐに支度をする。…だけど、貴方いつの間に東京へ帰ってきてたの?それならもっと早く電話をしてくれたら…」
『……』
「…美花?」
『…あぁ、ごめん。久々に細田さんの声を聞いたら少しだけ心が落ち着いてさ。…やっぱり電話をかけて良かった』
「…その様子だと結婚して色々大変だったみたいね。いいわ、私に思いっきり愚痴を全部吐き出しなさい。貴方だけが辛い思いを抱えなくていいんだから。…さて、飛行船で話したいのなら、今から迎えに行くわ。場所を教えてくれる?」
『ふふっ、本当にもう大丈夫だよ、細田さん。とりあえず現地集合ってことで。…細田さんも、その心配性なのは昔から変わらないね』
「…お互い、歳を取っても変わらないってことね」
『……うん、そうだね。ええと…それじゃあ、今からでも大丈夫?』
「ええ、勿論よ。直ぐに向かうわ」
『…うん、私も直ぐに向かうね。…本当にありがとう、細田さん』
「気にしないで。…美花、電話をしてくれてありがとう。貴方は勇気を出したんだから、もっとシャキッとしなさい。もう大丈夫だから、気をつけて来るのよ?」
『……うん。…じゃあね、細田さん』
「ええ、また後で」
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その日、細田は飛行船で来ることのない彼女をただ信じて待ち続けた。
あの電話が、彼女の最後のメッセージだったと気付くのは、まだ少し先の話である…