58話【幸せへの選択】
RABi
「…え、マジ?黒木さん…今、何て…?」
黒木
「あ…えと…RABiさん…ですよね…?」
記憶喪失であるはずの男から呼ばれた名前。それはRABiの体をピタリと固まらせ、まるで病室内の時間が止まったかのように静かに時間だけが過ぎていく。
だが、暫くしてRABiは【自分の事を覚えている】という事だと理解していき、目をキラキラと輝かせて嬉しそうに黒木の両手を強く握った。
RABi
「ヤバいヤバいヤバいヤバい!!黒木さん!!私の事覚えているの!?」
黒木
「ちょ…っ」
強く握った手をブンブンと元気よく振り回され、黒木は戸惑う。相手は一応患者だと思い出してRABiは慌てて手を離した。
RABi
「あ、あぁ!ごめんごめん!!痛かったよね!?」
黒木
「や…まぁ…大丈夫です…」
RABi
「それで…ええと、黒木さん。私の事は覚えているんだ!」
改めて聞き直されるも、黒木は浮かない表情で首を横に振る。
黒木
「…すみません…RABiさん…で、合ってますよね?」
RABi
「…?そうだよ?」
黒木
「そうですか……貴方の顔を見た時、何故か名前だけは覚えていました。でも、それ以外の事は何も覚えてなくて……どうして貴方の名前だけが覚えていたのか……俺自身もよく分かってません」
困り果ててる黒木とは反対に、RABiは顎に手を当てて得意気になっている。
RABiな
「それは勿論、一度見たら忘れられない、私が最強無敵の可愛いアイドルだからね!黒木さんの記憶に深く深ーく刻まれていたって訳じゃん?」
黒木
「……そうなんですか?」
RABi
「…そこは成る程って言ってほしかったな…ま、まぁとにかく!これって超チャンスじゃない?」
そう言うとRABiは、ずいっと前のめりになって黒木の顔に近付ける。そして改めて両手をギュッと握るとニコッと笑った。彼女の光眩しい笑顔に、黒木は呆気に取られる。
RABi
「今から君と私との思い出を話してあげる!きっと、それで何か思い出すかもじゃん!?ね?ね?そうでしょ!?」
黒木
「え、えぇ……?」
………
…聡の屋敷。休日だった聡はキッチンカウンターにて二人分のコーヒーを注ぎ、細田の元まで運んでくる。細田は受け取りゆっくりと飲むと、冷え切った体にコーヒーの温もりが染み渡りホッと一息ついた。一方で聡はソファに足を組んで座ると、電源を付けているテレビをじっと見つめる。
放送しているニュースは丁度先日起きた石神による通り魔の事件。テレビでは石神の芸能人の頃を振り返るダイジェストを放送していて、事件の詳細は語られていない。コメンテーターや石神の芸能時代を良く知るゲストも
【本当に物騒な世の中ですよねー】
【石神君は凄く優しい方だっただけに、このような事になってしまって本当に残念です】
等、当たり障りのないテンプレートの様なコメントしか残さず、事件について大きく取り上げる事はなかった。そんな呑気な彼等を神妙な顔でじっと見ながら、聡は細田に声を掛ける。
聡
「ねぇ、明美ちゃん」
細田
「…?」
聡
「アティシ思うんだけど……この事件って、本当に偶然だったのかしら?」
細田
「どういうこと?」
石神のダイジェストを終え、ニュースは今トレンド沸騰中の話題へと切り替わる。聡はずっと手に持っていたコーヒーを漸く飲むと、溜息を吐いて机にそっと置いて腕を組んだ。
聡
「亡くなられた男性の方はちょっと分からないけれど…クロちゃんが襲われたのってアティシには偶然には思えないのよねん」
聡
「スタコレの事故で明美ちゃんが……そして今度はクロちゃんが……こうも連続で双葉ちゃんに関わる不幸が重なるなんて、不自然にしか思えないのよ」
細田
「スタコレの事故も偶然じゃなかった……という事?そうだとして、一体誰が仕組んだと言うのよ」
聡
「フーン、そんなの簡単な事じゃない。それはたった一つの動機。双葉ちゃんの不幸を望む者…」
細田
「まさか…桜井秀樹が…?でも、あの男は手切れ金を受け取ってるのよ?」
徐々に青褪めていく細田を横目に、聡は再びコーヒーを口に含み、首を横に振る。
聡
「手切れ金を受け取っても、あんな最低な野郎ならやりかねないじゃない?あれから不気味なくらい姿を表さなくなったし…本当はずっとアティシ達が知らない裏で動いていたんじゃ…」
聡
「…そう考えると、今後も彼奴に狙われてるかもしれないって、警戒しながら過ごしていかないとならないし……もしもアイツが、クロちゃんが生きていたのを知ると……何をしでかすか分からないわよ?」
細田
「そんな不安を煽る様な事を言わないで聡さん。こんな会話、双葉が聞いていたらどうするの?」
細田は少し声を荒げて話す。いつもは冷静な細田も、双葉の事となると、やはり顔に出るらしい。自身の勝手な憶測に聡は、深く溜息を吐いた。
聡
「…アティシらしくないノンファンタスティックな事を考えちゃったわね。ごめんなさい、明美ちゃん。気を悪くしちゃったわよね?」
細田
「…いえ…でも、一つだけ分かるのは…どうして双葉ばかりがこんなに辛い思いをしなきゃならないの。あの子が何をしたっていうのよ…」
聡
「明美ちゃん…」
双葉
「おはよう!細田さん!聡ちゃん!」
階段から双葉が笑顔で降りてくる。二人は今話していた内容を言わずに、まるでなかったかのように愛想良く彼女に微笑みを返す。
聡
「おはよ〜ん双葉ちゃぁん♡今日もクロちゃんに会いに行くのね〜ん?」
双葉
「勿論。…あれ?」
居間で支度をする中、双葉はある違和感に気付く。
双葉
「黒木さんの荷物は?」
そう、彼がここへ住む時に持ってきていた荷物が全て無くなっていたのだ。それに気付いた双葉に、聡は気不味そうに目を逸らしながら返した。
聡
「あー…その事なんだけどぉ…この間病院の人から電話があってぇ。クロちゃんは自分が住んでるアパートに帰るみたいだから荷物を送って欲しいって頼まれちゃったのよ。記憶も戻ってもないのにここに住むのは申し訳ないって…だから今日の朝に配送し終えたわ」
双葉
「…そっか」
聡
「アティシは全然構わないって言ったんだけどねぇ。…あぁ!大丈夫!住所はちゃーんと聞いてるし、クロちゃんの住んでる場所も分かるわよ!双葉ちゃんが熱々に同棲したいなら、クロちゃんと相談して…」
双葉
「私もそろそろ自分のマンションに戻ろうと思っていたんだ。タイミングが良かったかもしれないね」
聡
「…え?そうなの?」
明らかに無理してる返しに、細田は車椅子を動かして双葉の元へ寄り添う。
細田
「双葉、私もついて行くわ。それでもう一度黒木さんとお話をして、ここで一緒に住むように言いましょう?何も全部黒木さんの通りにやらなくてもいいのよ?」
心配そうに見てくる細田に、笑顔を崩さず双葉は答える。
双葉
「大丈夫だよ細田さん。黒木さんがそうしたいのなら、私達の我儘に付き合わせちゃいけないじゃん?大丈夫、思い出してくれたらまた一緒に住めるだろうし、それまでの我慢だよ」
双葉
「それじゃあ行ってくるよ。夕方ぐらいには帰ってくると思うから、ごちそうを作って待っててよね?」
そう言うと双葉は手を振り玄関へと向かって、そのまま振り返る事なく出て行った。残された大人の二人は、深刻な顔で彼女の様子に悩まされる。
細田
「あれは…また無理をしてるわね」
聡
「今日は起きるのも遅かったし…ここ数日間で心身共に疲労も溜まってきてるんじゃないかしら。…なんていうか……今の双葉ちゃんは」
聡
「また【パーフェクトモデル】を演じようとしている」
変装して電車に乗り込み、車内に待ち受ける大勢の人達を避けてドア側に立つ。ドアに体を凭れ掛かり、窓から通り過ぎて行く街の風景をぼうっと見ながら双葉は考える。
彼女は、聡達が話していた【秀樹の存在】を隠れて聞いていたのだ。もしも、これまでの悲劇が奴の仕業だと言うのなら……このまま黒木と居るのは、彼の身が危険なのではないか?
双葉
「……私は……どうしたいの?」
誰にも聞こえない小声で弱音を吐き、双葉が乗る電車は黒木が居る病院へと向かい街を走り過ぎていくのであった。
………
その頃、黒木がいる病室ではRABiから一方的に思い出の話を聞かされていた。ライブで再会したことや、一緒に双葉の最後のランウェイを見届けた話。RABiは自由気ままに思いついた言葉を並べ愉快に話すが、残念なことに黒木は一向に思い出せなかった。
RABi
「んー、それも覚えてないかぁ。どーして私の名前だけ覚えてたんだろうねー」
黒木
「…すみません」
終始暗い黒木に、RABiは笑顔を崩さずフレンドリーに対応してくれる。
RABi
「謝ってもしょうがない!こういうのはゆっくりと思い出していけば良いから!逆に名前だけでも覚えてたのも奇跡じゃない!?」
何でも前向きに考え、彼女は煌めく笑顔を見せる。
黒木はその笑顔を見て、自身の暗闇に包まれた心に光が一瞬灯される。そしてそれは、歩道橋から見た広告の看板に映る、RABiの姿を連想させる。
黒木
「…そうだ、思い出した。貴方のその笑顔、最近歩道橋から見た看板と一緒だ…」
RABi
「歩道橋の?…あっ!もしかしてスタコレを宣伝してる看板かな?あーあれね!あれはメイクさんがメッチャ気合い入れてくれたから最強に映えてたと思うよ!…って、また思い出せたの!?すっごい!!チョー順調じゃん!!」
黒木が徐々に記憶を取り戻す様に、オーバーなリアクションで、まるで自分のように喜ぶRABi。その燥ぐ彼女を見て、黒木自身も何だか嬉しくなってきて思わず笑ってしまった。
黒木
「ハハ…順調…なんですかね…?」
RABi
「!」
ずっと無表情の男が見せた純粋な笑顔に、RABiは思わずドキッと感じる。しかし、決して取り乱さず、直ぐに気を取り直してガッツポーズで黒木を応援する。
RABi
「この調子でどんどん思い出していければ、きっと双葉さんの事も思い出せるはずだよ!私で良ければどんどん手伝ってあげるからね!マコッチ!」
黒木
「ま、マコッ…チ?」
RABi
「そう!君の笑った顔を見て今名付けた!なんかそれっぽいでしょ!?」
黒木
「わ、分からないですけど…RABiさんがそう呼びたいのなら…まぁ…」
凄く馴れ馴れしく接してくるRABiに黒木は少し照れる。彼から次々と見られる表情の変化に、RABiもニヤニヤが収まらず、ワクワクが止まらないのだ。
しかし二人が病室で出会ってから、とても時間が経っていたようで、ふと壁時計の時刻を見たRABiは慌てて立ち上がる。
RABi
「あっ!?ええっ!?もうこんな時間なの!?ごめんねマコッチ!私、この後スタコレのリハがあるからもう行かないと!せっかく色々と思い出せそうなのにー!!くぅー!!時間が足りなーい!!」
黒木
「スタコレ……?」
RABi
「何か良い方法は…あっ!そうか!マコッチ、スマホ貸して?明日には退院してここから居なくなるんでしょ?それなら今度スケジュール合わせて、また話そうよ!ここまで来たからには、絶対に全部思い出さなきゃね!!」
黒木
「スマホ……そう言えば……」
スマホというワードを聞いて黒木は周囲を見渡す。今更ながら彼は、自身のスマホが無くなっている事に気付いたのである。
黒木
「…すみません。多分ですけど、今、手元にはないですね……」
RABi
「え?そうなの?……あー、もしかしたら事故の時に壊れたとかそういう系なんかなー……まぁ、それなら……」
RABiは徐にスケジュール帳を取り出して一枚千切ると、ペンでスラスラと電話番号を書いて彼に渡した。
黒木
「…?これは?」
RABi
「予備スマホの電話番号!スマホが手元に戻ってきたらそれに電話してみて?基本忙しくて繋がらないかもだけど、着信だけでも残してくれたら私が空いてる時に掛け直すから!」
黒木
「は、はぁ……」
電話番号も渡し終えてRABiは引き戸の前まで向かう。そして、部屋から出て行く前に黒木の方へと振り返りニコッと笑って手を振った。
RABi
「それじゃあもう行くから!私から双葉さんや他の人にも、マコッチが思い出してきてる事を伝えておくね!!」
黒木
「は、はい…」
RABi
「またね!マコッチ!君なら絶対に双葉さんの事を思い出せるはず!!だから私と一緒に頑張ろー!!バイバーイ!!」
そう言って彼女は元気良く出て行った。
一人残された黒木は、陽気な彼女のパワフルな圧に圧倒されポカーンとしていた。嵐のように現れ、そして嵐のように過ぎ去り、騒がしかった部屋は再び静かになる。
黒木
「…なんだか、凄く楽しかったな」
だが、黒木の心は太陽のように笑うRABiの笑顔に少しずつ光が差し、目覚めてからずっと無表情だった彼の口元も自然と緩んでいった。黒木の中で少しだけ、記憶を失う前の感覚を取り戻し、そして、RABiと一緒にいたいという気持ちが芽生えてきていたのである。
彼女が言うように、もしかするとRABiといる事で自分の記憶が蘇るのかも知れない。しかしその前に、今感じているこの胸のトキメキが一体なんなのか…黒木はそっと胸に手を当てて俯いた。
すると、RABiが去ってからたった数分。入れ替わるかのように、再び引き戸の方から開く音が聞こえてきた。黒木はハッと我に返り、扉の方へと振り向く。
双葉
「こんにちは、黒木さん♫」
黒木
「…桜井さん」
そこには未だに思い出せない彼女が、無垢の笑顔で立っていた。