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【完結】Re:LIGHT  作者: アレテマス
第三幕
121/150

53話【誤算】



   真っ暗な海が、何処までも何処までも広がっている。



     暗闇の海の上に、ポツンと小舟が一つ。



   舟は海に翻弄されて、暗闇の中を彷徨い続ける。



     一体、舟が行く先は何処なのだろう。



   深淵に呑まれていく舟の行方は、誰にもわからない。



………



12月25日 PM15:48 街中


 どんよりとした曇り空の中、都内に雪が降り注ぐ。一台のタクシーが路上で止まり、ドアが開くと斎藤が降りてきて、直ぐに辺りを見渡す。


工藤

「斎藤!」


遠くから呼び声が聞こえ、その方向へと顔を向けると工藤が此方に気付いて手を振っていた。二人は合流すると横並びに街中を歩き出して状況を整理する。


斎藤

「石神は?」


工藤

「今は白石ちゃんに追跡させてるよ。ここからそう遠くない」


斎藤

「そうか。何か不審な行動はとってたか?」


工藤

「いや、今のところは。…昨夜、ホテルにチェックインしてから、今日の朝のチェックアウトまで出てくる事はなかった。ホテルの人に協力してもらって聞き込みをしたけど、予約したのは一人だけだったそうだ。桜井は一緒に居なかったよ」


斎藤

「最近まで路上で寝てた奴がホテルでねぇ…この裏に繋がっているのが、桜井だといいんだが…」


工藤

「尾行をした先に答えがあるはずさ。今は白石ちゃんの所へ向かおう」


二人は歩く足を早めて人混みの中進んでいく。


 暫く歩くこと数分。スマホのGPSをチェックしながら進んでいた工藤の足は止まる。彼は顔を上げて前を見ると、遠くには此方に軽く手を上げて、人混みに紛れている白石の姿が見えた。彼が見えたという事は…そう思って斎藤は、白石より奥の方へと目を向ける。


 その視線の先には歩道橋の階段を上がっていく黒パーカーのフードを被った男性の背中が見えた。事前に情報を聞いていた格好と一致するその姿は、彼等が追っている石神なのである。二人のスマホにグループメッセージが届く。


白石

【今階段を登ってるパーカーの男が石神です。どうします?凸しますか?】


工藤

【いや、もしかしたら近くに桜井もいるかもしれない。追跡を続けよう】


斎藤

【ここからは其々離れて奴を追い掛けよう。纏まって動くと目立つ】


工藤

【OK】


白石

【-_-b】


隣に立つ工藤は斎藤の顔を見て頷くと、スマホをポケットに戻して彼の元から離れていく。斎藤は階段を上がっていく石神の背中から目を離さず、一人で追跡を始めた。


 彼がもし秀樹と関わっているのなら、秀樹から自分達の存在も話を聞かされているはずだ。そうなれば石神は周りに気を付けて警戒しているだろう。石神との程良い距離を保ちつつ、三人は歩道橋の上を歩いていく。


すると、石神は突然立ち止まった。


 気付かれたのかと思い、三人もその場でピタリと足を止めて、出来る限り人混みに紛れて姿を隠す。しかし、立ち止まった石神は振り返る事も、周囲を見渡す事もなく、ただその場で前を見て立ったままだ。


斎藤

(何を見ているんだ…?)


斎藤は目を細め、石神が見る前の方向を注視する。これと言って何も変わったものは見えない。


サンタ

「メリークリスマース!!」


遠くの広場からはサンタの掛け声が聞こえてくる。石神はその声に反応するように、またゆっくりと前を歩き出した。


 一体何を見ていたのか。三人は其々の角度から彼の視線の先を見ていたが結局分からなかった。とにかく、自分達の存在がバレていないのだけは分かって、引き続き尾行をする。ただ、斎藤だけはこの不自然な行動に嫌な予感を感じていた。


 彼を追跡する中、彼が何を見ていたのかをもう一度注意深く見てみる。歩く先に見えるのは、もう直ぐ歩道橋も終わりで降りる階段がある事ぐらいだ。


 …だが、その階段を降りる目の前に答えはあった。何処かで見たことがある男性の背中が、階段を降りようとしているのが見えたのだ。その背中は、確かに見覚えがある。


斎藤

「…黒木?」


そう、黒木なのだ。夏にカフェで話した懐かしい姿がそこにいるのだ。彼は両手に沢山の紙袋を持ち、一瞬見えた横顔は嬉しそうな顔をしていた。


 斎藤は透かさず石神の方と黒木の方を何度も見返す。石神が見てる視線の先、それは黒木の方なのだ。


斎藤

「…ぉぃおいおいおい!待て待て待て待て!!」


【最悪の予感】が脳内に過り、額から汗が吹き出す。足は石神に追い付こうと、勝手に走り出す。慎重に動く彼を知っている工藤達は、その大胆な行動を見て驚いていた。だが、何故自分が慌てて走り出したのかなんて、そんな説明をしている余裕はない。


 階段を降り出した黒木の姿を見て、先程までゆっくりと歩いていた石神はバッと走り出す。


 そして、石神は一気に黒木との距離を縮め、彼の背中を触れられる距離に到達した。背後から迫り来る脅威に、黒木はまだ気付いていない。


斎藤

「やめろぉォオオオ!!!」


手を伸ばし、必死に走る斎藤は叫んで呼び止める。しかし、石神は振り返る事も、立ち止まる事もなかった。


黒木の背中に到達した石神は



ドンッ



黒木

「えっ…?」


彼の後ろから躊躇なく両手で突き飛ばす。



 突然押され、バランスを崩した黒木は、受け身が取れずに階段から転がり落ちていく。先程まで両手に握っていた紙袋も離して、中に入っていた物は宙に舞った。階段の最後の段まで転がり落ちた黒木は、その場でピクリとも動かずうつ伏せで倒れ、彼の周りには人々が、ざわざわと集まってくる。


斎藤

「な…ぁ…」


後少し、ほんの少し間に合わなかった斎藤は、動かない黒木を階段の上から絶句した表情で見るしか出来なかった。今この状況は正に【絶望】なのである。


 だが、その【絶望】に足を止めてはならない。直ぐに我に返り、バッと石神の方へと振り返ると、彼は歩道橋を降りず、そのまま逆走して全力で逃げて行っている。


斎藤

「…ッ!石神ィィイイイイイ!!!」


絶対に逃さない


その強い意志は、斎藤の足を大きく動かし、彼の人生において最高潮の全速力で追いかける。


工藤

「斎藤!」


白石

「斎藤さん!」


何が起きたかもまだ状況が追いついていない二人の横を走り抜け、彼等もまた斎藤を追い掛けようとするが、斎藤は走りながら咄嗟に指示をする。


斎藤

「工藤!!お前は今階段から落ちた青年の元へ!!白石は俺と来い!!」


工藤

「えっ…!?ええっ!?」


白石

「!分かりました!」


指示を受け工藤は急いで階段を降りて行き、白石はそのガタイからは想像も出来ない速さで斎藤と共に石神を追いかける。


 石神は前から来る通行人を躱していき、時折横切る人を勢いよく突き飛ばして二人の追跡を妨害する。その動きは最早素人ではなく、この時の為に事前に計画をしていたかのように、動きは滑らかだった。


斎藤

「クソッ…!!」


動きに慣れている石神との差は、どんどんと広がっていく。このままではまずいと二人も必死に通行人を避けて行く。


 歩道橋の端に到達して階段を降り切ると、大広場の前に着いた。二人は石神を探して何度も何度も全体を見回す。


 しかし、クリスマスというイベントに通行人は溢れ返り、石神は上手く人混みに紛れて姿を消してしまったのだった。ハァハァと息を切らし、二人は諦めずに石神の行方を探し続ける。


白石

「ハァ…ァ…ッ…!斎藤さん…!このままじゃ…!!」


斎藤

「……」


………


石神

「ハッ…ハッ…ハァ…ッ…ァ…ハァ…」


人気(ひとけ)が無い路地裏の通り。ずっと走り続けていた石神はクタクタになりながら息を切らし、暑さに耐えきれずフードを脱ぐ。


 その場で足を止めて膝に手を付けると、乱れた呼吸を整える。ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには斎藤の姿は無かった。ホッと息を吐いて顔を前に向けると、何やら手に違和感を感じる。


 視線を下に向けて両手を見ると、何もしてないのにも関わらず両手はブルブルと震え続けている。彼自身は考えない様にしていたが、この両手はさっきまで幸せそうに過ごしていた男性の背中を突き飛ばした罪悪感と恐怖を感じているのである。


石神

「…やっちまった…何で…こんな事に…」


震え続ける手を見つめボソッと独り言を吐く。そんな彼の前からコツコツと足音を鳴らし、誰かが近付いてくるのが耳に入ってくる。ゆっくりと視線を上げると、そこには石神が知っている男性が立っていた。


秀樹

「素晴らしい。完璧な計画でしたね、石神さん」


秀樹である。彼は黒いロングコートを羽織り、不適な笑みで石神の元まで歩み寄ってくる。


 彼の左手には、一人の大人が運ぶのにも苦労しそうな程、とても大きなアタッシュケースが握り締められていた。まだ自分がした事を受け入れられない石神は、震え声で彼に話し掛ける。


石神

「え、遠藤さん…お、俺…俺…」


秀樹はゆっくりと右手を伸ばし、彼の肩にそっと優しく乗せた。


秀樹

「大丈夫、大丈夫ですよ。石神さん。貴方は何も悪くない。貴方は俺の無茶を引き受けてくれた素晴らしいお方です」


石神

「遠藤さん…」


秀樹

「貴方が突き落とした男は、俺の大切な娘の幸福を邪魔するクズですから。大丈夫、アレぐらいじゃ人は死にませんよ。彼には全身打撲で数ヶ月入院する痛みを味わってもらえばいいんです」


自身の罪を擁護する優しい言葉と、淡々と話す狂気じみた言葉が混ざり合い、聞いているだけで気分が悪くなる。


石神

「…ッ…で、でも…あの男…ぴくりとも動きませんでしたよ…?し、死んでしまったなんて…ことは…」


秀樹

「死んだのなら、あの男は運が悪かったと思えばいいだけです。それに、万が一に備えて事前にお伝えした【逃走ルート】を貴方は利用したでしょ?」


石神は静かに頷く。


秀樹

「それなら安心ですよ。貴方に教えたここまでのルート…監視カメラとは殆ど接触しない。仮に映ったとしても、真正面に映る様な配置はされてないから、フードを被って逃げてきた貴方は誰だか分からず、特定は難航するでしょう」


秀樹は嬉しそうに話しながら、アタッシュケースを見せつける。


秀樹

「この中には今回の報酬額と、着替えを用意しています。そして、少し高かったのですが、貴方用の偽造パスポートも入手出来ました。石神さんは今からここで着替えを済ませ、海外へ逃げればいい。…この国に帰ってきたいのなら、海外先で整形を済まして数年間待つだけで帰ってこれますよ」


秀樹

「この様な日本中でありふれた一つの事件…余程の有名人が巻き込まれてない限り、大きくも報道されないでしょうし、人々の記憶からも直ぐに消えていきます。たった数年海外で我慢すれば、この大金で貴方の思うがままにセカンドライフとして生きられるでしょう。良かったじゃないですか、石神さん」


石神

「……俺も……」


秀樹

「…?」


石神

「俺も【元】有名人だぞ…?」


石神にとって地雷を踏んだのか、彼は険しい顔でフルフルと体を震わせて秀樹を睨み付ける。


 彼の意思は尊重せず、これ以上の面倒毎に巻き込まれたくない秀樹は彼の態度を適当に流す。


秀樹

「…確かにそうでしたね、失礼しました。…さっ、こんな所で話をしていてもリスクが高まるだけです。誰も居ない内に着替えを済ませて、ここを立ち去りましょう」


秀樹に言われ石神は何度も頷くと、着ていたらパーカーをその場で脱ぎ出す。アタッシュケースを開き、着替えを差し出された時に見えた箱の中身は、びっしりと現金が詰め込まれていた。



全ては計画通り。この男にも念の為に【裏】に繋がりがある事を脅しておこうか。


いや、まずは暫く身を隠す場所を確保しないと。この男が本当にあの男を殺してしまったと言うなら、警察も本格的に動くはずだ。


当分は大人しく過ごさないとな。


秀樹は着替え出す石神をじっと見ながら、既に今後の事を考えだしている。その思考が巡る中に、石神の今後については全く考えていない。用済みの男のその後など、秀樹にはもうどうでも良いからだ。


このまま計画は問題なく終わるだろう。秀樹がそう確信しようとした。


その時


「石神ィィイイイ!!」


一人の男による響き渡る怒号が、秀樹の計画を崩したのである。


 二人は声がする方へと振り返ると、ゼェゼェと息を切らし、額には大量の汗を流した斎藤が立っていた。先程まで着ていたコートは今は羽織っておらず、走りやすい軽装な格好に変わっている。


斎藤

「ハァ…ハァ…!や、やっと追いついた…!み、見つけたぞ!石神ィ!!」


石神

「…嘘だろ…?」


余程走り続けていたのか、口は上手く回らずシャツは汗でびっしょりで見栄えは最悪に格好悪い。


 だが、今はそんな事などどうでも良い。石神の横に立つ金髪オールバックの男、雰囲気は違えどその変わらない青い瞳が、ずっと探していた秀樹だと確信して、興奮が収まらないのだ。


斎藤

「桜井…!!」


秀樹

「…石神さん、上手く巻いたんじゃなかったの?」


さっきまで優しかった声色が、一気に低い声に変わり、まるで別人の様な雰囲気を醸しだす。石神は慌てて必死に何度も頷きながら答える。


石神

「ほ、本当です!嘘じゃありません!アイツからは逃げ切れたはずなのに…!!…て、ていうか…遠藤さん…!桜井ってなんですか…!?」


秀樹

「……」


斎藤

「あぁ、確かにそいつの言う通りだよ…!絶対に逃さないと考えていたのに一度は見失ってしまった…!!」


斎藤

「けどな!こっちの執念も舐められちゃあ困る…!!アンタらが俺を甘く見たのが失敗だったんだよ…!!」


片手をポケットに入れてジリジリと近付く。ポケットの中ではスマホを動かし、手分けして探していた白石に【見つけた】というメッセージを直ぐに送信できる状態にしていたのである。



 遂に探していた男と対面。ジリジリと詰めた結果、一気に飛び込めば確保出来る程の近距離にまで近付けた。


 三人しかいないこの路地裏の通りには、緊張の空気が包まれる。険しい顔をして斎藤を見ていた秀樹は、突然不適な笑みを浮かべ話し掛ける。


秀樹

「にしても……久しぶりだね、斎藤さん。貴方と最後に会ったのは…あの若い男を紹介してもらった時だったっけ?」


斎藤

「アリケンか…アイツも悪さしてきたツケが飛んできたようだな。最近じゃ芸能情報も日和って再生数はガタ落ちで生活費も払えないそうだぞ」


秀樹

「ハハッ、どうでもいい情報を態々(わざわざ)どうも」


斎藤

「どうでも良くねえよ」


秀樹

「…?」


斎藤は秀樹にゆっくりと指を指す。


斎藤

「アンタも、アイツの様に裏で悪さをしてきた罪を償う時が来たんだ。初対面で出会った頃から、アンタは【嘘】の匂いで臭かった。だから色々と調べたんだよ」


斎藤

「スタコレの事故の真相も、そこにいる男を利用して黒木を階段から落としたのも、全部こっちは分かっているんだ!そして…7年前に美花に起きた【悲劇】の真相もな!!」


秀樹

「……」


斎藤に圧倒され秀樹は黙ったままだ。斎藤は慎重に、少しずつジリジリと距離を詰めていく。


斎藤

「桜井、アンタを牢屋にぶち込む前に伝えておかないといけないことがある。…美花は、あの子は、両親と分かり合えなかったと思い込み、誰にも愛されていないと考えていた。そんな時、アンタに出逢って家族から見捨てられた同士だと、アンタを心から愛そうとしていたんだ!」


斎藤

「だが!アンタは彼女の【愛】を受け入れなかった!!アンタは体と金でしか美花を見てなかったんだ!!双葉が産まれた時も!アンタがあの子を受け入れて、美花の【愛】も返していたなら!!あの二人に悲劇が起こる事はなかったんだ!!」


冷静に話していた口調がどんどんと荒げる。興奮する斎藤を目に、秀樹はバカにする様に鼻で笑った。


秀樹

「斎藤さん、貴方には分からないよ。俺の【愛】の飢えがさ。俺はこの瞳のせいで、ずっと家族からも周りからも酷い目に遭わされてきたんだ。そんな呪われた瞳を宿した子を愛せると思うか?」


秀樹

「俺は青い瞳のせいで長く苦しんだんだ。それなのに、双葉はどうだ?何の苦労もしないで【嘘】を纏って、人々から絶賛されているじゃないか?俺だけが苦労して、あの子が苦労しないなんておかしいだろ?」


斎藤

「…美花は…」


秀樹

「…?」


斎藤

「美花はアンタの瞳を否定したのか?」


秀樹

「……」


斎藤の問い掛けに秀樹は黙る。


 彼は知っている。初めて美花と出逢った時、この瞳を『綺麗だ』と言って見惚れてくれたあの日の事を。


 都内に住んでからはこの瞳で苦労することはなかった。だが、それと同時にこの青い瞳に触れる人間がおらず、まるで自分の存在が無個性のように感じて寂しい思いもあったのである。


 そんな中、美花だけがこの瞳を触れてきて、彼女は決して否定しなかったのだ。ただ純粋に、この瞳に惚れて、同じ境遇だと寄り添ってくれた。【嘘】を纏って生きてきた自分を、彼女は温もりのある【純粋】で包んでくれたのだ。


 他の冷たい人間達と過ごす中で、美花といる時だけは居心地は正直悪くなかった。他の女と違って、何度も愛の言葉を与えてくれた。それが今となって【愛】だと知っても、気付くには遅すぎた。


斎藤は話を続ける。


斎藤

「…美花は、アンタを愛し続けた。…だが、アンタはそれを拒み続けた。それは【愛】を知らないからじゃない。アンタが自己勝手の被害者面を何時迄も続けてたからだ。相手の事を信じず、己の損得でしか考えられない【子供】のままだったんだ」


斎藤

「双葉は違う。あの子はアンタと同じ様に【嘘】で纏って生きてきたが、そんな姿でさえ愛してくれる人間を信じることを選んで、徐々に【大人】になっていってるんだ。自らの力で幸せを掴もうとしている子を、親であるアンタが邪魔をしてどうする!」


斎藤

「親は我が子を愛する事が役目だろう!?違うか!?」


秀樹

「……」


不気味に笑っていた顔も、いつしか無表情に変わり黙り込んでしまった。彼は斎藤に圧倒されているのだ。少し間が空いてから、秀樹は重い口を開く。


秀樹

「…貴方が俺を牢屋に入れたいのは、親の役目を放棄した罪の償いか?」


斎藤は首を横に振る。


斎藤

「違う。アンタの自己勝手な行動によって、不幸に突き落とされた美花の…【星谷家】の無念を晴らす為だ。そして、もう一つ。これは記者としてじゃない」


斎藤

「MIKAのファンだった俺自身の復讐だ!!」


秀樹

「…そうか。復讐か。…これは参った。どうやら俺達は見逃してもらえなさそうですよ、石神さん」


石神

「え?あっ…は、はい…?」


突然話を振られて困惑しながらも石神は返事をする。


 さっきからずっと置いていかれている石神にはこの状況が、まるで理解出来ていない。ただ一つ分かることは、この隣に立つ男は、予想以上に【嘘】で塗り固められた存在である事にゾッとしていた。


 秀樹は頭を片手で掻いて大きく溜息を吐くと、敵意を向けてくる斎藤の目をじっと見て話し出す。


秀樹

「…この裏通りはね、これだけ人で溢れている街でありながら、誰も通らない忘れられた場所なんだ。時々1時間この場所に立って観察していたけど、人一人通り抜けとして利用する者はいなかった」


斎藤

「…一体何の話をしている」


秀樹

「…要するに、【ここで何をしようと、通行人に気付かれるまでは時間を稼げる】という事だよ。念の為にリサーチしておいて、やっぱり正解だった」


秀樹はコートの内ポケットに手を入れる。彼がポケットからゆっくりと取り出したのは、ギラリと光る包丁が入ったパック。


石神

「!?」


斎藤

「なっ…!?」


凶器を目にして斎藤はギョッとした顔でジリジリと距離を縮めていた足を止めて、二、三歩と後ろへと下がる。


 秀樹は冷静にパックを解放して近くに投げ捨てると、包丁を革手袋でしっかりと握る。すると、隣で唖然と見ていた石神の手を片手で引き寄せ、彼に包丁を託す様に無理矢理握らせた。


石神

「えっ…?!」


秀樹は不気味に微笑みながら語りかける。


秀樹

「石神さん、最後のお仕事ですよ。その包丁であの男を刺してください」


斎藤

「!!」


石神

「は、ハァ!?」


平然と話す秀樹の狂気じみた提案に二人は青褪める。彼は淡々と話を続ける。


秀樹

「別に殺せと言ってるわけじゃあないですよ。体の何処かの部位にでも刺す事が出来れば、彼奴は俺達を追い掛ける事も出来なくなって時間稼ぎになる。ほら、早くしないと彼の仲間も合流してしまう。さっさとやりましょう」


石神

「何を意味の分からないことを言っているんだ!?そんなのアンタがやればいいだろ!!」


秀樹

「元はと言えば、貴方が奴等の追跡を巻くのに失敗したのが原因なんですよ石神さん?貴方が上手く逃げていたら、こんな事態にはならなかった」


石神

「ッ!そ、それ…は…」


秀樹

「…俺はね、貴方にチャンスを与えているんだ。ここで奴を刺す事が出来れば、二人とも助かる。貴方を【仲間】だと思ってるからこそ、この提案をしているんだ。【仲間】だと思ってなかったら、今頃貴方を見捨てて逃げてもおかしくないだろう?」


斎藤

「奴の話を聞くな石神!!その包丁を捨てろ!!」


石神は包丁を握る自分の手を見てガタガタと震える。そんな精神的に追い込まれている彼を追い討ちする様に耳元で囁く。


秀樹

「…俺が石神さんに包丁を握らせたのはね、勇気を与える訳じゃない。その素肌で握った貴方の指紋は、しっかりとグリップに残り、警察は真っ先に貴方を疑う事となる。つまり、もう後が引けなくなったんだよ、石神さんは」


石神

「!!」


秀樹

「まぁ、あの男を今直ぐに何とかしないといけない訳だし、どの道後に引けない状況なのは変わりない。…覚悟を決めよう、石神さん。貴方が一刺(ひとさ)しするだけで、後は海外で悠々と過ごせるんだ」


秀樹

「…貴方も馬鹿じゃないだろ?今、この場で選ぶ正しき選択が何かを、知ってるはずなんだけどな?」


石神

「…〜ッゥウウ!!!クソォ!!!畜生ォ!!!」


体を奮い立たせ、石神はしっかりと包丁を持ち直すと斎藤に向ける。


斎藤

「…マジかよ…」


斎藤は、普通の人間では生涯経験する事がない局面に立たされている。恐怖で足がすくみ、後ろに下がろうにも体が動かない。


 大声を発して、表通りを歩く人々に助けを求めようかと考えたが、声も恐怖で詰まり、思う様に発せない。これまで映画の追い詰められたシーンで動けない人間を、【さっさと逃げろよ】と思って見ていたが、何故動けなくなるのかこの時理解した。あの演出は正しかったのである。


 秀樹は絶望に陥る斎藤の様子を、まるで優越に浸るような目でじっと見ている。


誰も自分を止められない。そんな心の余裕を秀樹は持ち合わせているのだ。再びチャンスを手にした秀樹は堂々とした姿で、斎藤に話を持ちかける。


秀樹

「斎藤さん。俺は貴方にも感謝しているんだ。貴方が双葉のスキャンダルを発掘する為に、俺を表に出してくれたからこそ、借金漬けの地獄の日々だった俺も救われた。……だから、貴方にもチャンスを与えようと思う」


秀樹

「何も難しい事じゃない。今から10数えるから、そのまま背を向けて逃げればいいのさ。真実を追い求める貴方でも、自分の命は大切だろ?」


秀樹

「抵抗するだなんて馬鹿な考えは捨てた方がいい。貴方は武闘家でも警察官でもない。ただの一般記者に過ぎな」




ドスッ




秀樹

「…えっ?」




冷たく鋭い痛みが、横腹から伝わってくる。


秀樹はゆっくりと視線を下ろして、痛みが全身に広がりだしているその部分へ目を向ける。




石神に渡したはずの包丁が、秀樹の横腹にコートを貫通して、ザックリと突き刺さっていた。


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