1話【興味のない人生】
【黒木誠】25歳。都内のスーパーで働くごく普通の会社員。彼には一つの問題を抱えていた。それは生まれて一度も【興味を持ったこと】がないのである。
黒木は顔が良かった。学生の頃から異性にもモテて自然と周りに人が集まっていた。しかし、彼の表情はいつも曇ったまま。
告白をされた事は何度もあったが、その度に相手の事を考えることもなく「ごめん」の一言で終わらせていた。彼の心はときめかず、恋に興味が沸かなかったのだ。
異性との付き合いだけではない。友人に遊びに誘われて遊びに行く場所様々、楽しいと感じる事があっても顔に出る事もなく、一生の思い出とも語れる程の経験にはならない彼でいた。
趣味を持つ事も挑戦した。花の世話、写真撮影、料理…当時友人の協力の元、色々と手を出してみたが、どれも続く事がなく彼の心を動かすものを見つける事はなかった。
そんな事もあってか、周りからは【つまらない人間】と思われて次第に人も減っていき、彼の心は年々曇る一方で、より一層何かに興味を持つ事を無くしてしまった。
大人になり特にやりたい仕事がなく、【なんとなく】という流れのままで受けた都内経営のスーパーに採用され、地元から離れ一人暮らしの社会人に。
毎日決まった時間に起きて、毎日同じ業務をして、毎日同じ時間に帰って、毎日同じ時間に寝る…ただひたすら同じ事を繰り返す。
何かに趣味があるわけでもなく、何かを楽しみにしているわけでもない、周りから見ればとてもつまらない毎日に思われるだろう。
ただ、黒木はこの日々に何の文句もなく、それなりに充実していた。彼にとって、何にも興味を持たない生き方でも十分だと思って生きているのだった。
………
…ある日、スーパーでいつも通りに品出しをする黒木。淡々と作業をこなす彼の横に店長がやってくる。
店長
「黒木君、少しいいかな?」
黒木
「はい、なんでしょう。店長」
作業を止めて店長の方へ振り返ると、横に同じ作業着を着た男性が立っている。見覚えがある顔だ、お互いが目が合った瞬間にハッとなる。
店長
「異動でこの店に働く事になった高田君だよ」
高田
「…?黒木…?黒木じゃないか!」
黒木
「高田…!」
店長
「おや、二人とも知り合いなんだ」
高田
「はい。黒木とは中学生からの付き合いでして…!」
【高田健太】は黒木の数少ない友人の一人だ。
高田は黒木と違いコミュケーション能力が高く、色々な物へ手を出す趣味が多い人間だった。学生の頃は、その個性を活かしクラスの人気者になった。そんな同じクラスメイトだった無趣味の黒木を見兼ね、手助けとして趣味の提案をしていたのも彼である。
初めのうちはゴリ押しされていたが、いつしかプライベートでも遊びに行く仲にはなっていた。大学生以降はお互いに忙しくなり、連絡数も減っていき、お互い何処へ就職が決まったかなんて話題もすっかり抜けていたのである。
久しぶりの再会に嬉しそうに店長へ黒木のことを話す高田。黒木の相変わらずあまり反応が薄い微妙な様子に気付き、呆れる様に笑う。
高田
「いやほんと…久しぶりだな黒木。相変わらずの反応というか…」
黒木
「あ、あぁ…ごめん。俺も久しぶりに会えて嬉しいよ、高田」
高田
「気遣うなって!お前のその反応今に始まったわけじゃないだろ!」
ニコニコと黒木の横に来て肩に手を回す。その様子に店長も安心した。
店長
「二人が知り合いなら引き継ぎとかも楽出来そうだね。黒木君、高田君の引き継ぎは君に任せるよ」
黒木
「わかりました、店長」
高田
「お前とわかったなら安心だな。これからよろしく!黒木!」
黒木
「ああ、よろしく。高田」
………
…仕事が終わった二人は、都内の居酒屋にて久々の友への再会へと祝杯を上げる。嬉しそうにニコニコとビールジョッキを飲む高田。黒木は大人しくチューハイを飲んでいる。
高田
「いや〜まさか黒木と一緒に働く日がくるなんてなぁ〜!」
黒木
「同じ会社に勤めてるとは思っていなかったよ。入社式の時にいたの?」
高田
「いや、前は別のドラッグストアに居たんだけどさ、そこがまーブラックすぎてここに転職ってわけ。お前のところホワイトって聞いたぜ〜?」
黒木
「まぁ…苦には思ってないかな」
二人はジョッキを片手に話を広げていく。高田が務めていたブラックのエピソード、学生の頃の思い出話など…しかし、黒木の反応は薄く、高田が一人で盛り上がってる様に見える。
高田
「あの時の石山の顔今でも覚えてるか!?すっげぇ面白かったよな!」
黒木
「…そうだな。うん」
酔っ払ってゲラゲラ笑っていた高田だが、少し溜息をついた後黒木を見て目を細める。あまりにもドライすぎる黒木に酔いも少し冷めた様だ。
高田
「いやホント…黒木は学生の頃からほんっとうに変わってないんだな。あれから何か趣味とか見つけたの?」
黒木
「いや…」
高田
「休日の日は何してんの?」
黒木
「休日は…起きてニュース見て…飯食べて…買い物をしに出て行って…後は家で落ち着いて勉強用の本読んで眠くなったら就寝って感じかな」
高田
「…お前…マジで言ってんの?」
あまりにもつまらなさそうな一日に思わず絶句している。
黒木
「…やりたい事が特にないからな。こういう暮らし方、悪くないと思うけど」
高田
「いーや、俺なら暇すぎて耐えられんわ。いいか、黒木!お前はまだ自分に合う物を見つけられてないだけだ!それが当てはまればきっと今の生き方よりもずっと楽しくなるぞ!」
黒木
「学生の頃もそう言って色んなところへ連れて行ってくれたよな。あの時の事は本当に感謝してるよ、高田」
高田
「おまっ…よ、よせやいっ」
思わぬ返しに照れるも直ぐにハッとなり、黒木に喝を入れるよう指を差す。
高田
「と、とにかく!お前は本当の楽しみを見つけていないだけだ!もっと見つけようと思わんのかね!」
黒木
「見つけろと言われても…今の暮らしに満足してるし…」
何も困ってなさそうな表情で俯き、飲み終えたグラスを見つめる。高田は腕を組み難しそうに少し考え、ため息を付いて決心した様子で自分の鞄を漁り出す。
高田
「…そうだな。こうして久しぶりの再会も何かの縁だ」
黒木
「…?」
高田はテーブルの上にカラフルなチケットを一枚置いた。チケットは
【Sunna × Vivante Runway】
と書かれたペアチケットだ。黒木はチケットを手に取り見つめる。
黒木
「…ランウェイ?」
高田
「そう、ランウェイだ。Sunnaのファンクラブで当選したペアチケット。本当はファン同士で行こうって言ってたんだけど、その相方が行けなくなってな…丁度空いていたわけだ」
高田
「しかもこのランウェイにはあの【双葉】ちゃんも出てくるんだぜ!?すげーだろ?」
黒木
「…双葉?」
聞いたことのない名前に聞き返す彼に高田は驚いて、思わず飲んでいる最中だったビールを噴き出す。
高田
「…!?お、お前…【パーフェクトモデル】こと【双葉】ちゃんをご存知でない!?!?」
黒木
「…パーフェクト…モデル…??」
無知であり人気モデルへの反応が薄い、世間の興味もない視野の狭すぎる彼に、流石の高田もドン引きしている。
だが【パーフェクトモデル】を知らない事が彼は許せずジョッキを飲み干し、聞いてもないことを熱く語り出した。
高田
「いいか黒木!双葉ちゃんは今、滅茶苦茶話題になってるトップモデルなんだぞ!美貌のスタイルといい、何を着ても似合うファッションセンスの持ち主!SNSのフォロワー数は200万超え!日本中が今、双葉ちゃんに夢中になってる!」
高田
「そんな【パーフェクトモデル】こと双葉ちゃんをお前は知らないと言うのか!?」
顔を近付けてきて目力が凄い。彼の抑えられない興奮に、黒木は若干引いている。
黒木
「SNSはやらないから…ただ、今の説明で凄いモデルということはわかったよ」
高田
「それがわかれば良し!!」
黒木
「…でも、ペアチケットなんだろ?俺じゃなくて、そのモデルが好きな人と行くべきじゃ…?高田ぐらいなら他にも友人がいるだろ?」
彼の疑問に溜息をついて、高田は彼の肩に手を乗せる。
高田
「言ったろ?久々の再会の縁だって。そりゃあ同志と行った方がいいけどよ。…きっと、この券はお前の趣味を与える為に空いたに違いない!」
高田
「だから、俺がお前を連れていくと決めたからには付き合ってもらうぞ」
黒木
「いやだから別に今のままで…」
高田
「ダメだ!お前に双葉ちゃんを見てもらわねえと俺の気が収まらん!」
何を言っても聞き入れてくれなさそうな高田の一点張りの姿勢に、黒木は呆れながらも小さく笑う。
黒木
「…はは、わかったよ。せっかく誘ってくれてるしこのまま断るのもノリが悪いよな。俺で良かったら付き合うよ」
高田
「それでこそ黒木だ。…おっと!待てい!」
黒木
「何?」
高田
「双葉ちゃんの事は調べるなよ?」
黒木
「…なんで?」
高田
「ネットで見るのと生で見るのじゃ大違いだ!双葉ちゃんの事を知らないなら当日までとっておけ!絶対に感動するから!!」
黒木
「…わかったよ」
高田の双葉推しの熱に押されつつ、その夜の飲み会は終わり解散した。
街はまだ多くの人が歩き回り賑わっている。ビルに付いている大型モニターからは、今流行りの芸能人の新CMが放送しているが、黒木は見ることも聞くこともなく、いつも通りの帰り道をただただ辿っていく。
黒木
(【パーフェクトモデル】双葉…か…どんな子なんだろう。別に今の生活に不満もないし、何か趣味を見つけたいとも思ってなかったし…)
そう考えていると、黒木が住むアパートに着いた。中に入って寝る支度を進めながら、自身の無関心な性格の事を考え続ける。
黒木
(思えばずっと趣味が見つからず、話も周りに合わせれなくてつまらない人と思われ続けてきたな…それでいいと思って生きてきた訳だけど…)
シャワーから出て、一直線にベッドに向かい寝転び電気を消す。静かな部屋の中、ゆっくりと仰向けに寝相を変え天井を見つめる。
黒木
(本当の楽しみを見つけていない…か…)
黒木
(…何かに興味を持つ事が出来たら、こんな考えも変わるのか?)
…………
…イベント当日。晴天の空、会場となるスタジアムには多くの人がランウェイを見に集まってきている。
現地集合という事で、黒木は片手に持つスマホのトーク情報を頼りに高田を探している。集合場所に近付いてきた時、聞き慣れた呼び声がした。
高田
「黒木!こっちだ!」
黒木
「高田。ごめん遅くな…」
声がする方に振り返り、黒木は一瞬固まった。それもそのはずだ。ラフな格好できた黒木とは違い、高田のバッグにはサイリウムや推しうちわが装備されており、所謂【ガチ】の格好なのである。
黒木
「…なんていうか、アイドル見に行く格好みたいだな」
高田
「当たり前だ!推しのモデルに会うのに普通の格好で行く奴がおるか!」
黒木
「それも…そう…か…?」
高田
「ほら行くぞ!双葉ちゃんが俺たちを待っている!…あっ、そう言えばあれから双葉ちゃんの事は調べたのか?予習するのは良いことだからな!」
黒木
「えっ?高田が今日までとっておけって言っただろ?」
高田
「いや素直!!」
彼のツッコミが空まで響いた。
………
会場へと入る。場内は煌びやかな装飾で飾られ、既に観客で賑わっている。
指定席に着くとモデル達が歩くステージの目の前ようで最高の位置だ。豪華な装飾と会場の雰囲気に、黒木も少し緊張して周りを何度も見回してる。
黒木
「こんなに人が多い会場に来たのは初めてかもしれないな…」
高田
「あー、言われてみれば学生の頃は色々連れて行ったけど、こういうイベント会場は連れて行かなかったな。…まぁ、俺は大人になってもまだ周りに無関心だなんて思ってなかったけどな!」
黒木
「ハハ…」
返す言葉がなく苦く笑う。すると、照明がゆっくりと暗くなり周りもざわつきだす。
ステージは一点にライトアップされ、スモークが広がる。気分が上がるエレクトリックな曲が、大音量で会場内に響き渡っていく。煙の中から一人目のモデルがステージに現れると、観客からは大きな歓声が上がった。
高身長のスタイルが良いモデルは衣装も格好良く着こなし、洗礼されたモデルウォークでステージを歩いていき人々を魅了させる。ただ一人を除いて。
黒木
「あれが…双葉?」
高田
「違うわ!あの人はSunnaの人気モデル【MIHO】だよ!バラエティ番組とかでよく見るだろ!?」
黒木
「有名人なんだ…」
ステージの先端に立つと彼女はポーズを決める。その瞬間に湧き上がる歓声から世間ではかなりの人気者だとわかるが、黒木の感情にはただ【綺麗だな】といったものしかなく、気持ちがこみ上がる事はなかった。
MIHOに続き、次々とモデルが歩いてくる。
モデルは楽しそうに笑ったり手を振ったりとファンサービスに会場は盛り上がっていく。高田も会場と一つになりサイリウムを振り声を出してテンションが上がりきっている。
ランウェイショーと聞いていたので、もっと固いものだと黒木は想像していたが、どうやら今回のショーはファンへの感謝祭として行われているのがわかった。
それぞれ独自のファッションで観客を盛り上げて楽しそうに歩く様に、ファンからすればとても幸せな空間なのだろう。高田の盛り上がりを見ていて黒木にもそれは分かる。
だが、そんな隣で盛り上がる事なくただじっと冷静に彼はモデルを見つめていた。
黒木
(モデルはみんな綺麗だな…)
黒木の瞳に映るモデル達は彼に興味を沸かせることはない。黒木にとって、今目の前に映っている光景はただの風景の一部でしかないのだ。
黒木
(高田には悪いけど、今回も何もなく…)
そう思い込み始めた時、先程まで歩いていたモデル達は舞台裏に戻っていき、照明は消されて真っ暗になった。
観客は何かを察したかのように歓声が更に大きくなっていく。不思議な光景に黒木は辺りを見回している。
高田
「…来る!!」
高田は待っていたかのように自然と声をだした
響き渡る音楽はどんどんと観客の気分を上げ最高潮へ達するその時、再びステージがライトアップされた。
ライトの下には、クール系の衣装を着た女性が舞台の上に立っていた。その姿を見た瞬間、会場が揺れるほどの大歓声が巻き起こる。
黒木
「…!」
周りが盛り上がるのに驚きながら、黒木の目にも彼女が映る。
艶やかで滑らかな黒の長髪
ライトの光に反射する真っ白の綺麗な肌
透き通った唯一無二の美しい青い瞳
一歩一歩が可憐で美しく周りを虜にして
衣装の特徴を活かしきる見事な着こなし
それは正に【完璧】を具現化したもの
鈍感な黒木でも彼女が【双葉】だという事が瞬時に理解出来る、絶対的カリスマのオーラを全身で味わう。
彼女の姿を前に、黒木の目は大きく見開き、自然と口を少し開く程に魅入っている。やがて周りの歓声は聴こえなくなり、双葉の一歩一歩はスローモーションのようにゆっくりと…舞台の先端に立ち、華やかに決めるポーズは太陽のように眩しく見えた。
今、黒木の精神は双葉へと全集中している。双葉に見惚れている彼の心の中で何かが起きているのだ。
黒木
(なんだ…?この感じは一体…!?)
初めて体験する謎の感情に、黒木は動揺を隠せず汗が流れ続ける。目の前を通り過ぎていく双葉の姿に、瞬きさえ出来ず声も出ない。
ドクンドクンと高鳴る心臓の音が耳の内側から聞こえる。この【特別】な感情に、黒木はただただ興奮が収まらなかった。
双葉が舞台裏に戻っていった後も、他のモデルがランウェイを歩いていたが、その後の記憶は黒木にはなかった。双葉と出会ったあの時間だけが、黒木の心を掴んだのであった。
………
……イベントは無事に終わり、会場を後にする二人。帰り道では満足気に今日のランウェイの事を高田は語っている。しかし、黒木には今もまだ内なる興奮が冷めず、高田の言葉が耳に入ってこない。
黒木
(あの子を見た時…何か感じたような気がする…あの感情は何だったんだろう…)
黒木
(…双葉…か…彼女は一体…)
黒木が感じたこの感情は不思議に思うだけで、謎が解けないまま夜が過ぎていった。【パーフェクトモデル】との出会いが黒木の人生を動かす事を、彼はまだ知らないのである…