8、……無事?
死にたくはなかった。
人々に尽くすべき聖女としての義務感もある。
ハルートとの明るい未来への未練もある。
レドへの復讐心も当然ある。
だからこそ、まぶたの裏にほのかな明るさを感じ、アザリアは心から安堵した。
(良かった……)
自分は死んではいない。
打ち殺される結果には至ってはいない。
しかし、である。
目を開けて生を実感することはためらわれた。
仮に、視界に飛び込んできたものが牢獄の石壁だとすればどうか?
その時点で自分の運命は決まったも当然なのだ。
(ここはどこでしょうか?)
不安の思いと共に外にへと感覚を向ける。
初めに意識に上ったのは匂いだ。
初春を思わせる、どこか爽やかな緑の匂い。
森のものだと思えた。
耳をすませば、風や小鳥のざわめきも聞こえてくる。
(……牢屋では無い?)
だとしたら幸いだった。
だが、あの状況から牢屋以外にたどり着くことなどあるのだろうか?
さらには、ここは屋内だとも思えないがどんな状況なのか?
森のただ中に寝かされてでもいるのだろうか?
疑問は尽きなかったが、いつまでも目を閉じてはいられない。
アザリアは意を決して目を開き……大きく首をかしげることになった。
(……はい?)
そこは森だった。
早朝だろう初春の森だ。
明るい森であり、気持ちの良い風が吹き抜けている。
そこは良いのだった。
森であることは予想の範囲内であり、そこは良い。
問題は視界にある。
森の見え方にある。
(えーと?)
普段の森の見え方とはまるで違っていた。
前を向けば、そこには幹が立ち並び、見上げれば枝葉の緑と木漏れ日が目に入ってくる。
それがアザリアの知る森の見え方である。
しかし、今は違う。
見上げるまでもなく、目の高さに枝葉の緑が広がっている。
そして、見下ろすところに幹の根本と、雑草にまみれた地面が広がっている。
自分は木の枝の上にでも寝かされていたのだろうか?
不思議な状況だと思うのだが、それ以上に不思議なことがあることにアザリアは気づいた。
自らの隣を凝視することになる。
そこには枝葉の一枚があった。
なんでも無いような木の葉であるが、問題はその大きさである。
(……なんと言いますか)
大きい。
そうとしか言えなかった。
どう見てもそれは大きすぎた。
地面に敷けば、寝床として利用出来かねない大きさである。
周囲を見渡すと、全てがそのような様子だった。
葉も枝も、そして幹も。
巨大であり、重厚だ。
石造りの見張り塔や灯台が、おもちゃのように思えるほどである。
アザリアは天を仰いで考えることになる。
何かがおかしい気がする。
そもそもだが、自身の感覚がおかしいのだった。
いつもの感覚とはまるで違う。
どうにもだが、手先に指の感覚が無い気がする。
一方で、全身には妙に安堵感のある暖かみがある。
首の感覚もおかしい。
やけに回る。
無理せず背後まで視線を向けられ、さらにその結果の視界もおかしい。
自身の背中が見られるのだが、そこにあるのは……
(羽?)
黒っぽい羽がキレイに並んでいるように見えた。
何気なく、自身の足元を見下ろしてみる。
そこにあるのは足だった。
やけに細く、指は四本。
小さな無数の鱗で覆われており、それぞれの指の先には先が鍵状になった鋭い爪が伸びている。
不意に、アザリアはびくりと身をすくませることになる。
バサバサバサ、と近くでけたたましい物音が響いたのだ。
音の先を追うと、ちょうど数羽の野鳥が飛び立つところだった。
飛び去る彼らの姿は非常に印象的だった。
その羽並み、その足の形。
非常に見覚えがあった。
アザリアは首の動く範囲の限りで、再び自身の姿を確認する。
(……なるほど?)
一つ頷く。
納得出来たが、しかし納得しきれない。
アザリアはしばらくの間、ただただ呆然と空の青さを仰ぎ見ることになった。