34、聖女と公爵(1)
見慣れたレドの書斎である。
そこの椅子の1つに腰をかけるアザリアは、わずかに首をかしげていた。
(……そうですか。戻ってきたのですね)
見つめる先は窓際に置かれた机であり、そこに置かれた鳥かごの上だ。
そこには野鳥の一羽が止まっている。
見間違いようが無い。
今日の朝までアザリアであった野鳥だ。
(私であった時の記憶はあるのでしょうか?)
現状からは多少は残っていそうに思えた。
野鳥の態度は、ここが私の居場所だと言わんばかりである。
アザリアであった時と同様にかごの上にいて、平然として羽づくろいにいそしんでいる。
しかし、アザリアが同居人であったとは分かっているのかどうか?
そこは分からない。
野鳥はアザリアには一瞥だにしてこないのだった。
(まぁ、はい)
野鳥についてはひとまず考えは置いておくことにした。
今気にかけるべきは、野鳥では無く彼なのだ。
正面に目を向ける。
そこには鳥かごの上から、ずっと見続けてきた彼の姿があった。
もちろんのことレドである。
同じく椅子に腰を下ろしている彼は、包帯にまみれた顔を真顔にして野鳥を見つめ続けている。
「……うむ。それで、あー、その……うーむ」
不意に彼は悩ましげに呟くと、アザリアを眉をひそめた表情で見つめてきた。
「つまりその……聖女殿はその子の中にいたと? 人の体に無かった意識は、その子に宿っていたと? そういうことでよろしいのですかな?」
心底いぶかしげな彼であるが、ともあれ現在はそんな時間だった。
いまだ混乱の続く王宮を離れ、この落ち着ける場所で今までの経緯を説明しているのだ。
そして、彼の確認の声については、当然反応は肯定だ。
頷きを見せる。
レドは悩ましげに額にシワを寄せた。
「ふ、ふーむ。にわかには信じがたく……だが、聖女殿がおっしゃることであり……いや、それ以上にあまり信じたくは無いような気が……」
何やら難しい彼の発言であるが、その意味は何なのか?
アザリアが首をかしげていると、レドは恐る恐ると言った様子で問いかけてきた。
「つ、つまり、あー……ご存知であると?」
「は、はい? ご存知?」
「色々とご存知であるのでしょうか? 私が色々と漏らした愚痴だとか、鼻歌だとか、それにあの、アレです。メリルとマウロに得意げに話していたあのことだとか……」
不安しか無いといった様子のレドである。
正直、同情しかなかった。
隠し事を、その隠したい当人の前で得意げに語っていたかもしれない。
その可能性に思い至った時の彼の心中は察して余りある。
気を使ってあげたいような気はした。
だが、全てを知っていることは、すでに王宮にて白状したようなものなのだ。
「……えー、は、はい。その、存じています」
どうしようもなく正直に頷く。
レドは見事に表情を凍らせた。
そのままピクリともしなくなる。
よほどの衝撃であったに違いなく、不安しか呼ばない光景であり、
「あ、あの……?」
思わず尋ねかける。
すると、レドは唐突に立ち上がった。
そのままの勢いで窓際へ。
何事かとアザリアが戸惑っていると、彼は野鳥の頭越しに窓の外を見下ろした。
「ここから落ちた程度では……」
「ちょ、ちょっと! 一体何を考えているのですか!?」
思わず腰を浮かせかけるが、幸いにその必要は無かった。
レドは「はぁ」とため息をもらすと、力無く椅子に戻ってきたのだった。
ドサリと腰を下ろす。
アザリアに向けて、真剣そのものの表情を向けてくる。
「一応お聞きしますが、忘れていただくことなどは……?」
そして未練がましく尋ねてきたが、それは難しい話だった。
これからの一生、忘れることなど出来ない。忘れるつもりも無い。
首を左右にする。
彼は再びのため息だった。
「はぁ、そうでしょうなぁ。まぁ、うん。分かりました。受け入れます。受け入れましょう。受け入れ……あー、うーん。うーむ……」
受け入れることはなかなか難しいといった様子だった。
やはり、むごい。
アザリアは自然と頭を下げることになる。
「な、なんと言えば良いのか、本当に申し訳ありません」
レドは変わらず悩ましげであるが、首を横に振って見せてきた。
「いえ、聖女殿に非は無いかと。それよりも、えぇ。私には貴女に伝えなければならないことがありますな」
伝えなければならないこと。
アザリアが首をかしげると、彼もまた動いた。
深々とした頷きを見せてきた。
「聖女殿のご厚情には感じ入るばかりです。お助けいただきありがとうございました」
それはまごうことなき礼の言葉だった。
真実の彼らしいと言うべきか、野鳥になって知ることになった通りの彼らしい振る舞いである。
アザリアは少しばかり嬉しく思った。
野鳥としてでは無い。
人の身で、真実の彼にこうして接することが出来ている。
ただ、その礼の言葉は素直に受け入れられるものでは無かった。
苦笑で首を左右にする。
「礼を言われるほどではありません。私のために、貴方のされてきたことを思えばまったく」
すると、彼の顔にも同じ表情が浮かんだ。
レドもまた苦笑を浮かべ、包帯にまみれた頭をかく。
「こちらこそ、助けていただけるほどのことをした覚えは無いのですがね。私が手前勝手に動いていただけのことですから」
これまた素直に頷ける発言では無かった。
少なくともアザリアにとっては、手前勝手ですませられることでは無い。
「妙なことをおっしゃらないで下さい。貴方の行いはいくら感謝してもしきれるものでは無く……本当に良かったです。よく無事でいて下さいました」
アザリアはレドの顔をじっと見つめるのだった。
思わず笑みがこぼれる。
包帯まみれの痛々しい姿ではあるが無事なのだ。
生きてここにいる。
その事実以上に嬉しいことなどなかった。
そうしてアザリアはレドを見つめ続け……わずかに首をかしげる。
レドが目をそらしてきたのだ。
そこには妙な雰囲気があった。
彼はどこかぎこちない笑みを向けてくる。




