33、抱擁(2)
「ち、誓……誓う?」
何も分かっていない様子の彼に、アザリアは強く頷きを見せる。
「そうです。今回の件は、私──アザリアの不出来が招いた不幸な事故であったとすること。そして、ケルロー公爵に非を求めず、一切の責任を問わないことを。良いですね?」
もちろん、これはハルートの望んだ結末では無い。
だが、彼にはこれを拒絶する気力は無かったらしい。
まるで叱られた子供のようだった。
涙目をして、こくりこくりと頷いてきた。
決して信用が置ける男では無い。
だが、証人となり得る者たちが、宰相を始めとして周囲には多い。
そして、
(約束を反故にするようであれば……その時はですね)
その時にはまた、再び涙目になってもらうだけだった。
とは言えやはり不安はあったが、ひとまずは良しとすることにした。
一刻も早く、声をかけたい人物がいるのだ。
もちろんそれは彼である。
血まみれで膝を突き、呆然とこちらを見つめている彼──レド・レマウス。
思わず、足早に駆け寄るのだった。
間近になったレドは、変わらず呆然として見上げてくる。
そんな彼に対し、アザリアは、
(……ど、どう? ……あれ、どうしましょう?)
妙に戸惑うことになった。
口にしたいことは山ほどあった。
流血は心配であるし、今までのことがある。
陰で助けてくれていたことについては、どれだけ感謝してもしすぎでは無いはずだった。
しかし、口が開けない。
今までの関係性に足を引っ張られている感があった。
因縁の相手であったのだ。
決して体調を心配したり、感謝を伝えるような間柄では無かった。
その時の感覚がどうにも、妙なためらいと気恥ずかしさのようなものをアザリアに与えてきているのだった。
(ほ、本当にどうしましょう?)
戸惑い、焦る。
すると、先に彼が動いた。
わずかに首をかたむけ、戸惑いを露わにしてきた。
「せ、聖女殿? これは、あの、一体……?」
当然の疑問の声であった。
彼には、アザリアが何故自分を守ろうとしているのかを含め、分からないことだらけに違いないのだ。
もちろん説明するつもりはあった。
ただ……説明の催促が、アザリアに焦りを生むことになった。
とにかく、なにか口にしなければならない。
そう思え、しかし、そう出来るような冷静な自分はどこにもおらず。
さらには頭がまっ白になる感覚を覚えることになり、それでもアザリアはとにかくと舌を無理して動かし、そして、
「……ひ、卑怯者っ!」
気がつけば、そんなことを叫んでいたのだった。
(……何故?)
当然のこと自問することになった。
何故、自分はこんな発言をしてしまったのか?
思い出してみると、以前にもこの場で似たようなことを口にした覚えがあったのだが、それが理由になり得るのかどうか。
ただ、意外なことにと言うべきか。
これは本心からの言いたいことではあったらしい。
自然と次の言葉が生まれ、呆然としているレドにぶつけることになる。
「ほ、本当に……な、何なんですか!? 知らないところで散々人に恩を売って、そのクセ私に報いることもさせずに死のうとして……め、メリルと侯爵殿も言ってましたけどね!! ちょっとですね、正直気持ち悪いですよ!! なんなんですか、貴方は!? 一体何なんですか!?」
果たしてこれが今、恩人に向けるべき言葉であったのかどうか?
非常に悩ましいところだったが、ともあれ彼への影響は大きかった。
「い、いや……え? これは……は? あの……えぇ?」
レドはただただ動揺であった。
無理も無い。
なにせ秘密にしてきた全てが筒抜けになってしまっているようなアザリアの発言だったのだ。
(こ、これはちょっとむごいような……)
同情も湧き、説明の必要性を強く認識することになる。
ただ……ひとまずのところ、アザリアにそのつもりは無かった。
一度声を出し、ようやく落ち着くことが出来た。
そして、やっと感慨が湧いてきたのだ。
助けることが出来た。
恩人であり大事な人が、血を流しながらも目の前に無事の姿でいてくれている。
愛おしいとしか思えなかった。
気がつけば、しゃがみこんでいた。
彼の傷ついた体を、両腕で抱きしめていた。
「せ、聖女殿……?」
彼の戸惑いの声にも、今は応える気にはなれない。
アザリアは安堵の呼吸と共に、じっとレドの無事を両腕で感じ続けた。




