31、狂態(2)
アザリアは「え?」と思わず声を上げた。
「……殿下?」
真意を確かめるために呼びかける。
立場に似合わずの幼稚な否定の言葉だったが、その意味は何なのか?
ハルートは地団駄を踏みつつ、アザリアをにらみつけてくる。
「分かっていない! 君はまったく私のことが分かっていない!」
「わ、分かっていない?」
「そうとも! 今回のことで、私がどれだけ嫌な目に合ったか! どれだけの心無い非難にさらされてきたか!」
自業自得だとしか思えなかったが、彼にとっては違うのかどうか。
ハルートは燃えるような憎悪の目をしてレドを指差す。
「あ、あの男だっ! 全てはあの男のせいだっ! あの時、あの男が止めさえしていれば、私はこんな目には……っ!」
そして、ハルートは切実な目をしてアザリアを見つめてきた。
「そういうことだぞ、アザリア! あの男を誅さなければ、私の気がすまん! だというのに、何故君はその男をかばおうとする!? 君は私を愛してはいないのか!?」
彼に見つめられ、アザリアはなんともなしに彼の言い分を理解した。
どうにもである。
彼はどこまでも自らを被害者だと思っているらしい。
そして被害者として、その鬱憤を晴らす機会を得るのは当然だと信じ込んでいるらしい。
(この人は……)
これ以上、失望することは出来ないと思っていた。
だが、それは楽観が過ぎたらしい。
ハルートはきっと常人の感性をもって計れる人間では無い。
異常だ。
異常に醜悪な恥知らずだ。
いつだったか。
マウロはハルートに対して、我々のような品性と理性は期待出来ないと語っていた。
まさにそうだった。
彼には何も期待出来ない。
アザリアは表情を鋭くすることになる。
レドの意思を汲んで、出来るだけ穏便にことを進めるつもりだった。だが、それが叶わない時の覚悟は当然あった。
「……自らに非は無いと、殿下はそう心から思っておられるのですか?」
尋ねかけると、ハルートはすかさずの頷きを見せてきた。
「無論だ。私に非などがあるはずが無い」
「そうでしょうか? 私が死んだと理解されて、王宮でずいぶんと楽しそうにされていたようですが?」
ハルートはびくりと肩を震わせた。
「ず、ずいぶんと楽しそうにだと? あ、アザリア、君は一体何を……いや、何故そのことを……!?」
「殿下。私が当時のままだと思わない方がよろしいかと。貴方の私への思い、そしてその思いが何を起こしたのか? 全て私は存じています」
ハルートが後ずさると、アザリアはそれを追って一歩踏み出した。
鋭く彼をにらみつける。
「私はケルロー公爵殿ほどに優しくはありません。公にすべきと思えば、そこにためらいはありません。譲歩をお願いします」
真相を打ち明けられたくなければレドの処刑を撤回しろ。
この脅しは、しっかりとハルートに伝わったらしい。
彼は忙しくなく顔色を変えた。
怒りによるものか顔を真っ赤に染めたかと思えば、暴露された時を思ってか見る間に青ざめさせもした。
激しく動揺しているようだが、望む結果は得られるのか?
アザリアは油断せずに待つ。
すると突然だった。
アザリアが様子をうかがう中で、ハルートは叫び声を上げた。
「ま、魔女だっ!!」
は? とアザリアは思わず呟く。
この男は突然何を言い出したのか?
狂態は続く。
彼は取り乱して、周囲に叫び続ける。
「あの女は死んだのだっ!! これは偽者だっ!! 殺せっ!! 殺してしまえっ!!」
アザリアは目を丸くして思案した。
どうにもである。
自分は彼にとって敵になってしまったらしい。
そして、いつかの再現だ。
邪魔であればと殺してしまうつもりになったらしいが、
(本当に、この人は……)
怒りよりは、いっそ呆れてしまうのだった。
見下げ果てた男だと思っていたが、ここまでの醜悪さとは想像出来なかった。
「せ、聖女殿っ!!」
叫び声が上がったが、これはハルートの物では無かった。
レドだ。
彼は必死の形相をしていたが、その理由は簡単に理解出来た。
ハルートの叫びを受けて、衛兵たちは戸惑いつつもアザリアの周囲を囲んできたのだ。
この場で殺すつもりがあるかは分からないが、少なくとも拘束するつもりはあるだろう。
拘束されてしまえば、今度こそ刑場ということは想像に難しくなかった。
だが、
(そう言えば……)
アザリアの胸中にあったのは自らの危機ではなかった。
思い出していた。
前回にもハルートの一言で衛兵に迫られたことはあったが、その時のことだ。
よせ、やめろ。
そんな叫びを聞いた覚えはあったが、あれは誰のものだったのか?
今ならば分かった。
レドなのだろう。
演技も忘れて、彼がアザリアのために叫んでくれたのだろう。
「聖女殿っ!! 何を立ち尽くしておられるのかっ!!」
再びのレドだった。
逃げろと訴えてくれているのは間違いない。
そもそもとして彼も命の危機にあるのだが、ひたすらにアザリアのことを心配してくれている。
(……私はまったく)
今度は、ハルートにでは無く自身に呆れる番だった。
よくもまぁ、ここまで人を見誤れたものである。
ほとほと呆れ果てるしかなかったが、自嘲はひとまず置いておくことにした。
今、必要なことは何か?
アザリアはレドに笑みを向ける。




