21、予感
そうして日々が流れた。
レドの元で一羽の鳥として過ごす日々だ。
それは間違いなく平穏なものだった。
レドの仕事を見守り、その合間には彼の息抜きに付き合う日々。
息抜きは、主には愚痴だ。
公爵家の当主というのは、アザリアが思う以上に気苦労が多いものらしい。
領地の経営、家臣たちの統率、他の貴族たちとの交流。
それぞれに悩みは尽きないようだった。
アザリアは野鳥の一羽だ。
そして、それ以外であるつもりは無かった。
愚痴はただ聞くのみである。
相槌も助言もしない。
それでも彼は満足そうだった。
そもそもとして、野鳥に過分な期待はしていないのだろうが、何にせよである。
彼に対し、何かしらの貢献が出来たというのはアザリアにとって嬉しいことだった。
時にはメリルにちょっかいを出され、マウロと特に意味もなく見つめ合ったこともある。
日々は過ぎていく。
静かに穏やかに過ぎていく。
それはアザリアにとっては幸せと呼んでも良いものだった。
しかし、
(……これでいいのでしょうか?)
葛藤は無いでもなかった。
日々の穏やかさの中で聞こえてくるものがあったのだ。
スザン王国の現状。
ハルートに関しては興味は無い。もはやどうでもいい。
だが、王国の歴史的な不作、それにまつわる数多の騒動。
レドも領地の経営に関して多くの苦労を抱えているようだった。
レドに関しては他にもある。
大聖女の処刑に関して、彼にもその責任の一旦を問う声が上がっているのだという。
きっと、それらはアザリアに解決出来ることだった。
聖女として、人の身として復帰すれば良いのだ。
この現状で、まさかハルートも大聖女を排除にと動きはしないだろう。
あとは聖女として働けばそれですむ。
今年の不作はどうにもならないが、来年以降に関しては例年通りのものとすることが出来る。
レドへの非難に関してはもっと簡単だ。
ハルートの悪行を暴露してしまえば、現状への責任を誰が負うべきかは明らかである。
レドへの非難の声はきっと止む。
彼の今までの献身的な振る舞いについても明らかにすれば、それはなおさらだろう。
では、聖女へと戻る道を選ぶのか?
(……嫌ですよ、そんなの)
聖女になど、もう2度と戻りたくはなかった。
鳥である方がずっと良いのだ。
周囲の思惑に左右などされず、ただただ安寧をむさぼっていられる。
レドと穏やかに過ごしていられる。
これで良いはずだった。
スザンもきっと大丈夫なのだ。
他の聖女たちがきっとがんばってくれる。
来年以降はきっと例年の豊作がやってくる。
そうなれば、自然とレドへの非難も収まってくれる。
月日は過ぎていく。
いつしか春は終わった。
心地の良い季節は過ぎ去り、夏の暑さがやってきた。
そんなある日の夜である。
いつも通りだった。
アザリアはレドの書斎にいた。
自由の身では無い。
安眠出来るようにとの彼の配慮だ。
鳥かごに入れられ、その上で布を被せられての暗闇の中にいた。
実際、この方が寝心地は良かった。
アザリアはうつらうつらと夢心地をさまよっていたのだが……
「……なるほどな」
薄目を開くことになった。
理由はもちろん、レドの声にある。
アザリアは暗闇の中で首をかしげる。
非常に珍しいことだったのだ。
彼は独り言を漏らすタチでは無い。
アザリアの安眠への配慮もきっとあるが、夜に彼の声を聞くことはまず無かった。
(どうしたのでしょうか?)
布が被されているとは言え、隙間は無いことは無い。
外を覗く。
レドを見つける。
どうやら、彼は書状を読んでいるらしい。
非常に気になった。
書状に目を落とすレドの表情は怖いぐらいに真剣そのものであったのだ。
一体、その書状の何が彼にあのような表情をさせているのか?
鳥の視力は素晴らしいが、角度が悪い。
文面はとてもうかがえない。
しかし、一つ見えるものがあった。
彼が向かう机の上である。
そこに書状の包みがあった。
もちろん封は切られているが、気になるのはその封蝋だ。
封としての蝋に刻まれた紋章、その意匠。
見覚えがあった。
獅子に蔦を絡めたそれは、紛れもないスザン王国の──王家の紋章だった。
何か、嫌な予感がした。




