【未経験OK】から始めるインフラエンジニア奮闘記
こんなはずじゃなかった。
私はノートPCのキーボードを叩きながら、目の前の男性を睨み付ける。
まるでそうすれば、この状況からどうにか逃れられるんじゃないかと祈るような思いを込めて。
「どうした、家外?」
彼はのほほん、と私の視線を受け流して尋ねてくる。
私は万感の思いを込めて、恨み節を口にする。
「……こんな仕事するハメになるなら、無職のままが良かったです」
私は言いながらも、ノートPCのディスプレイを凝視し、そこに表示された意味不明な文字列と格闘する。
真っ黒な画面に、およそ意味の理解出来ない、英語の文字列がダラダラと羅列されている。
私の言葉に対して、先輩はあくまでも剽げた様子で言う。
「そう言うなよ。インフラエンジニアは常に人手不足でな。お前みたいなド素人でも、一度経験積ませちゃえばどうにかなるだろ、ってトコあるんだから」
そんなの。
殆ど、詐欺みたいなものじゃないか。
◆◆◆
家外 かぶり、27歳。
独身、彼氏いない歴イコール年齢。
いや、今はそれはどうでも良い。
……私は、IT業界に進む気がそもそもなかった。
何せ、前職は事務職なのである。
プログラムやらシステムやら(を作る側)と関わり合いになるなど、想像もしていなかった。
前職で色々あって無職になった私を拾ってくれたのは、大学時代の先輩だった。
「PCは使える?」
「ええ、まぁ一応」
ExcelやWordくらいは普通に使える。
現代社会人の嗜みだ。
「オッケー、じゃあウチのシステム管理部に来ないか? 席が空いてんだよ」
「……は?」
システム?管理部?
御大層な名前に私は怯んだ。
慌てて先輩は付け加える。
「あ、そんなに身構えなくて良いよ。未経験OK、やりがいのある、アットホームな職場が君を待っている!」
「……ブラック企業の代表例みたいなワードが出てきましたね」
『未経験OK』『やりがい』『アットホームな職場』。
この言葉を使う企業は大体避けろと、就活の時にも口を酸っぱくして言われた。
とはいえ、無職になって数ヶ月。
そろそろ失業保険も尽きる頃で、ハローワーク通いにも疲れてきたところだ。
コネであろうとなんであろうと、好意で誘ってくれているものを無碍に断るというのもどうか。
……そんな心の隙を作ったのが、間違いだったのである。
◆◆◆
「なんで、インフラエンジニアだったんですか」
私は相変わらず意味不明の文字列からどうにか意味を見出そうと、目を皿のようにして特定の文字列を探す。
「言ったろ、人手不足なんだって。プログラマーやWebデザイナーなんかと違って、目立たなくて不人気なんだよ」
「不人気って言い切っちゃった!」
まあ。
私も実際、こうしてその仕事をしていると、理由がよく分かる。
こんな地味で分かりにくい上に……誰からも出来て当たり前、みたいな扱いをされる仕事……人気がある訳がない。
IT業界における『インフラエンジニア』というのは。
つまるところ、エッセンシャルワーカー……都市インフラで言えば電気やガスや水道の管理をする人達のようなポジションなのだ。
生活をする上で必須でありながら、正常に供給され続けるのが当たり前。
安定供給が当然だから感謝もされないし、不足させると、文句を言われる。
そういう仕事だ。
「やってる事も訳わかんないし……雑用みたいなのが多いし……」
「まぁ、インフラエンジニア1年生なんて雑用係と同義だよ。もっと難しい事やれって言われても無理だろ?」
既に難しいんですけどね。
今やってることは。
私はその言葉を飲み込みつつ、黒い画面をジッと眺める。
だが、もはや限界だった。
さっきから1時間近くもこうして文字列を眺めているのだ。
「先輩、やっぱり分かりません。これ、何をどう解析すれば良いんですか?」
私はヘルプを求めた。
先輩はしょうがないな、といった感じで私の見ている画面に身を乗り出す。
「どれ……」
――この仕事は私がインフラエンジニアになってから初めて任された『エンジニアっぽい』仕事だ。
普段はExcelの資料の修正だとか、手順書にしたがってコマンド(OSに対する直接命令のことだ)をポチポチと手で入力するだけの簡単なお仕事を任されている。
雑用係レベルの、本当に簡単なお仕事。
だから、今日みたいな難易度の仕事を任されてしまうと、途端にお手上げとなる。
先輩は私の疑問に対して、ヒントを出す。
「まず、目的はエラー原因の特定だよ。そのためにログの解析をしている。ここまではOK?」
「はい」
そう、いま私がやっているのは、あるソフト(データベースらしい)が吐き出したエラーの原因究明。
その為に、エラーログと呼ばれる、これまたソフトがOS上に吐き出したテキストファイル……文字がいっぱい書かれたファイルを解析しているところなのだ。
しかし、その文字列の多さときたら、何十万行と続く英語の文章である。
ところどころ、暗号みたいな文字も並んでいるし、何をどう見たらいいか分からないのだ。
「で、今回のエラー・コードは憶えてる?」
「んっと……ORA-12514……でしたっけ」
私は先ほど社内メールで先輩から送られてきた、エラーの概要を思い出す。
「そう。その文字列が『最初に』吐き出されている『タイミング』、それとその『エラーログ』の中身を照合して、具体的に何故それが起きたのかを特定するのが、今回の目的だ」
「はあ……」
先輩は、丁寧に私に説明する。
焦っている様子は全くない。
まあ、当然である。
何せ、このエラーを吐き出しているソフトがインストールされているのは、『本番環境』ではないからだ。
本番環境というのは、実際にシステムを利用する顧客が使用する、一番大事なサーバのことである。
私がいま原因を解析しているのは『検証環境』と呼ばれる、本番環境の一歩手前に位置する、本番環境に似せて作られたサーバ……とでもいうべきものだ。
なので、検証環境に何かがあっても、即座に実害はないし、顧客からのクレームも来ない。
とはいえ、社内で検証環境を利用するシステム担当者も僅かながら存在しているので、エラーの解決は早くするに越したことはない。
「取り敢えずログをてっぺんからおしりまで眺めた結果……時間は分かりました。朝の6時くらいですね」
「正確な時刻は?」
「ええと」
改めて該当箇所を探しに行くが、あまりに長すぎてどこだっけ、となってしまう。
「検索使いなよ」
先輩はそう言うが、
「いや……メモ帳じゃないんですから、Ctrl+Fで探すの無理じゃないですか」
私が先ほどからログを眺めるのに使っていたのは、TeraTermと言うソフトである。
それを使ってまず検証環境に接続して(ssh接続というらしい)、そこに置いてあるログ・ファイルをcatというコマンドを使って観る……という手順だ。
これまでに何度か、手順書に書いてあった。
そこで先輩が肩を竦めて私に言った。
「そういう時は、viコマンドを使うんだよ」
「ぶいあい?」
私は思わず聞き返した。
「まぁこの場合は読み取り専用だからviewコマンドのほうが良いか……見てて」
そう言うと先輩は目の前のキーボードを叩き出す。
view alert_xxxx.log
と打ち込んだ。
すると、
「あ、ログが先頭から表示された」
「これがviewコマンド。これまでに手順書になかったっけ?」
なかったです、と私は答える。
じゃあここで使い方を覚えよう、と先輩は言った。
「ここで/(スラッシュ)キーを押す。するとviモードに入る」
言って、キーボードの右下の『め』と書かれたキーを押す。
すると、画面にスラッシュの文字が出てきて点滅した。
「んで、検索したい文字列を打つ」
言いながら、ORA-12514と打ち込む。
これって、このログファイルに書き込んでるんじゃないよね?と私はちょっと不安になった。
「これでEnterキーを押す。すると、今見ているファイル内を、検索できるんだ」
「へぇー」
検索された文字の場所に辿り着いた。
そのエラーが吐き出されている時刻も、付近に書かれている。
時刻は6:13。
「なるほど、分かりました。正確なエラー発生時刻は6:13ですね」
「オッケー。じゃあ次は、その付近のエラーを良く見てみよう」
そうして私は先輩の指示の元、Oracleのalertログの解析を進めた。
結局、エラー原因は至極簡単なもので、tnsnames.oraという名前のファイルに記述された設定がミスっていた……というだけの話だった。
「何でこんな簡単なミスが起きたんでしょう」
私は素朴な疑問を口にした。
先輩は少し考える。
「時刻から見て、人間がやった感じに思えないですけど」
「いやあ、その時間早く出社してきたエンジニアもいるしな……」
えぇ……と私は顔を顰める。
「まぁ、訊いてみるよ。単純にファイルの設定をミスっただけの話なら、今後気を付けようで終わりだ」
「何だか、釈然としませんが……」
ともあれ、先輩が同僚に尋ねた所、新たに接続するクライアントの接続定義の追加をしていたのだが該当ファイルの修正を失敗してしまった(コピペミスだとか)というオチだった。
それを聞いて私は思った。
(なあんだ。そんなミスする人もいるんだ、先輩の同僚にも)
先達がその程度のケアレスミスをすることに、私は不謹慎ながらも親近感を覚えたというか……この職業の心理的ハードルが下がった気がした。
◆◆◆
その日の帰り。
「よう、家外。今日は飲みにでも行かないか?」
「別に良いですけど」
私は先輩に誘われて、居酒屋へ行くことになった。
大学時代から何度かこういうお誘いを受けているので、まぁ、私としてはどういう下心があろうが、気にしていない。
というか、まぁ、有り体に言って。
……私はこの先輩の事が、嫌いではない。
無職になった時、色々思う所はありつつ彼の提案を受けて入社したのも、その辺の関係がある。
それを知ってか知らずか、彼は意外と直接的なアプローチ……付き合おうとかは言わない。
なんだろうね。
身持ちが堅いと思われてるのかな。
別に良いんだけどね。
お店に入って、とりあえずビールを引っ掛けつつ私達は言葉を交わす。
「どうよ。今日の仕事」
「んー……思ってたよりは、難しくなかった……かな? いや、色々教えて貰ったからですけど」
私は正直な感想を漏らした。
先輩のアシストがなければ、まぁ何時間でも唸っていた気がしたが。
やはり最後のオチというか、原因を知った時に『なあんだ』という肩透かし感を懐いたのは否定できない。
「ははは、そうだろ。こんなもんだよ、あと2,3年もすれば家外のほうが教える立場になるぜ」
「それはないです」
つーか、私がこの先もずっとこの仕事を続けると思ってるあたり、なんだか見抜かれてて癪だなあ。
私はグイとビールを胃に流し込み、モヤモヤと共に呑み下すのだった。
◆◆◆
3年後。
「はい、家外です。障害発生? はい、分かりました。Oracleサポートへ投げますので、トレースログを……」
「すっかり板についたなぁ」
結局。
私はこの職に安定してしまった。
まあ……お給料もそんなに悪くないし。
忙しい時は死ぬほど忙しかったけど。
安定してみると、結構暇なときもあったりする。
インフラの維持って、つまるところ問題さえ起きなければ暇なのだ。
「でも、問題が起きた時が大変なんだよな。お前はその辺、インシデント管理もしっかりしてるし安心だよ」
「面倒だからってインシデント管理票を書くのを投げないで下さいよ。それはあなたの仕事ですから」
私は先輩……いや、今となっては『彼』に、釘を刺す。
「へいへい。仕事のできる彼女がいると迂闊に手も抜けねぇな」
ぶつくさ文句を言いつつも、彼は自分の仕事に取り掛かる。
なんだかんだ、仕事は有能な人なのだ。
なんだか上手く乗せられてしまったなぁ、という気持ちは半端ないけれど。
ま、恋も仕事も、これはこれで上手くいっている……って事なのかな?
(終わり)
ども0024です。
前回の作品が前々回からえらい間を空けたので、という訳でもないですが書き溜めていた小説を放流します。
これは半分エッセイみたいな話ですね(半分?)
インフラエンジニアの話は前にもファンタジー混じりで書いたんですが、今回はガチガチのリアルです。
僕がインフラエンジニア1年生くらいの時の体験に近いかなー。
今やOracleのログ解析は手慣れたものですが。
さて、恒例の名前解説。
家外かぶり……『家外』はセフィラの9番目、基礎(基盤)のイェソドから来ています。
『かぶり』は、イェソドの守護天使のガブリエルからです。
話としてはもっと膨らませて『なれる!SE』みたいに連載モノにしたいなーって気持ちは多少あったんですが、なんつーか、インフラエンジニアの話をどうエンタメに落とせばええのか全然分かりませんでした。
説明してるだけで頭痛くなりそう。
ではでは、また。