譚7 領主様
● 譚7 領主様
ラドル・ムーは、この、クリストフ辺境伯領私設兵団に入隊できた事を、やはり、幸運だと疑わなかった。
赤の死神に遭遇し、その旨を報告して丸一日。
その間、ラドルは、ただ逃げ帰ってきただけの自分には、職務放棄のお咎め、或いは、解雇も同然の『勧告』も有り得るのではないかと内心怯えていたのだが――
「大変な思いをさせてしまったね」
領主様からの思いも掛けない労いの言葉に、その不安はいっぺんに吹き飛んだ。驚きと同時に胸の奥が熱くもなる。
ラドルは、涙が出そうになるのを堪えて答えた。
「滅相もございません。オラ――いえ、私は逃げるのが精一杯で何も出来ませんでした」
心の奥底からの言葉だ。
今、ラドルは領主様の執務室に呼ばれ跪いていた。
目の前には領主様の他、執事長のクレイドル。それともう一人、兵団長のハイルマンが立っていた。
ラドルに対し領主様は言葉を続ける。
「そう卑下する必要はない。君だけでも無事に戻って来てくれたおかげで、我々は『赤の死神』と言う脅威を知ることが出来たのだ。知れば対策も打てるというもの。今は情報を持ち帰っただけという些細な事に思えるかも知れないが、後々、あの化物を倒すことが出来たなら、その切掛けを作ってくれた君の功績は、決して些細な事とは言い切れない。だから私は言おう、ありがとう、無事に戻って来てくれて。とね」
その言葉に、人目も憚らずラドルは涙した。
只、逃げ帰った一末端の兵士に、ここまでの言葉を掛けてくださるのだ、この方に仕えることが出来た事は、いや、出来ている事は、部下として男として、正に最高の幸せなのだとラドルは思った。
感動に打ち震えると言う事は、こういう事を言うのだろう。
だが、感動に浸るラドルを尻目に、兵団長のハイルマンは横槍を入れる。
「領主様。貴方様の御裁決に異を唱える気は毛頭ございませんが、このまま何の沙汰も無しとおっしゃるのは、部隊としての面目が立ちませぬ。せめて体裁だけでも整えていただかねば……」
ハイルマンは歳の頃は四十半ばくらいだが、若くから兵団に務めるだけあって実直そのもの。自分にも他人にも厳しい人物である。兵団長の言葉を理解はできる。が、事、今に至っては、我が身に降りかかる事であるが故、ラドルは焦りを覚えた。
流した涙も引っ込んでしまうというものだ。
「ふむ、それは困ったね。――クレイドル」
「は。」
「どうすればいいと思う?」
優しげな口調で今度は執事長へ意見を求めた。
成り行きに息を飲むラドル。
「では、こうしては如何でしょう?」
そう前置きをしてクレイドルは続けた。
「彼には今までの『哨戒』の任を辞してもらい、代わりに別の任に就かせます。これならば、今回の責任と称して職務を更迭した事になり、処罰とは名ばかりに労役にて報いてもらえるのではと思われます」
深々と頭を下げるクレイドル。領主様は少し考える仕草をしてから、
「ふむ。妥当な案だとは思うが――如何かな? ハイルマン」
今度は兵団長に意見を求めた。
ハイルマンも頭を下げ、答えを返す。
「は。それならば、我もクレイドル殿の意見に賛同いたします。丁度、彼に相応しき事案も抱えておりますれば――」
「ふむ。ならば結構。問題はないね」
領主様は往々に頷くと、
「と、言う事だ……君も構わないかね?」
と、今度はラドルに話を振った。
まさか、自分に意見を求められると思ってもいなかったラドルは、焦りつつ言葉を返す。疑問という形で。
「え……と、つまりは――仕事の内容は変わるだが、今後もお仕えして良いと言う事でございましょうか?」
あまりにも焦っていた為、いつもは意識して矯正している方言がまばらに出てしまっていた。
領主様は優しい笑みのまま、
「そうだね。その理解で間違っていないと思うよ」
この言葉にラドルは安堵した。安堵して、
「あ、ありがとうございます。オラ――いや、私は、新たな気持ちで誠心誠意お仕え致します」
と、答え、また涙するのだった。
この部屋に呼ばれる前までは、解雇を宣告され、職を失い、路頭に迷ってしまうのではないかと不安に満ちていたラドル。それが、職務内容が変わるだけで何のお咎めも無しだと領主様直々に仰って頂いたのだ。安堵して涙するのも無理のない話だ。
だから、ラドルがこの、クリストフ辺境伯領私設兵団に入隊できた事を、心の底から、幸運だと思った事は、本当に仕方のない事だ。
優しい領主様に、部下を思いやる兵団長。それに、見た目は怖いが仕える姿勢は尊敬に値する執事長。こんなに素晴らしい職場は、他に有りはしない。そう思って涙しても仕方のない事だ。
ラドルはまだ若く、人生という名の経験もまだまだ浅い。
だからこそ――
ラドルは気付けなかった。これが領主様達の茶番であるとは、疑いさえもしていなかった。
もう少し、ラドルが世の中という物を知っていたならば、この時の領主様の言葉に疑問を持てたのかも知れなかった。
――君だけでも戻って来て――
この、領主様の言葉の違和感に気付けたなら、もっと違う結末をラドルは迎えられたかも知れない。
ラドルの他に逃げ帰った者は二人もいたはずなのだ。
「新たな任務は、準備が整い次第向かってもらう。それまでは体調を整え、自宅にて待機するように」
「はっ」
ハイルマンの言葉に、小気味良い返事を残し、ラドルは執務室を出る。
この部屋に呼ばれる前とは別人のような幸せな表情をして――。
人間、知らぬと言う事は、最高の幸せの素なのかもしれない。
ラドルが退室した後、領主達の間では、このような会話が交わされていた。
「ハイルマン」
「はっ」
「その後はどうなっている?」
「はっ。監視させておりました例の村に『岩投げ』の姿を確認致しました。まず、ヤツらの根城に間違いないかと判断致します――ただ」
「ただ?」
「どうやら『赤』もその村に紛れ込んだ可能性があり、似た特徴の人物が運び込まれたとの報告が入っております」
「ふむ――そうか」
「いかがいたしますか? しばらく様子を見ますか?」
「うん? どうして様子を見る必要があるのだ? 古の化物が一匹増えたところで差し支えなかろう」
「いやしかし、真偽のほどが分からぬとは言え、よりにもよってあの『赤』ですぞ、もし本当だとしたなら――」
「ははは。『百人殺し』のハイルマンとも在ろう者が、何を気弱になっておるのだ。纏めて処分できると思えば一石二鳥ではないか。伝説が実在したとは言え、千年も昔の話。現代の魔導兵器の前には取るに足らん存在であろうよ――想像してみたまえ、千年前に今の兵器を持ち込んでいたら? 世界はどうなると思う?」
「はっ。それもそうですな。いささか心配の度が過ぎました。お許しいただきたい」
「うむ、よろしい――では、クレイドル」
「はっ」
「例の物は届いたか?」
「はっ。残念ながら未だでございます。後二~三日は掛かるかと」
「そうか。では到着次第、作戦を実行に移せ。あの忌々しい盗人共に、制裁を加えてやろうぞ」
「はっ」「はっ」




