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名も無き者達の英雄譚  作者: たかはらナント
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譚38 ラルバ・アスマンの女難 其の二

 ● 譚38 ラルバ・アスマンの女難 其の二



 シノ・マガミの眠るその横で、煩悩を振り払うべくラルバが仕事に励んでいると、どのくらいの時間が経ったのか、窓の外はすっかり日が落ちて暗くなっていた。

 そのお陰か、山と積まれていた書類の束はすっかり消え去り、残すは、今、手に取った一枚のみとなっていた。


 丁度その時、


 「う――んっ」


 伸びをしながらシノ・マガミが起き上がる。

 そして、ラルバの姿を見つけると、開口一番、


 「ボクが寝てるのを良い事に、悪戯なんてしてないだろうね」


 いつの日か、聞いた事のある台詞を口にした。


 ラルバは溜め息を吐くと、


 「してません。疑うなら証人を用意しますよ」


 と、けんもほろろに言い返す。と、それを聞いたシノ・マガミは、いつもと反応が違うじゃないかと言いたげに、言葉を返した。


 「おや、かなりのご機嫌斜めみたいだね」


 「えぇ、誰かさんのお陰で」


 あの後、リノ・パタートは十分置きくらいに執務室の様子を見に来ていた。その中で、また何度か煽られたが、その度に、ラルバは突っぱねて追い返していた。

 あまりにもしつこく煽るので、


 『まさか、オレが手を出すかどうか賭けてるんじゃないだろうな』


 と、尋ねると、


 『そ、そんな事、ありませんよ』


 と、言った切り、リノ・パタートは顔を出さなくなった。


 ……どうやら図星だったらしい。


 しかし、シノ・マガミは、『誰かさんのお陰』と言ったラルバの言葉を、自分の事だと勘違いし、


 「ふむ、それは悪い事をしたね。なら、詫びといっては何だけど、一緒に食事でもどうだい? もちろん奢るよ」


 と、謝罪含みで誘ってくるのであった。

 ラルバは慌てて訂正する。


 「いや、師団長の事を言った訳では――」


 「うん? 嫌なのかい?」


 「いえ、嫌という訳では」


 「じゃ、決まりだね」


 そう言って、満面の笑顔を作ったシノ・マガミに(ほだ)されると、ラルバは『まぁ、書類仕事への詫びと思えばいいか……』と、同行を承諾したのであった。



 二人は夜の街へと訪れる。


 ハビリア聖教国と言う名前に勘違いをする者も多いのだが、この国は決して聖人君子ばかりが住まう国ではない。

 国民の大半は、信者で構成されてはいるが、信者以外の者も、もちろん住んで居る。

 単に国家の主権が神の名の下に管理統率されているだけで、基本的な生活基準は他の国とあまり変わりはない。皆、肉も食うし、酒も飲む。探せばいかがわしい店だってちゃんとある。


 違う点を挙げるとすれば、奴隷階級が無い、と言うところで、長い歴史の中で多少の歪みを生じてはいるが、概ね間違いは無い。


 そんな華やかな町にラルバは繰り出したはずだったのだが、三時間ほど経った今、やはりと言うか、シノ・マガミを背負って歩く羽目に陥っていた。

 こうなる予感はしていた。していたが、あの満面の笑顔に(ほだ)されたが為に、このような役割を背負う羽目になってしまったのだ。


 シノ・マガミに引き連れられたラルバは、看板の出ていない隠れ家的レストランに連れていかれると、一組しかない露天のテーブルへと案内された。

 いつの間に予約してあったのか、わざわざガゼボの隣に用意されたテーブルは、満天の星空を仰げるようになっていて、キャンドルグラスの中に揺れる灯りと共に、淡く幻想的な空間を演出していた。

 その光景に、ラルバが見惚れていると、シノ・マガミは、


 「こんな近衛の制服じゃなく、もっと、着飾って来ていたら、君も星空ではなく、ボクに見惚れてたかも知れないね」


 と、言って笑った。


 ラルバは、そうですね。と言うのを我慢すると、代わりに、


 「それは、残念です」


 と、答えておいた――。



 ――そう、ここまでは良かった。


 礼節ある大人同士が会食を楽しむ。そんな雰囲気だった。


 おかしくなったのは、シノ・マガミがワインのボトルを空けた後。あまりにも調子よく飲んでいたものだから、気付くのが遅かった。


 メインの料理に手を付けながら、ラルバは問いかける


 「師団長はワインを良く嗜むのですか?」


 すると、シノ・マガミは即答で、


 「いいや、飲むの()初めてらよ」


 呂律の怪しい言葉を返してきた。


 ……ん!? ……も?


 その意味に気が付いて、ラルバの血の気が引いた時には、既に、ワインボトルが横倒しにされた後だった。


 止めるのも聞かず、年代物のワインが次々と空にされた。

 それに合わせてシノ・マガミの口からは、明らかなる愚痴が飛び出して来た。


 弱体化している近衛隊士への文句だとか、

 値踏みして蔑む元老院への文句だとか、

 問題を丸投げにしたネル猊下への文句だとか、

 取り入ろうとしてくる商人たちへの文句だとか、


 溜まりに溜まった物を次々と吐き出したシノ・マガミは、突然、テーブルに突っ伏したかと思うと、そのまま眠りに落ちてしまった。

 いくら揺さぶっても、もう起きそうにない。


 ――やれやれ。


 それを、今、こうやって背負って運んでいるのである。背中から聞こえる満足気な寝息だけが唯一の救いだった。



 小一時間ほど歩き続け、シノ・マガミの部屋がある、上級士官用の宿舎に着いた時には、日付を跨いだ深夜となっていた。


 肉体的にも精神的にも、ラルバはへとへとになりながらも、部屋に明かりを灯し、寝ぼけるシノ・マガミを甲斐甲斐しくベッドの上に下ろす。と「ラルバくぅん」と、甘えた声を出したシノ・マガミが、腕を絡めて抱き付いて来て、耳元で囁いたのであった。


 「敵が罠に掛かった、一人だ」


 え!?


 その口調はしっかりとしていて、既に酔っ払いのモノでは無かった。もしかしたら酔っていた事の方が演技だったのかも知れない。


 突然の事にラルバが驚くと、シノ・マガミは続けて、


 「このままボクを押し倒せ。胸をまさぐっても構わないから、今から事を始めると見せかけるんだ。そうすれば、敵は必ず襲ってくる。そこを一気に叩く。その為に、君はボクのペットだと、思わせておいたんだからね。あとは『未来予知』でタイミングを合わせるんだ。いいね」


 その言葉に、さすがのラルバも戸惑いを見せた。敵が襲ってくると言う事もそうだが、この状況で押し倒せなど、あまりにも突飛すぎる。しかも胸を触っても良いなどと……。


 「いや、急にそんな事を言われても……」


 やはり躊躇する。しかし、シノ・マガミは、


 「良いから早く。敵に悟られる。今を逃したら、あと三年はハビリアが元に戻らなくなる。それでも良いのかい?」


 「いや、しかし……」


 「ええぃもう……仕方ないなぁ君は」


 シノ・マガミはそう言い置くと、両手でラルバの頬を包み込んで唇を重ねて来た。数秒後には舌まで割り込ませ絡めて来る。

 長くも短くもないキスの感触にラルバが戸惑っていると、シノ・マガミは艶めかしくも恥じらいのある声で、


「――さあ、おいでよ」


 と、言ったのだった。

 とても演技には思えない声色だった。


 それを聞いたラルバは戸惑い以上に、悔しさが込み上げて来た。こんな事をしてまで敵を欺かないと平穏は来ないのかと、悔しくて仕方がなかった。だが、他に良い案も浮かばない。


 己の不甲斐なさを嘆くと同時に、勢いに任せてシノ・マガミを押し倒した。

 首筋に唇を這わせ、母性の象徴たる胸を揉みしだく。

 もう一度唇を求め、挙句には服の中にまで手を滑らせて、直にその感触を味わった。

 それに合わせ、艶のある吐息が聞こえて来る。

 大切なものを壊していくそんな気がした。

 それを行っているのが自分なのに高揚してしまうのが悔しかった。

 こんな状況でありながらも、掌の感触を嬉しく思う自分に悔しくて仕方なかった。

 悔しくて、悔しくて、襲撃者の襲い来る気配を感じた時、



 「全部てめぇの所為だ、コンチクショウ!!!」



 と、振り向きざまに拳を叩きつけ、その悔しさを爆発させた。

 放たれた渾身の一撃は、襲撃者の顔面を捉えて吹き飛ばした。不意を突かれた襲撃者は、鈍い音と共に床に転げる。ラルバはすぐに追い打ちをかけると、襲撃者の上に馬乗りになって何度も何度も拳を振り下ろした。


 「くそっ、くそっ、くそぉっ!」


 悔しさの含んだ言葉に合わせ、繰り返し拳が打ち込まれる。


 「それ以上は駄目だ、ラルバ君!」


 慌ててシノ・マガミが止めに入ったが、時すでに遅く、襲撃者は事切れていた。


 殴られた事により、覆面が外れ、素顔が晒されていた。晒されたその素顔は酷いありさまだったが、第五部隊長のグリム・ホーデンである事が、辛うじて確認できた。

 元、師団長である彼が、襲撃者であったと言う事は、如何に近衛師団が蝕まれていたかと言う証明でもある。シノ・マガミが現れなければ、すでに、ハビリアは傾いていたのかも知れない。


 「参ったな。これじゃ情報が聞きだせないや」


 シノ・マガミが嘆息しながらぼやくと、そのぼやきに、ピクリ、反応したラルバは、馬乗りになったままの状態で、言葉を絞り出した。


 「――オレは、師団長の事が好きですよ。女としてもそうですが、尊敬と言う意味でも同じくらい好きです」


 まるで懺悔でもする様にラルバは続けた。


 「シノクラ隊を手玉に取った強さも、元老院の老獪と渡り合う度胸の良さも、心の底から惚れるくらいです。だから、食事に誘われたのも嬉しかったですし、甘えて抱き着かれるのも嬉しかった。キスした事も、身体に触れられた事も、全部嬉しかったです」


 そこでラルバは一旦言葉を止めると、一筋の涙をこぼしてから、


 「でも、こう言う事って、敵を油断させる為にする事じゃないでしょう。成り行きで仕方なくするような、そんなもんじゃなく、もっとお互いを感じ合う為の、そう言うものじゃないですか。それなのに、オレはあんたに、そんな選択肢を取らせる事しかできなかった。本当に自分が不甲斐なさ過ぎて、悔しくて仕方ないですよ」


 ラルバは告白を済ませると、ふぅと息をついて項垂れた。


 それを聞いたシノ・マガミは「ラルバ君——」と、その名を零してから、ゆっくりとラルバを抱きしめて、


 「ごめん。ボクが悪かったよ。君がそんなにボクの事を大事に想ってくれてるとは思わなかった。本当に済まない事をしたと思ってる——でもね、これだけは言っておくよ」


 今度は、彼の頭を撫でながら、



 「ボクは好きでも無い男に身体を委ねるほど、割り切れた人間じゃないよ」


 そう言った。


 ラルバが涙を拭って「……はい」と答えると、シノ・マガミは大きく息を吸ってから、


 「さて、そろそろ切り替えようか。色恋沙汰にうつつを抜かしている時間なんて、ボクたちには無いんだからね」


 ワザと明るく言葉を出して、ラルバの肩を叩くのだった。


 ラルバも、心情を切り替えるべく鼻を啜った。






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