譚35 ラルバ・アスマンの憂鬱
● 譚35 ラルバ・アスマンの憂鬱
シノ・マガミに独裁とも言える権限が与えられてから一ヶ月が過ぎた頃、ラルバ・アスマンはその所為で疲労困憊となっていた。
机の上の山と積まれた書類に手を付けながら、瞑想と称してソファの上で昼寝をしているシノ・マガミに一瞥をくれる。
(呑気なもんだ。一体誰の仕事を手伝ってると思ってるんだか……)
ラルバはそんな事を思いながら、事ここに至るまでの経緯を思い出していた。
「これはかなりのテコ入れが必要だねぇラルバ君」
そんな不穏な言葉を発したシノ・マガミが着手したのは、近衛師団の改革からだった。
まず、第四部隊までだった近衛師団の部隊数を第五部隊にまで増やし、元、師団長だったグリム・ホーデンをその第五部隊の隊長に就任させた。
それに伴い、小隊単位にまで及ぶ大規模な再配置を行い、実質、旧体制の近衛師団を、解体したも同然に再編成したのだった。
公には、第五部隊が烏合の衆にならぬように再編成した。と、シノ・マガミは公表したが、本来の目的は、部隊内における古き癒着を断ち切る為に行ったのだと密かに聞かされた。
しかし、何の因果かラルバ自身が副師団長に任命されてしまい、望まぬ形で、近衛師団の次席隊士となってしまった。
実年齢は十八歳だと言い張りながらも、記録上では百十五歳の婆様になるシノ・マガミはともかくとして、今年で二十五歳になったばかりのラルバは、まだまだ若輩者であると自身で認識している。
名だたる先輩方や元上司たちを差し置いて、副師団長なるモノに就任するのは、さすがに分不相応な任命だと申し立てをしてみれば、
「君以外の人材を知り得ないボクに、いったい誰を信用しろと言うのかい? 貧乏くじを引かされたと思って諦めたまえ。ボクはとうに諦めた」
と、シノ・マガミに突っぱねられ、強制的に引き受ける羽目になってしまったのだった。
言葉の中にネル枢機卿猊下の思惑だと匂わされては、これ以上反論のしようがない。
手近なコマが無かったからと言う理由で、就任させられたラルバは、侮蔑や妬心ともいえる視線を送って来る輩に対し、変わってやるからここに来いと言ってやりたかった。
再編成の次に着手したのが、近衛師団訓練要項の見直しだった。
シノ・マガミは、定例会議にて、魔法知識の重要性を説くと、廃れてしまっていた魔法講習を復活させ、見習い時代に学ぶ基本魔法以外の習得に取り組むよう指示した。
また、それと共に個人技等の基礎訓練は自主訓練時のみとし、通常訓練では実戦形式での組手、及び、立ち合いを重要視するよう通達した。
シノ・マガミ曰く『基礎訓練など自身で行って当たり前』なのだそうだ。
一見して、通達のみで終わりそうな内容だったが、シノ・マガミが着手する以上、これだけで終わるはずがない。そう予見したラルバの認識は正解だったのだが、それを回避する考えにまで届かなかった事が、ラルバにとっての不運だった。
再編成された新たな部隊を、シノ・マガミと共に順次視察して回っていた時の事。当時近衛最強とまで噂されていた、旧第一部隊のシノクラ小隊の五人に対し、シノ・マガミは事もあろうに喧嘩を売ったのだ。
「君はただ見ていたまえ」
と、あらかじめ、シノ・マガミから命令されていた事もあり、ラルバは出鼻を挫かれた。
シノ・マガミはズカズカと訓練場へ足を踏み入れると、
「そんな事をいくらやっても、強くはなれないと分からないのかい?」
と、シノクラ小隊に向かい毒舌を吐いた。
その時、人型を模した丸太に、木剣による打ち込みをしていたシノクラ小隊の五人は、ピタリと動きを止めると一斉に振り向き睨みを利かせた。
そんな事は気にも留めず、シノ・マガミは更に彼らに近付くと、
「敵は動くモノだろう? そんな動きもしないものをいくら叩いたところで強くなれる訳がない。それとも君たちは、戦場では動かない死体にしか興味が無いのかな?」
明らかな挑発だ。
死体にしか興味がないと言うこの言葉は、戦場で屍となった者から剣や鎧などを剥ぎ取って商売をする、いわゆる、戦場稼ぎや追い剥ぎの事を揶揄している。
武を志す者にとっては、随分と悪辣な言葉と言えよう。
それ故に、最も血の気が多そうな一人が、即座に反応を示したのだが、小隊長であるカイ・シノクラは片手を広げてその動きを制した。
表面上では涼しい顔を作りつつもカイ・シノクラは、
「一つ一つを丁寧に打ち込むことで身体に型を覚えさせ、咄嗟の際に揺らがぬようにと反復する。古くから周知されている訓練法ではありますが、師団長殿は今更何をおっしゃりたいのです?」
と、負けじと、挑発で返してきた。
それを聞いたシノ・マガミは不遜な笑みを浮かべると、
「なに。あまりにも意味の無い訓練法が目に余ってね、ならば、ボク自らが手解きしてやろうと参じた訳だよ。それに――」
今度は周囲を睨みつけ、
「どこの馬の骨とも分からない小娘が、いきなり君たちの頭ともなれば不満も多かろう。鬱憤を晴らす良い機会だぞ、遠慮なくかかって来たまえ」
と、言い切ったのだった。
この時期、シノ・マガミの立場は相当な批判の的だった。脈絡もなく現れた小娘が、いきなり独裁とも言える地位に就いたのだから、警戒されるのは当たり前で、不満を表す者は多数に及んだ。
『黒の悪魔』と戦った勇士とは聞かされていたものの、それは百年も昔の話。証明する証拠は何もなく、ただ歴史書にその事が記されているだけである。
しかも、時空を超えて帰還した――などと知らされているものだから、誰もが眉唾とその話を信じず、もっぱら、下馬評での最有力な現実は『ネル・ミレーヌ枢機卿の隠し子ならぬ隠し孫』だった。
つまりはコネで起用されたと噂されていたのだ。即座に暗躍した行動が起きなかったのは、近衛師団再編成の功と言えよう。
また一人、別の男がシノ・マガミの言葉に反応を示す。が、カイ・シノクラはその動きをも制した。
しかしこの時、既に男達の立ち位置は、シノ・マガミを半円に囲む形になっていた。
シノ・マガミはそれを見定めると、更に挑発するべく言葉を重ねた。
「ならばこういうのはどうだ? もし、君たちがボクに一撃でも当てる事が出来たなら、賞金として金貨十枚くれてやろう。それでも不服と言うならば、そうだな――この場で、君たちの下の世話でもしてやろうじゃないか」
さすがのカイ・シノクラも反応を示した、今まで制していた片手が握りこぶしに変わっている。それでもカイ・シノクラは武人らしく踏みとどまって言葉を返す。
「それはどういう意味ですかな? 師団長殿」
「そう言う意味だよ。へにゃ〇〇野郎ども」
忍耐の限界を超えた男達が一斉に飛び掛かった。それをシノ・マガミは不遜な笑みを浮かべたまま、構えも取らずに迎えた。
男達が同時に剣を振るう。いくら木剣とは言え、当たれば骨の一本や二本は確実に折れる。シノクラ隊の力量からすれば、強引に切り飛ばす事も可能だろう。
しかし、攻撃が当たったかと思えたその刹那、シノ・マガミの姿は、その場から奇麗に消え失せていた。
呆気に取られる男たち。その背後から、声がする。
「ほら見た事か。動かないものばかり相手にするからこういう事になる。今度はちゃんと追ってくれたまえよ」
男達はハッと気が付くと、今度は左手で片目を押さえた。近衛隊士のみに与えられた神の力を使う為だ。その能力の名は『未来予知』。シノ・マガミが、この力で攻撃を避けたのだと気付いた男達は、各々もその力を使い、改めてシノ・マガミに襲い掛かった。
しかし、それでもシノ・マガミは捉えられず、男達の間をスルスルと抜けていく。
まるで、水の中を泳ぐ魚のように、繊細で無駄のない、しなやかな動きだとラルバは思った。
この動きが、異世界では『拳法』と呼ばれる体術に、身体強化を応用してなされているモノだと教えられたのは、もっと後になってからの事だ。
実はこの時、ラルバも『未来予知』を使って先の映像を見ていたのだが、ラルバの見た映像では、何度もシノ・マガミが打ちのめされる姿が見えていた。
その度に、ラルバは顔を青くして現況を見定めたのだが、尽くその結果は覆されていた。
どうしてこのような事になるのか見当もつかない。未来予知で見た映像が覆されるなど、ラルバにとっては初めての経験だったのだ。
「退け、お前たち!」
業を煮やしたカイ・シノクラは、とうとう自身の奥義である居合の構えを取った。
『未来予知』で攻撃を避け続けているならば、僅かの時間まで引き付けて、避けられるよりも早く切りつけるしかない、そう思い至った為だ。
時間が経てば経つほど未来は変化する。カイ・シノクラはその事を知っていたのだ。
シノ・マガミとカイ・シノクラが睨み合いを始めて十数秒、唐突に二人の激突は始まった。
まず、カイ・シノクラは右手の木剣を背負うように構えると、細く長い息を吐き、体躯を低く沈めた。次いで左手で片方の目を押さえ『未来予知』を発動すると、シノ・マガミを捉えた映像が見えたその瞬間に、大きく鋭い一歩を踏み込んだ。
跳躍の如きその踏み込みに、シノ・マガミが体を返し、避ける体制に入ると、狙いすましたかのようにカイ・シノクラの刃が切り込んだ。
『獲った』
と、カイ・シノクラは思った。
しかし、切り込んだと思われたその刃は、何の手ごたえも残さず通り過ぎる。目の前にいたはずのシノ・マガミの身体が煙のように消え失せて、まるで見当違いなところで、涼し気に立っていた。
渾身の一撃が空を切った事に、呆然と立ち尽くすカイ・シノクラ。
周りで見ていた男達も、驚きの形相を以ってその事実を表していた。
勝敗は決した。
シノ・マガミは埃を払うように衣服を整えると、
「今の動きを習得したければ、ボクの指示した訓練を真面目にこなしたまえ、きっと君達なら程なくして習得できるだろうさ」
そう言い残し、訓練場から去るのだった。
シノクラ小隊の面々は、未だ信じ難いとシノ・マガミの背中を見送った。
このシノクラ小隊との一件は、シノ・マガミの評価を一夜にして一変させた。
あれほど流れていた不満の声は消えて無くなり、賛辞の内容へと切り変わっていた。
中には、もの知り顔で『実はネル・ミレーヌ枢機卿より特殊な訓練を施された秘蔵っ子だったのだ』と語る者さえ出てくる始末だった。
「シノクラ小隊には悪い事をしたかな?」
と、シノ・マガミは言う。
自身への酷評を払拭する為にシノクラ小隊の名を利用したのだから、確かにその通りではあるのだが、少なからず横柄な態度が目に余っていた彼らには、良い薬になったのではないかとラルバは思った。
事実、彼らは通達を無視して個人技を磨くための打ち込みをやっていたのだから、命令違反だと咎められてもおかしくない状況だった。
それを認識しているのか、シノクラ小隊の面々は、現在、真面目に組手の訓練を粛々とこなしている。
あの一件の後、ラルバは「いったい何をしたのですか?」と、シノ・マガミに尋ねている。
するとシノ・マガミは「ただ『未来予知』を使っただけだよ」と涼しい顔で言った。
実際には未来予知を『ただ使った』訳では無く『使い続けた』が正解で、眼鏡のレンズ越しに『未来予知』の映像を随時映しながら対峙していたのだとラルバは知った。
左手で片目を押さえずとも、『未来予知』が使える事は驚きの事実であったが、こんな事をやりながら、あの激しい動きを見せたシノ・マガミと言う人物にも驚きを隠せなかった。
『未来予知』を使い続けるなどと簡単に言いはするが、実際に試してみると、映像が二重に見えて、どちらの映像が現実であるのか分からなくなってしまうのだ。しかもその所為で、船酔いのような感覚が襲い、頭痛と吐き気を催す。
「慣れれば面白くなるよ」と、シノ・マガミは笑うが、そこに至るまでに、どれほどの経験を積んだのかと、ラルバはシノ・マガミに対し尊敬と畏怖の念を抱くようになった。
この日を境に、ラルバは敬語を使うようになっている。
しかし、ラルバの不運はここから始まった。この事が引き金となり、シノ・マガミの噂と共に、ラルバにも、とある噂が付いて回ったのだ。
その内容は、
副師団長のラルバ・アスマンはシノ・マガミ師団長のヒモだ。
とか、
いいや、副師団長のラルバ・アスマンはシノ・マガミ師団長のツバメだな
とか
いいや、いいや、副師団長のラルバ・アスマンはシノ・マガミ師団長のペットだよ
等々、不名誉な噂を囁かれるようになってしまったのだった。
それを聞きつけたシノ・マガミが大笑いをしたのは言うまでもない。
ラルバは、その噂を払拭しようともがいたが、そんな事をすればするほど周囲は面白がって騒ぎ立てる始末だった。
そして、この一連の噂が最高潮に達したころ、シノ・マガミは最後のテコ入れに着手した。
その目的を聞かされたラルバは、きっと今までの改革はこれに対する下準備だったのだと確信するほどだった。
シノ・マガミが着手した改革、それは――
――元老院制度の廃止と、それに伴う教皇制度の導入だった。
2021.4.23
誤字修正しました




