譚32 眞上紫乃 前編
● 譚32 眞上紫乃 前編
百年前に起こった事を話そうか。
とは言っても、ボクにとっては、ほんの数年前の出来事になるのだけどね――。
当時のボクは、まだ近衛隊に配属されたばかりの新人隊士だった。
語弊があるかも知れないので言っておくが、新人とは言っても、右も左も分からないような素人新人ではなく、配属されたばかりと言う意味での新人だ。これでも幼い頃から厳しい修練を施された、いわゆるエリート隊士なのだから一緒にしないで貰えるとありがたいな。
信じてない君に話しておくと、ここハビリアでは神よりの天啓によってその責務を与えられる事が有る。ボクがその天啓を授かったのは丁度十歳の 十期祭 の時だった。
君達の世界で言う七五三のようなものかな。
ともかく、十期祭で司祭様からの洗礼を受けたあと、その天啓は与えられた。
「おまえには近衛の才がある。都に上がりなさい」と。
天啓を与えられるなど、滅多にある事ではなかった。しかも、その内容が 近衛 と言う神をも守る立場だったのだから、ボクの家ではまさに上を下への大騒ぎとなった。
父も母も弟も妹も、近所のおじさんやおばさん達だって、諸手を上げて喜ぶものだから、ボクとしても胸を張って進むべき道だと決心し、近衛になる事を承諾した。
家族と離れて暮らすことは不安以外の何物でもなかったが、それでも英雄になれると言われ夢見心地だったボクは、その一週間後には司祭様の紹介状を持ってハビリアの首都ノーザンベルクへと上がった。
けれどノーザンベルクで待っていたのは辛い修練の日々だった。
英雄になれると夢見心地だった甘い考えはたった一日で粉々になった。
近衛見習いとなったボクは、修練棟と言う名の監獄へ入れられて、魔法の腕輪で脱走できないように自由を制約された後、魔法、剣技、体術、学問と、ありとあらゆる事を叩き込まれる事になった。
もちろん修練期間が終了するまでは、この修練棟から外に出る事はおろか、家族に会う事すら許されなかった。
どんな修練をしていたかは気分が悪くなるのであまり話したくはないが、それでも一つヒントを与えるとすれば、この世界にはたとえ腕を切断されても元に戻す手段があると言う事だ。まさに生傷の絶えない、血反吐を吐く辛い日々に、望郷の念は日に日に募り、何度も泣いて枕を濡らしたのだけれども、その日々の中で得た戦友とも呼べる友人に励まされ、何とか正気を持って耐え抜く事が出来た。
友人の名は ネル・ミレーヌ 透き通るような長い金髪の彼女は、同じ歳とは思えない、太陽のような笑顔でこの辛い日々を照らしてくれた。
彼女曰く、ボクは頭が固いのだそうだ。
「辛い事を辛いと思うから辛いんだよ。辛い事でも辛くないと思えば案外辛くないものだよ」
早口言葉のようなこの言葉が彼女の口癖だった。
ボクには辛い事はやはり辛いとしか思えなかったけれど、それでも、いつかは彼女のように辛い事を笑い飛ばせるような人になれたらとは思っていた。
そして、正気を保てなくなった者から順次脱落していくそんな日々が過ぎ、この世界では成人となる十五歳となったボク達は、正規の近衛隊士となるべくその日を迎えた。
支給された背丈ほどもある錫杖と、白き衣に身を包んだボク達は、最初に神の力を授かる儀式を執り行うのだ。
まず、元老院の枢機卿達に囲まれたその円の中心で、不屈の誓いを上げさせられる。
不屈の誓いとは、
『近衛たるもの、我らが神以外に対し、決して膝を折る事は無い』
という宣誓の事だ。つまりは、
『いかなる敵を前にしても、決して倒れる事を許されない』
と言う不退転の強制でもある。
その宣誓が終わると、次に枢機卿の代表者から洗礼を受ける。
錫杖を両手で持ち、体前に構え、目を瞑ると、額に冷たい石のようなものを当てられる。
数秒もすると、とたん耳鳴りがして、強烈な目眩に襲われた。
「倒れてはなりません、シノ・マガミ。あなたは神に仕えるハビリアの近衛となる身です。何の為に辛い修練に耐えたのですか」
代表格の枢機卿が冷ややかに告げる。
その言葉に、ボクは気持ちを奮い立たせると、両足に力を入れ、床石を踏みしめた。
倒れぬように錫杖を突き立てて、気合とも言える叫びをあげる。
「うおぉああぁああっっ!」
すると突然、何かが弾けたような感覚に陥って耳鳴りが聞こえなくなった。とたん目眩もなくなったが、代わりに虚脱感が酷かった。
今までボクの自由を制約していた魔法の腕輪が二つに割れてポトリと落ちる。
多少膝が嗤ったが、何とか気力で姿勢を正すと、代表格たる枢機卿が高らかに祝福を告げた。
「おめでとう、シノ・マガミ。あなたは今日から 近衛師団第一部隊の隊士 となります」
一斉に歓声と拍手が周囲から聞こえた。
近衛の第一部隊といえば、国防を一手に担う中枢とも言える部隊だ。それの部隊長ともなると師団長との兼任となり、元老院の枢機卿達に次いで多くの権限を保有する特別な存在になる。
まぁボクはそいつの駒でしかないのだけれど、それでも緊急時ともなれば、他の部隊長の命令権よりもボクの権利の方が上となる。
耐え凌いだ甲斐は有ったと言う事だ。
その後、授かった神の力の使い方と、今後の任務について部隊長直々に教授されたが、正直、虚脱感が酷過ぎて早く休ませて欲しいと思っていた。
力の使い方を理解したのは、部屋に戻って仮眠を済ませたその日の夕方になってからの事だった。
神の力は左手と右手、片方ずつに宿されている。
まずは左から。力の名称は『未来予知』という。
左の掌で片目を塞ぐとその塞いだ影の部分に未来の映像が見えるという力だ。
念じれば、見える時間は十分後でも一時間後でも自由自在だが、あまりにも時間が遠すぎると、見えた未来になる確率はどんどんと下がっていく。
例えば、二階から物が落ちてきて頭に当たり怪我をする未来を見たとする。怪我をしたくないのなら、その場所へ近付かないようにすればいい。たったそれだけで怪我を回避する事が出来るのだ。つまり、この力で見えた未来は確定されたものではなく、容易く変化できると言う事だ。
因果律も何も関係ない。不確定要素が入れば入るだけ未来は移り変わっていく。つまりは時間が空けば空くほど見えた未来は変化し易いと言う事になる。
役に立つようで役に立たない力だとボクは思った。これでは未来予知と言うよりは未来予測だと思っておいた方が良さそうだ。
試しに力を使ってみると、五分後にネルが訪ねて来る未来が見えた。何もしないでベッドに寝転がっていると、確かにぴったり五分後に、ドアに誰かが近付く音がした。
このまま何もしないのも勿体無いので、試しにネルが扉を開けたとたんに「わっ!」と脅かしてやると、思いの外ネルは驚いたようで、ドアのノブを放して飛び跳ねていた。もちろんボクの見ていた映像は単にネルが食事に行こうと誘いに来た映像だった。
これは病みつきになりそうだとボクは思った。
次は右。力の名称は『装填』
この力は魔法をあらかじめ準備した状態で留めて置ける力だ。指一本ごとに一つの魔法が準備できる。簡単にイメージするならば、魔法の弾を込めたリボルバー式の拳銃と言ったところだね。
この力は汎用性が高く、左の『未来予知』と併用すると、毎回後出しじゃんけんをするような感覚になる。
相手が火の魔法を使うなら水の魔法を用意し、風の魔法を使うなら土の魔法を用意すれば良い。緊急時に備え回復魔法を準備しておくのも良いし、一撃必殺の為に強力な魔法を仕込んでおくのも良い。
後は己の鍛錬で、力を使いこなす努力をするだけだ。
そしてその夜、事件は起こった。
何者かの侵入を伝える鐘の音が鳴り響いたのは、真夜中過ぎの事だった。
ボクは慌てて近衛の衣に着替えると、錫杖を持って部屋を飛び出した。
しかし、地獄の修練の間、一歩も修練棟から出た事の無かったこのボクに、迷路のような宮廷の廊下がどこに繋がっているかなど分かる訳もなく、機転を利かせて上空から騒ぎの場所を特定しようと浮遊魔法で屋根に飛び移ったその時、悍ましい姿が見えた。
宮廷の屋根をも超える巨大な姿。
頭の両側から突き出る山羊のような角。
背中に生える蝙蝠のような羽。
その姿は、辛い修練の中で見た、本の中に描かれていた悪魔の姿と酷似していた。
宝物殿は既に燃え上がり、黒い煙を吐き出していた。黒い悪魔の周りには既に何人もの近衛が張り付いて魔法による足止めを行っていた。
悪魔の羽は飛ぶためのモノではないのか、折り畳まれたまま動く気配を見せなかった。
ボクは何をするべきなのかと迷っていると、隣に部隊長が現れて、ボクに状況を説明してくれた。
「ヤツに『根幹』を盗まれた、今ヤツは『根幹』の一つを使って化け物になりやがった。ひとまず他の『根幹』を取り戻す。ヤツを倒すのはその後だ」
続けて、
「ネルにヤツの気を引くよう命令してある。俺がヤツの右腕を魔法で切るから、シノはすかさず『根幹』を回収しろ。タイミングは未来予知を使えば簡単なはずだ、辛かった修練の日々を思い出せ、お前なら出来る。いくぞ!」
部隊長は矢継ぎ早にボクに命令を下すと、返事を聞かぬそのままで飛び出していった。
きっと未来予知で僕がどう動くか見えていたのだろう。
ボクは急いで片目を左手で覆うと、未来予知でその先の映像を見た。
丁度一分後、部隊長が悪魔の右腕を切断する映像が見えた。
あまり悠長に構える時間もない。ボクは浮遊魔法を唱えると、いつでも突貫できるよう右手に風の魔法を準備した。
未来予知で見た通り、ネルが悪魔の眼前で火の魔法を使うと、間髪入れずに部隊長が風の魔法で悪魔の右腕を切断した。
(今だ!)
ボクは右手に準備していた風の魔法を発動させると、一直線に切り飛ばされた右腕へと突貫した。
正確には右腕からこぼれた『根幹』に向かってだが、それらを掴もうと手を伸ばしたその瞬間、予想外の事が起こった。
「ウワォオオオオオオォォォォッォゥ」
悪魔が雄叫びを上げると同時に、閉じていた羽を開いたのだ。
直撃こそしなかったものの突風に煽られたボクは掴むはずだった『根幹』を一つも掴む事無く上空へと舞い上げられた。
ボクの見ていた未来では、確かに全ての『根幹』を掴んだボクが見えていたのだ。
だが、これで諦めては辛い日々に耐えたボクが泣く。初仕事が失敗しましたでは恰好が付かない。
ボクは右手に仕込んであった残りの風魔法全部で態勢を整えると、もう一度散らばった『根幹』に向かって突貫した。
その時、再度予想外の事が起こる。
時間が無くて未来予知を使っていなかったから、予想外と言う言い方には誤解を生むかも知れないが、ともかく近衛の誰もが見えていなかった事態が起こったのだ。
翼を広げた悪魔が雷撃を発生させた、それだけでも予想外な出来事だったのだが、その途端、散らばった『根幹』が共鳴を起こし空間を引き裂いてしまったのだ。
切り裂かれた空間が何もかもを吸い上げていく。
瓦礫はもちろん近くにいた悪魔の巨体をも吸い込んでいく。
宙に浮かんでいたボクは、成すすべなく空間に引きずり込まれていった。
突貫した際にたった一つだけ『根幹』を掴むことが出来ていた。ボクが掴んだのは赤い色をした『根幹』だった。
せめてあと一つはと、錫杖を投げて白い『根幹』にぶつかるところまでは確認したが、その後は空間の亀裂に呑まれた影響で、意識が遠のいて行った。
気が付くと、ボクは瓦礫に埋もれていた。身動きが取れずどうするべきか思案していると、目の前の瓦礫が取り除かれ、眩しい光が差し込んだ。
「もう大丈夫ですよ! あと少しだから頑張って!」
目の前の男から声が掛かる。眩しさに目が慣れてくると、その男はオレンジの衣を着ているのだと分かった。
オレンジの衣など、いったいどの部隊のモノだったか? 思い出せはしなかったが、ひとまず助けてくれたことに対し、
「ありがとう、助かったよ」
と礼を述べると、その男は焦った表情をして、
「おーい。この子、ガイジンさんだわ。英語話せる人呼んで来て」
と、近くにいたであろう者に呼び掛けていた。
が……がいじんさん?
聞いたことも無い単語に、ボクは戸惑いを覚えていた。




