譚30 『黒』と『赤』と少年
● 譚30 『黒』と『赤』と少年
『黒の悪魔』と化した軍服の女は、狂気にも似た笑みをニタリと浮かべると、即座に間合いを詰めて襲い掛かって来た。
長い爪を切り裂くように振り回す『黒』の女。身体を捻って蹴りまで繋げて攻撃を仕掛けて来る。
『赤』となった僕も、負けじとそれらを紙一重で躱すと、すれ違いざまの左掌で『黒』の右爪を払った。払うと同時に触れた部分から『黒』の爪が消滅していく。
今まであまり深く考えずに戦って来たのだが『赤』となった僕の左掌は、どうやら触れたモノを消滅させる能力があるようだった。分解なのか崩壊なのか、原理は全く分からなかったが、ともかく、その場で触れたモノを全て消し去っているのは確かだった。
爪を消された『黒』の女は小さく舌打ちすると『赤』の左掌を嫌って距離を空けた。
逃がすものかと『赤』はすぐさま後を追って距離を詰める。
それでも、よほど『赤』の左掌を嫌っていたのか、『黒』の女は更に大きく跳ね上がると、届く距離でもないのに左腕を大きく振った。すると轟音を発生させながら、一条の雷撃が迸る。
振るった軌跡に準えながら走る雷撃に、さすがの『赤』も飛び込む訳には行かないと、追撃を止め、その場に留まった。
力も速度も同じくらいか――いや、速度はやや向こうに分が有るが、攻撃は確実にこちらに分がある感じだ。
『赤』の左掌は触れるだけで良いのに対し、『黒』の爪は切るか刺すかしなければならないからだ。
建屋の屋根にまで距離を空けた『黒』の女は、消された爪を復元させながら話し掛けて来た。
「遠慮するな、右も使ったらどうだ」
言ってる意味が分からない。というか『赤』の僕は答える気など毛頭ない。先ほどから頭の中で繰り返される『赤』の単語は『殺せ』『殺せ』としか聞こえてこないのだ。あまりものバーサクぶりに我ながら恐れ入る。
――ってか喉潰したのあんただろ。声なんて出る訳ないぞ。
意識が『赤』に切り替わっている所為で、痛みを感じなくなっていたものだから、今の今まで僕も忘れていた。
変化のない『赤』に痺れを切らしたのか、『黒』の女は、また、距離を詰めると攻撃を再開した。
再びぶつかる『黒』と『赤』。
両者譲らず決定打に欠けると言った感じに攻防は長引いた。
上下左右、時には前後、周りの影響も考えずに二人は暴れ回るものだから、周囲の建屋もそうだが道の真ん中に鎮座していた岩さえも、耐え切れず粉々にされていった。
あまりもの暴れぶりに、僕はルルカの事が気になっていた。『赤』にはルルカを巻き込まないようにと頼んでいたはずなのだが、これだけ無造作に建屋を潰されて行くと、よもや忘れているのではないかと、気が気ではなかった。
ずっと頭の中で響いているバーサク語も僕に苛立ちを覚えさせる要因の一つだった。
でも、もしかしたら、この事が隙に繋がったのかも知れない。
この時、『赤』の左掌が『黒』の右爪を払えず空を切った。
顔面間近に迫る『黒』の右爪を『赤』は身体を捻る事でかろうじて避けた。
しかし、無理な体勢だった事実は拭い切れず、ここだとばかりに『黒』の左爪が『赤』の左腕を捉えて掬い上げた。
肘関節から切り離された『赤』の腕が宙を飛ぶ。
とたん、僕の身体から『赤』の光が失われていった。
あれ程うるさかったバーサク語も聞こえなくなっていった。
先の攻撃を避けた無理が残っていた所為もあり、僕はもんどり打つように地面に転がって倒れた。
仰向けに天を仰いだ僕に対し、素早く『黒』は爪を突き立てると、哀れみも何もない眼で僕を見据えた。
『黒』が突き立てた右の爪は、まだ僕の何かを試していたのか、急所ではなく左の肩に突き立てられていた。
ただ、見事なまでに貫通した『黒』の爪に、僕の身体は地面に磔られた格好となり、多少の身動きは取れるが、立ち上がる事は出来ないように固定された。
意識が『赤』から戻った事で、感じていなかった痛みが一気に襲い掛かって来る。
あまりの痛みに気を失いそうになるのを何とか耐え粘る。
その様子を見て、残念そうに『黒』が呟いた。
「切り離されて能力を失うとは——やはり君も偽物だな……」
さっきからこいつは何を言いたいんだ。
試すだの偽物だの、こいつの行動から『赤』に関する何かだとは思えるのだが、化け物に本物も偽物もあるんだろうか? 僕の喉をワザと潰し、呪文を封じてまで『赤』との戦闘に拘ったこいつの目的が分からない。ただこの状況で分かる事と言えば、僕が偽物と断定された事で、こいつの意思が僕の始末へと変わった事だ。
興味を失くした『黒』の眼が僕を見下ろす。
じゃ、終わりにするね。
そう言っているように思えた。
トドメを刺すべく、ゆっくりと『黒』の左爪が持ち上がっていく——。
喉を潰され、左腕を切断され、肩を貫通され、既に満身創痍の僕だったが、まだここに来て、抗う事を諦めてはいなかった。
僕にはまだ一つだけ、抗う手段が残っていた。
そう、僕はまだ、セルムスから支給された軍服を着たままだったのだ。
この軍服の胸ポケットには、支給された石化の魔導具が入っている。
『黒』が左爪を振り下ろす前に、右手で砂を掴んで『黒』の顔に投げつければ、『黒』が怯んだその隙に、魔導具を取り出し突き立てる事が出来る。そうすれば『黒』は石化して形勢は逆転となる。
僕は痛みに耐えながらその時を狙っていた。
右手に砂を握り込み、ヤツが左爪を高く掲げ切るその瞬間――。
「師匠から離れろっっ!!!!」
ルルカの叫ぶ声が聞こえた。
いつの間に目が覚めたのか分からないが、既にルルカの手から風の刃が放たれていた。
鋭く練成された風の刃が『黒』を襲う。
『黒』は掲げていた左爪を防御に下ろすと、『キィーン』と甲高い音をさせ風の刃を霧散させた。
続けて、ルルカに反撃するべく『黒』が左腕を高く掲げる。
まずい、このままではルルカが危ない! でも、今がチャンスなのは確かだ!
僕は握った砂を手放すと、作戦を急遽変更、胸ポケットから石化の魔導具を取り出して『黒』の右手に突き立てた。
丁度『黒』は攻撃の動作に入る寸前だった。
「雷撃」
『黒』が呟くより早く、石化の魔導具が『黒』の右甲で発動した。
ルルカに攻撃が向かう前に、辛くも間に合ったと僕は思った。
――しかし。
雷撃は止まることなく『黒』から放たれ、ルルカを目指して走って行った。
この時『黒』の左腕はまだ石化しておらず、振り抜かれてしまったのだった。
轟音と共に、ルルカの居た場所を蹂躙する雷撃。
響きが終わったその場所には、ルルカの姿どころか、塵一つ残されてはいなかった。
(ル……ルルカ……うそ……だろ?)
僕の誤算は石化の効果が表れる時間を把握していなかった事。
初めて使った魔導具だったので、それがどういうものか把握しきれていなかった事。
麻痺の魔導具のように瞬時に効果が発動する仕様であれば良かったのだが、石化の魔導具は触れた部分から数秒掛けて効果が広がっていく仕様だったのだ。
雷撃を放った後『黒』は慌てて僕を攻撃しようとしたが、丁度その時になって、石化が完了したのだった。
戦場だったこの場所に静けさが戻っていく。その中で、声にならない僕の声が、この場所に響いていく。
僕は磔の状態から抜け出そうと、右手を痛めつけながらも、殴り続ける事で爪を折る事に成功した。石化の魔法のお陰で爪の強度が元の強度より落ちていたのだと思えたが、そんな事はどうでも良かった。
痛みの為にゆっくりと身体を起こしながら辺りを見回す。
あちこちに瓦礫が散乱していたが、ルルカの姿は何処にもなかった。
(ル……ルルカ……)
気管から漏れる音を発しながら、僕はルルカの居たであろう場所まで身体を引きずった。
雷撃の痕が残るその場所には、何度見てもルルカの居た痕跡を見付けられないでいた。
僕はその場に顔をうずめると、悔しさと後悔に涙を溢れさせた。
あの子が僕にとって、どれほどの支えになっていたか、今更ながらに思い知る。
レジスタンスの砦で、化け物になったと自覚したあの時、僕は心の片隅で『ちょっとカッコいい』と思っていた。
ディックが僕に怯えて剣を向けたあの時も、孤高の化け物になったと『ちょっとカッコいい』と思ってしまった。
だから『ヒメ先輩をよろしく』何て、後先考えず、ゲームのシナリオでも進める気分で新たな場所へと一人出発した。こんなチートな能力が有ればどこでもやっていける、そう思って何もかもを置き去りにして、新たな場所を目指したのだ。
元の世界に居た時は、こういうチートな能力が欲しいと憧れていたのだから無理もない。
でも蓋を開けてみれば、そんな生易しい事じゃなかった。身分を示すモノが無いばかりに、当初は町へも入れて貰えなかった。それどころか捕らえられ殺されそうになった。
山の中で一人で生きようと思っても、毒や猛獣に怯えて過ごすしかなかった。狩りが成功しても血の匂いを嗅ぎつけて、猛獣は寄って来るのだ。見張りも無しに野宿なんて、この先ずっと一人で過ごせるはずがない。
たまたま身分証が拾えたお陰で何とか町に入れたけれど、何も知らない場所で一人で生きて行く事は、辛い以外の何物でも無かった。
もし、あの時ルルカに話し掛けられていなければ、きっとこんなつもりじゃなかったのにと、リセットをするみたいに町の中で『赤』になって暴れていたに違いない。
だからルルカは僕にとって命の恩人ってだけじゃなく、人として留めてくれた恩人でもあったのだ。
だから『時忘れ』の時に助けに行ったのも、
公女様を襲撃した時、墜落する身を助けに飛び出したのも、
未だに『赤』の事を隠して話していないのも、
全て、ルルカが居なくならないようにと願っていたからだ。
でも、その姿はもうここにはない。
あの、人懐っこい訛った声も、
あの、ひまわりのような真っすぐな笑顔も、
あの、迷惑を省みない無邪気な振舞いも、
もう、ここには無くなってしまったのだ。
僕の得た能力が『消し去る』能力だったから、こんな仕打ちが待っていたのだろうか?
無敵の能力を得たと勘違いして、むやみに命を奪ったから、こんな仕打ちが待っていたのだろうか?
左腕の切断面からは、まだ血がぼたぼたと流れていた。
このまま血を流し続ければ、僕も死ねるだろうか?
そんな事を考えていると、何者かの近付く気配がした。
もう、戦う気力なんて微塵もない。このままトドメを刺してくれ。
無気力に地面だけを見ていると、その近付いた何者かが話し掛けて来た。
「やぁ。大丈夫かい、あすか少年」
聞き覚えのある声。
力なく顔を上げると、そこには懐かしい人物がいた。
肩までの髪に大きな眼鏡。
背丈ほどの錫杖を持ち、端然とした白い衣に身を包んでいる。
いたずらっ子ような笑顔の奥には、哀愁を帯びた澄んだ瞳が覗いている。
――眞上紫乃だ。間違いない。
でも、今頃どうして――。
思っていると、部長は続けてこう言った。
「今は、師匠と呼んだ方が良いかな?」
まさにいたずらっ子のような笑顔がそこにあった。




