番外編 そして僕は救われる
● 番外編 そして僕は救われる
中間試験が間近に迫った五月のある日、僕は学校にノートを忘れた事に気付き、急いで取りに戻っていた。
ただのノートなら翌日でも構わなかったのだが、マズい事にそのノートは普通のノートではなかった。もちろん頭にデスもドリムもついていないノート。念のため。
こういう言い方をすると語弊が有るとは思うのだけれど、僕にとってのそのノートは、とある漫画の脅迫手帳に載るくらい致命的な内容のノートだった。
書いてある中身がマズいのだ。
黒歴史が満載なのだ。
暗黒の時期を乗り越えた君達なら分かるだろう。
そう、そのノートの名は
設定ノート
在りもしない世界の構成名、組織名、技名など、ふんだんに記載されたいわゆる厨二ノート。人によっては呪いの言葉より強力な死の呪文となって襲い来る悪魔のノートでもある。
昨晩の事、テスト勉強の為に使ってないノートが有ったかと部屋を探したのが発端だった。その時、この設定ノートを見つけ、こんな時期もあったなぁと、懐かしさと恥ずかしさに酔いしれて、読み耽ったのがいけなかった。
朝になって時間割を合わせてなかった事に気付き、慌てて化学のノートと間違えて持って来てしまったのがこのノートという訳だ。
化学室へ移動する準備をしている際に、ご対面した時の、血の気の引きようは『サッー』という擬音が顔面の数倍の大きさに描かれるくらい大層なモノだった。
慌てて机の中に隠すのが精一杯だった。
混乱して机の中に隠した事すら覚えていなかった。
授業が終わり鞄を抱えるようにして帰宅したのだが、鞄の蓋を開けた時、現物がない事に気が付いて、そう言えばと、また『サッー』と血の気を引かせたのだった。
ワザワザこんな偏差値の高い高校に入学したんだ。今更過去の遺物に振り回されるわけには行かない。六十しかなかった偏差値を七十八まで上げて頑張ったんだ。学校の担任が有りえないと絶賛したほどの奇跡。たった一つのイージーミスであの日の努力を無駄には出来ない。
幸いなことに、自転車を飛ばせば学校までは二十分強。校門が閉じられるまでには十分な時間どころかお釣りがくる。クラブ活動もまだまだ盛んに行われている時間のはずだ。大丈夫、まだ間に合う。
僕は急いで自転車にまたがった。
学校に到着して、駐輪所に自転車を停める。
切れそうな息を整えながら昇降口へとひた走る。
上履きに履き替え、三階にある自分の教室へと飛び込むと、何故か一人の女子生徒が僕の席に座っていた。
誰ですかこの美人さん。
西日が差込みとても神秘的だった。
ちと好み。いや、かなり好み。
シャギーにカットした肩までの髪。
危ういバランスで跳ねた前髪。
大きな眼鏡のその奥に、いたずらを仕掛けた子供のような瞳が微笑んでいる。
着崩したようなはだけた胸元には赤いペンダントが覗いていた。
その光景に僕が息を呑んでいると、その女子生徒は口を開いた。
「やぁ。 朱鳥拓郎 くんだね」
どうして僕の名前を?
「いやぁ、君の事を調べてたら遅くなっちゃってね、もう帰っちゃったと落ち込んでたんだ。いや、戻って来てくれて良かったよ。」
調べた? 僕の事を?
「あぁ、そうそう、申し遅れたね、ボクは三年の 眞上紫乃 映画研究部の部長をしているんだ」
そこまで言うと、眞上紫乃と名乗った女子生徒は、ゆっくりと席を立ち、僕に近づいて来る。
そして徐に手を伸ばすと、僕の頬に触れ呟く。
「ねぇ君――」
科を作る手が妖しく流れる
何だかドキドキして顔が熱くなる。
「良ければさ――」
吐息が掛かるくらいに顔が近づく。
鼻と鼻が触れるくらいの距離に唇が迫る。
「――ボクの映画研究部に入らないかい?」
は?
間抜けな声を出すと、女子生徒はケタケタと笑い出す。そして素早く離れると、
「これ、な~んだ」
と、ドッキリ大成功ってな感じに笑顔を振りまいた。
言われるがままその手を見ると、あの設定ノートが握られていた。
「あ、それ!」
血の気が引くと同時に飛び掛かる。と、女子生徒はさも楽し気にノートを後ろ手に隠す。
「あん。焦っちゃやだよぉ」
いや、それ僕のです返してください。
するすると教室内を逃げ回る彼女。
「んもう。強引なんだからぁ」
ちょっ、何言ってんですか
「いきなりは、だめだよぉ」
いや、変な声出さないでください誰かに聞かれたらどうすんですか!
「女の子は繊細なんだからぁ――」
――ってこの人わざとやってるだろ!
僕が動きを止めると彼女も動きを止めた。
動きを止めた彼女は、もう終わり? つまんない、と言った感じに唇を尖らす。
僕は大きく嘆息すると、彼女に問いかける。
「あなたは何をしたいんですか? 僕をからかって遊びたいんですか?」
すると彼女はいたずらに微笑えんで、
「うん、それもあるけど――」
あるのかよっ。
「でも勧誘が目的さ」
と、言い切ったのだった。
パラパラとノートをめくりながら彼女は言う。
「ここに描かれている事は、君が思うほど恥ずかしい事じゃないんだよ。それを伝えたかったんだけどね」
言い淀む彼女の声を、僕が無言で聞いていると、彼女は「確かに――」と前置きをしてから、言葉を続けた。
「個人の趣味程度では変人扱いだが、世に公表して認められればエンターテイメントの供給者として絶賛されるのだよ」
そして、
「いいかね、あすか少年。これはそんなに恥ずかしい内容かい? 一ページずつ過去の君が積み重ねた結果がこのノートなんだろ? これを生かさないでどうするんだい? 君がこの子たちに光を当てないから恥ずかしい思いをしてるんじゃないのかな?」
何とも言えない思いが腹の中に溜まって来る。
すると彼女はパタンとノートを閉じ、
「少年。返して欲しくば付いて来たまえ」
と、僕の承諾も得ず教室を出て行くのだった。
ノートを握られたままでは付いて行くしかない。
慌てて後を付いて行くと、彼女の向かった先は視聴覚準備室だった。
勢いよく扉を開け中に入っていく彼女。
入ったと同時の第一声が
「新入部員を連れてきました~」
って、おい。まだ入るとは一言も言ってないのに。
突っ込みもままならないまま中に入ると、そこには二人の生徒がいた。
一人は、信じられないくらい整った顔立ちの女子生徒。
もう一人は、キラキラと輝く眩しい笑顔の男子生徒。
部長と名乗った女子生徒は整った顔立ちの女子生徒に、僕を連れて来たいきさつを話し始めた。だけど僕はそのいきさつを聞き流してしまっていた。
正直に話すと、整った顔立ちの女子生徒に見惚れてしまい、周りの声が聞こえなくなっていたのである。
部長と名乗る女子生徒が、僕好みのキャラクターフィギュアと例えるならば、整った顔立ちの女子生徒は、絵画とかアンティークドールとか、そう言った芸術品と言った感じだった。だから、やましい事を考えていたのではなく、単に感動して見惚れていたのだった。
ちなみに、男子生徒の方は藁人形のごとし、夜中に五寸釘を打ち込みたくなるような眩しい笑顔だった。世の中の理不尽さを呪うには十分な笑顔だ。
惚けていると、部長と名乗りし女子生徒がそれぞれを紹介してくれる。
「手前の女子が 姫妻愛 奥の男子が 風元隆 君の一個上の先輩だ、よろしくな」
さすがに、あんまりまじまじと見るのは失礼かと思い、でも目が離せずチラ見していると、姫妻愛と紹介された先輩が、
「よろしく朱鳥くん、機材とか運ぶの大変だから男の子が入って来てくれて嬉しいよ。ありがとね」
と、握手を求めて来た。
僕は何だか気恥ずかしくも畏れ多いと一瞬躊躇したのだけれど、顔を上げ、先輩の笑顔を見た時、何故かたじろいでしまった。
笑顔と雰囲気のちぐはぐした違和感。
この違和感には覚えがあった。中学の時、素行の悪かった同級生が「お前と俺は友達だよな」と首に手を回した、あの時の笑顔の違和感に似ていた。
一瞬体をビクつかせ、恐る恐る握手を交わすと、部長と名乗りし女子生徒がケタケタと笑いだして言う。
「あすか少年。先輩が不思議がってるよ。ちゃんと説明してあげないと失礼だよ」
その言葉に、怯えていた事もあって、つい本音を言ってしまった。
「す、すみません。なんか、カツアゲされた時と雰囲気が似てたもんで……」
そう言った後、しまったと思ったが、もう遅かった。先輩の笑顔から更に不穏なオーラが出た気がしたので、尚更にたじろいでしまった。
奥の男子生徒からは、何か分からない言語をぶつけられたので、愛想笑いをしておいた。
「どうだい、面白い先輩達だろ? 君も一緒にやろうよ映画研究部」
部長と名乗った女子生徒は満面の笑顔を振りまいて来る。
確かに面白い先輩達ではあるけれど……だからと言って入部するってのは――。
この時、僕は教室での部長の言葉を思い出しながら、その笑顔を見ていた。
『一ページずつ過去の君が積み重ねた結果がこのノートなんだろ?』
その言葉を噛みしめると、僕は、
(せっかくだし、あとちょっとくらいなら良いかな)
そう思ってこの言葉を口にするのだった。
「分かりました。よろしくおねがいします。部長」
と。




