譚2 部活と少年
● 譚2 部活と少年
蝉の鳴き声が、まだまだうるさい八月一日。
昼を回って、本日最高潮の気温に達する午後二時半。
僕達、映画研究部は、文化祭に向けての、映画の撮影準備に汗を流していた。
「よし、あすか少年。カメラはここに設置だ」
部室から山ほどの機材を抱えて運んできた僕に、嬉々とした声でそう指示を出すのは、我が部の監督兼カメラマン 三年の 眞上紫乃 部長である
シャギーにカットした肩までの髪に、寝癖で付いた跳ねた前髪。ずり落ちそうな大きなメガネのその奥は、寝不足からなのか目元に薄らとクマを刻んでいる。キチンとしていれば理知的な美人なのだけど、着崩し というよりは だらしない と言うのが正解な装いの為、制服の胸元は大きくはだけ、とても残念な結果となっている。うん、ジツニケシカラン。
はだけたその胸元に、赤色のペンダントが揺れているのは、彼女曰く、おしゃれでは無く、こじらせた厨二病の結果なのだそうだ。
ちなみに、あすか というのは僕の名前だ。本名を 朱鳥拓郎 という。
「部長、ちょっと休ませてくださいよぉ……」
すでに機材運びは三往復目に至っていた。三階にある視聴覚準備室から、撮影現場である屋上までは、直線距離にすれば数メートルの真上にあるとは言え、階段を通ればもちろんそれなりの距離になる。それも重い機材を運ぶとなれば相当な重労働だ。この暑さも容赦なく追い打ちをかけている。
へたり込む僕に、部長は人差し指を左右に振ると、
「いかんなぁ、あすか少年。」
と、そのまま前方を指差して、
「見たまえあの空を! 」
部長の指し示す方を見ると、黒々とした暗雲が立ち込めていた。
「予定通り積乱雲が急速発達している。あと三十分も経てば、雷を伴ったゲリラ豪雨となるだろう。これぞまさに待ち望んだ展開だ! シーン四十七『対峙する二人の魔道士』この導入シーンにぴったりのロケーションじゃないか!」
「……いや、予定通りって……」
「予定通りだ!」
全くのデタラメである。
我が部長殿は、つい先ほど、この急変する空を、部室たる視聴覚準備室の窓から確認したと思いきや、『君達、予定変更だ! 屋上での撮影に切り替える!』と、叫んだ後、我先にと走り出したのである。そう、何も持たずに。
「確かさっき、予定変更――とか何とか言ってませんでしたっけ?」
僕が指摘すると、部長は眉間にしわを寄せ、
「むぅ。いかん。いかんよぉ、あすか少年!」
と、唸りながら僕の肩を数回叩き、
「良いかい? これは、君が、我が部に入って初めて書いた台本だ。そうだね?」
……それが何か?
「そう、例えば、君が将来この世界に名を馳せた時、その礎たる最初の作品が、拘りも何もない、お遊戯動画だとでも評されたいのかね?」
いや……馳せる程には望んで無いのですが。
「時間は有限。チャンスは一度切りなんだ。ロマンスの神様は、やたらと降臨したがるけれど、チャンスの神様は極々希にしか顔を出さない。今、この時に向き合わなくてどうする? 努力を惜しむのは愚の骨頂というものだ。いかなる天才も努力なくしては世に開花せんのだよ。良いかね、あすか少年! 今やるべきことから目を離すんじゃぁない!」
決まったとばかりに部長はグッと拳を握った。
その様子を僕は冷ややかな目で見守っていた。
……部長。そろそろ帰ってきてください。そう思いながら。
僕が心の中で嘆いていると、「おぉー」と、感嘆を漏らして拍手する者が背後にいた。首だけをその方に向けると、そこには、某アイドル事務所顔負けの爽やか指数をこれでもかと放つ男子生徒の姿があった。
我部の主演男優で、一つ上の先輩、二年の 風本隆 先輩である。
スラッとした見た目の高身長。その割に筋肉質な、いわゆる細マッチョだ。金のネックレスと白い歯が似合いそう。某ボロアパートの恋愛劇に出てくるテニスのコーチみたいに歯が煌めく感じ。つくづく世の中は不公平だと思い知らされる。
ちなみに僕は彼のことを タカ先輩 と呼んでいる。決して悪い先輩ではない。
「つまりは部長。最善の努力を注ぎましょう。と、そう言う事ですね」
タカ先輩は拍手を止めると、何となく怪しい日本語でこの場をまとめた。たしか帰国子女だったっけ? この人。違ったっけ?
その言葉に部長はご満悦そうに頷くと、
「いいね、いいね。タカは分かってるね」
と、親指を立てた。
何が『分かってるね』だか。
僕が溜め息を吐いてタカ先輩を見上げると、彼は慰めるかのようにポンポンと僕の頭に手を置いて、
「拗ねるなよ、あすか少年。荒唐無稽は部長の魅力の一つだろ? それに――」
それに?
「――君も部長の言葉に、救われた人間の一人なんだろ?」
と、囁いてウインクした。
うちのクラスの女子共ならば、間違いなく失神レベルのアイドルスマイル。残念ながら僕は男なので、
タカ先輩、キモいっす。としか思えなかった。
救われた人間――そう、中学時代の僕は鬱屈した情熱を発散できずに毎日を過ごしていた、いわゆるヲタクと呼ばれる人種だった。
そんな自分を変えようと、同級生が受けないような私立の進学高校を受験し、入学したまでは良かったのだけれど、元々の引っ込み思案な性格はすぐに直せる訳もなく、結局中学の時と同じルートを辿ろうかと危ぶまれた時、部長と出会った。
切っ掛けは、厨二的設定を書いて遊んでいたノートを、部長に拾われてしまった事。その中身を見た部長は『個人の趣味程度では変人扱いだが、世に公表して認められればエンターテイメントの供給者として絶賛されるのだよ』と、僕に諭した。
これを救われたというのなら、そうなのかもしれない。
実際『リア充乙!』『厨二上等!』とか言ってたヤツが、夏休みにわざわざ学校に登校して、汗水垂らしながら映画を撮ってるのだから、僕を知る中学時代の友人からすれば、人気アイドルが妊娠したとスクープされた記事より衝撃的な内容だろうと思う。
ただ、やらされている内容が、パシリだったり荷物運びだったり部長の世話だったりと、雑用の比重がかなり高いのは、どうなのかと思うのだけど……。
そんな事を思い出していると、今度はさらに背後から
「マジで今から撮影すんの? 雨に濡れるとか、ホンっト勘弁なんだけど」
と、いかにも不機嫌な声が降ってくる。
声の主は、我部の主演女優、二年の 姫妻愛 先輩である。ちなみに僕は彼女の事をヒメ先輩と呼んでいる。
サラッとした長い髪に、モデル並みの精錬されたスタイル。整った顔立ちは言うまでもなく、我が校内でもトップクラスの美人だ。彼女を良く知らない者からすれば清楚で優雅なマドンナ的お嬢様なのだが、先ほどの口調からも分かるように、内面はずいぶんとアレな方である。
僕も入部したての頃は、その美貌に緊張して、手に汗を握ったりしたけれど、知ってしまった今となっては、違う緊張で手に汗を握っている。
ヒメ先輩の言葉に、部長はクスッと小さく微笑むと、
「そう言いながらもヒメ。この場に足を運んだという事は、嫌いじゃないんだろ? こういう、青春くさい事」
その言葉に、ヒメ先輩は不機嫌そうに眉を寄せると、その眉尻を小刻みに震わせてから、
「フン、勝手に言ってろ」
と、悪態を吐き、
「タカ。暑い。煽げ」
と、命令しつつ、自らパイプ椅子を広げ『ドカっ』と腰を下ろした。
踵を返して立ち去らない所を見ると、どうやら満更でもないらしい。
ヒメ先輩なりの照れ隠しか――こういう所は可愛いんだよな、この人。なんて思っていると、
「何か言ったか? あすか」
と、ギロっと擬音が出る程の眼で睨まれた。
うぉぅ。こういうところの勘は鋭い人だ。
「い、いえ、何も」
僕はそう答えると
「は、早くカメラの準備をしないとなぁ」
などと、わざと声を上げてケースの蓋を開けるのだった。
三脚を立て、その上にカメラを据える。雨に濡れることを考慮してビニールを被せていく。
部長が地面に立ち位置をマーキングし、小道具を置いていく。
タカ先輩は律儀にヒメ先輩を扇ぎつつも、台本を読んでいた。
ヒメ先輩と二人で読み合わせていたのだろうか、聞き耳を立てていると時折、ヒメ先輩の荒い声がした。が、我儘を言っているのではなく、役作りの為のディスカッションなのだと分かる。なんのかの言いながらも真面目なお方だ。本当に満更でも無かったらしい。
黒々とした雲は勢いを増して空を塞ぎ、陽の光を閉ざしていった。遠くで鳴っていたはずの雷は、既に、間近で聞こえてくるようになった。
全ての準備が整って先輩達が部長の記したポジションに立つ。
部長がカメラの前で仁王立ちし、不遜な笑みを浮かべる。
僕は演出のための発炎筒を持ってカメラのフレーム外に待機した。
部長が告げる。
「君達、一発勝負だ、気合を入れろ!」
その言葉に、態度には表さないが全員が頷いたと分かる。
部長は深く息を吸い込むと、
「シーン四十七。アクション!」
カチンコを鳴らした。
それを合図に、僕は全ての発煙筒に火を点けた。と――。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンン
気が狂いそうな程の大音響。
塗りつぶされた真っ白な視界。
地面が大きく揺れ、浮遊感に苛まれる。
一体何が起こって――。
考える間もなく視界が暗転し、意識が刈り取られた。
――そして、
目が覚めたとき、僕は二つの月を目撃し、一角ライオンに襲われた。
雷が落ちたのだと考え至ったのは、もっと後になってからの事だ。
突然、放り込まれた知らない世界。
異世界と呼ぶしか形容しようのない世界。
次に目が覚めた時には、僕は固いベッドの中だった。




