第一話 地下室 『記憶』
物心ついた頃から、自分の居場所はこの地下室だけだった。
ことり、という音と、小さな空気孔から入る弱い光が、朝の始まりだった。
粗末な布を敷いた寝床から体を起こし、出された食事を平らげる。そして部屋の光が当たる場所に座り、日の光が赤くなるまで過ごす。
それが、自分にとっての当たり前の生活だった。
ここがどこなのか、生きてきた記憶の中には地下室だということはわからなかった、が、何故か自分はここが地下室だと分かったのだ。
ここが地下なのだろうという推測も、まず初めに地上のことを知らなければならない。地上の下にあるのが地下であるのだから、地下ということを認識するには地上のことが記憶になければならないはずなのだ。
しかし、自分が思い出せる記憶にはこの部屋で毎日粗末な飯を食べて日の光をわずかに浴びながらただ過ごすだけの日々。そこに地上の記憶はない。なのにここが地下だと分かっている。
それがどうしても気持ちが悪いように思えたが、今の食事では考えるのもそこで精一杯だ。思考を巡らせるには栄養が足りない。視界は常にぼやけているし、耳から入ってくる音は少しの風と自分が動く時に聞こえる衣擦れの音。
唯一地上への足がかりになるであろう空気孔も、この小さな体でも滑り込ませるには小さく、そして自分の体よりはるかに高い場所にある。
よくわからない自分の中の自分でないものの記憶を感じるようになったのは最近のことだ。
しかしそれがあったところで何もこの状況が変わることもないし、ここから抜け出したいとも思わなかった。外、地上は自分にとってはただ日の光が差し込んでくるものでしかなく、そこに何があるかは興味がないし、そして抜け出したいと思ってどうあがこうともこの体では無理な話だ。
なので最近の寝るまでの自分の行動といえば、怪しげな記憶を少しずつ、与えられる食事の許す限り紐解いていくだけだった。
記憶を探ることを始めて十日ほど経った。
あいかわらずここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのかは未だ分かっていない。この部屋がどう言ったものがあるかは、わかるようになってきた。
石壁造りの地下室で、日の差し込む空気孔から右にワラの布団、左に食事の出る小さな戸がある。ここで出る食事は硬くて黒いパン、作り方を失敗したような腸詰、それと一杯の水。それが朝と夕方の二回でる。少し気になって食事の出る扉の奥を覗いた時に見えた服は、自分の服とは比べ物にならないくらい滑らかな見た目、黒色の裾から覗いた白は日の光に似ているほどだった。ああ言った服は礼服か修道服、とよばれる物だと自分の中の記憶が言っていた。
今日も朝の食事を終え、戸の前に水を飲み干したコップを置く。そうしてぼんやりと記憶を探っている間に、いつものように戸が動き外から腕がコップを回収した。
十日経ったが、自分が思い出せる限界はここまでのような、何かまだあると記憶が訴えているような感覚が頭の中で巡る。
不思議な感覚に襲われていると、何やら左側の壁の外から今まで聞いたことのない音が聞こえてくる。
「……こには誰もいません。お引き取……」
「……確かにシスターがここに食事の残り物を……」
不思議とそう言った事を言っているのが理解でき、なんとも言えない不快感に襲われる。頭の中でぐちゃぐちゃになるくらいに記憶が混ざり、痛みを感じ始める。
「うぅー……」
思わず出た音が自分から出た唸り声だと、これもまた『記憶』が教えてくる。
その声を聞いたのかは知らないが、先ほど聞こえた声の片方が、
「いいか、私は君の味方だ!もう一度、声を上げてくれないか!」
と、大きな音を響かせる。
その意味を『記憶』はきっちりと突きつけてくる。要は、この声の通りに声をあげればこの部屋から出られるぞ、と。
未だに頭は痛みを訴え、視界が揺れている。ただこの痛みから逃げ出したくて、もしそれで治るなら、と考え、自分は声を上げた。
「あー……、あー!」
初めて自分から出した声は、普段息しか通らない喉を痛める。しかし、一刻もこの不快感と痛みから逃れたい一心で、もう一度、
「あー!あー!ッケホッ、カホッ……あー!」
二度目の声を上げた時。
左の壁が砕け、土煙が上がる。
そこから現れた姿は、しばらく左右を見まわし、自分の姿を見つけると、こう言い放った。
「君は今から、うちの子だ!」