雪凪草と"もの隠し"
雪深き北の王国「ロスワルド」。
一年の大半が雪に閉ざされ、鉱山の採掘と木工細工などで細々と生活をするよくある小国の一つだが、この国にはある特異な点がある。
それは王族が秘蔵しているといわれる『無限の酒杯』である。
その酒杯からは飲めども尽きぬ美酒が湧き出てくるとされ、事実、穀物や果実などの酒の原料がなかなか手に入らない立地にもかかわらず、国内には大量の酒が流通していた。
王族以外はその秘宝がどこにあるか知ることはなく、鉱山に出稼ぎに来たドワーフたちは流通する場違いな美酒を飲むたび夢のような宝具に思いを馳せていた。
王城の秘された一画、大量の雪を詰め込むことで年中一定以下の寒さに保たれた氷室のような区画で傍系王族の娘アレイシアはかじかむ手を温めながら作業をしていた。
「こっちの株はダメ、これも間引く、これは……うん、大丈夫。今年はちょっと生長が遅めかな」
彼女が世話をしているのは峻厳な山の頂にしか自生しないとされる雪凪草。
茎から葉にいたるまで真っ白で、繁殖地も合わせて雪の中では見つけるのが困難な植物の一つである。
その上、迂闊に口にすれば死に至る毒草として知られており、栽培を試みる者はまずいない。
そんなものがなぜ王城の中で、王族の手によって育てられているのか。
王族に名を連ねる者しか知らぬ事実、この雪凪草こそが王家の秘宝そのものである。
王家に伝わる雪凪草のもう一つの名は"酒神の涙"。
言い伝えでは酒に酔って粗相をした酒神に激怒した妻が禁酒を言いつけた際に零れた涙から生まれたのだという。
伝説が真実かはともかく、雪凪草を薬液で洗って陰干しし、干した物を樽一杯の水に一晩漬けると水は度数の高い美酒に変じる。
『無限の酒杯』などは作られた虚像、王家が大量の美酒を用意することが出来るからくりがこれであった。
当然王家は雪凪草の利用法を秘匿し、その世話を傍系王族であるアレイシアにさせていた。
「ふー、今日の作業はこれでおしまいっ!」
寒さで赤くなった鼻を啜りながら、アレイシアは大きく伸びをする。
一応王族としての生活は保障されているものの、自分一人での雪凪草の管理はなかなかつらい。
この役割についたものは王族の中でも外部との婚姻が禁じられているので、これからずっと独身かもしれないというのも、若いアレイシアには憂鬱であった。
「……ん?」
作業が終わったので割り当てられた部屋に戻ろうとしたアレイシアは、視界の隅の雪の山が微かに動いたように感じた。
この区画には王族以外に入ることはできない、王城の中であるから野生動物が入り込む余地もない。
わずかな恐怖とそれを上回る好奇心で雪の山に近づくと、雪が内側に崩れて思いもよらない者が顔を出した。
「ぷはーっ! 苦しかった! あれ、何処だここ?」
「……誰?」
崩れた雪の下から顔を出したのはずんぐりとした体形の青年。
足が短く、腹回りが大きいが筋肉質でドワーフなのは確実だが、髭もまだ生えそろっていない事からかなり若いらしい。
邪気のない顔に思惑があって入り込んだわけではないことを感じた彼女の心にまず浮かんだのは心配であった。
王族しかこの区画に入れない故に見回りの兵士が来ることはないが、ここに入った事が王家嫡流に知れれば投獄は免れまい。
人に見られる前に出て行った方がいい、と忠告したが、ドワーフの青年は聞き入れなかった。
いわく、"もの隠し"が成功するまで帰れない、と。
"もの隠し"はコボルトやゴブリン、ドワーフなどの妖精族に共通する文化で、何か人の物を隠してしまう行為だ。
大抵は身の回りの細々としたものに終始するが、悪質な場合は取り換え子に発展することもある。
他の妖精族に比べて人間族との付き合いが濃いドワーフは行うことは少ないが、時には酒の席の賭けなどで行うこともある。
この若い青年ドワーフは酒の席で「"この国で最も価値ある物"をもの隠しする」と大風呂敷を広げてしまい、噂される王家の秘宝『無限の酒杯』を探しに侵入してきたらしい。
酒の勢いで城に侵入するのにはほとほと呆れ果てたが、ここまで入り込めたということはある意味成功しかけているのだから何とも言えない。
どうやって侵入したのか問うと、妖精族固有の能力である妖精の円環による転移で跳んできたそうだ。
よく見れば青年の足元には見知らぬキノコでできた円状の陣があった。
城壁も何も役に立たないのだから、妖精族によるもの隠しが何処でも横行するはずである。
妖精の円環があれば帰るのも容易い、という話に、アレイシアの頭にある企みが思いついた。
「ねぇドワーフ君、私を盗んでみる気はない?」
その後、ロスワルドのある薬師によって雪凪草の画期的な利用法が発表され、流通する酒はたちまち値が下がった。
王家は混乱したが、この国が栽培に最適な環境であることが周知されると、出稼ぎであったドワーフたちが列をなして移住してくるようになり、国庫は逆に潤った。
かの薬師は生涯で一度も己の家系について語ることはなかったが、彼女の偉業は誰もが知っている。
彼女の来歴を知るのは、彼女の隣にいた一人のドワーフのみであったという。