162.外れの神社③(怖さレベル:★★★)
全身に鳥肌が立ちました。
寺の建築に使っていた接着剤的なものが、古くなって溢れてきただけ?
これは血じゃなくて、溶剤とか、そういう類のもの?
異常現象が起きているなんて考えたくなくて、
必死にありえそうな仮説を脳内で浮かべたものの、
体は震え、血の気は引き、恐怖がどんどん湧き上がってきます。
私がその場で動けずにいると、不意に、ビュオッと強い風が頬を叩きました。
すると、壊れかけた寺が、反応するかのようにギィギィと強く軋み始めます。
それは、まるで寺が鳴き声を上げているかのようで、
私は、心臓が凍るような思いを抱きました。
(あの、コウモリの絵……)
瞬間、脳裏に大きなコウモリの絵が蘇りました。
滴り落ちる血のような液体、ギィギィと鳴くお寺。
まるで、あの天井のコウモリが、啜る獲物を探しているかのよう――。
私はもう、とてもその場にとどまることなんてできず、
元来た道に向かって、走り出そうとしました。
しかし、その瞬間。
ガタガタガタッ……!
見計らったかのように、コケまみれの石碑が私の横に倒れてきました。
幸い、手前で倒れたからぶつかりはしなかったものの、
思わず足が止まります。
(これ、さっきの首塚……!)
ひるんで立ち止まった私の耳に、不意になにか音が聞こえてきました。
風で木々が揺れた音、じゃない。
靴が砂利を踏んだ音、でもない。
もっとハッキリとした、男性のしゃがれ声にょうな、音。
……で……い……
ボソボソとくぐもった声は、なにを言っているかよくわかりません。
誰か、人がいるのか。
助けを求めるように見回した視界に、
たった今倒れた首塚の、折れた部分が見えました。
視線を下げた先。
そこにあったのは、倒れた石碑の根本から露になった、濡れた茶色の土。
それが、まるで生き物のようにわらわらと動き出しました。
「……!?」
白っぽく蠢くものが、土の中から顔を出しました。
それは虫――ではなく、
もっと大きな、そう、人間の手のひらのような形をしています。
「で……い……」
どこからともなく、低い、くぐもった男の声が聞こえました。
いくつもの声が、互いに重なり合ったかのように、不気味にエコーした声色で。
「……出た……い……だ……して……」
しゅるしゅると、いくつもの白い手のひらが土をかき分け、
まるで触手のようにウネウネと蠢いています。
地面はみるみるうちに盛り上がり、その下からもさらに多くの手が突き出してきます。
まさに、地獄絵図。
生々しい土の匂いと、重たい湿気が肌にまとわりつくかのような。
「……ひっ、う、うわあ……っ!」
私は悲鳴を上げながら、
元来た道へと逃げ出しました。
登りで疲れ切っていた足も、腰も、
この時ばかりはまったく疲労を感じることもなく、
全力で走って走って――気が付いたときには、
温泉地の入り口まで、無事に戻ってきていたのでした。
町中をのんびり人が歩いている光景を目にしたときの、
心からホッとしたあの感覚は、
もう一生、忘れることはできないでしょうね……。
私は、全力疾走でビキビキと痛み始めた足を引きずりつつ、
すぐに宿へ戻りました。
そして、山頂の神社を教えてくれた受付の人に、
道中の寺について、勢いこんで尋ねました。
あの山の中の寺はいったいなんなのか、
どういう歴史のある寺なのか、と。
しかし、宿の人は思い当たらないらしく「うーん?」と考えこんでいます。
もしかしたらかなり古いお寺なのかも、と思って、
「首塚もあって」と付け足すと「ああ! あの寺!」と驚かれました。
なんでも、温泉地に近いこともあって、
三十年ほど前までは檀家も多数抱え、それなりに栄えていたようです。
でも、ある日突然住職が失踪し、そこから廃れる一方なのだというんです。
跡継ぎもおらず、他に仕えていた人もいつの間にか姿を消していたんだとか。
やっぱり妙な曰くのある寺だったのか、と納得していると、
宿の人が、ふと不思議なことを言ったんです。
「それにしても、よく見つけられましたねぇ。あんなところ、今じゃ地元の者もいかないのに」
「え、いや……神社に行く途中にあるじゃないですか。観光客だったら、看板も出てるし、寄ってしまうこともあるんじゃ?」
私が首をかしげると、宿の人はキョトンとした表情で、
「ええ? だってあの寺、お話した神社と反対の山の中にあるじゃないですか」
と。
私は間違いなく、教わった通りの道を歩いて登って、
しかも途中、地図アプリを開いてまで確認したはずなのに。
慌てて、その場でまた地図アプリを確認したら、
確かに変なんです。その、道の案内が。
神社まで行く道は一本道で、
道中目にした、横にそれるような細道も、
お寺があったであろう空間も、存在していなかったんですよ。
まるで、そう、まるでキツネに化かされたかのような体験です。
でも、夢でも幻でもない証拠があるんです。
あの時、崩れかけた壁から天井を映した、数枚の写真。
……見たい、ですか?
でも……見ない方がいい、と思いますよ。
だって今まで、これを見た人たち全員、
私と同じく、あの寺で体験した悪夢を見ているから。
たった一人、山の中でお寺の前に立ち尽くし、
屋根からポタポタと赤い液体が滴ってくる、夢。
首塚から白い腕が伸びて、掴まれかけた――なんて人もいるくらい。
しかも、見た人の話を総合すると、
だんだんと、その夢がリアルに、しかもひどくなっているようなんです。
それでも見たい、ですか?
私は……あの日、あの場所で見た光景を忘れることはもうないでしょう。
できることなら忘れたい。そう、思っていますけどね。
私の話は、以上です。
聞いてくださってありがとうございました。




